17 激情の魔導士。
本日は三話連続更新となります。
「やはり、外側からでは……」
フレアは、ちらりとロクの顔を見やって、額の汗をぐっと拭った。
あれから、幾度と無く魔力をぶつけてみたものの、依然として聖域結界は、その強固な守りを保っていた。
「もう一度だっ!」
ロクは、強く拳を握りしめ、眼前にそびえる銀色の壁を忌々しく睨みつけた。頭のどこかでは、自分たちだけでは聖域を破壊できない事に気付いてしまっている。それでも、この壁の向こうで、アビスが受けている仕打ちを思えば、黙って見ている事などできない。
「了解……ですわ」
そうして、再び魔導士二人が魔力を高めたその時だった。
「先輩っ!?」
フレアが見上げた先には、魔導具の信号弾によって赤く染まる空があった。
二人が、怪訝そうに空を見上げて、その意味する事を汲み取ろうとした瞬間。
あれほどまでに、その固い守りを貫いていた銀色の壁が大きく揺らぎ、近付く者を阻む波動が、みるみるうちに半減していく。
「これは……中からっ!? でも、誰が?」
「……リコベル」
ロクは、すぐにその名と、赤髪の少女の姿を思い浮かべる。
「フレアっ!」
「……はいっ!」
この好機を逃すわけにはいかない。
そして、再度放たれた魔力によって、教会の誇る最大級の結界に、大きな穴が穿たれた。
「行くぞっ」
魔導士二人は、ここからが本番だ、と気を引き締め直し、飛び込むようにその中へと入った。
ロクは、全神経を研ぎ澄ませながら、見慣れた北区の通りを全速力で駆け抜けていく。
後ろへ流れていく景色も、襲い掛かってくる教会の護衛騎士たちですら、その視界には映らない。ただひたすら、一直線にその場所へと向かって行く。
密偵から聞き出した事が確かならば、アビスは教会の分所に居る筈だ。
幾つかの通りを抜けると、やがて強力な結界に包まれた、一つの建物の前で二人は立ち止まった。
「……間違いなさそうですわね」
「ああ」
ロクは、すうっと大きく息を吸い込むと、建物を包む結界へ向けて、魔力を込めた一撃を放った。
一瞬、耳鳴りのような音が辺りに響く。
そして、聖域とは打って変わって、呆気無くその結界は砕け散った。
ロクは、焦る気持ちを抑えきれずに、乱暴に扉を開け放つと、建物の中へと飛び込んでいく。
「アビスっ!!」
中は、教会特有の荘厳な静寂を保っていて、返答は沈黙だけであり、人の気配すらしない。
ロクとフレアは、互いに目配せをすると、自然と二手に分かれて、幾つかの部屋を検めていく。
無人。
ロクは、そんな筈がない、と最後の一つである司祭室へ入ると、フレアが丁度何かを発見した様子だった。
「先輩っ、地下階段ですっ!」
フレアは、僅かな風の流れを察知して、本棚を動かしていた。
「っ!?」
間違いない。アビスは、この下に居る。
ロクは、そう確信すると、ほとんど飛び降りるように螺旋階段を下りていく。
そして、ロクの眼は、すぐにそれを捉えた。
広いホール状の床に、虚ろな眼で魔法陣を描く、幼い女の子が居る。
「アビスっ!」
ロクは、半ば叫ぶように声を上げながら、階段を途中で飛び降り、一心不乱に作業を続けるアビスへ駆け寄っていく。
だが、その呼び声に応える事はなく、目の前まで来たロクに気付く素振りも見せない。
「先輩、精神魔法を解きますわ」
フレアは、取り乱した様子のロクの肩を軽く叩き、落ち着くように目で諭す。
「あ、ああ……」
ロクは、すぐそこに居るアビスに声が届かないもどかしさを感じながら、フレアと位置を入れ替えた。
「聖なる風よ……」
フレアは、魔石で魔法陣を描き続けるアビスの背にそっと触れると、精神魔法を解除した。
瞬間、ピタリとアビスの動きが止まる。
「……アビス、わかるか?」
ロクが、静かにそう問いかけると、アビスは事切れたかのように、ころりと力なく床に転がった。
瞳が閉じられたその顔に精気はなく、たった今、安らかに息を引き取ったかのようにも見える。
「おいっ! アビスっ!!」
「……」
アビスの胸が、ちゃんと上下している事に気が回らないほど、激しい動悸がロクを支配していた。
「先輩、大丈夫です。これだけの魔法陣、魔力を使い果たして気を失っただけですわ」
フレアは、気が気ではない、といった様子でアビスの肩を揺するロクに、冷静に状況を伝える。
だが、ロクの声が届いたのか、アビスの瞳が弱々しく、薄っすらと開かれた。
「ロク……まっ、てて……もうちょっと。ま、じょ、やめる……から」
「っ!?」
アビスは、焦点の定まらぬ目で、うわ言のように小さくつぶやいた。
その言葉を聞いて、ロクの中で全てが繋がる。
恐らくロレントは、アビスが魔女である事を信じこませた後で、魔女を辞められると嘘をついて、自分に気付かれぬように事を進ませたのだろう。
この小さな体に、どれだけの不安と苦痛を押し込めていたのか。ロクは、震える手でそっとその髪に触れる。
「……ごめ、なさい……」
アビスは、掠れるような声で、謝罪の言葉を虚空へ向けてひねり出すと、その開いた口の端から、ころりと小さな黒い石を床に落とした。
ロクは、手に取ったそれが何であるかをすぐに理解し、込み上げる激情のまま握り締める。
こんなものを……食べさせてっ!
掌の魔石は砕け散り、ロクの瞳が冷酷な魔導士へと堕ちる。
「ロレントっ!!」
怒りが限界に達したロクの体から、黒い感情と禍々しい魔力が外へと溢れ出ていく。
フレアは、何かの罠かかも知れない。冷静に。落ち着いて。と、かける筈であった幾つかの言葉を失う程、見たことがないロクの怒りに気圧されていた。
「フレア、アビスを頼む」
「……先輩は?」
「俺は、あいつを……」
その先に続く言葉は、強く握られた拳の通りだろう。
こうして、邪教改めにより混乱するエスタディアの片隅で、召喚者と最強の魔導士による不可避の決戦が、静かに始まろうとしていた。




