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今日も魔導士は幼女に耐える  作者: 虎山タヌキ
陽だまりの中で
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15 使い魔の真意。

「もっと速くっ! そんなことではオルコスを笑顔には出来んぞっ!」

「こ、こうか?」


 ロクの手の平から舞っては落ちるのは、十を超える数の色とりどりのお手玉だった。


 あれから数日が経ったが、もう一人の魔導士がかなりの実力者らしく、ロクにレギオンからの招集はかかっていない。


 ここのところは、アビスが学校に行っている間にロクがヌヴィから芸の指導を受けていたり、材料屋の再始動の計画を立てていたりと、穏やかな日々が続いていた。


 何だろうかこれは。


 リコベルは、つい先日までの事がまるで嘘だったかのような、目の前の呑気な光景に頬を緩ましていた。


「……ふむ。少しは形になってきたな。そろそろオルコスも帰ってくる頃合いか。今日はここまでとしよう」


 ヌヴィの指導が終わり、ロクも最後とばかりに習っていた高速お手玉を限界速度まで上げた後で、ふぅと一息ついた。


「中々難しいな」

「いや、あんたそれ十分凄いから」


 ロクは意外と器用だった。


「ただいまっ! ロクはっ!!」


 扉を勢い良く開け放って帰ってきたのはアビスだった。アビスは学校から帰ってくると、毎回ロクがちゃんと居るかまっさきに確認するのが日課となっていた。


「おかえり。仕事に行くときはちゃんと言ってから行くって」


 ロクは苦笑しながら言って、どこで付けてきたのか、アビスの頭のてっぺんに乗っていた葉っぱを取ってやりながら扉を閉める。


「うんっ。でもたまにロクはないしょでどっか行くから」

「……いや、もうそんなことはない」


 アビスはそんなつもりはないが、ないしょ、という部分を強調されるのは、ロクに少なからずダメージを与えていた。


「あれっ! 今日はヌヴィもいたっ! ほら、これ取ってきたよ?」


 アビスはヌヴィを見つけると、だぁっと駆け寄りポーチから猫じゃらしを取り出して、ヌヴィの顔の前で、ふりふりと揺らして見せる。


「こんなもので高貴な我輩がじゃれつくかっ!」

「ぁうっ」


 アビスはヌヴィに鼻っ柱を肉球で小突かれてしまった。


「そんなことより、早くうがいと手洗いを済ましてくるのだ」


 アビスは過保護使い魔に促されて、しぶしぶ水場へと向かう。


 リコベルはその光景を何となく眺めたあとで、そう言えば、と一つの疑問を口にする。


「ねえ。最近ヌヴィが居ない時多いけど、どこに行ってるの?」


 初めのうちは、一瞬たりともアビスから離れることの無かったヌヴィが、ここのところはちょくちょく姿をくらませる事が増えてきていた。


 ヌヴィはリコベルの問いに、ふわりと尻尾を揺らした後で、くっといたずらに口角を上げてみせる。


「……え? なんなの?」


 リコベルの、何もったいぶってんのよ、という視線を受けて、ヌヴィは笑うように口を開いた。


「ふふ。野暮なことを聞く小娘だ。我輩にも彼女くらいおる」

「彼女っ!?」


 リコベルは、にゃんだとっ! と、驚愕する。まさかこのぽんこつ猫に先を越されるなんて、と。


「あびす、ヌヴィのかのじょ見たいけど?」


 ささっと手洗いうがいを済ましたアビスは、そんなことを言いながら水場から戻ってくる。


「ふっ。まあ、いずれ機会があればな……それよりもだ、これ何とかしてくんない?」


 ヌヴィが不満げな顔で、これ、と言うのは目の前で鬱陶しく揺れ動く猫じゃらしだった。


「ちょっと、じゃれてやれば?」


 リコベルは、どうでも良いといった風に適当な返事をする。


「……」


 ロクは無表情のまま何を言うでもなく、自分がやればじゃれるかもしれないという淡い期待を抱いて、ヌヴィの顔の前で猫じゃらしを揺らしていた。


 アビスはその様子を楽しげに眺めたあと、思いついたかのように、ぴんと狼耳を立たせる。


「あっ、きょうもお昼ごはんは、あびす作るねっ」


 アビスは言って、少し高い所にかけてある自分専用のエプロンに手を伸ばした。


「じゃあ、いっしょに準備しよっか?」

「うんっ」


 リコベルがそれをひょいと取ってやると、アビスはいそいそと手渡されたエプロンに着替えながら、にこっと笑って、小さな親指をぐっと突き出した。


「ロクっ。きょうもちょうおいしーの作るねっ!」

「……ああ。期待してる」


 ロクに頭を撫でてもらって、やる気が更に倍増したアビスは、リコベルと共に調理場へと向かっていく。


 最近はこの材料屋にも調理器具が増えてきたようで、あびすの料理のレパートリーも日を追うごとに増えてきていた。


「わっぱ。オルコスの笑顔を絶やさぬために訓練を怠るでないぞ?」


 ヌヴィは未だに眼前で動き回る猫じゃらしをぴんと弾くと、アビスの後ろ姿を見ながら目を細める。


 ロクは、結局じゃれてもらえなかった事に少し残念そうな顔をしたあとで、ポケットから一本の紐でできた輪っかを取り出した。


「わかっている。この間教わったのも大分形になってきたぞ」


 言ってロクは、ヌヴィに教わった高速一人あやとりを披露する。それは、凄まじい速さで様々な形に変化をし、人通りの多い道端で行えばおひねりをもらえそうな程であったのだが。


「たわけがっ! もっと速さを上げぬかっ」


 ヌヴィからすれば、まだまだだったらしく、尻尾でひょいと、紐を取り上げられてしまった。


「その程度でオルコスが笑顔になるとでも――」


 ヌヴィが言いかけた時。


「ロク~っ! ちょっとこれ見てっ」


 話の途中で、アビスが野菜の切れ端を持ってロクに見せに来た。


「……ん? ああ、こりゃあ虫が食ってるな」

「ねー。まん丸であな空いてたっ」


 アビスはその穴からロクを覗いて、無邪気に笑ってみせる。


 ヌヴィは二人のそんな他愛もないやり取りを少し遠目に見ながら、安心するような少し寂しいような複雑な気持ちになった。


 ロクが芸をやるでもなく、ただ会話をしているだけで、アビスの表情がにぱっと笑顔になったからだ。


 ヌヴィは、しばらく心底楽しそうに笑うアビスを見て、やはりオルコスはあれが居れば大丈夫なのだな、と自分の中で一つの踏ん切りを付ける。


「ほらっ。ヌヴィもみてっ! 虫にたべられてましたっ」


 そんなことをつらつらと考えているヌヴィの前に、アビスは無垢な笑みを浮かべたまま、嬉しそうに野菜の切れ端を見せに来る。


 ヌヴィは、ふっと小さく笑うと、アビスの歩く前にわざと尻尾を出して踏ませた。


「わっ!? ああ、ごめんねっ。ヌヴィ、痛かった?」


 アビスは慌ててさっと一歩後退して、即座にヌヴィの尻尾から足をどけたのだが。


「あーっ!! 我輩は尻尾を踏まれると、しばらく姿が消えてしまうのだっ! これはしまったっ。オルコス、しばしの別れだ……」

「えっ!?」


 アビスがその言葉を消化する前に、ヌヴィはそんな適当な思い付きの言葉を残して、すっと姿を消してしまった。


「はっ!? お前、何言って――」 


 ロクが慌てて駆け寄った時には、既にヌヴィの姿も気配もなく、呆然と立ち尽くすアビスだけがその場に残されていた。


 ヌヴィは、なんだ、なんだ、と騒ぎ立てるアビスたちの声を遠くに感じながら、自身の固有結界の中へと引きこもっていく。


 やがて、その声も姿もヌヴィの前から消えていった頃、ヌヴィの視界が瞬くように暗転する。


 そうして行き着いた場所は、丸太で組まれた小さな木こり小屋の様相を呈している、古びたベッドが置かれただけの寂しい部屋だった。


 ここはかつて、ヌヴィと原初のオルコスが共に暮らした魔女の工房である。


 ヌヴィは、どこにでも居る野良猫のように四足歩行でベッドへ近づくと、ぴょいっと飛んで、朽ちかけた布団の上で丸くなった。


 そろそろ限界が近い。


 ヌヴィは維持していた魔力を解いて、自身の前足を凝視する。そこに刻まれているオルコスとの繋がりの証である刻印が、今にも消え入りそうに薄くなっていた。


「……むう。もう少しだけ。もう少しだけ、頼むぞ」


 ヌヴィは、自身の体に向けて独りごちる。その視界に映るのは、魔力で隠していた傷が散見される満身創痍の体だった。


 元々終わりの近かかった体に無理を言って、狂騎士との戦闘を繰り返しているのだ。無理もない。


 ヌヴィは、弱気になりそうな心を瞬時に制して、魔力を極限まで抑えておけば、しばらくは持つはずだ、とやり遂げる意志を固める。


 このまま傍に居続けたとしても、この心に空いた穴は塞がりそうにない。


 次のオルコス、また次のオルコスと見て、その姿を重ねてきたが、本物は最初の一人だけで、世代が変われば別人で、それはヌヴィが大好きだった本当のオルコスではない。


 わかっていはいたのだ。


 それでも、あの頃のオルコスが再び笑っているような気がしてしまって、いつの頃からかそんな幻想に甘え続けてきた。


 だが、それもここまで。自分が本当の意味で、あれを笑顔にする事は、もう叶う事はない。


 オルコスを笑顔にできないまま逝かせてしまった後悔は、今もなおヌヴィの心を縛る。


 ヌヴィは、かつてオルコスの温もりがあったその冷たいベッドで、更にその体を小さく丸めると、自分の心に整理をつける。


 もう、十分だ。


 言いつけ一つ守れなかった不甲斐ない使い魔にしては、上出来な終わり方が選べた。

 

 ロクならば何代にも渡って背負わせてきた呪縛から、オルコスを解き放ってくれるかもしれない。


 どうか、あの笑顔が失われなきよう。


「あとは……頼んだぞ。馬鹿……騎士」


 ヌヴィはうわ言のように小さく零すと、しばしの眠りについたのだった。

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