16 凡人の意地。
本日は13~16の連続投稿となっています。
リコベルは、亡霊のように彷徨う護衛騎士たちをあしらいながら、北区の通りをロレントが居るであろう教会へと向けて、急いでいた。
アビス奪還作戦は単純。聖域結界の破壊だ。
リコベルは、以前ロクに読ませてもらった、レギオンの秘蔵文書の中に記載されていた、聖域の破壊方法を記憶していた。
恐らく、ロクはこの異変に気が付いて、すでにエスタディアには戻っている筈。
聖域結界さえ破壊してしまえば、あとはロクが何とかしてくれる。リコベルは、素直にそう信じていた。
だからお願い。それまで無事でいて、とすがるような想いで細い通りを駆け抜けていく。
リコベルは、今回の事について、責任を感じている。
ロクは、何となくロレントの怪しさに気付いていたが、自分がそれを止めてしまった節がある。
更には、自分で守らないとと思いながらも、他の冒険者たちと同じように、何もできずに傍観しようとしていた。
本当に情けない。
でも、テッドのおかげで、強い意志を持ち直す事ができた。
絶対に守ってみせる。
リコベルは、強い意志を胸に細い道を抜けると、教会のある通りに入ったところで、壁際にしゃがみ込むロレントの姿を視界に捉えて、一気に魔力を練り上げた。
「ん? これは、リコベルさん……どうかしましたか? 今は邪教改め中です。勝手に外に出られると困ります」
ロレントは、穏やかではないリコベルの様子に察しをつけながらも、いつもの作り笑顔を貼り付けていた。
「あんた……何者なの? どうして、アビスちゃんだけ連れて行ったの?」
リコベルの中で、亜人売買であって欲しいという想いが込み上げる。そうだとすれば、とりあえずこの場はお金の話で蹴りが付く可能性があるからだ。
「それはですね……いや。もういいのか」
ロレントは思い出したかのように言って、嗜虐的な笑みを浮かべる。
そして、その変貌ぶりに驚くリコベルへ、最も聞きたくない言葉を言い放った。
「そりゃあ、あのガキが魔女だからに決まってんだろ?」
「っ!」
ロレントは、徐ろに魔力を開放し、ゆっくりとこちらへ近づいて来る。その禍々しい波動は、リコベルの中で容易に最強の魔導士のそれと重なる。
「ずっと、私たちを騙してたって事?」
「騙す? 馬鹿だなあ、そんなわけないだろ。お前らは、ただの駒だよ。僕の思い通りに動いただけの、下等な存在だ」
「っ! ……狙いは、何なの?」
「……僕はね、この世界の人間じゃないんだよ。教会によって喚び出された、哀れな召喚者だ」
召喚者。教会の秘術によって。魔神を討伐するために異世界からやってきた者たち。
リコベルは、過去に誰かから聞いた話を思い出した。
「じゃあ、あんたが……勇者、なの?」
この世界に生きる者で、勇者を知らない者は居ない。圧倒的な力と正義を持って、民を苦しめる悪しき神を討つ英雄であると、教会が喧伝して回っているからだ。
「あいにく、今の僕はただの召喚者。魔導士程度の力しかないよ。でも、魔女の術式を使えば勇者になれる。あとは、わかるだろ?」
「それで、アビスちゃんを操ってたって事?」
「操る? そんな事しなくても、魔女を辞められるって言ったら、ほいほい協力してくれたよ。そんなにあの、陰気な魔導士に嫌われたくなかったのかね。まったく馬鹿なガキだ」
リコベルは、合点がいくと同時に、胸の奥で湧き上がる黒い感情に支配されそうになる。
アビスがこの間、どんな想いでいたのか。どれだけ、苦しんでいたのか。考えるだけで、心が締め付けられる。
そして、彼女の無垢な想いを踏みにじったこの男が、許せない。
「アビスちゃんを……どうするつもりなの?」
リコベルは、怒りに震える声で問い質す。
「どうする? まあ、用が済んだら殺すか、奴隷商にでも売り飛ばすか……僕は、ああいう気持ちの悪い奴は、見ているだけで吐き気がするんでね。動物の尻尾と耳を生やした人間が居るなんて、まったく気持ち悪い。異世界だからって、何でもありは勘弁して欲しいよ」
ロレントは、わけのわからぬ事を言って、困ったように肩をすくめた。
「もう……いい。理由はどうあれ、あんたがクズだって事はよくわかった」
リコベルは、込み上げる怒りをそのままに剣を抜く。
「まだ少し時間がある……か」
ロレントは、僅かに視線を宙に投げると、掌に魔力を集中させた。
「焔式っ」
咄嗟にリコベルも、抜いた剣に炎を纏わせ、臨戦態勢を取る。
「……うん。リコベル。お前、やっぱり中々可愛いな。お前は殺さずに、僕の奴隷にしてあげるよ。大丈夫。恋人のように可愛がってやるからさ」
ロレントは、舐めるようにリコベルの全身を見たあと、にやりと下衆な笑みを浮かべた。
「冗談。あんたみたいなクズ、全然タイプじゃないからっ」
「……いいね。その強気な感じも、堕ちた時を想像すると、とても興奮するよっ」
瞬間、ロレントの掌から、無詠唱で火球が放出された。
「っ!?」
何とか剣で防いだものの、次から次へと最高位の属性魔法が襲い掛かってくる。
やはり、強い。
リコベルは、ロレントが放つ一発一発の魔法の威力もさることながら、その回転率の速さに防戦一方となる。
「あはははははっ。この圧倒的なぬるゲー感。たまんないよっ」
ロレントは、その場から一歩も動く事なく、一方的に魔法攻撃を仕掛けてくる。
ダメだ。このままじゃ、まったく相手にならない。
あれをやらなくては。
あの日、ロクから正しい魔力操作の方法を教わって以来、一度も特訓を欠かせた事はない。大丈夫。できる筈だ。
リコベルは、瞬間的に魔力を体内で暴走させ、留めた。
直後、疾風迅雷。
迫り来る、魔法の雨をかいくぐり、弾き返し、一気に距離を詰める。
いける。
目の前に迫ったロレントへ向けて剣閃が走る。
――っ!?
しかし、その直前でロレントが指を上に向けると、突如地面が盛り上がり、土属性の防護魔法がリコベルの攻撃を防いだ。
「おお、凄いじゃないか」
ロレントは、余裕の表情で、馬鹿にするかのように手を叩いた。
やっぱり、自分じゃロレントを倒せない。わかってはいたが、リコベルは悔しさを抑えきれず、歯噛みをする。
しかし、これはロレントを倒すのが目的の戦いではない。
リコベルは、バックステップで距離を取ると、踵を返しロレントとは反対方向へと駆け出した。
「ん? 何だよ。勝てないとわかったら逃走か。そんな、ひらひらしたスカートで尻を振られたら……堪らないよ」
ロレントは、狩猟を楽しむ貴族のように、リコベルの後を追ってくる。
作戦通り。ここからが本番だ。
できるだけ時間を稼ぎながら、北区の最南端へ。
幾つもの通りを駆け抜け、放たれる魔法攻撃を凌ぎながら、あくまでも自然に目的地へと向かって行く。
「ぐっ!」
だが、すべてを躱しきれず、ロレントが背後から放ってきた、雷の魔法を被弾してしまい、リコベルは大きく地面に転がる。
「いいねえ。ちょっとずつ服が剥がれていく女剣士。最高だよ」
リコベルは、ロレントに構う事なくすぐに立ち上がると、大きく肩で息をしながら走り続け、やっとの想いでたどり着いたそこは、行き止まりだった。
眼前には、背の高い頑丈な市壁と、聖域が発する銀色の光が鎮座している。
「もう、諦めたらどうだい? 何を期待しているのかわからないが、あの魔導士なら、今頃は土に帰っているよ。何せ、手練れの冒険者二十人に襲わせたからね」
「……馬鹿じゃないの? あいつが、そんな奴らに負けるわけないでしょ」
「……ぷっ。いいよ。やっぱり、お前はいいね。その心が折れる瞬間……見せてよっ」
ロレントは、愉悦の表情を浮かべながら、満身創痍となったリコベルへ風属性の魔法を放った。
「っ!」
リコベルは、とうとうロレントの魔法攻撃を防ぐ事が出来ずに、勢いを殺しきれないまま、壁に叩きつけられる。
暴走した魔力を維持するのが困難になってきている。でも、これを解いたら、あいつが来るまで持ち堪えられない。
リコベルは、唇を噛み締め、弾けそうになる魔力を無理矢理体内にねじ込んだ。
「っ!?」
だが、限界を超えた代償か、リコベルの口の端から血がにじむ。
「苦しそうだね? 拙い魔力操作だ。僕はね、君ら凡人みたいに修行も特訓もした事がなくてね。言うなれば、神に選ばれし者って、ところかなっ」
「……あんたみたいなクズを選ぶんじゃ、大した神じゃないわね」
強気な口調を維持しながらも、とてもではないが戦える状態ではないリコベルを見て、ロレントは見切りを付ける。
そろそろ、アビスの魔法陣も完成する頃だろう。
「さて、もういいか。僕のとっておきの精神魔法で、惨めに喘ぐだけの娼婦に――っ!?」
ロレントがリコベルへ手をかざした瞬間、魔導具による信号弾が、上空を赤く染めた。
「何だ……?」
ロレントは、怪訝そうに空を睨む。
それは、北区の冒険者たちによる、準備完了の合図だった。
聖域の破壊方法は、北に水、南に火、東に風、西に土、とそれぞれの属性攻撃を結界の端に向けて同時に仕掛ける事だ。
そして、逃げながら戦ったリコベルが今いる場所が、聖域の最南端。
最後の力を振り絞れ。
「焔式っ!」
リコベルは、ロレントに背を向けると、最大級の魔力を込めて、結界の壁へと火属性の攻撃を放った。
その刹那、聖域結界が大きく揺らぎを見せる。
「なっ、お前っ!?」
「……へっ、凡人、なめんじゃないわよ」
リコベルは、この後にロレントがロクにぶっ飛ばされる事を想像して、力なく笑ってやると、ずるりと壁際にもたれかかったのだった。




