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今日も魔導士は幼女に耐える  作者: 虎山タヌキ
陽だまりの中で
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06 魔導士の戦場

 まもなく正午に差し掛かるという頃、二人の魔導士は黙々と出撃準備を進めていた。


 辺りには何組かの椅子とテーブルがまばらに置かれており、場末の酒場の様相を呈している。


 ここは、かつてロクが所属していた隊が、任務の打ち合わせなどで使用していた場所だ。


「懐かしいかい?」


 ヴァンは、机の上に広げた地図に目を落としたまま、独り言のように口を開く。


「……どうだろうな」


 もう、随分昔の事のような、或いはつい先日のような、そんな不思議な感覚がロクを支配していた。


 ロクは、ヴァンにそんな事を言われたからか、改めて室内をぐるりと見回してみる。


 今は誰も使用していないのだろう。壁に掛けられた木彫りの名札が、あの日のまま変わらず並んでいた。


 その名前の中で、今も呼吸を続けているのは、ロクとフレアだけだ。


 ふと、思いを巡らせると多くの記憶が浮かび、それは苦しい感情を伴って胸の辺りを締め付けてくる。


 だが、今は感慨に浸っている余裕など無い。


 ロクは、区切りをつけるように一度瞳を閉じると、手早く黒いローブを身に纏い、ヴァンの対面に腰を下ろした。


「また、それを着たロクくんが見れるなんて思いもしなかったよ」


 ヴァンは、ロクの懐かしい姿を見て苦笑を浮かべた。


 ロクの纏う黒いローブの左胸には、真紅の逆十字が施されている。それは、人、魔物、神にですら剣を向ける、殲滅階級バスタークラスの証だ。


 魔導士には、それぞれ役割の異なる部所がある。殲滅階級バスタークラスは、その中でも最も戦闘に秀でた者たちである。

 

 そして、それぞれ異なる階級同士の者が集められ、一つの隊を結成する。


「俺もだよ」


 ロクは、そのヴァンの軽口に肩をすくめる。


「……どうした?」


 ヴァンは、何かを言いたげに、ロクをじっと見据えたまま、固まっていた。


 しばらくロクと視線を合わしていたヴァンは、やがて逃げるように広げた地図へ再び目を向け、


「……すまない」


 と、小さく零した。その拳は、強く握られている。


「何がだ?」

「これでは、まるで……」

「まあ、死ねと言っているようなものだな」


 ロクは、何でもないかのように言ってのける。


「はは。相変わらず君は、言い難いことを平然と……。でも、僕は君を死なせる気は毛頭ないよ。総帥が戻ってくるまで、できるだけ時間をかけて――」

「駄目だ」

「えっ?」


 ロクは、ヴァンの言葉を遮り、その提案を否定する。


「半分は、俺に対する封じ込めなんだろうが、もう半分は純粋に戦力が不足しているんだろ?」


 魔導レギオンは、かの魔神討伐戦において、多くの殲滅階級の魔導士を失っている。そして、情報を得た限り現在も魔導士たちは狂騎士と交戦中だ。


「どうにも、やりづらいね。ロクくんは……」


 ヴァンは、一つため息を吐くと、困ったように片眉を釣り上げる。


 つまり、ロクに期待されるのは、これから先に現れる狂騎士たちの殲滅であり、同時に、有事の際に備えて、できるだけ魔導レギオンに戦力を温存させる事なのだろう。


「奴らの狙いがエスタディアなら、どの道、戦闘は避けて通れないしな」


 ロクは言って、机の地図に目を向けた。


「そうだね……じゃあ、始めようか」


 ヴァンは、言いたいことをぐっと胸に押し込み、ヴォラス王国の地図へ向けて魔力を込める。


 ヴァンの術式魔法『マップアクティベート』は、あらかじめ設定しておいた場所に、対象を転移させる事ができる。


「まずはここ。エスタディアよりずっと北にある亜人の集落だ。情報通りなら今日の夜にでも、奴らはこの森を通って集落にたどり着く」


 ヴァンは、地図に書き込まれた集落と森を指でなぞって示す。


「……今日の夜、か。一応、村の方へ直接送ってくれるか?」

「うん。可能性は十分に有り得るし、僕もそうしようと思っていた」


 それは、狂騎士たちが予測よりも早く集落にたどり着くという可能性だ。


 村人が多い場所には、既にレギオンの部隊が送られているが、ロクがこれから向かうような小さな集落に関しては、対応が遅れているのが現状だ。


 魔導レギオン上層部の意思決定に、感情論は介在しない。いかに効率的に多くの罪無き異教徒を救えるか、ただそれだけであり、優先順位の低い小さな集落は、結果的に見殺しにされる場合だってある。


 もちろん、余裕があれば、例え数人であっても救いの手を差し伸べる事は、言うまでもないが。


「じゃあ、先回りが上手くいったら、この森で潜伏待機。接触後、速やかに殲滅して帰還。いいかい?」


 狂騎士の襲撃は、のどかな日常を送る者たちにとっては、その記憶に強烈なトラウマを植え付ける。


 可能ならば、集落に辿り着く前に殲滅し、彼らには何も知らないまま日常を継続させたい、と言うのがヴァンの理想である。


「ああ」


 ロクは頷くと、ゆっくりと地図の上に手を乗せた。


「それじゃ、いくよ……」


 ヴァンが小さく術式魔法を詠唱すると、眩い光がロクを包み込み、数瞬後にはその姿を消していた。


 僅かな静寂が、室内に流れ、


「……くそっ!!」


 ヴァンは、その拳で机を叩き、自身の無力さを呪ったのだった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 そこは、長閑な集落だった。


 家畜を連れて田畑を耕す者、民芸品を作りながら他愛もない話で笑い合う大人と、その周りで騒がしく駆け回るこどもたち。


 貧しいながらも、その小さな幸せを自らの力で手繰り寄せた者たちの集まりだ。


 村人の中には、獣耳や尻尾がある者とそうでない者がおり、見たところ差別される事なく共存していた。


 ロクは、村人に気付かれぬよう、集落の囲いの外にある大きな樹木に背を預けたまま、ひとまず胸を撫で下ろす。


 まだ、狂騎士たちは来ていないようだ。


 ロクは、速やかに潜伏場所を森へと移すべく、辺りの気配を探る。


 すると、集落の囲いの外で、花を詰む亜人の女の子と母親が視界に入った。


 何やら楽しそうに話をしながら、二人は花摘みに夢中になっているようだ。


 ロクは、その小さな女の子を何となくアビスと重ねてしまい、少し頬を緩ませるが、それは村の中央に屹立する一つの像によって、瞬時に引き締められた。


 その像は、巨大な蛇を模したもので、この村の住民が崇める神なのだとすぐに察する事ができたからだ。


 狂騎士からしてみれば、邪教徒である何よりの証拠であり、許しがたい神への冒涜である。


 この平穏を守らなくては。


 ロクが再び花摘みをする亜人の母子を見て、そう強く決意したその時だった。


 ――っ!


 強力な魔力の波動が、凄まじい速さでこちらへ向かってくる。


 ロクは、瞬時に魔力を練り上げ、その五感を研ぎ澄ませていく。


 ……5…6、7。7人。


 間違いなく狂騎士だろう。


 どうする。こちらから迎撃に森へ向かうか? いや、取りこぼす可能性を加味すれば、迎え撃つ方が懸命か。


 ロクは、咄嗟に思考を巡らしそう判断すると、樹木の影から飛び出した。


「――ひっ!?」


 花を摘んでいた母親は、突如現れたロクに小さく悲鳴を上げながらも、幼い女の子を体の後ろに隠す。


「落ち着いてください。魔導レギオンです。これから、この集落に狂騎士が来ます。急ぎ村に戻り、この事を皆に伝えて、こどもは家から出さないように」

「へっ? レギオン……わっ、わかりました」


 母親は、こういった事に対する教育をしっかり受けているのか、半信半疑のような顔をしながらも、女の子を連れてすぐに村へと戻って行った。


 ロクは、それを見届けると、目視できる距離まで迫ってくる狂騎士たちに、わざとわかりやすく魔力を放つ。


 お前たちの敵は、ここだ、とでも言うように。


 そして、とうとう狂騎士たちは、ロクの眼前にその姿を現した。


 皆一様に、白銀の鎧を身に纏ってはいるが、物語の騎士よろしく騎乗している者は一人も居ない。


 無論、彼らより速く行動できる馬などこの世に存在しないからだ。


「貴様、何者だっ! これより行うは神を冒涜する者たちへの神罰であるっ! 邪魔立てすれば同罪とみなすぞっ!!」


 狂騎士たちの中でも、最も貫禄のある髭を蓄えた大柄な男が一歩前へ出てそう宣言すると、鞘から剣を抜きロクへ向けた。


 狂騎士たちの眼に一片の曇りも迷いもなく、ただまっすぐにロクを見据えている。


「魔導レギオンの殲滅階級バスターだ。これ以上の説明が必要か?」


 ロクは、村を背に立ち塞がったまま、ローブのフードを外した。


 魔導士と狂騎士が相対すれば、あとは殺し合いあるのみ。言葉を交わす意味も必要もない。それは、お互いの共通認識である。


「……なるほど。原書の魔女を匿い、エスタディアから連れ出したというのは、本当らしいな」


 そのリーダー格の狂騎士が言って周囲に合図をすると、他の者たちも一斉に抜剣した。


「……?」


 ロクは、男の言った言葉に一瞬戸惑ったが、すぐに狂騎士たちも教会に流された情報に踊らされているのだろうと察した。


「魔女に与する邪教徒どもに神罰をっ!」


 その宣言を皮切りに、魔導士と狂騎士の戦闘が開始された。


 狂騎士は、教会の中でも戦闘に特化した元『パラディン』だ。ロクにとっても油断できる相手ではなく、手加減もできない。


 ロクは、小さく息を吸い込むと、あらゆる感情を外へと追いだし、目の前の敵を殲滅する事だけに集中していく。


 一番槍。


 金髪の若い狂騎士が、その剣に最大の魔力を込め、一気に距離を詰めてくる。その速さは、一介の冒険者ならば為す術なく切り伏せられるほどだ。


 だが、その上段に構えた姿は、ロクの視界にしっかりと捉えられていた。


「っ!?」


 金髪の狂騎士の振り上げられた剣が、腕ごと宙を舞う。


 桁外れの魔力を纏ったロクの手刀が、一瞬早く逆袈裟に振りぬかれていた。


 だが、片腕を奪われたその狂騎士は、叫び声一つ上げることなく、もう片方の手に攻撃を魔法を乗せる。


 と、ほぼ同時に、その頭部が地へと転がり、その魔法は発動する事なく消滅した。


 まずは一人。そう思った瞬間。


「ぐっ!?」


 ――剣閃。


 ロクの脇腹に、剣による一撃が放たれる。


 だが、魔力差により致命傷には程遠い。そして、その次の瞬間には、その一撃を与えた狂騎士は、首から上を消滅させていた。


 実力差は明白であり、狂騎士たちがロクを倒せる要素は皆無なのだが、一人たりとも怯む事なく、ロクへと向かってくる。


 神の下僕であるという後ろ盾。自らが絶対的な正義であるという盲信。目の前の敵が、神に仇なす者であるという確信。それらが、彼らを死の恐怖から解き放ち、その体を突き動かしていた。


 しかし、ロクの魔力はそれらを無慈悲に圧倒し、一人、また一人と、その命を摘んでいく。


 ロクは、やがて5人目に手をかけた時点で、確かな不快感をその体に巡らせていた。


 狂騎士の命を奪う度に、鋭く確かな痛みが胸を貫くのだ。


 ロクは、無理矢理にその感覚を体から追い出し、向かってくる狂騎士たちを冷静に屠り続ける。


 そして、遂に最後の一人となったリーダー格の狂騎士は、


「神よっ! 我に加護をっ!!」


 そう叫び、特攻を仕掛けてきた。


 当然、その加護を受けた刃は届く事なく、ロクの手刀によって左胸を貫かれ、ゆっくりと膝から地に伏し、絶命した。


 不意に、何事も無かったかのように、柔らかな風が吹き抜け草木を揺らす。


 あとには、動かなくなった狂騎士たちの骸と、返り血に塗れた一人の魔導士だけが残っていた。


 終わった。村に報告して帰還しよう。


 ロクは、確かに残る不快な感情から目を背け、きびすを――。


 返そうとしたところで、ロクに貫かれた狂騎士の左胸から、何か紙切れのようなものがはみ出ている事に気付いた。


 ロクは、何気なくそれを手に取り、


「っ!」


 絶句した。


 それは一枚の写真であり、そこに映っていたのが無垢な笑みを浮かべる幼い女の子だったからだ。


 鼓動が早鐘を打つ。


 そして、血に塗れた写真の裏側には、こどもの字で『パパ、おしごとがんばってね』と、書かれていた。


 一瞬、頭の中が真っ白になる。


 ロクは、思わず数歩後ずさり、膝から下が無くなってしまったかのような、脱力感に襲われた。


 奪ったのだ。


 自分が、この手で、幼い女の子を一人、不幸にした。


 奪ったのだ。


 この、無垢な笑顔を。 


 一陣の風が吹き、ロクの震える手から写真を攫っていく。


 結局のところ、罪なき誰かの幸せを守った反対側で、罪なき誰かを不幸にしている。


 魔導士は、決して正義などではなく、ただ世界の均衡を保つ、それだけだ。


 罪を背負い、忌み嫌われ、糾弾され、異教を守るために異教を殺す。


 とうの昔にわかってはいた。繰り返していく内に、考えなくなって、当たり前になっていただけだ。


 ロクは、返り血の付いた自身の黒いローブを見て、まとわりつくような淀んだ感情が心を蝕んでいくのを感じていた。


 考えるな。


 そう強く自身を戒めて、よろめくように一歩踏み出した魔導士の眼は、色を無くし冷たく濁っていた。







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