14 黒幕と黒猫
魔導レギオン総帥代理グレン・ロッドウッド。
ルマ総帥が不在の今、レギオンの全権を握る事実上の最高責任者であり、ロクを魔導士へと引き戻した張本人である。
ヴァンは、その人物が居る部屋にたどり着くと、扉を荒々しくノックした。
「グレンさんっ。入りますっ!!」
ヴァンはノックの返事も待たずに慌てた様子で扉を開け放った。
「……なんだぁ? 慌ててどうした?」
グレンは書類の束を整えながら、ゆっくりと振り向く。
「国境付近の村が二つ……消滅しました。一つは異教徒の集落なんですが、もう一つは教会の清教徒たちが静かに暮らす村だったようで、狂騎士たちの仕業ではないかと」
正直言ってわけがわからない。
何の思惑も意思も感じ取れないその所業は、まるで天災のようなものだ。何より不可解なのは、そこに住居の残骸も人の亡骸も残っておらず、ただの平地と化していたこと。
「魔神……でしょうか?」
ヴァンは目をつむったまま黙考するグレンに、違うとわかっていても他に思い当たる事がなく、そう訊かざるを得なかった。
グレンは、その問いに「当たらずとも……か」と天を仰いで零し、大きく息を吸い込み重い口を開いた。
「……はぁ。やっぱり来やがったか。おじさんの勘違いなら良かったんだけどなぁ」
グレンは眉根にシワを寄せてポリポリと頭を掻いた。
「来た……と言うのは?」
ヴァンは、まさか本当に魔神が顕現したのかと、有り得ない考えを肯定しそうになる。
「ほれ。これ読んでみろ」
グレンは答えることなく、報告書の束をヴァンに手渡した。
「……これは、どういう事なんですか?」
報告書に目を通したヴァンは、いよいよもって訊くしかできない。
「ババアが調査した結果。狂騎士を動かしたり情報を流してる奴なんざいねえらしい。むしろ教会の上層部も、狂騎士の行動には頭を痛めてるみたいで、討伐に加勢するって協力を申し出てる司教もいるくらいだ。まあ、おかしいとは思ってたんだがな。このタイミングで狂騎士を動かしたって何の利益にもなんねえ」
「では、誰が狂騎士を動かして?」
ヴァンの疑問に対して、グレンはこめかみの辺りをぐりぐりとやって目を閉じると、一拍の間を持って口を開いた。
「勇者、なんて呼ぶのは馬鹿馬鹿しいよな。教会の首輪を引きちぎって行方をくらましてた化物だよ」
グレンは、苦虫を嚙み潰したような顔でその言葉を吐いた。
「そんな……まさかっ!?」
「あくまで予測の域を出ちゃいねえが、間違いねえだろうな」
――勇者。
教会が対魔神ようにこの世へもたらした奇跡の存在。
教会の信徒たちにとっては英雄譚の英雄そのもであり、平和と安寧の象徴みたいなものだ。
だが、魔導レギオンと異教徒にとっては脅威そのものであり、グレンにとっては頭痛の種である。
「でも……どうして。狙いは何なんでしょうか?」
「ヴァン。お前も諜報部なら、あの化物がどうやってこの世界に現れたか知ってんだろ?」
「……っ!」
ヴァンはすぐに答えにたどり着く。たどり着いて、認めたくない現実を突き付けられたように顔をしかめた。
一般的には勇者の顕現を成し得たのは、教会が保有していた聖法具の力という事になっている。
だが、実際には聖法具だけでは不十分で、そこに力を貸した者が居る。
「魔女……ですか」
ヴァンは、小さく重たい声で、それを口にする。
「そうだ。んで、あの化物降誕に力を振るった魔女ってのがアビスの母親。つまりは、先代のオルコスなんじゃねえかと俺は睨んでるんだわ」
「っ!?」
アビスの母親が勇者をこの世界に顕現させた。それは決して有り得ない話ではない。ヴァンの頭で咄嗟に回る時系列的にも辻褄が合う。
「恐らく、狂騎士を動かしてるのは勇者だ。原初の魔女の血族。つまりは、自分をこの世界に召還した張本人との面会を所望しているってことだろう」
「……? 確か召喚者である魔女は、勇者が殺した筈では?」
ヴァンは、グレンの言葉に疑問を抱く。
「当初の情報じゃそうなっていた。だがな、現実はこっちだ」
ヴァンはグレンから手渡された一枚の羊皮紙を見て驚愕した。それは、魔女の協力があったことが信者にばれぬようにと、数人の司教が結託し証拠隠滅を図った血判状だった。
「つまるところだ。恐らく勇者様はまだ自分を召還した魔女が生きてるって信じてる」
「これの……出処は?」
ヴァンは信じられない、といった表情で羊皮紙に目を落としたまま、グレンに問う。
「今朝方ババアの使いから届いたもんだ。信憑性は高いだろうな」
グレンは心底嫌そうに言って、外部に漏らすなよ、と付け加える。
「召喚者の魔女はすでに死んでいる、という話で説得できますかね?」
「まあ、無理だろうな。その証拠に接触を試みた教会のじじい共が揃って姿を消しているらしい」
つまり、自分の眼で確かめるまでは信用しないということだ。
「どう……対処しますか?」
面会を望んでいる、という情報だけでは会ってどうしたいのかという目的まではわからない。となれば、アビスを紹介し、魔女はすでに死に、この子が今のオルコスだと説明して説得するという線は愚策でしかない。
とは言え、あの化物と戦闘になるという結果も避けなくてはならない。
「正直言って、くそほど戦いたくねえ。勝てるわけねえだろ、あんな化物に」
グレンは、無理だわー、と零して、大きく椅子の背もたれをのけぞらせた。
「と、とにかく、こちらへ向かって来ているのであれば、迎え撃つ準備をしなくては」
策がないのであれば、とりあえず今できることをするしかない。ヴァンはグレンの様子を見て焦りの色を滲ませる。
「まあ、待て。おじさんにも秘策はある」
グレンは、ぐっと半身を起こすと、焦るヴァンを制するように落ち着いた声色で言って、真剣な眼差しを向ける。
「秘策?」
「ああ、ロクを呼べ。あの化物は、俺とロクの二人でやる」
「っ!?」
ヴァンはそんなとんでもない事を言うグレンに驚くのと同時に、この段になってようやく目の前の男の目論見に気付いた。
「……初めから、こうなることを見越して、ロクくんをレギオンに戻したのですか?」
「ま、半分はそうだな」
グレンはあっさりと認めて、できれば御免こうむりたかったがな、と自身の二の腕をさすった。
「命の……命の保証はあるんですか? もし、二人が同時に命を落とすような危険があるなら、僕は断固として――っ」
グレンは徐ろに立ち上がり、声を荒げるヴァンの肩にその重い手を乗せると、壁に掛けられているタペストリーを見つめる。そこには、グレンが記したのであろう、これまでに命を落とした戦友たちの名が刻まれていた。
「ヴァン。魔導レギオンは世界にとって最後の砦なんだよ。俺たちの後ろには何もない」
グレンはヴァンに背中で語る。
「人に上も下もなく自由な世界を。そのバランス取りをするためには、細かな部分に目を向けるわけにはいかねえ。どれだけ非道だと非難されようと、俺たちは最後の瞬間まで徹頭徹尾、魔導士であるべきなんだ」
ヴァンは、その重い覚悟にも似た言葉を受けて、その背中に問う。
「死ぬ……つもりですか?」
「馬鹿言うな。死を許容して戦地に向かうのは、誇りに狂った騎士だけだ。俺たち魔導士は何としてでも生き残って、一人でも多く救わにゃならん」
グレンはヴァンに向き直ると、何とも真意が汲み取れない表情で言って、まったく損な役回りだ、と小さくつぶやいた。
「……」
「そんなおっかねえ顔すんなって。安心しろ、あの惨劇みてえなことは起こさせねえ。あくまでも詰めのところは俺とロクの二人でやっからよ」
グレンは、普段の豪快な笑みを取り戻して、だっはっはっは、と笑ってヴァンの背中を叩いた。
「その役は……ロクくんじゃないとダメですか?」
ヴァンは自分でも馬鹿なことを聞いている自覚はある。それでも、代わりがきくのならばと、自分でもできるならばと、僅かな希望を抱いた。
「ロクじゃねえとダメだな。それに狙いが魔女の嬢ちゃんなんだから、どの道やるしかねえだろ」
グレンはあっさりとヴァンの希望を摘むと、他に方法でもあるのか、とでも言いたげな視線を送ってくる。
どの道やるしかない。
その言葉はその通りであり、どうしようもない。ヴァンは歯噛みをして、重い口を開くしかなかった。
「……わかりました。ロクくんに伝えます」
ヴァンがやりきれない気持ちを胸に踵を返すと、
「っ!」
そこには見慣れた者の姿があった。
「その必要はない。我輩が代わりを務めよう」
その見慣れた黒き者とは、扉の前で腕組みをして立つ、魔女の使い魔だった。
「ん? おめえさんは……なるほどな」
グレンはヌヴィを見て、即座にすべてを察する。
新たな戦力。魔女の使い魔。ロクの状態。フレアとヴァンの動き。これらの情報がグレンの中で正しく結びついていく。
「ヴァン、いつからうちの殲滅階級は猫も雇うようになったんだ?」
グレンは、特に驚くことなくヌヴィを見たあと、ヴァンに困ったような顔を向ける。
「我輩の魔力では役不足か? 小僧」
ヌヴィは言って、ロクを上回る強大な魔力をちらつかせる。
「……へっ。いや、魔力は十分だ。だがよ、話は聞いてたんだろ? 相手は世界最強の化物。動きを封じる自信はあんのか?」
グレンはロクの術式魔法、ルートゼロに期待している。相手の虚を突き、一瞬でも動きを止められる可能性が高いからだ。
「……ふん。我輩は小僧が生まれる遥か昔から魔女の使い魔をやっておる。動きを封じる術など星の数ほど知っておるわ」
ヌヴィは決してふざけることなく、自信満々に答える。
ハッタリを言っているわけではなさそうだ。
グレンとしては、事が成せるのであれば、協力者は誰でも構わない。
「……色々と聞きてえこともあるが時間がねえ。早速打ち合わせに入りたいんだが構わねえか?」
グレンは、元々立てていた計画をすべて白紙に戻して、原書の魔女の使い魔が相棒なら文句のつけようもねえ、と素早く頭を切り替える。
「……ん? どうしたぁ? やっぱり辞めるってんなら早めに言ってくれよ?」
グレンは、呆然とするヌヴィに挑発的な視線を送る。
「いや、お主らには迷いがないのだな」
ヌヴィは、その切り替えと行動の早さに驚きを隠せずにいた。
「まあ、魔導士なんてそんなもんだ……。ああ、それからな。小僧は勘弁してくれないか? これでもおじさんいい歳なんでな。猫ちゃん」
「……ふん」
こうして、魔導レギオン総帥代理グレンと、オルコスの使い魔のタッグが組まれ、アビスに近寄る脅威を討つ算段が秘密裏に整ったのだった。




