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今日も魔導士は幼女に耐える  作者: 虎山タヌキ
陽だまりの中で
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01 黒き者

 とある日の夕刻。エスタディア北区にある小さな材料屋では、一人の青年と幼女が食卓を囲み、穏やかな時間を過ごしていた。


 青年の名はロク・バックスフィード。魔導レギオン最強とまで謳われた元魔導士である。


 現在は魔導レギオンから半脱退状態にあり、小さな魔女を守るため、一人の保護者となっていた。


「誰も取らないから良く噛んで食べろよ」


 そんな彼の対面に座り、もぐもぐとほっぺを膨らませているのは、まさにその保護の対象である幼い女の子だ。


「……ん?」 


 もぐもぐと頬を膨らませ、ロクに視線を送る幼い女の子の名はアビス。狼耳とふさふさの尻尾を有した小さな魔女である。


 綺麗な黒髪に長いまつげを乗せたまん丸の瞳、幼い女の子特有のにこっと笑った時のあどけない可愛らしさは、恐怖。残忍。醜悪。といった世間一般に流布されている魔女の印象とは程遠い容姿だ。


 だが、魔女の中で最も力が強いと言われるオルコスの血を引いているため、世界からその力を狙われる立場にある。


「ひょくはんではへへるよ(よくかんで食べてるよ)?」


 とは言え、ここ最近は嵐の前の静けさなのか、のんびりとした日が続いているので、こうして見ているとただの亜人のこどもにしか思えない。 


 育ち盛りもあってか、食欲も旺盛だ。


 ロクの忠告も虚しく、今も食卓に並んだ屋台料理が次々と小さな体へと吸い込まれていっている。


「飲み込んでから喋ってくれ」


 アビスは、はむはむごくん、と口の中を空っぽにすると、


「よくかんで食べてるって言ってましたっ」


 無邪気に笑って、再び串焼きとパンを頬張り始める。


「……そうは見えないけどな」


 ロクは小さくため息をついて、まあ亜人のこどもはよく食べるし胃袋も屈強だからいいか、と諦めるかのように葡萄酒を傾けた。


 教会による邪教改めの一件から十日ほどが経ち、エスタディアの街並みはすっかりいつも通りの忙しない日々を取り戻している。


 それでも、あれから何の音沙汰も無いのは、魔導レギオンが上手くやっているからだろう。


 教会に属する高位聖職者の多くは、魔女だ異教徒だという話よりも、金貨の枚数の方がよほど大事で興味がある。加えて、禁忌の術式の証拠であるロレントというカードも、自身の地位を何よりも重んじる者たちにとっては関わりたくない案件なのだろう。


 とは言え、この平穏がいつまで続くかはわからない。


 目下、一番の問題は……と、そこまで考えたところで、ノックの音が部屋に響いた。


「せんぱぁ~いっ! 先輩のフレアが来ましたよっ!!」


 ロクがノックの音に反応するよりも先に部屋の中に飛び込んできたのは、金髪蒼眼の美少女、フレアだった。


「別にお前は俺のじゃないだろ」

「ふふ。相変わらずいけずですわね」


 ロクはその勢いに若干引きながら、やれやれと肩をすくめる。


 フレアは、あの一件依頼レギオンからの指令により、アビスの監視役も兼ねてエスタディアに常駐する事になっていた。


「それで、どうだった?」


 どうだった、と言うのは今日魔導レギオン上層部のみで秘密裏に行われた会合の結果だ。


「総統の粘り勝ち、といったところですわね。現状維持のまましばらく様子見ですわ」

「……そうか」


 だが、様子見というのは言ってしまえば時間稼ぎに他ならない。いずれそう遠くないうちに、ロクがレギオン本部に赴きすべての説明を求められる事になるのは間違いない。


 だからこそ、自身が魔女であるという事実を受け入れた以上、アビスにはある程度の自衛手段を身に付けてもらう必要がある。


「魔女の術式については何かわかったか?」

「魔女がどのような術式を使用していたかの記録は多少あるものの、その構築方法までは」

 

 本来、魔女の血を引く者はある一定の年齢になると、自然と術式を扱えるようになるものらしい。


 だが、アビスがその歳になるのを悠長に待っていられる状況ではない。


「アビス。お前、姿を消したりとかってできるか?」


 魔女の基本である、他者に自身の存在を認知させない術式だけでも使えれば、とロクはアビスに訊いてみる。


「……すがたを消す?」


 アビスは、ほっぺに詰まっていたパンを咀嚼し飲み込むと、う~んと小首を傾げて小さく唸ったあと、


「できるっ」


 そう自信満々に言い切った。


「本当かっ!? ちょっとやってみせてくれるか?」


 ロクは、期待と不安を半分ずつといった気持ちで、アビスに催促する。


「わかったっ! じゃあ、目瞑っててっ」

「え?」


 アビスはそう言うと、たたたっと駆けて行き、大きなツボの影に身を隠した。


「……どう?」


 しかし、壺の端から尻尾がはみ出してしまっているし、そもそもロクが聞いていたのはこういうことではない。


「ああ。そこに居るな」


 ロクは、やっぱりなと頭を掻いて、アビスに食事の続きを取るように促す。


「ま、まあ私も居る事ですし、気長に情報を集めるしかなさそうですわね」


 ロクは、フレアの言葉にそれはそうなんだが、と頭を悩ませていると、

 

「吾輩の出番のようだな」


 不意に、ぼそりと誰かが呟いた気がした。


「ん? お前今何か言ったか?」

「いえ。私は何も」


 フレアは、否定しながら自分も何か聞こえたようなと、首を傾げる。


「吾輩の出番のようだなっ!!」


 ――っ!?


「あーっ!!」

 

 アビスが驚き指さした先には、壁に持たれるように二本の足で立ち腕組みをする、黒猫の姿があった。


 ロクとフレアは、その気配に全く気付けなかった事に驚きながらも、すぐに戦闘態勢を取る。


「この魔力の波長は……」

 

 フレアは、未だかつて感じた事のない魔力に、油断なく黒猫を見据える。


「ふっ。そう構えるな。吾輩は――」

「にゃんこが喋ったっ!?」


 黒猫がふっと笑って言いかけると、アビスが咄嗟にたーっと敵か味方かもわからぬ黒猫へ駆け寄って行ってしまった。


「アビスっ!?」


 止めようとしたロクの手が空を掴む。


「見て見てっ! 真っ黒なのにここだけ白くて靴下みたいっ」


 焦るロクをよそに、アビスはきらきらと目を輝かせて、黒猫の手を取ってロクへ見せてくる。


「ふっ。それは我輩が我輩である証よ」

「にゃんこなのに、わがはいだって! あははははっ」


 その手足が白い黒猫は、アビスに対して特に危害を加えるような素振りもなく、されるがままだ。


「見るところによれば、わっぱがオルコスの護衛か。ふむ……その顔、どこかで見たような……」


 黒猫は、ロクをじっと見つめて、う~むと首をひねる。


「……?」


 ロクは、張り詰める緊張感の中で魔力を高め、アビスをこちらに連れ戻す算段を立てる。


「にくきゅーっ! あはははっ」


 だが、アビスが構わず黒猫の体中を撫でまわしているせいで、全く緊張感が保てない。


「お前は……何者なんだ?」


 ロクは、辛うじて力が抜けるのを堪えて、突如現れた黒猫に問う。


「ふっ。よくぞ聞いた。我輩は――」

「あーっ! 尻尾が二つあるっ!?」


 アビスは、ふわふわと宙を泳ぐ黒猫の二股に別れた尻尾を指さして、目をより一層輝かせる。


「えーいっ。うっとおしいわっ!」


 ――ぷにん。


「ぁうっ」


 アビスは、黒猫の肉球で鼻っ柱を小突かれてしまった。


「吾輩は猫ではない。名はヌヴィ。代々オルコスに仕える由緒正しき悪魔なるぞっ」


 ヌヴィと名乗った黒猫は、居住まいを正すとそう言い放った。


「……悪魔? じゃあ、お前は魔女の使い魔という事か?」

「如何にもっ!」

「……それを信じろと?」


 ロクは、頭の中に浮かぶ様々な疑問を除けて、アビスを守る事だけに集中する。


「ふっ。面倒な奴だな。まあ、その疑り深さは見上げたものだが。しかし、仮に我輩がお主らに仇なす者ならば、とうにこの小さき魔女の首と胴体が離れておる。そうは思わぬか?」


 確かに。


 魔導士が雁首揃えてその存在に気付けなかったのだから、幾らでもその機会はあった筈だ。


「それにだ」

「っ!?」


 ――一閃。


 突如、ヌヴィの魔力が跳ね上がり、その尻尾が鋭利な刃物のようになって、アビスの首元に突きつけられる。


「見ての通り、使い魔である我輩の魔力は、主であるオルコスには届かぬ」


 ヌヴィの尻尾はアビスの細い首元で止まり、びびびと小刻みに揺れている。


 一瞬、ロクの背中をひやりとしたものが撫でる。


「すごいっ! 尻尾がしゅってなった……って、あれ?」


 すると、アビスは自分の手の甲を見て、こんな痣あったかな、と小首を傾げた。


 そこには、赤く光る魔法印が浮かんでいる。


「ふっ。それは主従の魔法印よ。わっぱ、いい加減信じる気になったか?」


 ヌヴィは、面倒くさそうに一つ欠伸をする。


 主従の魔法印の効果により、主にはおろか基本的には命令がなければ他者に攻撃をする事すらできない。


 それに、なぜだかこの黒猫からは懐かしさのようなものを感じる。


 ロクは、不思議と信用に値すると判断した。


「先輩。古文書の中にも、オルコスが黒猫を使い魔としていた事は記述されています。間違いないかと」


 フレアもロクの思考の方向を後押しする。


「それで、オルコスの使い魔であるお前は、今まで何をしていたんだ?」


 当然の疑問である。


「ふっ。知れたことよ」


 問われたヌヴィは、不敵な笑みを浮かべて一拍の間を持つ。


「ひなたぼっこしてたら、すっごく寝ちゃってねっ!」

「「……は?」」


 ロクとフレアは、思いもよらない言葉に聞き返すしかなかった。


「だから、我輩寝ちゃってたの。過ぎた事はどうでもよいではないか」


 ヌヴィは、そう開き直った。


「とにかくだ。事情は聞かせてもらった。魔女の術式に関して我輩は超エキスパート。特訓ならば我輩に任せるがよい」

「お前が、アビスに魔女の術式を教えてくれるってのか?」


 ロクは、半信半疑といった様子で訊く。


「不服か?」

「……いや」


 ロクは、正直少し戸惑っていた。


「先輩。安心してください。もしも、この使い魔が不審な動きをしたら、私がすぐにその首を刎ねますわ」

「え? なにこの金髪さん。我輩、凄く怖いんですけど」


 ヌヴィは、フレアを見て凄く嫌そうな顔をする。


「フレア、ヌヴィに酷い事しちゃだめだよ?」

「ふふ。冗談ですわよ」


 フレアは笑って、アビスの頭を撫でるが、半分は本気だ。


「じゃあ、アビスの事を頼めるのか?」

「元よりそのつもりよ」


 ロクは、もう一度主従の魔法印が本物である事を確認すると、話が本当ならば願ってもない事だ、と思った。それに、今はフレアもエスタディア北区に常駐している。万が一の場合にも即対応できるだろう。


 だがもちろん、すべてを信じたわけではない。ロクは、念の為にヌヴィの行動を察知できるよう、店の中に特殊な結界術式を構築するつもりだ。


「ん~、ヌヴィの肉球はツヤツヤでぷにぷにだね?」


 そんなロクの思惑とは裏腹に、アビスはすでにヌヴィに馴染んでいた。


「ふっ、まあ吾輩ぐらい高貴な悪魔になれば、美容も完璧だからな」

「美容っ!?」


 フレアは、美容という言葉に反応する。


「ふっ、食いつきおったか小娘が。秘訣を知りたいか?」

「……悪魔が知る美容法。是非ともお教え頂きたいですわ」


 フレアは、ぐいっと身を乗り出してヌヴィに迫る。


「この美しい肉球を維持する方法は、単純にして明快だ……」


 一拍の間を持たれて、フレアがゴクリと喉を鳴らす。


 そして。


「めっちゃ舐めてるしっ!」


 …………。


「あっ、先輩。私、そろそろ。また明日そこの駄猫が特訓とやらを始める頃に伺いますわ」

「ん? ああ、そうだな」


 ヌヴィは、さらっとフレアに流されて、一人虚しく肉球を突き出していた。


「……あっ、あれ? みんな、どうしたの? 吾輩の話聞いてる?」

「ん~、ちょっとしょっぱいね?」


 しかし、アビスだけはヌヴィの話を真面目に聞いて、自分の掌をぺろっと舐めていた。


「っ。……やはり我輩にはオルコスだけだ」


 ヌヴィは涙目になって、アビスの手をぷにっと握る。


「それで……ヌヴィ。お前に一つ、頼みがあるんだが……」


 ロクは、フレアを見送ったあと、珍しくまごまごとしながら切り出す。


「うん? なんだ?」

「その……俺にも、その……尻尾を触らせてくれないか?」


 ロクは、大真面目な顔で手をわきわきさせながら、ヌヴィににじり寄る。


「え? 嫌だよ。お前顔怖いし」

「くっ」


 こうして、ロクの願いは容易く打ち砕かれてしまったものの、魔女の術式を教えるべくやってきた使い魔のヌヴィと、アビスの修行の日々が始まろうとしていた。

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