閑話:変な男
今回はリコベルとロクの出会い編的な閑話です。
夕刻。
その日も麦のしっぽ亭は、クエスト帰りの冒険者たちでごった返していた。
ジョッキを派手にぶつけ合って、豪快に笑ういかつい男たちや、静かに明日のダンジョン攻略の打ち合わせを行う者たち。
品の良い貴族連中が見たら、思わず眉をひそめてしまうような喧騒である。
ここ麦のしっぽ亭は、冒険者ギルドを内包する北区最大の酒場なので、夕暮れ時は決まってこの有様なのだ。
そんな中、猥雑に並んだテーブルを縫うように進み、颯爽とクエストカウンターへ歩いて行く一人の少女がいた。
少女の名はリコベル・クルーガー。目の覚めるような赤髪と整った容貌で、ここ北区では非常に目立つ存在であり、何とかお近づきになろうと声をかける男も後を絶たない。
しかし、彼女がそれらの言葉に心を動かす事はない。何故なら、今のリコベルには『強くなる』という事以外にあまり興味がないからだ。
「はいっ。今回の依頼品。チェインタートルの爪ね」
リコベルは、革袋から依頼品を取り出し、クエストカウンターに立つ恰幅の良い女性に手渡した。
「……ん、確かに。はい、今回の報酬」
「おおっ。銀貨だっ!」
リコベルは、受付で銀貨二枚を受け取り、にんまりと笑みを浮かべる。ここ最近、メキメキと腕を上げているので、より高ランクのクエストを受けれるようになり、その報酬額も目に見えて上がっていた。
「あんたが強くなってるのはわかるけど、あんまり無理するんじゃないよ?」
「わ~かってるって。命あってのなんちゃらでしょ?」
リコベルは、報酬を受け取ると若女将の苦言に後ろ手にひらひらとやって、満席の酒場を後にした。
さて、と。今日は奮発してちょっとオシャレなお店でご飯でも、そんな事を考えながら通りを歩いていると、少し先に一人の若い男が視界に入った。
また、あいつだ。
最近、ここ北区で見慣れない若い男を良く見かける。無愛想で、あいさつをしても返事はなく目礼で返されるのみだ。
リコベルは、変なやつだなぁ、と胸中でつぶやきながら、反対の通りを歩くそいつを凝視する。
職人たちから聞いた話によれば、どうやら北区に新しく材料屋を出したらしい。
あんなに若いのに自分の店を持つだなんて、家出してきた貴族の次男坊か何かだろうか。そんな邪推をしていると、
「……あっ」
じっと見すぎたせいか、目が合ってしまった。
リコベルは、少し気まずくなって、一応小さく頭を下げておく。すると、向こうも少しだけ頭を下げたように見えた。気のせいかもしれないけど。
(……まあ、無視されるよりはましか)
と言うか、この場合じっと見てた自分の方が変なやつだと思われるかも、とリコベルは慌てて男と反対方向へと歩き出す。
材料屋って事は、冒険者である自分が直接関わりあう事はないだろう。
リコベルは、それ以上男の事を考えるのを止めて、旨そうな匂いが漂う通りへと歩を進める。
この時のリコベルにとって青年の存在は、北区に材料屋が一つ増えた、というだけの事だった。
それからしばらくして、北区に一つの問題が起きた。
エスタディアの領主が病で命を落とし、その弟へと権利が引き継がれたのだ。
そして、新たな領主は、突如滞納している税金を全て支払うように命じてきた。以前の領主は金儲けよりも、歴史やそこに住む人々を思いやってきたので、どれだけ納税が遅れても嫌味一つ言わなかった。
しかし、エスタディアは凄まじい速さで発展している途上都市だ。そんな金の成る木を黙って見過ごす事のできない者も多く居る。
新たな領主は金にがめつい貴族たちと結託し、北区の住民をすべて追い出して自身らの息がかかった商人たちを住まわせる計画を立てていた。
北区では当然大騒ぎとなり、リコベルもその渦中へと身を投じていき、皆で金稼ぎに躍起になった。
そして期限の日。どうあがいてもあと金貨20枚が集まらなかった。
北区に絶望の空気が流れる中、リコベルがダンジョンでレアドロップを手に入れた。その鉱石は、ダンジョンの難易度に関係なく出現する希少な物だった。
リコベルは、淡い期待を抱いて街へ急いだが、その鉱石は――売れなかった。
中央区の商人たちには既に貴族の手が回っており、金を集めさせないように仕組まれていたのだ。
リコベルは、途方に暮れて北区へと続く細い路地をとぼとぼ歩いていると、一人の商人に声を掛けられた。
「嬢ちゃん。その鉱石良かったら私に金貨5枚で売ってくれないか?」
見るからに怪しい男だった。恐らくは、貴族たちの手が回っていない外地の商人で、少女が希少な鉱石を入手したが、購入してはいけないという話をどこかで聞いたのだろう。
男の狙いは当然、その高価な鉱石を安く買う事だ。
「えっ? 金貨……5枚?」
「話は聞いたよ。大変みたいじゃないか。なあに、私は明日にはここを発つしがない行商人だ。貴族連中の悪巧みなど知った事ではないのさ」
リコベルは、手にした鉱石と男の顔を交互に見て考える。
20枚には届かないものの、どうせこれを持っていても一文にもならないだろう。ならば、少しでも足しにして、支払いを待ってもらう算段を立てるのが得策だろう。
仕方ない。
「じゃあ……金貨5枚で――」
そう言って、差し出したリコベルの鉱石を持つ手は、商人には届かなかった。
その腕を何者かに掴まれたからだ。
「この鉱石がたったの金貨5枚か。安すぎるな」
「――っ!?」
驚き振り返ると、そこにはあの材料屋の青年が居た。
確か名をロクと言ったか。
「ななっ、なんだお前はっ!? ガキが商売の邪魔すんじゃねえっ」
行商人の男は、人通りがないのを良いことに、先ほどのまでの柔和な表情を崩し、声を荒げる。
「俺はただの材料屋だ。まあ、少なくともお前よりは物の相場を理解していると思うがな」
「このっ!」
商人の男は、熱くなってロクの胸ぐらを掴むが、何事か耳元で囁かれると、見る見るうちに顔面蒼白になり、怯えたように去って行った。
リコベルは、よく状況が理解できず、ただ呆然とロクの背中を見つめる。
(助けてくれたって事かな? でも、売れないんじゃ持ってても仕方ないしなぁ……)
それでも、その好意に対してはお礼を言っておこう。そう思ってリコベルが声をかけようとすると、ロクは徐ろに振り返って、ゆっくりと口を開いた。
「良かったら、その鉱石をどうやって手に入れたのか教えてくれないか?」
「……?」
リコベルは、何故そんな事を? と、押し黙ったまま首を傾げる。
「……ダメか?」
「ダメじゃ……ないけど」
リコベルは、その真剣な眼差しに気圧され、なし崩し的にできるだけ詳しく入手状況を説明した。
「なるほど。それならば、この鉱石にはかなり純度の高いマナが蓄積されている可能性があるな」
ロクは、どこかわざとらしく大仰に頷くと、リコベルの手に有る鉱石をじっと見つめる。
どうやらこの鉱石は相当の値打ちものらしい。
とは言え、現状この街でこれをお金に替えるのは困難だろう。そうとなれば、こんな所で油を売っている暇はない。すぐに戻って、今後の事を皆と話し合わなければ。
「そ、それじゃあ、私はこれで……」
逼迫した状況を思い出し、お礼を言うのを忘れてリコベルがその場を去ろうとすると、ロクは顎をさすった後で、とんでもない事を言い出した。
「待ってくれ。良かったらその鉱石、俺に金貨20枚で売ってくれないか?」
「ふぇっ? 20枚っ!?」
「嫌か? さすがに俺もそれ以上は出せないが……」
リコベルは、頭のなかを巡っていた様々な疑問を全て吹き飛ばし、その思いがけない商談に、一も二も無く飛びついた。
「ううんっ。それで売ったっ!」
リコベルは、その場で言われるがままに書面にサインをし、鉱石をロクと取引した。
その後、無事に約束通りの税金を支払うと、受け取った貴族たちはコカトリスが火球をくらったような顔をしていたが、何とかその場は収まった。
しかし、その程度で金にがめつい権力者たちが諦める筈もなく、ことある毎に北区への嫌がらせは続いた。
しばらくして、アゼーレが貴族連中と話を付けてきた、と皆に説明した時は何かの冗談かと思ったが、その後貴族たちはあっさりと北区から手を引いたようだった。
リコベルは、アゼーレにそんな手腕があったなんて、と驚いていたが、そう言えば麦のしっぽ亭で、何度かアゼーレとロクが難しい顔で話をしていたのを思い出して、もしかしてあいつが何かしたのかな、と考えたりした。
それから10日が経ち、北区に落ち着きが戻った頃、リコベルは普段は通らない北区の細道をキョロキョロしながら歩いていた。
今日は、ロクにお金を返しに行くつもりだ。
後になって知った事だが、実はあの鉱石は金貨10枚ほどの価値しかなかったのだ。
リコベルは、北区の細い道を記憶を頼りに進んで行く。
(聞いた話だと、確かこの辺りなんだけどな……)
「あっ」
路地の曲がり角に差し掛かったところで、少し先でしゃがみ込む青年の姿が見えた。リコベルは、すぐに声をかけようと思ったのだが、それは憚られた。
ロクが、野良の子猫に餌をやっていたからだ。
動物好きなのかな、とぼんやりと考えていたリコベルの胸が、突如として高鳴る。
笑った。
ロクが餌を食べる子猫を見ながら、ふっと微笑んだのだ。
リコベルは、何となくその様に見蕩れてしまっていた。
(あいつ……あんな風に笑うんだ。普段は無愛想で冷たい感じだけど、笑うと凄く可愛い……って何を考えてるんだ私はっ!?)
リコベルは、いけないいけない、と頬を軽く張ると、意を決して歩み寄りながら声をかけてみる。
「こんにちは~」
「……ん? お前はこの間の。何か用か?」
ロクは、さっきまでの優しい感じを嘘のように打ち消し、いつものしかめっ面に戻る。
「あの鉱石、本当は金貨10枚くらいなんでしょ? なんで金貨20枚で買ってくれたの?」
リコベルは、単刀直入に訊いてみる。
「……お前の売り込み方が秀逸だった。それだけだ」
ロクは、少し思案顔で視線を宙に投げたあと、何でもないかのようにそう言った。
「そう……なの? あっ、これ……全然足りないけど、残りも必ず返すから」
リコベルは、かき集めた金貨数枚を取り出し、申し訳無さそうにロクへ差し出す。
「返す? 俺はお前と商売の取引をしたつもりだ。契約書にサインしただろ?」
すると、ロクは何を言っているんだ? という表情でそれを拒絶した。
「へっ? した……けど」
リコベルとしては、受け取ってもらえると思っていたので、予想外の反応に戸惑ってしまう。
「俺は商売人だ。商売の失敗は商売で取り返す。せいぜいここいらの職人に材料を高値で売らせてもらうさ」
ロクは、リコベルにじっと見られて、バツが悪そうに頬を掻くと、そう言ってぷいっとそっぽを向いた。
やっぱりそうだ。
ロクは、あの時わざと鉱石を高く買ってくれたのだ。根拠も何もないのだが、リコベルはそう確信した。
「そっか……じゃあ、せめてお礼は言わせて。本当に、ありがとう」
ロクは、リコベルと決して目を合わさぬまま、がしがしと頭を掻くと、ふっと小さく息を吐きだす。
「……こっちも仕事が忙しくてな。用が済んだなら帰ってくれ」
ロクは、冷たい声色でそう言って、話はこれで終わりだと言わんばかりに背を向けたのだが。
――にゃ~。
先ほどの子猫がロクの脚に擦り寄ってきたせいで、どこか間抜けな感じになってしまった。
ロクは、舌打ちをして子猫の首根っこを掴むと、親猫の居る狭い路地へ帰してやってから、そのままリコベルの前を素通りして店の中へと入ろうとする。
こいつ、絶対良い奴だ。
言葉や態度は素っ気ないが、ロクが纏う雰囲気はとても優しい感じがする。
(こいつ、本当はどんな奴なんだろう?)
リコベルは、自分でも気付かぬ内に、ロクに惹かれていた。
「ちょっ、ちょっと待ってっ! またドロップ品見つけたらさ、あんたに値段聞きに来てもいい?」
「は?」
ロクは、思いがけない言葉を背中に投げかけられ、素の表情で振り返る。
「だって、また騙されるかも知れないし……」
ロクは、僅かに表情を緩めたあと、困ったように眉を釣り上げ、
「……まあ、それくらいなら構わないが」
と、何かを諦めたかのようにそう答えた。
「やったっ」
リコベルは、断られると思っていたので、嬉しさのあまり思わず両手を握る。
それからリコベルは、これまで以上にダンジョンでのレアドロップに躍起になった。
しかし、そう簡単に手に入る筈もなく、どうしたものかと悩んだ末に、リコベルはありふれた材料でも、値段のわからない物は全てロクへ聞きに行った。
正直、ロクに会いに行く口実があれば、何でも良かったのだ。
それでも、さすがに生えていた苔の値段を聞きに行った時は、あからさまに嫌な顔をされたが。
ロクはいつも、鑑定を終えると、すぐに帰ってくれと言うので、わざと値段を聞く前に世間話を引っ張ったりした。
冒険者リコベルにとって、これほど手強い相手は居ない。
そして、今日。
リコベルは、結構良さそうな鉱石を見つけたので、大手を振ってロクに会いに行けると、足取り軽く北区の通りを進んで行く。
(……あれ? 何か私、あいつに会うの楽しみにしてる?)
これまでは、自分の気持ちを特別意識したことはなかったのだが、改めて考えてみるとこの感情はおかしい。
リコベルは、とくん、と胸を打つ鼓動に、そんなんじゃない。そんなんじゃない。と、言い聞かせるが、どうやらもう手遅れらしい。
次々と浮かんでくる願望は、どれも否定しようがないからだ。
いつか、自分にもあの子猫の時みたいに笑ってくれるだろうか。何気なくあいさつを交わす日が来るだろうか。他愛もない話をしながら、一緒に食事をする日が来るだろうか。
もっと……親しくなりたい。
その胸には、冒険者としてではなく、ただの一人の少女としての想いが溢れていた。
でも、あいつは変にそういう感じを出すと、どこかへ行ってしまう気がする。これまで通り、あくまで自然にいこう。
リコベルは、店の前で大きく一つ深呼吸をして、扉に手をかける。
「おっす~。この鉱石の相場、教えて欲しいんだけどっ」




