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今日も魔導士は幼女に耐える  作者: 虎山タヌキ
二章:魔女を狙いし者たち
45/75

19 二人のありがとうと……。

「アビスはっ!?」


 ロクは、自身の店の前で、困ったように立ち尽くすフレアを見て、一抹の不安に駆られていた。


 何故か、店の建物には、結界が張られている。


「あ~、いえ。その……ですね。まだ、精神魔法の影響が残っているようで……家出をすると聞かないものでして」

「家出っ?」


 あの後、フレアが魔力と体力を回復させると、アビスはすぐにこの街を出て行くと言い出した。


 半錯乱状態の彼女に説得は通じず、フレアは仕方なくロクが来るまで、結界によって店の中に閉じ込めていたのだ。


 アビスは、つい先ほどまで、開けて、開けて、と扉を叩き続けていたが、ようやくおとなしくなっていた。


「フレア……結界を解いてくれ」

「……はい」


 北区の材料屋が、いつもの穏やかな雰囲気に戻る。


「先輩。精神魔法は後を引きます。少し、時間を置いてからの方が……」

「あいつは……今苦しんでいる。今、行ってやらないと……」


 ロクは、自身に言い聞かせるようにつぶやくと、ゆっくりと扉を開けた。


 店の中は、しんと静まり返っていて、自分の店なのに、やけに空気が張り詰めているように感じる。


 そして、薄暗い部屋の奥には、ぎゅっと小さな拳を握り、途方に暮れたまま俯く、幼い女の子の姿があった。


「……アビス」

「ロクっ!?」


 アビスは、驚きはっと顔を上げると、すぐに申し訳無さそうにしょんぼりとしてしまった。


 ロクは、木箱の上に座るアビスへ向けて、ゆっくりと歩み寄っていく。


「ロっ、ロクっ! あっ、あのっ……」


 アビスは、何かを言いかけて一度口をつぐむと、ロクから視線を外したまま、床に向かって喋り始める。


「……あびすは、ひとりでも、へーき……。だ、だから、これからは、ひとりで、森とかで生きていきます、ので……その、おせわに、なりましたっ」


 アビスは、すくっと立ち上がると、どこで覚えたのか、そんな事を言って、ぺこりと頭を下げた。


 その言葉が本意では無い事くらい、すぐに分かる。彼女の体が、小さく震えているからだ。


 ここまで、彼女は追い詰められていたのか。こんなになるまで、気付いてやれなかったのか。


 ロクは、悔しさと、自身への怒りで押し潰されそうになりながら、アビスに近付き、そっと手を伸ばす。


「アビス。その必要はない。ずっとこの店に居ていいんだ。だから――」

「触っちゃダメっ!!」


 アビスの頭を優しく撫でる筈だったロクの手が、虚空で静止する。


「その、あびすに触ったら……呪いで、不幸で、火炙りなので……」


 アビスは、驚いた顔をしたロクに一瞬申し訳無さそうにすると、ワンピースの裾をぎゅっと掴んで、拒絶を示した。


「あびすは、生まれたらいけなかった、わるい……魔女でした」


 アビスは、俯きしゅんとしながら、意を決してそう打ち明けた。


 これで、ロクには嫌われてしまうだろう。それでも、嘘をついて不幸にしてしまうより、ずっといい。


 そんな健気な想いが、彼女の言葉を後押ししていた。


「あいつが……そう、言ったのか?」


 ロクの言葉尻が、微かに震える。


「……」


 アビスは、視線を合わせぬまま、ロクの言葉に小さく頷いた。


「だ、だから、あびすは、ひとりでもへーきなので――っ!?」


 アビスが、強い意志でロクを真っ直ぐに見据えた瞬間、その小さな体を温かな感覚が包んだ。


「だっ、だめ、ロクっ!? 触ったら、ふこーにっ――」

「ならねえよっ!」

「っ!?」


 ロクに抱擁されたまま、アビスの体がびくっと強張る。


 しっかり、話すべきだった。わからないなら、わからないなりに、伝え方は幾らでもあった筈だ。


 ロクは、アビスがまだ幼いからと、真実を言わないことで、とりあえずの解決を得ようとした。


 しかし、こどもはおとなが思っているよりも、色々な事をよく考えている。結果、そこに大きな乖離が生まれてしまう。


 彼女の強さを信じずに、魔女ではないと言ってしまったから、アビスは、こんなに追い詰められるまで、皆を不幸にしないようにと頑張ったのだ。


「確かに、お前は魔女かも知れない。でもな、だからと言って、皆を不幸にするなんて事は無い。ロレントは、お前を利用するために、嘘を言っていたんだ」

「……嘘? でっ、でも、あびすは、魔女……?」

 

 アビスの頭の中が、混乱していく。精神魔法を通して言われた言葉は、そう容易く払拭できるものではない。


「お前は、皆を不幸にしたいか?」

「みんな……笑っててくれたら、うれしい」


 アビスは、ふるふると首を横に振って、まん丸の瞳で本心を口にする。


「そんな奴が、誰を不幸にできるんだよ。お前は、皆を幸せにする魔女になればいい。だから、お前は独りになんてならなくていいんだ」

「魔女でも……ロクといっしょでいいの?」

「ああ。それとも、俺よりロレントの方が信じられるか?」


 アビスは、再度首を横に振って否定するが、頭の中も、心も、整理の付かないまま、ぐしゃぐしゃだった。


 精神魔法の最も厄介なところは、魔法が解けた後も、こうして対象の感情や想いをかき乱す事にある。


 安心を取り戻させるには、フレアの言った通り時間を空けるか、より強い感情を動かす荒療治が必要だ。


「ちょっと、そこで待ってろ」


 ロクは、ぼんやりとしたままのアビスを置いて、二階へ上がっていくと、何やらバタバタしながら、すぐに戻ってきた。


 その手には、可愛らしい刺繍が施された手提げのような物がある。


「これをお前にやる」


 ロクは、アビスに見えるように、手提げ袋の口を開いて見せる。


「……っ!?」


 アビスは、よくわからない、と言った顔でその手提げの中を覗きこんで驚愕した。


 それは、ロクがアビスに内緒で職人に作ってもらっていた、こども用のお料理セットだった。


 アビスの中で渦巻いていた葛藤が、真っ白になっていく。


「これっ! で、でも、まだあびすには早いって。まだおっきくなってないよ?」


 アビスは、小さな両腕を目一杯広げて、ロクを見上げる。


「ああ、確かに前までのお前には少し早かった。でも、もう八歳だろ?」

「っ!? ……どうして?」


 アビスは、ロクに気を使って、自分の誕生節の事は内緒にしていたので、思いがけないプレゼントに、嬉しさよりも驚きが勝っていた。


「俺は、これからもずっと、お前と暮らしていくつもりだ。だから、誕生節くらい知ってて当然だろ?」


 ロクは、何でも無いように言って、優しい笑みを向ける。


 アビスの視界が、徐々にぼやけて、滲んでいく。


「だから、これはお前にだ」


 ロクは、呆然とするアビスの小さな手に、料理セットの入った手提げ袋をぎゅっと握らせる。


「アビス、八歳おめでとう。俺と出会ってくれて……生まれてきてくれて、ありがとう」

「っ!」


 その瞬間、アビスが必死に打ち立てた、ロクを拒絶するための壁が瓦解し、その双眸からは、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ、全身から毒が抜け落ちるように頬を伝っていく。


「あれっ!?」


 ロクは、てっきり喜んで笑ってくれると思っていたので、アビスの意外な反応に、一瞬頭が真っ白になる。


「えっ!? なんだ? どうした? これじゃなかったか? 他に欲しい物があるなら、なんでも――っ」


 また間違えてしまった、と慌てるロクの体に、とん、とアビスの額が当たり、同時にぎゅっと胴に細い腕が回された。


「これ……が、いいっ……」


 アビスは、その嗚咽混じりの小さな言葉を最後に、声を上げてわんわんと泣きだしてしまった。

 

 生まれてきてくれて、ありがとう。


 アビスにとって、その一言が何よりも嬉しくて、安心で、暖かくて、自分でもどうにもならない程、次から次へと涙が溢れてくる。


 心を冷たく締め付けていた絶望が、暖かな希望へと変わる。


 結局、ロレントがアビスにかけたその厄介な呪縛は、ロクの彼女を想う心からの言葉一つで、いとも容易く解かれてしまったのだった。




~終幕~



「ジョッキを三つ、おかわりを頼むっ!」

「女将ーっ! こっちにも酒追加だっ!!」

「もう面倒だっ! 樽ごと持ってきてくれっ」


 どっと笑い声が上がる。


 人。人。人。北区にある酒場は冒険者や職人たちで溢れかえり、広い店内に追加注文の声が止む事はない。


 突然の邪教改めから数日が過ぎ、街が落ち着きを取り戻した頃、麦のシッポ亭では、陽も高い内から盛大な誕生パーティーが開かれていた。


 今日は一日貸切で、食べ放題の飲み放題という事もあってか、北区の冒険者たちも、この日ばかりはダンジョンよりもタダ酒に浸っていた。


「大丈夫だって、リコ姉。もう、何ともないって言ってんだろっ?」

「ふ~ん」

「あでっ、やっ、やめっ!」


 まだ包帯は取れていないものの、テッドの怪我の具合も悪く無さそうだ。


 ロクは、彼女たちと同じテーブルについて、そんな他愛もないやり取りを見ながら、葡萄酒をちびちびとやっていた。


 アビスはと言えば、何やらアゼーレと料理の特訓とかで、自分のパーティーだと言うのに、かれこれ一時間ほど厨房に篭もりっきりだった。


「ん~、そろそろかな。テッド、ウィズ。準備を」

「わかったっ」

「任せとけっ!」


 リコベルが、よくわからない事を言うと、こども二人は何かを了承し、待ってましたとばかりに、厨房へと向かって行く。


「……何かあるのか?」

「う~ん? さあ、なんだろうね?」


 リコベルは、にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべるばかりで、その何かを教えてくれるつもりは無さそうだ。


「ちっ、何なんだよ」


 ロクは、何だか仲間はずれにされているようで、少しムスッとしてしまう。


 教えてくれないのなら、こっちから調べてやる。ロクは、そう思って席を立とうとすると、視界の先にエプロン姿のアビスが、半球状の蓋がされた何かをトレイに乗せて、ゆっくりと歩いてきた。


 やがて、アビスはロクの目の前で止まると、そのトレイを静かにテーブルに置いた。


 ――そして。


「ロクっ、誕生節、おめでとーっ!!」


 アビスの言葉と同時に蓋が空けられ、中からは大きなケーキが姿を現した。


 そして、彼女の両脇に居るテッドとウィズが、祝い事に使うおもちゃの様な魔導具を使って、パーン、と大きな音と共に、紙吹雪を舞わした。


「…………へっ?」


 ロクの口から、間の抜けた声が漏れる。


「へっへー、驚いた? アビスちゃんが考えた、あんたのサプライズパーティーなのよ?」

「い、いや、俺はもう祝われるような歳じゃ……」


 ロクは、こんな事は初めてだったので、どう反応すればいいのか、全くわからなかった。


「こ、これっ、あびすがお手伝いして、作りましたっ」


 アビスは、まん丸の目を爛々と輝かせて、早く食べてみて、と催促してくる。


 ロクは、あまり甘い物は得意ではないが、せっかくアビスが作ってくれたので、よく状況が飲み込めないまま、ケーキを口に運ぶ。


「あ、ああ…………うん。うまい」

「ほんとっ? やったーっ!」


 アビスは、その様子を見守っていたアゼーレに目配せをして、満面の笑みでちんまい拳をぎゅっと握る。


 ロクとしては、自分なんかよりアビスの誕生節を皆で祝いたかったので、少し複雑な気持ちだった。


「アビス、ありがとう。俺の事はもういいから、座って食べたらどうだ?」


 アビスは、パーティーが始まってすぐに厨房へ向かってしまったので、腹が空いている筈だ。


 ロクは、そう思って自身の隣の空いている席を示すが、アビスは何やら悩んでいる様子だった。


「……えっ? うん。でも……まだ、なの」

「……?」


 何がだ? とロクが首を傾げると、不意にリコベルが立ち上がり、何やらアビスとひそひそ話を始める。


「ほら、アビスちゃん、あれも渡さないとっ」

「……でっ、でもっ」 


 アビスは、ロクに背を向けたまま、エプロンのポケットから何かを取り出して、じっとそれを見つめる。


「大丈夫、きっとロク喜ぶよ」


 リコベルは、怪訝そうにこちらの様子を伺うロクを一瞥してから、アビスの気持ちを後押ししてやる。


 アビスが手にしているのは、ロレントにバラバラにされたネックレスを、何とか繋ぎ合わせて作ったブレスレットだ。


 それは、かなり不格好で、とてもではないが、ロクから貰った料理セットとは釣り合わない。


 それでも、たくさんのありがとうを込めて作った一品だ。


 アビスは、こんなものは渡せない、でも頑張って作ったから喜んでほしい、という想いで揺れていた。


「ほら、早くっ」


 アビスは、リコベルに背中を押されて、意を決しておずおずとそれを差し出した。


「あ、あの……これも、作った……けど」

「えっ?」


 ロクは、差し出されたブレスレットを受け取り、掌で弄ぶように矯めつ眇めつ眺めている。


 やっぱり、こんな物を喜んでくれる筈がない。


 アビスは、小さな胸が押し潰されそうになるのに耐えながら、ロクを見ることができず、自身のつま先だけを視界に収める。


「これを……俺にか?」


 アビスは、目を伏せたまま、小さくこくりと頷く。


 こんな物いらない、と突き返されたら……と、小さな胸が苦しくなってきたその時、


「うん。これはかなり良い出来だ。凄く気に入った」


 ロクは、早速そのブレスレットを装着して見せてくれた。


「ほんとっ?」 


 アビスは、半信半疑ながら顔を上げて、嬉しそうなロクの顔をじっと見つめる。


「ああ、本当だ。ありがとな」


 ロクは、にっと笑って、くしゃくしゃと頭を撫でてくれた。


 アビスは、ぱぁっと明るい表情を取り戻すと、ロクがブレスレットを付けてくれた事が嬉しすぎて、尻尾を大きく左右にパタパタさせる。


 それで、自信を付けたアビスは、思い切って普段は言えない自分の想いをロクに伝える事にした。

 

「あ、あのね、ロク……」


 アビスは、恥ずかしそうにもじもじしながら、ロクを見上げる。


「なんだ?」


 ロクは、まだ何かあるのか? と、少し構えてしまうが、


「いつも、美味しいごはんとか色々ありがとっ。あびすは……ロクの事がだいすきですっ!」


 アビスは、真っ直ぐにロクを見上げて、無垢な笑みを向けてくる。


「っ!?」


 その破壊力は、容易にロクを絶句させた。


「……あれ? あんた泣いてない?」


 すかさずリコベルが、にやけ顔で茶々を入れてくる。


「泣いてねえっ」


 ロクは、こんな不意打ちまであるとは想像もしてなくて、思わずアビスから顔を背けてしまった。


「全く素直じゃないわねっ。じゃあ、食べよっか?」

「うんっ!」


 ロクは、やっぱりぷいっとなってしまったけど、アビスは、自分の気持ちを言葉にできた事で、満足気にロクの隣の席に腰を下ろした。


「っ、あの、アビス。あのな……」


 アビスが早速目の前の料理に手を伸ばそうとした時、ロクがもごもごと口篭りながら、話しかけてきた。


「うん? なぁに?」


 アビスは、ケーキにスプーンを伸ばしたまま静止して、小首を傾げる。


「ああ……その、なんだ。俺も……お前のことは、好きだぞ」


 ロクは、誰とも目を合わせられないままだが、アビスにちゃんと言葉で伝える。何故かそうしなくてはいけないと、思ったのだ。


「うんっ! あびすもだいすきだよっ!」

「……あっ、ああ。それだけ、だ」

「ロクっ! あびすが、あーん、しよっか?」


 アビスは、嬉しさのあまり、スプーンでケーキをすくって、ロクの口元に近づけようとする。


「いや、それは……大丈夫だ」


 さすがに、それは勘弁して欲しい。


 今、対面の席を見たら、絶対にリコベルがにやにやしている筈だ。


 ロクは、とりあえず人心地付くまでは、ばくばくとケーキを頬張るアビスだけを見るようにした。


「あんたさ……変わったよね?」

「ん? そうか?」


 リコベルは、ロクの予想に反してそんな事を言うと、飲めない酒をぐっと煽って、空になったコップを両手で包み込んだまま、縁をじっと見つめて、


「……変わったよ。すっごく、笑うようになったもん」


 嬉しそうに柔らかな笑みを向けてくる。


「……」


 ロクは、何も言い返す事ができずに、ただ黙ってリコベルを見ていた。


「よぉしっ! 今日は私も飲んじゃうぞっ!! こっちにもおかわりちょーだいっ!」


 リコベルは、大声でそんな宣言をして、冒険者たちと盛り上がり始める。


 その後も、盛大にパーティーは続き、夜が更けても、騒ぎ声が途切れる事はなかった。


 それから、どれくらいの時間が経過したか、リコベルは酔いつぶれてテーブルに突っ伏してしまっているし、アビスは椅子をベッド代わりにすやすやと眠っている。


 全くもって酷い有様だが、悪くない光景だ。


「これが……ってやつか」 

 

 ロクは、何やら小さく零し、穏やかな気持ちでアビスの髪をひと撫ですると、静かに葡萄酒のジョッキを傾けたのだった。













以上で『今日も魔導士は幼女に耐える』二章の終了となります。


まずは、ここまで拙作にお付き合い頂いた、全ての読者の皆様に心より感謝申し上げます。


二章の途中では色々ありましたが、何とか完走する事ができました。


構想上では、三章はかな~り、ほのぼのメインになる予定です。


不定期更新な上に、拙い文章ではありますが、今後もお付き合い頂ければ幸いと存じます。


それでは。

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