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今日も魔導士は幼女に耐える  作者: 虎山タヌキ
陽だまりの中で
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12 使い魔と魔導士の問答。

 薄々と空が白み始める頃、深い森に囲まれた草原で二つの影が魔力を交差させる。


「やめろっ! 俺はこんなところで、お前とじゃれ合ってる場合じゃ……っ!」


 上空に展開された巨大な魔法陣から、つららのように尖った無数の黒い氷塊が、ロクを目掛けて降り注ぐ。


「ふむ。では、どんな場合なのだ?」


 ヌヴィは攻撃の手を緩めず、腕組みをしてその場から一歩も動くことなく、見たこともない魔法を放ち続ける。


 ロクは、それらを躱し、時に魔力で防ぎながら、この理解できない状況に苛立ち始めていた。


 意図がまったくわからないうえに、何の説明もないまま一方的に攻撃を仕掛けてくるが、込められた魔力に殺意を感じるわけでもない。


 とにかく、多少強引でも対話に応じてもらう他ないだろう。こんなところで意味不明に時間を取られている場合ではないのだ。


 瞬間、膨大な魔力量がロクを包む。


「ルート・ゼロ」


 発動されたロクの術式魔法が、容易にヌヴィの全身を捕縛した。


「ほう? 面白い魔法もあったものだな?」

「いい加減にしてくれ。何のつもりかわからんが、俺はもう行かなきゃならない。それにお前はアビスの使い魔なんだろ? あいつの側に居ないでどうするんだ?」


 ロクは軽く肩で息をしながら、吐いた言葉が自分にも返ってきていることに気付いていた。


 だが、それでも、もう後戻りはできない。正しくなくとも前に進むしか道は無い。


「わっぱ。お主はこれからどうするつもりなのだ?」 


 ヌヴィは、ロクの術式魔法に抵抗することなく、腕組みをしたまま一つの問いを投げてくる。


「俺はレギオンに戻る。あいつを守るには、それが……最善なんだよ」


 ロクは言って、ヌヴィから目をそらした。


「守る……か。オルコスを独りぼっちにしておくつもりか?」

「独りじゃない。リコベルも街の皆もあいつに優しくしてくれる」


 ロクは、エスタディア北区の住人を思い浮かべ、無理矢理に自分の存在をそこからかき消そうとする。自身の必要性も、これまでの思い出さえも。


 アビスの孤独を埋めるのは、自分でなくとも良いはずだと胸中で嘯く。


「我輩が言っているのは、そう言う事ではないのだがな。誰かの代わりは誰かに務まらぬことぐらいわかっているだろう?」


 ヌヴィは、ロクの葛藤を知ってか知らないでか、当たり前の事を当たり前のように突きつけてくる。


 そうだ。いくら周りの誰かが優しく接してくれるとしても、それは決して代わりにはならない。そんなことは言われなくたってわかっている。それでも、アビスの幸せを願えば願うほど、自分は距離を取らなくてはならない。


「もう、戻れない。忘れてたんだ。俺の手は、あの子を撫でていいものじゃない」


 ロクは血に染めてきた自身の手のひらを固く握り、ヌヴィをまっすぐに見据える。


「……なるほどな。そういう結論か」


 ヌヴィは納得がいったように一つ頷き天を仰ぐと「相変わらず馬鹿なのだな」と、小さく零した。


「もういいだろっ! 結果的にはあいつを守れるんだっ」


 ロクは、わかったらそこをどいてくれと言わんばかりに、ヌヴィを捕らえた術式魔法の魔力を強める。


 だが、ヌヴィは全く動じること無く、ロクの覚悟を無碍にするかのように鼻で笑うと、小さく嘆息する。


「わっぱ。それは思いあがりだ。わっぱはオルコスを守れてなどいない。この先もずっと、そのやり方ではちっとも守れなどしない」


 ヌヴィはきっぱりと言ってのける。ロクが心の底に押し込めている迷いをあっさりと、無遠慮に引っ張りあげる。


「……なんでだよ。これがあいつを一番安全に生活させる方法だろ。お前も使い魔なら、主の命が最優先なんじゃないのか?」

「無論。だがな、ただ命を保証されるだけの生などに何の価値がある? 生という始まりがあり、死という結果がある。生あるものそれは不変。万古不易の理だ。だからこそ、人の生きた軌跡というのは、その過程が大事なのだろう? オルコスを守ったという結果など、わっぱの自己満足でしかない。大事なのは、守るその過程ではないのか?」


 つまりは、何があろうと側にいろと。これまで通り、あいつの側で守り続けろと。それが本当の意味での『守る』ということであり、アビスの幸せであると、ヌヴィは言いたいのだろう。


 好き勝手言いやがって。それができるなら、こんなに悩みはしない。


 ロクは奥歯を噛み締めて、半ば睨むようにヌヴィにまっすぐな目を向ける。


「俺だって、できることならそうしたい。でもな、俺は魔導士なんだよっ!」

「我が主は魔女だが?」


 ヌヴィは、何でもないことのように言って返す。


「……だったら、俺の記憶があいつから消えるとしたらどうだ? それなら何の問題も――」


 ロクが言いかけた刹那、全身を異様な重圧が包んだ。


「っ!?」


 体の自由を奪われたロクの視界には、突如として巨躯の闇が広がる。


 漆黒の刃を幾重にも折り重ねたような体毛に、見上げた先に在る、裂けた口から覗く獰猛な牙。つい先刻まで小さな存在だった者は、畏れを纏った魔獣へと成り代わっていた。


「我が主に、仮初の生を歩ませる気か?」


 悪魔化したヌヴィは、容易にロクの術式魔法を打ち破り、その巨大な獣爪でロクの身体を地面に縫い付ける。


「……っ。どうして、そこまで俺にこだわる? 使い魔のお前としては、あいつが危ない目に合わないのが最善だろ?」


 ロクは、術式魔法を難なく解かれたことより、先ほどまで呑気な黒猫だった相手が魔神然とした姿になったことよりも、なぜヌヴィがそこまでして、自分へこだわるのかが疑問だった。


「よく聞け。わっぱとオルコスが出会ったのは決して偶然などではない」

「……?」


 ヌヴィは、ぬっとロクに顔を近づけ、獰猛な猛禽類となんら変わらぬ牙を覗かせる。


「魂には記憶が残らないようにできている。無論、過去に固執していては未来を描かなくなるからな。だが、それでも人の絆というものは、どこか傷のように残っているものだ。人は傷つけ合い、それでもその手を離さぬものなのだろう? そんな絆を築いた者同士は、必ずいつかどこかで再び交わるようにできている。我輩も話半分に聞いていたのだが、今回それを確信した」


 巨躯の悪魔と化したヌヴィの声は、びりびりと振動を伴って腹の底へと伝わり、まるで魂そのものに語りかけるようだった。


「お前は、何を言って……?」

「惹かれ合う輪廻、魔女の概念だ」


 ヌヴィは笑うように口の端を釣り上げ、まあオルコスの受け売りだがな、と小さく息を漏らした。


 こいつは何を……知っている?


 ロクは、ただ黙ってヌヴィの言葉を聞くしかできない。


「お前たち人間は強い。背負い、抱き、苦しみ、それでも生きる事ができる。だが、魔女は弱い。本当に……弱いのだ。どうか、オルコスを守ってほしい。他の誰でもない、バックスフィード。お主に頼みたいのだ」


 ヌヴィは、ロクの自由を奪っていた前足をすっと退けると、その巨躯の身体を起こし、獣耳を乗せた頭を深々と下げた。


「……この手で、またあいつを撫でろと言うのか?」


 ロクは仰向けになったまま、力なく自身の手のひらを天へと向ける。


「血にまみれていようが、汚れていようが、それでもわっぱはオルコスを撫でるべきだ。笑って、叱って、悩んで、そばに居てやるのだ。それができぬのならば、それはわっぱの弱さ故にオルコスを守れぬという事だ」


 自分が弱いから、アビスを守れない。そのヌヴィの言葉は電撃のように、ロクのど真ん中へと突き刺さる。


「それにだ。わっぱが汚したと思っているその手は、奪った数より、救った数の方が多いと、吾輩は思うのだがな」

「……っ」


 ロクは、今一度自身の手を開いて見た後で、深く目を瞑り黙考する。


「俺は……多分、馬鹿だな」

「今更か」


 目を開き、ぼんやりとつぶやいたロクの言葉にヌヴィが同意する。


 何が魔導レギオン最強の魔導士だ。小さな女の子一人守れず、自分勝手に思い悩んで出した結論が、記憶を奪って寂しくないようにしてやるという自己満足。


「まったく何様だ、俺は」


 ロクは、強く地面に拳を打ち付け、徐ろに立ち上がると、これまで心の中に棲み憑いていた弱さを追い出すように大きく一つ息を吐き出した。


「一度手を出したら……最後までか。ったく、きついな」


 ロクは小さく零すと、全身に魔力を込めた。


 まだ、間に合うだろうか。いや、間に合わせる。


「ヌヴィ……面倒をかけた。もう、大丈夫だ」


 ロクは、何か憑き物が落ちたように、迷いのない眼差しをヌヴィへ向ける。


「ふっ。まったく、世話のかかる護衛だな」


 ヌヴィは言って、元の小さな猫の姿に戻り、はよ行け、と顎をしゃくってくる。


 ロクは首肯で返し、駆け出すすんでのところで足を止め、肩越しにヌヴィへ言葉を投げる。


「ヌヴィ……お前、酒は飲めるのか?」

「む? あま~いやつならな」

「……そうか」


 ロクは、後悔と焦燥を全身に巡らしながら、本当の意味での『守る』という意志を持ち直し、アビスの待つ場所へと駆け出したのだった。




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