05 魔導レギオンの総意。
ヴォラス王国よりも遥か東、豊かな自然に囲まれたとある国にそれはあった。
深い森に覆われた中心部に位置する、魔導士意外のあらゆる者の侵入を拒む結界が張り巡らされた巨大な要塞、魔導レギオン総本部である。
ロクとヴァンは、特殊な魔法印が施された門をくぐり、レギオンの敷地内へと進んで行く。
「どうだいロクくん。久しぶりの古巣は?」
「良い気はしないな」
ロクは、そのヴァンの軽口に苦笑まじりに返事をする。
それもその筈、建物内へと歩く二人の両脇には、付かず離れずの距離で、戦闘系の魔導士が控えており、ロクの一挙手一投足を監視しているようだった。
更には、視線を上へ向けると、魔導士の訓練生たちが、校舎の窓から無数の顔を覗かせていて、自身へ好奇の目を向けているのが見て取れる。
魔導士候補の彼らからすれば、最強とまで謳われ、かの魔神討伐戦で生き残ったロクは、ある種の生きる伝説のようにでも映っているのだろう。
「……すまない。本当なら、君はこんな扱いを受けるべきではないんだが」
ヴァンは、周囲の魔導士たちを見て、苛つきまじりに表情を歪める。
「いや、半分は自分の蒔いた種だ。それに、どこかでけじめをつけなくてはならなかった」
本来ならば、魔神討伐戦に参加し、自らの命を賭して仲間の命を救ったロクは、英雄扱いされてもおかしくはない。
だが、その救った方法が禁忌の術式であり、更にその身に封じた魔神による命の危機を魔女によって助けられていると言う事実が、上層部の魔導士たちにいらぬ邪推をさせてしまっていた。
無論、ロクにも非はある。
魔導士としての責務を全うするのであれば、魔神討伐戦後すぐにでもレギオンに戻り、魔神という危険を孕んだ自分自身の処遇をレギオンに委ねなくてはならなかった。
だが、ロクはそれをせず、自分の短い余生を自由に過ごす事を選んだ。
その間、生き残った魔導士たちから報告を受けたレギオン上層部は、表面上こそ平静を装っていたが、内々では様々な憶測が飛び交い、情報が錯綜していた。
ロクが長らくレギオンに顔を出さなかった事も、あらぬ疑惑に拍車をかけているのだ。
「会って話したところで頭の固い連中が納得する可能性は低いけど、それでも一度話をしておけば、手の届く場所に居るという安心感は与えられる。わかっているとは思うけど、魔導レギオン脱退など口が裂けても言ってはダメだよ?」
「わかっている」
要するに、魔導レギオンを脱退しないのならば、ある程度は狂騎士討伐に協力しろという事なのだろう。
建物内に入り、幾つかの階段を登り、長い廊下を歩いて行くと、やがて一つの大きな扉の前で、ヴァンが立ち止まった。
ヴァンは、一度念を押すかのようにロクを一瞥すると、静かに扉を叩く。
「ヴァン・アルスファーです。ロク・バックスフィードをお連れしました」
「……入りたまえ」
中に入ると、長方形の大きなテーブルを囲んで、幾人かの上級魔導士が呻くような驚きの声を上げた。本当に生きていたのか、とでも言いたげである。
「おうおう、久しぶりじゃねえかロク。おじさん、懐かしくて泣いちゃいそうだよ。まあ、立ち話も何だし座れよ」
明らかにこの場に不釣り合いな声色で話しかけてきたのは、白髪を短く刈り揃えた大柄な男だった。
グレン・ロッドウッド。
扉から最も遠くに座するこの男は、魔導レギオンのナンバー2であり、ルマが不在の今、実質的に総帥代理の位置にいる存在だ。
「……いえ。要件をお聞かせください」
ロクは、昔からこのグレンという男が苦手な事もあり、早々に本題へと踏み込む。
「相変わらず素っ気ないなぁ。んじゃ、とりあえず聞いておきたいんだけどよ。そのオルコスの魔女ってのは本物か?」
「はい。報告書の通りです」
ロクの返事に、その場に居る魔導士たちの表情が曇る。
「そうだよなぁ。別に疑ってるわけじゃないんだが、おじさんたちは報告書読んでるだけだから、いまいちピンと来なくてなぁ」
グレンが面倒くさそうに頭を掻いていると、業を煮やしたのか、その場に居る上級魔導士の一人が口を開いた。
「ロク・バックスフィード。何故、これまで召喚要請に応じず潜伏していた? 魔女を使って何か良からぬ事でも企んでいるのではないのか?」
そして、それを皮切りに、他の魔導士たちも口々に疑問を投げかけてくる。
「そうだ。それに、オルコスの血族ならば尚更我らレギオンで保護すべきだ。貴様のような一介の魔導士になど任せておけぬ」
「うむ。まだこどもとはいえ危険な魔女だ。野放しにはできまい」
ロクは、保護と言う言葉に、幽閉の間違いだろ? と、胸中で舌打ちをして、グレンの方を見る。
グレンは騒がしくなる魔導士たちを諌める様子もなく、ただロクをまっすぐに見据えた。釈明しろ、という事なのだろう。
「報告書の通り、あれは無害です。自分がこの命に代えても証明してみせます」
ロクは、いつかアビスが言っていた『みんなが笑顔だったらうれしい』という言葉を思い返す。
「馬鹿な……原書の魔女が無害だとっ!? 仮に、本人に邪な意志が無かったとしても、利用されれば、世界を危機に晒す事になるのだぞ? レギオンで保護、監視すべきだっ!」
当然、魔導士たちがそんな言葉で納得する筈もないが、ロクとしても引き下がる気は毛頭ない。
「それはできません」
「何故だっ!」
「彼女はただのこどもであり、自分はそのただ一人のこどもの幸せを願うからです」
ロクは、きっぱりと言い放つが、その後も魔導士たちとロクとの押し問答は続き、
「おーし、わかったっ! もう、いいだろっ!!」
それまで静観していたグレンが一つ手を叩き、場を仕切りなおす。
そして、静まり返った室内で注目を集めたグレンは、ロクを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「ぶっちゃけ、おじさん的には、その魔女殺したいんだわ。教会、狂騎士、レギオン内も慌ただしくなってて面倒くさいし」
――っ!?
「それは、総帥の意志に反して、異なる処置を取る、と言う事ですか?」
その挑発とも取れる言葉に、ロクの体から一瞬敵意を纏った魔力が滲む。
「ロクくんっ!!」
それを感じ取ったヴァンが、咄嗟にロクを制すが、その後の返答次第では最悪の事態もありえる雰囲気だ。
「冗談だよ、そう熱くなるな。まあ、この場において……と言うよりも、この世界においても異質なのは自分だって、理解してくれたか?」
「……?」
「おじさんたちは魔導士。世界の均衡を保つ、言わばバランサーだ。こどもがどうとか、個人の幸せがどうとか、小せえ事はどうでもいい。原書の魔女はそのバランスを崩す危険な存在。この世界から取り除いておきたいってのが、魔導レギオンの総意なわけだ」
「自分はその意志には――」
従えない。そう言いかけたロクの言葉をグレンの突き出された片手が制する。
「まあ待て。そうは言っても、おじさんたちだって魔導士である前に人間だ。感情もちゃんとある」
グレンは、おどけるように自身の胸の辺りを拳で小突いて見せる。
「……何か条件があるのなら、言ってください」
「今、ヴォラスがどういう状況になっているかは聞いているか?」
「狂騎士たちが暴れているそうですね」
「そ。国王から直々に討伐依頼も来ちゃってさ。国内への出入りに制限をつけたみたいだけど、もう手遅れだろうな。情報を流したのは間違いなくどっかの大司教様。まあ、その辺もばあさんが探ってるとは思うんだが……」
ばあさん、とはルマの事だろう。
「いずれにせよ、今おじさんたちは猫の手でも借りたい状態なわけだ。奴らは周辺で魔女狩りを展開させ、レギオンの力を分散させている。狙いは間違いなくエスタディアだろうな」
「自分に、その討伐へ参加しろと?」
ロクは、またアビスを狙う輩が近付いていると知り、怒りがこみ上げる。
「そう言う事だ。今のところ確認できているのは五箇所。全部一人でやってもらいたいんだが、できるか?」
「一人でっ!? いくらなんでも無茶ですっ!」
ヴァンは、その想定外のグレンの言葉に思わず口を挟む。
「おじさん、ヴァンくんには聞いてないよ」
グレンは、すっと目を細めると、鋭い眼光でヴァンに向ける。
「まあ、報告書を信じるとすれば、その……アビスっつったか? その子自体には魔女としての使命も自覚も薄いわけだし、ばあさんの言うとおり様子見でも良いかとおじさんは思ってるんだけど……」
「なっ!? グレン殿っ! それでは話がっ!」
打ち合わせてた話と違ったのか、一人の上級魔導士が驚き声を上げた。
「ん~? じゃあ、あんたんとこの隊が代わりに全部討伐してくれるか?」
「い、いや……うちの隊は、昨日の戦闘により負傷者を多数出しておりまして……」
声を荒げた魔導士は、グレンの返しにしどろもどろになる。
「と、まあ現状のレギオンはご覧の有様なわけだ。ああ、言っておくが、強制ではないぞ。何せ、総帥がお前らの処遇は様子見だと決めちまったからな。おじさんたちとしては、ロクが望んで勝手にやってくれると助かるってだけだ」
やられた。
ヴァンは、平静を装っては居るが、内心焦りを感じていた。ヴァンが聞いていたのは、一度顔を合わせて話がしたい。ついでに狂騎士討伐も手伝ってもらえたら助かる、と言う程度のものだった。
幾つあるかもわからない狂騎士たちの部隊を単独で全て殲滅しろ、と言うのは言い換えれば、死ぬまで戦い続けろと言っているようなものだ。
グレンの言葉の意味を理解したのか、その場に居る魔導士たちは安堵にも似た笑みを薄く浮かべる。
「わかりました。狂騎士を潰せば、レギオンの総意として、自分たちへ手出しはしない、という事ですね?」
「そういうことだよ。じゃ、交渉成立だな。いつから取り掛かってくれるか?」
「もちろん。今からです」
ロクは言って、ヴァンを一瞥した。




