03 魔導士と不協和音。
「アビス、今日も来るんだろ?」
「うんっ!」
アビスは、北区の通りをテッドとウィズと並んで歩きながら、いつものように学校へ向かっていた。
「アビスちゃん頑張ってるもんね。きっといちりゅーさんも喜ぶよ」
今、いつもの仲良し三人組が話しているのは、ロクの誕生節を祝うサプライズプレゼントについてだ。
誕生節とは、その人が生まれた季節のことで、教会が言うところの、神から与えられた春夏秋冬の四つに区分されている。
フレアから聞いて、ロクの誕生節が夏である事はわかっているので、アビスは一ヶ月後に迫るその時に備え、淡々と準備を進めていた。
「父ちゃんが、アビスは中々筋が良いって褒めてたぜ」
「ほんとっ?」
思いがけない言葉に、アビスは嬉しそうにテッドを見た。
アビスがロクにプレゼントしようと思っているのは、手作りのシルバーネックレスだ。素材は少し高価だが、リコベルからの資金提供と、テッドの父親の仕事を少し手伝うことで、何とかその費用を賄う算段になっている。
なので、ここ最近はテッドの家にある工房へ通って、職人から教えを請いながら、こつこつとネックレス作りの練習をしていた。
「おうっ。父ちゃんは中々褒めないからすげえと思うぜっ」
「よかったね、アビスちゃん」
「あびすも、いちりゅーになりますのでっ」
アビスは、にまっと、得意気な笑みを浮かべて、上機嫌で弾むように歩いて行く。
しばらく談笑しながら通りを進んでいくと、少し先に今日の学校が開かれる、職人たちの倉庫が見えてきた。
辺りには、既に多くのこどもたちが集まって来ていて、アビスたちもその群れに倣い、ぞろぞろと中へ入っていく。
「「「おはようございまーすっ!」」」
揃って元気よくあいさつをしながら倉庫に入り、三人ばらばらに空いている席へと着いていく。
「あっ! ロレント先生だっ!!」
アビスが授業の準備をしていると、不意に誰かが声を上げた。
振り向くと、こどもの一人が指さした先に、倉庫の入り口に顔を覗かせる青年の姿があった。
ロレントは、最近になって隣町からやってきた若い商人で、こどもたちからはもちろん、その整った容姿から街娘たちにも人気がある。
「最近は、みんな忙しいみたいで、しばらく僕が受け持つことが増えるけど、よろしくね」
アビスは、肩越しにちらりとロレントに目を向ける。
おっとりとした瞳に、目尻のほくろが印象的で、見るからにお人好しといった感じだ。
「ロレント先生っ、楽しいお話してーっ!」
「えーっ!? こないだみたいに怖い話してくれよっ!」
「あははは。まずは、席に着いてくれると嬉しいな」
ロレントは、少し困ったように微笑み、教壇へと歩いて行く。
アビスは、あまりこの先生が好きではない。
どちらかと言えば、好きではない、と言うよりも苦手といった方が、近い感情だろうか。
それは、彼が授業の前に話す、掴みに原因があった。
「今日も頑張ろうね、アビスちゃん」
「っ!」
ロレントは、そう言ってアビスの背中に、ぽんと触れた。その瞬間、少しピリッとしたような気がして、アビスはびくりと体を強張らせた。
「ああ、ごめん。少し強かったかな?」
「……へーきっ」
ロレントの心底心配するような顔に、アビスは笑顔で答えるしかなかった。
「は~い。じゃあ授業を始める前に、今日も少しお話をしま~す」
先生役の者たちの多くは、授業を始める前に、雑談のような小話をする事がある。
ある者は妖精の話を、ある者は精霊の話を、またある者は悪魔の話をしたりする。
こどもたちとは普段関わり合いのない、非現実的な話をする事によって、まずは興味を引く、という手法だ。
そして、いつもロレントがするのは、魔女に関わる少し怖い話だった。
「じゃあ今日は、自分の家族の中に、実は……魔女が居た。という話をしよう」
ロレントは、席に着いたこどもたちを確認すると、わざと怖がらせるような表情を作って、そう切り出した。
「昔、あるところに……」
アビスは、ロレントの話が始まると同時に、目と狼耳を伏せて、まったく関係のない事を想像していく。
もちろん、彼の話を聞きたくないからだ。
アビスは、ここ最近ロレントから聞いた話や、絵本の魔女を見て不安になり、一度ロクに聞いた事がある。
もしかして、自分は魔女なのか、と。
しかし、その時のロクの回答は、「お前が魔女なわけないだろ」という軽いものだった。
アビスは、その言葉を何の疑いもなく信用したのだが、それは単に、自分が魔女だと思いたくなかっただけなのかもしれない。
その証拠に、どれだけ忘れようとしても、ロレントの話を聞かされる度に、自分との類似点の多さから、どうしても引き戻されてしまう。
やはり自分は、周囲の者を不幸にし、世界から忌み嫌われる、不吉な存在なのではないか、という葛藤へ。
「……という、魔女のこわ~い話でしたーっ!」
しばらくして、ロレントが話を終わらせると、こどもたちは隣同士で顔を見合わせて、怖がっている者をからかいあったりしている。
「へ、へっ! ぜっ、全然怖くなかったしっ」
「テッド。脚が震えてるよ?」
「ふっ? 震えてねえしっ!!」
テッドとウィズのやり取りに、教室内が笑いに包まれる。
アビスは、どうしても耳に入ってきてしまった話に滅入りながらも、とりあえず魔女の話が終わった事に、ほっとしていた。
「は~い。それじゃ、この文字が読める子は居るかな~?」
ロレントは、ようやく授業を始めてくれたようで、難しい文字が書かれた一枚の紙を広げて見せた。
アビスは、難しい文字の勉強をしている事もあってか、それを読む事ができた。
「はっ――」
張り切って、アビスが手を挙げようとしたその時。
何故か、教室内に笑いが巻き起こった。
「何も書いてねーじゃんっ」
「ね~っ」
「読めないよっ」
こどもたちが、口々にそんなおかしな事を言い出した。
アビスの目には、しっかりとその文字が見えているのに。
「そうだよね~。これは、魔女さんにしか読めない文字で書かれているんです。だから、これが見えちゃったら魔女さんかもしれないね~」
ロレントは、少し戯けるように言ったあと、こちらを一瞥してきた気がして、アビスの心臓は、ドキリと音をたてた。
「あはははっ。うそだ~。ただの紙なんだろっ?」
「そうだそうだ~」
テッドが言うと、みんな一同に、そんな子供だましには引っかからない、とばかりに声を揃えた。
「はいっ。じゃあ、授業始めますよ~。今日は数字の勉強からで~す」
雑談が終わり、こどもたちが、すっと集中していく中、アビスは胸の鼓動が高まっていくのを抑えきれずにいた。
文字が見えてしまったなどとは、口が裂けても言えない。
その後は、授業中も、お昼ごはんを食べていても、アビスの中には、不安と恐怖がぐるぐると回り、あっという間に時間が過ぎていった。
「それでは、今日はここまでにしま~す。みんな、気を付けて帰ってね」
ロレントの言葉をきっかけに、こどもたちは何やらわいわい話をしながら倉庫から出て行き、家路へと向かって行く。
帰り際に、「アビスちゃんも気を付けて帰ってね」と、再びロレントに背中に触れられた時、またピリッとした気がしたが、アビスは魔女の事で頭がいっぱいで、特に気に留める事は無かった。
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辺りには、トンカン、と鉄を叩く音が響き、時折アビスが座って作業をする横を、忙しそうな職人たちが横切って行く。
「おっし。これも使っていいぞ」
「……うん」
アビスは、テッドの父親が寄越してきた、余った材料を加工した小さな鉄の輪っかを受け取る。
アビスが作りたいのは、銀の輪っか同士を細いワイヤー状の銀で編んでいく、エスタディアでは一般的な、アクセサリーの工芸品だ。
今は、編み方を覚えるために、安価な鉄と麻の紐で練習している。
学校が終わったあとは、こうしてテッドの家の工房に通い、日々特訓に励んでいて、最近では鉄が叩かれる音と、職人たちの飛び交う怒号にも慣れてきていた。
無論、サプライズプレゼントなので、工房に来ているのはロクに内緒であり、テッドとウィズと遊んでいる事にしてある。
アビスは、プレゼントを内緒で渡すため、皆の協力を得て万全を期していた。
ロクの喜ぶ顔を想像すると、俄然やる気が出てくるのだが、今日に限っては途中で萎んでいってしまう事が多かった。
魔女かも知れない。
その言葉が浮かぶ度に、自然とアビスの手は止まり、今も狼耳と尻尾がしょんぼりと垂れてしまっていた。
「どうした、アビス? うまくいかねえかっ?」
「っ! へ、へーきっ」
どこか元気の無いアビスに気付いて、テッドの父親が声をかけてくる。
「そうかっ。じゃあよ、これをいつもの所まで届けてくれるか?」
「わかったっ」
アビスは、渡された依頼書の束を持って、頼まれたおつかいを果たすため、工房をあとにした。
頭の中にあるもやもやのせいで、途中何度か道を間違えたりしながら、指定された職人の工房へと向かって行く。
空を飛ぶ鳥を見ても、可愛らしい野良猫を見ても、まったく気が晴れない。
アビスは、どこか心ここにあらずのまま、ぼんやりと北区の細道を歩いていると、曲がり角に差し掛かったところで、ばったり一人の青年に出くわした。
「あれ? アビスちゃん、お手伝いかい? 偉いね」
ロレントだ。
「……うん」
アビスは苦手意識もあって、上手く目を合わせられないまま、胸に抱いた依頼書の束に、ぎゅっと力を込めた。
「どうしたんだい? 元気ないね? 今日も授業中ぼんやりとしてたみたいだけど……」
「なっ、なんでもない。へーきっ、なので」
アビスはそう言って、目を伏せたまま先を行こうとすると、ロレントが立ち塞がったまま腰を折り、不意に耳元でささやいてきた。
「もしかして、あの魔女の文字が見えた……とか?」
「っ!?」
突然の言葉にアビスの体がびくりと強張る。
「ちっ、違うっ。見えて――」
「あっ! 糸くずが……」
ロレントは、否定の言葉を途中で遮って、アビスのうなじにそっと触れた。同時に、何気ない所作の中に、手をかざすような動作を混ぜる。
アビスの全身に、ぞわり、と不快感が走る。
「ああ、それで……文字が見えたのかい?」
ロレントは、白い糸くずを手に乗せて見せてから、ふっ、と吹いて飛ばすと、同じ質問をしてきた。
「……」
見えてない。もう一度そう言おうと思ったのだが、何故かアビスの考えに反して、口からは異なる言葉が突いて出た。
「見えた」
――っ!?
アビスは、咄嗟に自分の口を両手で押さえる。
まるで、自分の中に居る知らない誰かが、勝手に心にある言葉を取り出したようだった。
アビスのうなじには、突如出現した奇怪な紋様の魔法印が妖しく煌めいている。
そこから派生する筈の魔力の波長は、何故か感じる事ができない。
「ああ、やっぱり。あのあと様子がおかしかったから、まさかとは思ったんだけど……。あれは、ただの紙なんかじゃなくて、本物なんだよ。だから、あの文字が見えてしまったということは、アビスちゃんは……魔女だね?」
「あびすが……魔女?」
「……残念だけど」
ロレントは、憐れむような目を向けてくる。
「でっ、でも、ロクは、あびすが魔女なわけないって……。だから……」
だが、思い返してみると、フレアが自分の事を魔女だとリコベルに話していたような気がする。
よく思い出せない。わからない。
頭の中が、混乱していく。
「それは、彼が気付いていないだけかもしれないね。でも、もしもアビスちゃんが魔女だとわかったら、みんながどれだけ苦しむか……」
ロレントは、悲痛な表情をする。
アビスは、ロレントが今日の授業前に話していた事を思い出す。
自分の妻が魔女だと気付いた夫が、その身柄を教会に差し出した話だ。
事の顛末は、結局自分自身も、家族も、村中の人間までもが、全て火炙りになってしまったのだ。
尋常じゃない程の不安が、アビスの中で渦巻いていき、心の中に大きな隙が生じていく。
ロレントは、そこへすっと手を伸ばすように、アビスを見下ろして口を開いた。
「大丈夫。魔女をやめる方法があるんだ」
その瞳は、獲物を捕える直前の狡猾な魔獣のようだった。
「まじょを……やめる?」
「うん。実は、僕の知り合いにも一人魔女だった人が居たんだけど、その人もその方法で魔女をやめて、今では普通に幸せに暮らしている」
魔女を辞められる。
誰も不幸にしない、そんな方法があるならば。
アビスは、暗闇の中に一筋の光を見た気がした。
「あびすにも、できる?」
「もちろん。そんなに難しい事じゃない。アビスちゃんがおつかいを頼まれて行く途中で、僕が言う場所に印をつけるだけでいい。簡単でしょ?」
ロレントは、何でもないかのように言って、柔らかな眼差しを向ける。
「それだけ?」
「そうだよ。でも、このことは誰にも見られてはいけないし、言ってはいけないよ。術者である僕と、アビスちゃん以外に知られると、上手くいかなくなってしまうからね」
「ロクにもないしょ?」
「うん。内緒だよ」
アビスが、最も信頼する者に秘密にする事への背徳感を感じていると、考える間を与えないかのように、ロレントは続ける。
「もし、上手くいかなかったら、その時は残念だけど、アビスちゃんは一人で街を出て行かなくてはいけなくなる。そうしないと、みんなが魔女の仲間だと思われて、教会に殺されてしまうからね」
ロレントは、わざとアビスを不安にさせるような言葉を選択していく。
アビスの膝は、ワンピースの下で、小さく震えていた。
魔女を辞められなかったら、ロクも、リコベルも、北区のみんなも、自分のせいで……。
「やってみるかい?」
追い詰められたアビスの選択肢は、自然と一つしかなくなっていた。
「わっ、わかった。やるっ」
「よかった。僕は、自分が魔女である事に苦しんでいる人を見過ごせなくてね。ちょっと時間はかかるけど、一緒に頑張ろう」
「うんっ。先生、ありがとうございますっ」
苦手だと思い込んでいただけで、やはりロレントは優しい良い人なのかもしれない。
アビスは、少しだけそう思い直して、ぺこっと頭を下げた。
だが、その感情も、アビスのうなじに刻まれた魔法印から生じた偽物である。
「じゃあ、詳しい事は、また明日この場所で」
ロレントは、そう告げると、アビスを残して立ち去って行った。
アビスの心と体に、見えない鎖が巻き付いていく。
その後、魔導士と小さな魔女は、少しずつすれ違いを見せ始め、やがて大きな歪みを生むことになるのだった。




