04 解ける腕
ここから少し話が動き始めます。
とある日の昼下がり。
エスタディア北区にある材料屋の主は、辛辣な顔をして帳簿と額を突き合わせていた。
これは、かなりまずい。
「金だっ。金が要るっ!」
ロクは、机にバサッと帳簿を置くと、高らかにそう言い放った。
「へっ? 何よ、藪から棒に」
アビスと一緒に採取物仕分けのお手伝いをしていたリコベルが、怪訝そうにロクを見やった。
今日はこの後、三人で夕食を取る予定となっている。
「ああ、いや。こっちの話だ」
ロクは、取り繕うようにそう言うと、難しい顔をして再び帳簿とにらめっこを始めた。
「……?」
アビスは、材料仕分けの手を止めると、ロクの方を見て、うん? と小首を傾げる。
よくわからないけど、ロクはお金が欲しいみたいだ。
アビスは、視線を斜め上に投げて、何やら少し考えるような素振りをした後、ごそごそとワンピースのポッケをまさぐった。
「アビスちゃん?」
リコベルは、突然すくっと立ち上がるアビスを見て、不思議そうに声をかける。
アビスは、意を決したような表情で、その小さな手で何かをぐっと握ると、眉間にしわを寄せているロクの方へ、とことこと歩み寄って行く。
「……ん? どうした?」
ロクは、無言で目の前に立ち、じっとこちらを見つめるアビスに気付き、首を傾げる。
すると、その尻尾の生えたちっこい奴は、無言のまま、ロクの握りこぶしをその小さな手で開いてきた。
「はいっ。あんまり無駄つかいしちゃだめだよ?」
アビスは、お姉さんぶってそんな事を言うと、ロクの掌にくすんだ銅貨を数枚乗せてやった。
「……え? いや、これはお前の小遣いだろ。それに、そういう事じゃなくてだな……」
ロクは、困ったように言うと、すぐにその銅貨をアビスのポッケに返してやる。
ロレントの一件により、ロクのお財布事情は芳しくない。
ロレントが職人を通してロクに出した仕事の依頼は、本物だった。
しかも、他の街の商会も関わっていた為、その穴埋めは相当な金額に上り、未だに返済し終えてないのが現状だ。
「あ~。例の商会に返済してるお金の事? そんなにいっぱいは無理だけど、私も少し出すよ」
リコベルは、何気なく言いながら、不思議そうな顔をするアビスの頭をひと撫でして、慣れた手つきで仕分けた薬草を箱に入れる。
「いや、大丈夫だ。どうにもならないって程ではない」
如何なる理由があろうとも、自分の行動が招いた結果だ。リコベルにまで迷惑をかけるわけにはいかない。
「ふ~ん。何か当てでもあるの?」
リコベルは、頼ってもらえない事に少し拗ねながら、訊いてみる。
「ん? いや、まあ……何とかなるだろ。それよりもヌヴィはどうした? まだ寝てるのか?」
「え? 何か猫は一日の大半を寝て過ごすものなのだ、とか言って屋根に登って行ったわよ……って、あんた今ごまかそうとしたでしょ? 私は当てはあるのかって聞いてるんだけどっ?」
ロクは、特に無かったので適当に誤魔化そうと思ったのだが、あっさりと見破られてしまった。
むぅ、と唇を尖らせて迫ってくるリコベルに、どうしたものか、と思考を巡らせていると、不意に開け放たれた店の入口に人影が現れた。
「当てならここにあるよ」
――っ!?
その懐かしい声に驚き振り返ると、そこには申し訳無さそうに立つフレアと、一人の魔導士の姿があった。
「やっ。ロクくん、久し振りだね。お金の事ぐらい僕に相談してくれよ。水臭いじゃないか」
「……お前」
男の名は、ヴァン・アルスファー。
ロクが魔導士として活動していた頃の同期であり、現在も魔導レギオンの諜報部隊に身を置く、一筋縄ではいかない相手である。
その容姿は、ロクより頭一つ背の高い長身で、茶色の長髪を後頭部で一つに結わえており、どこか軽薄な感じが見て取れる。
「レギオンの判断は、様子見じゃなかったのか?」
ロクは、言ってちらりとフレアを一瞥する。
「先輩、今回は――」
「もちろん、君たちの処遇に関しては、結論をだしていない。今回は……まあ、別件と言ったところかな」
ヴァンは、何かを言いかけるフレアを片手で制すと、少し含みのある笑みを浮かべて、そう言った。
「……別件?」
「狂騎士と言えば、大方察しはつくかい?」
狂騎士。教会の上層部が利権や金に毒された事に嫌悪し、自らの正義を遂行するため、独自に行動する元パラディンたちである。
彼らは教会から離反した神の下僕であり、それぞれの裁量を持って、魔女狩りや悪魔狩りと称し、亜人や獣人の集落を皆殺しにする。それが、正しい行いなのだと狂信し、その狂った正義を貫くために命すら惜しまない。
教会が直接的に関与しない狂騎士を退ける事は、異教を守る魔導レギオンの主な職務の一つだ。
「今更、出撃命令って事か?」
「いいや。命令ではないよ。総帥が下したのは、ロク・バックスフィードをしばらくの間、魔導レギオンにおける、あらゆる規則から除外する、というものだからね」
ヴァンは、困ったものだとでも言わんばかりに肩をすくめる。
「じゃあ、何だってんだ?」
「う~ん。偉い人たちからの……お願い、あるいは取引と言ったところかな。ま、詳しい事は向こうで直接彼らに聞いて欲しい」
彼らとは、もちろん魔導レギオン上層部の者たちの事だ。
「それは、ババアの意思か?」
「いや。総帥は、教会上層部との密会で忙しくてね、今は不在だよ。教会の行った邪法の証拠であるロレントというカードが切れる今、色々と条件を付けておきたいのさ」
ロレントから引き出した情報は、教会の権力者にとっては不利益となるものが多い。金にがめつく臆病な者たちからは、様々な点で譲歩を得られるだろう。
「そうか。今からの方がいいか?」
「……素直に聞き入れてくれるのかい?」
ヴァンは、もっと抵抗されるだろうと思っていたのか、意外そうな顔でロクを見る。
「まあな」
いつまでも、なあなあのまま逃げきれる筈がない。
ロクは、遅かれ早かれこんな日が来るであろうことは覚悟していたのだ。何せ自分が抱え込んでいるのは、世界にとっては脅威となる原書の魔女なのだから。
いい加減、色々と決着を付けるべきだろう。
「いずれにせよ、ロクくんはこの案件を受けざるを得ないよ」
ヴァンは言って、ちらりとアビスに目を向ける。
「あ、あのっ。ロクは、おでかけですか?」
アビスは、ヴァンと視線が合ったので、気になった事を素直に訊いてみる。
「君が、アビスちゃんかい? 僕はロクくんのお友達でね。これから少しばかり彼を借りて行くよ」
ヴァンは、アビスと目線の高さを合わせると、優しく微笑みそっとアビスの頭を撫でる。
「おともだち?」
「そうさ。だから、何も心配しなくていい」
ヴァンは、その内に秘めた様々な想いを押し込めて、アビスにそう告げた。
「すぐ帰ってくる?」
アビスは言って、不安気にヴァンを見上げる。
「……もちろん。君が良い子にしていればね」
ヴァンは、ふっと息を吐き出すと徐ろに立ち上がり、ロクに目配せをする。
「アビス。すまないが、しばらく留守番を頼む」
「……うん。わかった」
アビスは、傍らにあったうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、ロクを心配させないように、にこっと笑った。
「それじゃ、行こうか」
「ああ。リコ、フレア。アビスを頼む」
ロクは、リコベルとフレアを交互に見ると、何の説明も無いまま、店を出ていこうとする。
「あっ、あのっ! ロクは……どうなるんですか? それに、狂騎士って……」
リコベルは、黙って状況を見守っていたのだが、耐え切れずにそう切り出した。
「ん? ああ、君が報告にあった領域殺しか」
「ヴァンさんっ」
「おっと、すまない」
ヴァンが、リコベルを妙な名で差すと、フレアは小声でそれを戒める。
「確かリコベルくんだったね? あまりこっち側に干渉しない方が良い。君は冒険者、そしてロクくんは魔導士だ。元々住む世界が違う。まあ、それも今後の君の選択次第では、その有り様を変えるかも知れないけどね」
ヴァンは、何やら意味深な事を言って、リコベルを憐れむような目で見る。
「それって、どういう……?」
「すまないけど、今は時間が無くてね。詳しい話はまた今度ゆっくりと」
ヴァンは、リコベルの問いにそう言って区切ると、わざとらしく時計に目をやって、時間がない事を表し、それ以上の追求を拒んだのだが。
「ちょ、ちょっと待ってよロクっ。私には何がなんだか。ちゃんと説明してよっ」
リコベルは、こんなんじゃ納得いかないと、何も教えてくれないまま行こうとするロクの腕を掴んで、その目を真っ直ぐに見据える。
しかし、ロクは何かを言いかけて口をつぐむと、リコベルから目を逸らした。
フレアは、仕方ないと言った風に、ロクの腕を掴んだリコベルの手を更に掴んだ。
「っ?」
フレアは、決してアビスに聞こえぬよう注意を払って、小声でリコベルへ囁く。
「先輩は……これから、魔導士として戦場へ向かわれます。それが、今のところ彼女を守る最善の策なのです」
フレアは、リコベルにわかるよう、うさぎのぬいぐるみを抱きしめたまま、こちらの様子を窺うアビスへそっと視線を向ける。
それだけで、ロクがこれから起こす行動の全てを物語った。
アビスを守るため。
それでも、リコベルは言いたいこと、聞きたい事が山程ある。あるのだが、ここでこれ以上引き止める事は、恐らくそれを阻害する事になってしまう。
リコベルの何かを訴えかけるような視線に、ロクは目を伏せたまま何も言わない。
「大丈夫……だよね?」
リコベルは、言いたい事を全て飲み下し、たくさんの意味を込めて、その言葉を持ってロクに確認する。
「ああ。アビスを頼む」
ロクは、少し寂しそうな目で言うと、何かを断ち切るように踵を返し、ヴァンと共に店を出て行ってしまった。
リコベルの手から、掴んでいた腕が解ける。
後には、嵐が過ぎ去ったような静けさが、狭い店内を包んでいた。
リコベルはこの時、何故かこれが最後の別れになってしまうような、ロクがもうここへは帰って来ないような、言い表しようのない大きな不安に駆られていた。




