12 魔導士不在のエスタディアにて。
本日は、11話、12話の連続更新となっております。
エスタディアの街並みは、騒然となっていた。
「邪教改めであるっ! これより、街への出入り、区画間の移動を禁止する。これは神より言葉を賜りし、教皇様のお達しであるっ! これを破りし者は、いかなる場合をもっても神への冒涜と心得よっ!」
小太りの大司教の高らかな宣言により、それは始まる。
あっという間に押し寄せてきた聖騎士団の波が、各区画を封鎖していき、イナゴが田畑を食い散らかすように、街の活気を奪っていった。
それは、もちろんリコベルたちの居る北区にも及んでいる。
冒険者と職人が入り乱れる、ギルドを内包した麦のシッポ亭では、一人の青年と、客たちによる問答が行なわれていた。
「こどもたちは関係ないだろっ!」
職人たちの怒号が店内に響く。何故か北区だけ、北側と南側の二つに分けて封鎖されたのだ。今日こどもたちが学校へ行っているのは北側であり、ここ麦のシッポ亭は南側に位置している。
「ああ、落ち着いてください。先ほども申しました通り、簡単な検査が終わったらすぐに返しますので」
そう言って、困ったような顔で、いきりたつ客たちを制止するのはロレントだった。
「僕だって、こんな事は不本意なんです。どうか、堪えてください。皆さんに怪我をさせたくありません」
ロレントはそう言って、徐ろに魔力を開放した。
――っ!?
そのあまりの魔力量に、冒険者たちも言葉を失い、広い店内がしんと静まり返る。
「それでは、終わり次第、声を掛けさせますので、しばらくお待ち下さい」
ロレントは、恭しく頭を下げると、颯爽と店を出て行った。
ややあって、再び店内はどよめき始める。
「あいつ、本当にパラディンなのか」
「俺、昨日まで普通にロレントさんの肩とか叩いてた……」
「でも、どうしてパラディンが密偵なんか……」
リコベルは、にわかに騒がしくなる麦のシッポ亭で、呆然とする。
ロレントは、教会が送り込んでいたパラディンで、密偵だった。
教会が、都市や街に密偵を常駐させて、情報を得るのはよくある事だ。
だが、冷静に考えるとおかしい。ロレントがエスタディアに潜んでいた密偵だとして、自分ならまだしも、あれほどの魔力にロクが気付かないなんて思えない。それに、パラディンが密偵だなんて。
やはり、アビスの存在に気付いているのだろうか。
自分は、このままここで、事の推移を見守っていてよいのだろうか。
リコベルは、混乱する頭に何とか整理を付けようと、必死だった。
だが、教会の書状を見せられた以上、国王と魔導レギオンも認めているという事であり、邪教改めを妨害すれば、北区の皆まで危険に晒す事になってしまう。
邪教改め自体は、どこの街でも一度は経験がある、教会が建前的に行うものだ。ここエスタディアでも過去に二度ほど行なわれた事がある。
しかし、魔女は擬態能力に優れ、そこに居たとしても魔女だと認識する事ができない。
なので、邪教改めの多くは、魔女を発見するというよりも、その行為自体を行ったという事実の方が重要視され、騎士たちもしぶしぶといった様子で、やる気が無い事がほとんどだ。
今回も、同じだろうか。
そうだとすれば、下手に動くと、アビスに余計な疑いをかけられてしまう事になる。
でも、どうして北区だけ、二つの区画に分けられたのだろうか。それも、アビスの居る北側と、冒険者の多い南側へ。
それから、半刻ほどが経ち、リコベルが、しばらく答えの出ない葛藤に悩んでいると、一人の職人が慌てた様子で店内に駆け込んできた。
「たっ、大変だっ!! テッドが護衛に刃向かって怪我をさせられたみたいで、職人たちが抗議に行くって聞かないんだっ。誰か止めに行くのを手伝ってくれっ!」
「っ!?」
リコベルの心臓が、とくん、と大きく脈を打つ。
「ふざけんなっ! 俺たちも抗議に行くぞっ!」
「何、言ってんだっ! 妨害行為をすれば、どうなるかわかってんのかっ!」
「じゃあ、このまま黙ってろって言うのかっ?」
感情を爆発させる職人たちと、冷静に事を荒立てないようにする冒険者たちとの間で、対立するように怒号が飛び交い始める。
「みんなっ! 落ち着いてっ。こんな時に喧嘩してどうするのよっ! 私がっ……私が確認してくるからっ」
リコベルは、何とか仲違いを収めようと、仲裁に入った。
「っ、まあ、リコがそう言うなら……」
「……ああ」
北区の職人も冒険者も、バツが悪そうに、お互いから顔を背けた。
脚が、手が、震える。
リコベルは、冒険者とは言え、まだ若干十七歳の少女だ。
自分だけの事ならいいが、今回は相手が教会。何か間違いを起こせば北区だけではなく、エスタディア全体の、最悪国の問題になりかねない。
その肩にのしかかる重圧は半端ではなかった。
こんな時、あいつが居てくれたら。そんな弱音が脳裏をよぎるが、すぐに頭を振ってそれを打ち払う。
今は、自分が何とかしなくては。自分が、北区の皆を守らなくては。
「お願いっ。みんなは、ここで待ってて」
いつもは、おちゃらけているリコベルの真剣な気迫に、職人たちも気圧される。
リコベルは、状況を静観していたアゼーレに一つ目配せをすると、店を飛び出した。
視界の先には、北区と中央区を隔てる壁からほとばしる銀色の光がある。それは、教会最高の強固な術式、聖域結界であった。
リコベルは、その光を睨みながら職人たちの区画へと向かって行くと、いくらも行かない内に、その異様な雰囲気に眉をひそめた。
辺りに規則正しく配置された騎士たちは、どこか虚ろな目をしており、勝手に動き回る自分を視線で追うだけで、声すらかけてこない。それはまるで、仄暗い地の底を行く、空虚なアンデットのようだった。
その不気味な違和感を感じながら通りを抜けると、職人たちの区画が視界に入り、少し先に人だかりを見つけた。
テッドの父親が営む工房の軒先だ。
「テッドはっ?」
リコベルは、何やらもめている様子の職人たちに、構わず声をかける。
「だから、落ち着けって……ん? リコかっ。お前からも言ってくれ。教会に殴りこむって聞かないんだ」
「当たり前だろっ! てめえのこども怪我させられて黙ってられるかっ!」
一人の職人の言葉に食ってかかるように、テッドの父親が怒声をあげる。
「いいからっ!! テッドは、どこなのっ!」
「あ、ああ。今は奥の部屋で――」
リコベルは、職人の言葉を聞き終える間もなく、飛び込むように工房の奥へと進み、一つの扉を跳ね開けた。
「テッドっ!」
「おっ。リコねえ」
テッドは、上半身裸のまま、狭い部屋のベッドの上に座っていて、何でもない様子で応えた。だが、その腹と頭には包帯が巻かれている。
「大丈夫なのっ? 怪我はっ?」
「大した事ねえよっ」
テッドは、にかっと笑うと、徐ろに上着を取って、起き上がろうとする。
「無理しなくていいわよっ、まだ寝てないと」
「このぐらい、何てことねえって」
テッドは、手早く着替えると、座ったままベッドの脇に置かれた、木の棒を手にした。
「あんた……何してんのよっ。それで、どうするつもりなの?」
「……」
テッドは、押し黙ったまま、木の棒を見つめる。
「ちょっと、聞いてんのっ!? 今は怪我で済んでるけど、邪教改めを妨害したら、どうなるかわかってんでしょっ?」
テッドは、リコベルの矢継ぎ早にまくし立てる言葉を聞いて、眉をしかめると、
「……リコねえこそ、こんなところでなにしてんだよ」
静かに、低い声でぼそりと呟いた。
「えっ?」
「リコねえこそ何してんだよっ!! アビスが、アビスだけが、連れて行かれたんだっ。こんなの絶対おかしいって!」
「っ!?」
アビスだけが連れて行かれた。どうして? 亜人だから? 孤児だから?
リコベルの中で葛藤が生まれるが、本当は頭のどこかで、その可能性に気付いてしまっている。そこだけ、考えないように避けているだけだ。
教会がアビスを連れて行く理由なんて、一つしかない。
彼女が魔女だからだ。
リコベルの頭の中が真っ白になっていく。
「で、でも、ここで事を荒立てたら、北区の……みんなが、危険に」
リコベルは、自分でも言っていることが矛盾しているのは、わかっている。だが、今の彼女から出てくる言葉は、ただの言葉であり、そこに心が無い。
「アビスだって、北区の仲間だろっ!!」
そして、テッドが呆気無くその矛盾を口にして突き付ける。
「ともだちなんだよっ! アビスは、まったく魔力も剣術もできない俺を、すごいって。みんなが、冒険者になれっこないって馬鹿にしたけど、アビスだけは、いつも、テッドはすごいからなれるって。だから、俺は凄くなきゃなんないんだよっ。助けなきゃっ……なんないんだよ。アビスは、仲間だからっ!」
「だ、だけど……」
今のリコベルに、正しく答えを出す頭は無い。北区の皆とアビスの事と、確定しない状況と情報に、混乱していた。
「別に、リコねえに頼みたいわけじゃない。俺が、自分でたすけるから。さっきは、少し油断したけど、今度は絶対に……」
テッドは、無理矢理に腕を引かれるアビスを助けようと、勇敢に立ち向かった。
何度も、何度も。
最初の内は、ロレントも言葉で諭していたが、一つも引かないテッドに苛つき、一番弱い風魔法を放ち。そして、あっけなく、その正義は敗北した。
そこには、絶対的な力の差があることは、テッドもよくわかっている。
だけど、それでも、とその小さな体を突き動かすのは、今もテッドの耳に残る、「助けて」と、「助けなくていい」の小さな女の子の言葉だった。
「どいてくれよ……」
テッドは、起き上がってベッドから降りると、目の前に立ち尽くすリコベルを押しのける。
だが、その歩みは数歩にしか満たなかった。
――っ!
テッドは前から派手につんのめって、突っ伏してしまった。恐らく肋骨と足首を痛めているのだろう。
「ほら、そんな体じゃ――っ!?」
リコベルは、慌てて手を差し伸べるが、テッドは、顔を突っ伏したまま、ぴくりとも動かなくなった。
「……?」
やがて、その小さな背中が小刻みに震えだした。
「……テッド?」
リコベルが心配して声をかけると、テッドはゆっくりと、その顔をあげた。
「リコねえ……ぐやじいっ!」
テッドの顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
リコベルは、差し出した手をそのままに、言葉を失った。
「おでの……正義じゃ、全然守れ、なかったっ……おでの、せい、ぎじゃ……」
テッドは、早い内に母親を病気で亡くしている。それ以来、絶対に泣かないと、父親と約束している。強い男になると、誰もを守れる正義の冒険者になると、そう決めた小さな想いは、あっけなく、理不尽にくじかれた。
リコベルは、ぼろぼろに泣く弟同然に思ってきた男の子を見て、全身を雷に打たれたような衝撃が走った。
(わたし、なにしてんだ。わたしは……なにしてんだっ!)
リコベルは、両手の拳を強く握りしめる。
「やっぱり……正義だけじゃ――」
ダメなのかな。
そう言いかけて、弱々しく解けそうになる小さな拳に、リコベルの拳がこつん、と当てられる。
「っ!」
「テッド、ごめん。かっこわるいところ見せた。私、間違うところだった。あんたの正義は、私が預かるから。あんたはそこで、私のかっこいい武勇伝を聞かせてもらうのを待ってなさい」
そうだ、あれやこれやと考えて上手くやろうなんて、自分らしくない。
あとの事は、あとで考えればいい。
今、守れないなら、正義なんてクソ食らえだ。
リコベルは、テッドから確かに想いを引き継ぎ、再び麦のシッポ亭へと向かったのだった。




