19 二人のありがとうと……。
「アビスはっ!?」
ロクは、自身の店の前で、困ったように立ち尽くすフレアを見て、一抹の不安に駆られていた。
何故か、店の建物には、結界が張られている。
「あ~、いえ。その……ですね。まだ、精神魔法の影響が残っているようで……家出をすると聞かないものでして」
「家出っ?」
あの後、フレアが魔力と体力を回復させると、アビスはすぐにこの街を出て行くと言い出した。
半錯乱状態の彼女に説得は通じず、フレアは仕方なくロクが来るまで、結界によって店の中に閉じ込めていたのだ。
アビスは、つい先ほどまで、開けて、開けて、と扉を叩き続けていたが、ようやくおとなしくなっていた。
「フレア……結界を解いてくれ」
「……はい」
北区の材料屋が、いつもの穏やかな雰囲気に戻る。
「先輩。精神魔法は後を引きます。少し、時間を置いてからの方が……」
「あいつは……今苦しんでいる。今、行ってやらないと……」
ロクは、自身に言い聞かせるようにつぶやくと、ゆっくりと扉を開けた。
店の中は、しんと静まり返っていて、自分の店なのに、やけに空気が張り詰めているように感じる。
そして、薄暗い部屋の奥には、ぎゅっと小さな拳を握り、途方に暮れたまま俯く、幼い女の子の姿があった。
「……アビス」
「ロクっ!?」
アビスは、驚きはっと顔を上げると、すぐに申し訳無さそうにしょんぼりとしてしまった。
ロクは、木箱の上に座るアビスへ向けて、ゆっくりと歩み寄っていく。
「ロっ、ロクっ! あっ、あのっ……」
アビスは、何かを言いかけて一度口をつぐむと、ロクから視線を外したまま、床に向かって喋り始める。
「……あびすは、ひとりでも、へーき……。だ、だから、これからは、ひとりで、森とかで生きていきます、ので……その、おせわに、なりましたっ」
アビスは、すくっと立ち上がると、どこで覚えたのか、そんな事を言って、ぺこりと頭を下げた。
その言葉が本意では無い事くらい、すぐに分かる。彼女の体が、小さく震えているからだ。
ここまで、彼女は追い詰められていたのか。こんなになるまで、気付いてやれなかったのか。
ロクは、悔しさと、自身への怒りで押し潰されそうになりながら、アビスに近付き、そっと手を伸ばす。
「アビス。その必要はない。ずっとこの店に居ていいんだ。だから――」
「触っちゃダメっ!!」
アビスの頭を優しく撫でる筈だったロクの手が、虚空で静止する。
「その、あびすに触ったら……呪いで、不幸で、火炙りなので……」
アビスは、驚いた顔をしたロクに一瞬申し訳無さそうにすると、ワンピースの裾をぎゅっと掴んで、拒絶を示した。
「あびすは、生まれたらいけなかった、わるい……魔女でした」
アビスは、俯きしゅんとしながら、意を決してそう打ち明けた。
これで、ロクには嫌われてしまうだろう。それでも、嘘をついて不幸にしてしまうより、ずっといい。
そんな健気な想いが、彼女の言葉を後押ししていた。
「あいつが……そう、言ったのか?」
ロクの言葉尻が、微かに震える。
「……」
アビスは、視線を合わせぬまま、ロクの言葉に小さく頷いた。
「だ、だから、あびすは、ひとりでもへーきなので――っ!?」
アビスが、強い意志でロクを真っ直ぐに見据えた瞬間、その小さな体を温かな感覚が包んだ。
「だっ、だめ、ロクっ!? 触ったら、ふこーにっ――」
「ならねえよっ!」
「っ!?」
ロクに抱擁されたまま、アビスの体がびくっと強張る。
しっかり、話すべきだった。わからないなら、わからないなりに、伝え方は幾らでもあった筈だ。
ロクは、アビスがまだ幼いからと、真実を言わないことで、とりあえずの解決を得ようとした。
しかし、こどもはおとなが思っているよりも、色々な事をよく考えている。結果、そこに大きな乖離が生まれてしまう。
彼女の強さを信じずに、魔女ではないと言ってしまったから、アビスは、こんなに追い詰められるまで、皆を不幸にしないようにと頑張ったのだ。
「確かに、お前は魔女かも知れない。でもな、だからと言って、皆を不幸にするなんて事は無い。ロレントは、お前を利用するために、嘘を言っていたんだ」
「……嘘? でっ、でも、あびすは、魔女……?」
アビスの頭の中が、混乱していく。精神魔法を通して言われた言葉は、そう容易く払拭できるものではない。
「お前は、皆を不幸にしたいか?」
「みんな……笑っててくれたら、うれしい」
アビスは、ふるふると首を横に振って、まん丸の瞳で本心を口にする。
「そんな奴が、誰を不幸にできるんだよ。お前は、皆を幸せにする魔女になればいい。だから、お前は独りになんてならなくていいんだ」
「魔女でも……ロクといっしょでいいの?」
「ああ。それとも、俺よりロレントの方が信じられるか?」
アビスは、再度首を横に振って否定するが、頭の中も、心も、整理の付かないまま、ぐしゃぐしゃだった。
精神魔法の最も厄介なところは、魔法が解けた後も、こうして対象の感情や想いをかき乱す事にある。
安心を取り戻させるには、フレアの言った通り時間を空けるか、より強い感情を動かす荒療治が必要だ。
「ちょっと、そこで待ってろ」
ロクは、ぼんやりとしたままのアビスを置いて、二階へ上がっていくと、何やらバタバタしながら、すぐに戻ってきた。
その手には、可愛らしい刺繍が施された手提げのような物がある。
「これをお前にやる」
ロクは、アビスに見えるように、手提げ袋の口を開いて見せる。
「……っ!?」
アビスは、よくわからない、と言った顔でその手提げの中を覗きこんで驚愕した。
それは、ロクがアビスに内緒で職人に作ってもらっていた、こども用のお料理セットだった。
アビスの中で渦巻いていた葛藤が、真っ白になっていく。
「これっ! で、でも、まだあびすには早いって。まだおっきくなってないよ?」
アビスは、小さな両腕を目一杯広げて、ロクを見上げる。
「ああ、確かに前までのお前には少し早かった。でも、もう八歳だろ?」
「っ!? ……どうして?」
アビスは、ロクに気を使って、自分の誕生節の事は内緒にしていたので、思いがけないプレゼントに、嬉しさよりも驚きが勝っていた。
「俺は、これからもずっと、お前と暮らしていくつもりだ。だから、誕生節くらい知ってて当然だろ?」
ロクは、何でも無いように言って、優しい笑みを向ける。
アビスの視界が、徐々にぼやけて、滲んでいく。
「だから、これはお前にだ」
ロクは、呆然とするアビスの小さな手に、料理セットの入った手提げ袋をぎゅっと握らせる。
「アビス、八歳おめでとう。俺と出会ってくれて……生まれてきてくれて、ありがとう」
「っ!」
その瞬間、アビスが必死に打ち立てた、ロクを拒絶するための壁が瓦解し、その双眸からは、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ、全身から毒が抜け落ちるように頬を伝っていく。
「あれっ!?」
ロクは、てっきり喜んで笑ってくれると思っていたので、アビスの意外な反応に、一瞬頭が真っ白になる。
「えっ!? なんだ? どうした? これじゃなかったか? 他に欲しい物があるなら、なんでも――っ」
また間違えてしまった、と慌てるロクの体に、とん、とアビスの額が当たり、同時にぎゅっと胴に細い腕が回された。
「これ……が、いいっ……」
アビスは、その嗚咽混じりの小さな言葉を最後に、声を上げてわんわんと泣きだしてしまった。
生まれてきてくれて、ありがとう。
アビスにとって、その一言が何よりも嬉しくて、安心で、暖かくて、自分でもどうにもならない程、次から次へと涙が溢れてくる。
心を冷たく締め付けていた絶望が、暖かな希望へと変わる。
結局、ロレントがアビスにかけたその厄介な呪縛は、ロクの彼女を想う心からの言葉一つで、いとも容易く解かれてしまったのだった。
~終幕~
「ジョッキを三つ、おかわりを頼むっ!」
「女将ーっ! こっちにも酒追加だっ!!」
「もう面倒だっ! 樽ごと持ってきてくれっ」
どっと笑い声が上がる。
人。人。人。北区にある酒場は冒険者や職人たちで溢れかえり、広い店内に追加注文の声が止む事はない。
突然の邪教改めから数日が過ぎ、街が落ち着きを取り戻した頃、麦のシッポ亭では、陽も高い内から盛大な誕生パーティーが開かれていた。
今日は一日貸切で、食べ放題の飲み放題という事もあってか、北区の冒険者たちも、この日ばかりはダンジョンよりもタダ酒に浸っていた。
「大丈夫だって、リコ姉。もう、何ともないって言ってんだろっ?」
「ふ~ん」
「あでっ、やっ、やめっ!」
まだ包帯は取れていないものの、テッドの怪我の具合も悪く無さそうだ。
ロクは、彼女たちと同じテーブルについて、そんな他愛もないやり取りを見ながら、葡萄酒をちびちびとやっていた。
アビスはと言えば、何やらアゼーレと料理の特訓とかで、自分のパーティーだと言うのに、かれこれ一時間ほど厨房に篭もりっきりだった。
「ん~、そろそろかな。テッド、ウィズ。準備を」
「わかったっ」
「任せとけっ!」
リコベルが、よくわからない事を言うと、こども二人は何かを了承し、待ってましたとばかりに、厨房へと向かって行く。
「……何かあるのか?」
「う~ん? さあ、なんだろうね?」
リコベルは、にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべるばかりで、その何かを教えてくれるつもりは無さそうだ。
「ちっ、何なんだよ」
ロクは、何だか仲間はずれにされているようで、少しムスッとしてしまう。
教えてくれないのなら、こっちから調べてやる。ロクは、そう思って席を立とうとすると、視界の先にエプロン姿のアビスが、半球状の蓋がされた何かをトレイに乗せて、ゆっくりと歩いてきた。
やがて、アビスはロクの目の前で止まると、そのトレイを静かにテーブルに置いた。
――そして。
「ロクっ、誕生節、おめでとーっ!!」
アビスの言葉と同時に蓋が空けられ、中からは大きなケーキが姿を現した。
そして、彼女の両脇に居るテッドとウィズが、祝い事に使うおもちゃの様な魔導具を使って、パーン、と大きな音と共に、紙吹雪を舞わした。
「…………へっ?」
ロクの口から、間の抜けた声が漏れる。
「へっへー、驚いた? アビスちゃんが考えた、あんたのサプライズパーティーなのよ?」
「い、いや、俺はもう祝われるような歳じゃ……」
ロクは、こんな事は初めてだったので、どう反応すればいいのか、全くわからなかった。
「こ、これっ、あびすがお手伝いして、作りましたっ」
アビスは、まん丸の目を爛々と輝かせて、早く食べてみて、と催促してくる。
ロクは、あまり甘い物は得意ではないが、せっかくアビスが作ってくれたので、よく状況が飲み込めないまま、ケーキを口に運ぶ。
「あ、ああ…………うん。うまい」
「ほんとっ? やったーっ!」
アビスは、その様子を見守っていたアゼーレに目配せをして、満面の笑みでちんまい拳をぎゅっと握る。
ロクとしては、自分なんかよりアビスの誕生節を皆で祝いたかったので、少し複雑な気持ちだった。
「アビス、ありがとう。俺の事はもういいから、座って食べたらどうだ?」
アビスは、パーティーが始まってすぐに厨房へ向かってしまったので、腹が空いている筈だ。
ロクは、そう思って自身の隣の空いている席を示すが、アビスは何やら悩んでいる様子だった。
「……えっ? うん。でも……まだ、なの」
「……?」
何がだ? とロクが首を傾げると、不意にリコベルが立ち上がり、何やらアビスとひそひそ話を始める。
「ほら、アビスちゃん、あれも渡さないとっ」
「……でっ、でもっ」
アビスは、ロクに背を向けたまま、エプロンのポケットから何かを取り出して、じっとそれを見つめる。
「大丈夫、きっとロク喜ぶよ」
リコベルは、怪訝そうにこちらの様子を伺うロクを一瞥してから、アビスの気持ちを後押ししてやる。
アビスが手にしているのは、ロレントにバラバラにされたネックレスを、何とか繋ぎ合わせて作ったブレスレットだ。
それは、かなり不格好で、とてもではないが、ロクから貰った料理セットとは釣り合わない。
それでも、たくさんのありがとうを込めて作った一品だ。
アビスは、こんなものは渡せない、でも頑張って作ったから喜んでほしい、という想いで揺れていた。
「ほら、早くっ」
アビスは、リコベルに背中を押されて、意を決しておずおずとそれを差し出した。
「あ、あの……これも、作った……けど」
「えっ?」
ロクは、差し出されたブレスレットを受け取り、掌で弄ぶように矯めつ眇めつ眺めている。
やっぱり、こんな物を喜んでくれる筈がない。
アビスは、小さな胸が押し潰されそうになるのに耐えながら、ロクを見ることができず、自身のつま先だけを視界に収める。
「これを……俺にか?」
アビスは、目を伏せたまま、小さくこくりと頷く。
こんな物いらない、と突き返されたら……と、小さな胸が苦しくなってきたその時、
「うん。これはかなり良い出来だ。凄く気に入った」
ロクは、早速そのブレスレットを装着して見せてくれた。
「ほんとっ?」
アビスは、半信半疑ながら顔を上げて、嬉しそうなロクの顔をじっと見つめる。
「ああ、本当だ。ありがとな」
ロクは、にっと笑って、くしゃくしゃと頭を撫でてくれた。
アビスは、ぱぁっと明るい表情を取り戻すと、ロクがブレスレットを付けてくれた事が嬉しすぎて、尻尾を大きく左右にパタパタさせる。
それで、自信を付けたアビスは、思い切って普段は言えない自分の想いをロクに伝える事にした。
「あ、あのね、ロク……」
アビスは、恥ずかしそうにもじもじしながら、ロクを見上げる。
「なんだ?」
ロクは、まだ何かあるのか? と、少し構えてしまうが、
「いつも、美味しいごはんとか色々ありがとっ。あびすは……ロクの事がだいすきですっ!」
アビスは、真っ直ぐにロクを見上げて、無垢な笑みを向けてくる。
「っ!?」
その破壊力は、容易にロクを絶句させた。
「……あれ? あんた泣いてない?」
すかさずリコベルが、にやけ顔で茶々を入れてくる。
「泣いてねえっ」
ロクは、こんな不意打ちまであるとは想像もしてなくて、思わずアビスから顔を背けてしまった。
「全く素直じゃないわねっ。じゃあ、食べよっか?」
「うんっ!」
ロクは、やっぱりぷいっとなってしまったけど、アビスは、自分の気持ちを言葉にできた事で、満足気にロクの隣の席に腰を下ろした。
「っ、あの、アビス。あのな……」
アビスが早速目の前の料理に手を伸ばそうとした時、ロクがもごもごと口篭りながら、話しかけてきた。
「うん? なぁに?」
アビスは、ケーキにスプーンを伸ばしたまま静止して、小首を傾げる。
「ああ……その、なんだ。俺も……お前のことは、好きだぞ」
ロクは、誰とも目を合わせられないままだが、アビスにちゃんと言葉で伝える。何故かそうしなくてはいけないと、思ったのだ。
「うんっ! あびすもだいすきだよっ!」
「……あっ、ああ。それだけ、だ」
「ロクっ! あびすが、あーん、しよっか?」
アビスは、嬉しさのあまり、スプーンでケーキをすくって、ロクの口元に近づけようとする。
「いや、それは……大丈夫だ」
さすがに、それは勘弁して欲しい。
今、対面の席を見たら、絶対にリコベルがにやにやしている筈だ。
ロクは、とりあえず人心地付くまでは、ばくばくとケーキを頬張るアビスだけを見るようにした。
「あんたさ……変わったよね?」
「ん? そうか?」
リコベルは、ロクの予想に反してそんな事を言うと、飲めない酒をぐっと煽って、空になったコップを両手で包み込んだまま、縁をじっと見つめて、
「……変わったよ。すっごく、笑うようになったもん」
嬉しそうに柔らかな笑みを向けてくる。
「……」
ロクは、何も言い返す事ができずに、ただ黙ってリコベルを見ていた。
「よぉしっ! 今日は私も飲んじゃうぞっ!! こっちにもおかわりちょーだいっ!」
リコベルは、大声でそんな宣言をして、冒険者たちと盛り上がり始める。
その後も、盛大にパーティーは続き、夜が更けても、騒ぎ声が途切れる事はなかった。
それから、どれくらいの時間が経過したか、リコベルは酔いつぶれてテーブルに突っ伏してしまっているし、アビスは椅子をベッド代わりにすやすやと眠っている。
全くもって酷い有様だが、悪くない光景だ。
「これが……ってやつか」
ロクは、何やら小さく零し、穏やかな気持ちでアビスの髪をひと撫ですると、静かに葡萄酒のジョッキを傾けたのだった。
以上で『今日も魔導士は幼女に耐える』二章の終了となります。
まずは、ここまで拙作にお付き合い頂いた、全ての読者の皆様に心より感謝申し上げます。
二章の途中では色々ありましたが、何とか完走する事ができました。
構想上では、三章はかな~り、ほのぼのメインになる予定です。
不定期更新な上に、拙い文章ではありますが、今後もお付き合い頂ければ幸いと存じます。
それでは。




