02 魔導士と魔導レギオン。
北区の細道を荷車が行く。
荷台には鉱石や薬草が雑多に積まれており、安価な材料ながらその品質には眼を見張るものがあった。
しかし、その量は日を追うごとに目減りしている。
ここ最近の採取では、近場へしか行っていないし、他の同業者より、一足も二足も先に街へ戻って来る事が多くなってきていた。
それは当然、アビスが魔女だからだ。
ロクは、荷台を店の横に付けると、不安をかき消すように空を仰いだ。
時刻は昼から夕刻へ渡る橋のような頃合いで、暖かな午後の日差しが徐々に衰えを見せ始めていた。
アビスが学校から帰ってくるまでには、まだ幾らか時間がありそうだ。
ロクは、採取物を店に運び入れると、仕事というよりは、時間潰しのためにゆっくりと薬草の仕込みを始めた。
鉱石の仕込みまで終えてしまうと、お手伝いを想定して、張り切って帰ってくるアビスが膨れてしまう。
ロクは、うっかりやってしまわぬように、幾つかの鉱石を先に除けておいた。
今日は、新しい鉱石の仕込みでも教えてやるか。ロクは、そんな事をぼんやりと考えながら、再び薬草をいじり始める。
そんな折、小さく扉を叩く音が店内に響いた。
ロクは、瞬時にあらゆる来訪者を想定し、魔力を目に集中していく。
だが、凝視する扉の向こうからは、これといった魔力反応は無く、商人が仕事でも持ってきたのかと、僅かに気を緩めたその時。
突如として、扉全体に紫の光が線状に走った。
それは、魔導士が仲間に味方である事を伝える合図である。
先に動いてきたのは、やはり魔導レギオンだった。
ロクは、静かな心で扉に手をかける。
「せんぱぁーいっ!! お久しぶりですわっ!」
扉を開けると同時に、部屋の中に押し入るように飛び込んできたのは、胸元まで伸びた綺麗な金髪に蒼色の瞳が印象的な美少女だった。
「ってて、お前、普通に入って来れないのか?」
「愛ゆえに、ですわっ!」
その美少女とは、もちろんフレアだ。
彼女は、ロクの後輩にあたる魔導士であり、アビスが魔女である事を知る、数少ない者の一人である。
フレアは、何気なく人差し指を立てると、外に声が漏れぬよう、室内に風属性の結界を展開した。
「ったく。それで……」
あいつは誰だ?
ロクは、フレアを押し退けると、扉の前に立ち尽くす、もう一人の魔導士の姿を見て、そう思った。
茶色のローブに、同色のフードを目深に被って居るため、その顔を確認する事ができない。
ロクが疑問の目をフレアに向けた瞬間、その何者かは徐ろにフードを外した。
「久し振りだね。馬鹿魔導士」
綺麗に結わえた白髪に、未だに衰えを感じさせない佇まい。
そこに居るのは、間違いなく、紛うことなき、魔導レギオンの頂点である、ルマ・ドレイク総帥だった。
「なっ!? ばっ、ババアっ!?」
「ん? せっかく会いに来てやったというのに、ご挨拶じゃないか」
ロクは、その顔を見て驚愕するしかなかった。
「なんだい? まさか、このまま老人に立ち話をさせるつもりかい?」
「え? あ、ああ」
ロクは、呆然としたまま、言われるがままにテーブルと椅子を並べた。
「……いいのか? あんた、レギオンのトップだろ」
ロクは、しれっと椅子に座るルマを見た後で、その側近であるフレアに、どうなってんだ? という視線を送る。
「いや~。私も止めたんですけど、自分の目で見るって聞かないものでして……」
「魔女の件で教会から呼び出しを受けていてね。そのついでだ」
実際のところ、教会からはレギオンの幹部クラスを要請されていたのだが、ルマは自ら赴くと言って、上級魔導士たちの制止を振り払って来ていた。
「魔女……アビスの事か」
「んむ」
ルマは、話の腰を折るように、手でジョッキを持つような素振りを見せて、ロクに飲み物を要求する。
「……紅茶はないぞ」
「葡萄酒でいい。あるだろ?」
ロクは、相変わらず調子の狂う人だ、と思いながらも人数分の酒を用意した。
「ふん。相変わらず安酒を飲んでいるようだね」
ルマは、軽く口を付けると、片眉を釣り上げた。
「……ん? どうした?」
普段のロクならば、ルマの軽口に舌打ちの一つでも浴びせるところだが、何故か何も言い返さないまま、表情を歪め俯いていた。
「すまなかった」
そして、拳を強く握り締めたロクの口から、そんな言葉がこぼれた。
「なにがだい?」
ルマは表情一つ変えず、ロクをまっすぐに見据える。
「ミリヤを……死なせた」
ミリヤ・ドレイク。
ルマの孫であり、邪龍討伐戦の指揮を取っていた女性の名だ。
「ふっ。お前さんが謝る事ではない。それに、あいつの思いつきで、散々な目に合ったのだろう?」
思いつき、とはミリヤがロクに施した禁忌の術式のことだろう。
「そして、そのおかげで私たち数人の魔導士は生き残ることができましたわ」
フレアは、両手でコップを包み、憂いの表情を見せる。
「魔導士やってる以上、いつかは……誰かが、な。だが、どれだけ悲しみに明け暮れようと、世界はその動きを止めない。確固たる意志を持つ我々レギオンも、また然り。今は、過去の謝罪よりも、今後の事を聞きたい」
「今後?」
「そうだ。魔導士としてではなく、一人の人間として、お前はその魔女をどうしたいと考えている?」
「俺は……あいつに、ただ普通に、穏やかな日々を送らせてやりたい」
「ふむ。どうやってそれを叶える? お前たちがいくら願ったところで、世界はそれを許さない。わかっているだろ?」
「俺が、この手で守る……」
ルマは、しばらくロクを見据えたあと、何を言うでもなく、一つため息をついた。
その様を見て、ロクは苛つきを抑えきれず、静かに口を開く。
「はぐらかさずに教えてくれ。レギオンは、あいつをどうするつもりだ?」
言うと同時に、ロクの体からは魔力が溢れだしていく。それはまるで、答え次第では、レギオンにすら敵対するという、覚悟の表れのようであった。
「レギオンとしてか。そりゃあもちろん、保護したいさね」
ルマは、その迫力を受け流し、毒気を抜くようにあっさりと言った。
「……保護?」
ロクは、その曖昧な言い回しに眉をひそめる。
「当然だろう。オルコスの血族だ。教会の手に渡ればどうなるか。頭の固い聖職者によって、火刑台へ送られるのならまだいい。万が一にでも、洗脳され、手駒にされるような事になれば、取り返しの付かない事になる。本当なら今すぐにでもレギオンの監獄に幽閉して、対教会用の切り札として、研究しつくしたいところさね」
ルマは、そんなとんでもない事を言って、ロクを挑発するかのような目を向けた。
「ババアっ!」
ロクは、ルマを睨みつけたまま椅子から立ち上がる。
「落ち着け、馬鹿魔導士。あくまでレギオンとしての見解だ。あんたとその亜人の話はフレアから聞いた。私としても出来る限りなんとかしたいとは思っている。だが、冷静さを欠くようなら、他の魔導士を付けざるを得ないよ」
「……っ!」
ルマは、凄んでくるロクを片手で制止する。
「教会側がこの場所を特定している可能性は極めて低い。恐らくは、北の方で魔女の反応があった、程度にしかわかっていないだろう。そうじゃなきゃ、こんなに慌てて会合を要求したりしないだろうからね。まあ、とりあえずは、教会の出方次第、様子見と行こうじゃないか」
ルマが、そんな呑気な答えを出したところで、フレアが徐ろに扉へ手をかざして結界を解いた。
少しして、外からとことこと、こどもが歩く音が聞こえてくる。
「ただいまっ!」
元気な声と同時に扉が開け放たれる。
いつの間にか、そんな時間になっていたようで、アビスが学校を終えて帰ってきた。
「……ロク?」
アビスは、フレアとルマを交互に見上げて、不安そうにロクの方へ歩いて行く。
「初めましてお嬢ちゃん。私は……こいつの師匠でね。少し顔を見に来たんだ」
「……ししょー? ざいりょーやの?」
アビスは、よくわからない、と言った風に小首を傾げる。
「……ああそうだよ。だから、お嬢ちゃんにも材料屋の才能があるかどうか、見ればすぐにわかる」
「ほんとっ? あびすは、すごいざいりょーやになって、いっぱいロクのお手伝いしたいっ」
アビスは、キラキラと目を輝かせて、ロクの師匠らしいルマを見つめる。
「そうかい。じゃあ、ちょっと背中を見せてくれるかい?」
「せなか?」
アビスは、確認を取るかのようにロクを見上げた。
「見てもらえ」
ロクがそう言うと、半信半疑ながら、アビスはルマに背を向けた。
ルマは、目を細めて意識を集中すると、服越しにアビスの背中に触れる。
「……うん。これは、良い材料屋になれる。努力を続ければね」
ルマは、普段は見せない柔らかな笑みをアビスに向けて、その頭を優しく撫でた。
「わかったっ。どりょくいっぱいする! ししょー、ありがとうございましたっ」
アビスは、ロクの師匠と聞いて、疑うことなくルマに無垢な笑みを向けた。
「うむ」
ルマは一つ頷くと、フレアに指でくいくいと示して、ロクと二人で話ができるように、アビスを遠ざけるよう促した。
「あっ! そうですわ、アビス。あなたに、材料屋としての極意を教えて差し上げますわ。こっちにおいでなさいな」
「ごくい?」
フレアはすぐに察して、不思議そうにするアビスの背を押すと、ロクたちから引き離すように、奥の梯子階段の方へ移動した。
「ま、あれだけ強固に封印術式を施してあれば、問題ないだろう」
ロクは、外から入ってくる者への対策として、アビスに魔力封印の術式を施していた。
本人から特殊な魔力が漏れなければ、仮に教会から密偵が入って来ても、アビスが魔女だとは気付けないだろう。
ルマは、アビスの背中に触れることで、その魔法印を確認していたのだ。
「それから、わかっているとは思うが、お前がどれだけ特別な感情を寄せようと、あれは魔女の中でも特別な、オルコスの血族だ。いよいよになったら、世界のすべての者と天秤にかけて、な」
その先を言葉にする事は無かったが、要するに殺せという事だろう。
ロクは、考えたくない現実に無理やり対峙させられて、明らかな不快感を表情にまで出していた。
「そんな顔をするな。あくまで、いよいよになったらの話だ。そうならないように、全力で守ってやるのがお前の役目だろう。良い子じゃないか。私も出来る限りのバックアップはしてやる」
「……すまない」
魔導レギオン内でも、アビスの事は重大機密となっており、知っている者は極々少数の信用できる上位魔導士に限られている。
そして、事実を知る魔導士のほとんどが、アビスの即時保護という結論を出しており、レギオンを逃げだしたような奴には任せられない、というのが見解だ。
そんな中ルマは、その反対を押し切って、ロクに一任するという答えを出していた。
魔導レギオンとて一枚岩ではない。決して表に出すことはないが、ルマにのしかかる圧力と気苦労は想像を絶するものだろう。
「とにかく今は情報が必要だ。お前は下手に動かず、魔女の子とは付かず離れずで、報せを待って欲しい」
その後も、何やら難しい顔をしながら、ロクとルマは話を続ける。
一方で、真面目な雰囲気を漂わせる二人とは異なり、フレアとアビスは、梯子階段の下で何やらこそこそと密談をしていた。
「ですから、本当に先輩のお役に立ちたいのなら……」
フレアは、ちらりとロクを一瞥した後で、アビスに何やら耳打ちをする。
「……ん? ロクのぱんつ? どうして?」
「しーっ。声が大きいですわ。先輩のパンツを気付かれないで持ってこれるかどうかは、一流の材料屋になるための大事なポイントなのですよ」
フレアは、ロクとルマが話に集中しているのをいいことに、そんなしょうもない嘘で、アビスを使おうと企んでいた。
「いちりゅー!?」
アビスは、その言葉に大きく心を揺さぶられた。
「そうですわ。ささっ、お早く」
フレアは、そわそわしながらアビスを急かした。
「わかったっ。持ってくるっ!」
アビスが梯子階段に手をかけるのを見て、フレアの頬は大きく緩んだ。
「ああ、神よ。この卑しき豚めをお許しください……」
高鳴る胸の鼓動を抑えながら、フレアが信仰してすらいない神に懺悔したその時だった。
「許すわけねえだろっ」
「っ!?」
ロクの手が、フレアの顔をわし掴みにしていた。
「っ!? 先輩っ、女の子の顔は命なんですから、そんなにしたら……ああっ、でも、これで私の小顔が更なる高みへっ!? いたたたたたっ、むりっ、やっぱりむりっ! 先輩っ、ぷしゃってなっちゃいますからっ! 上も下も、ぷしゃぁって、なっちゃいますからぁっ!!」
フレアは、ロクの腕をタップしながら、悲痛の声を上げた。
「何をやっとるんだお前らは」
ルマは、緊張感のない二人を見て、本当にこいつら大丈夫かな、と不安な気持ちでいっぱいになった。
だが、これから待ち受けているものを考えたら、これくらいの緩みがあっても良いかも知れない。
ルマは、ふっと、息を吐き出して、ロクの肩を叩く。
「ロク。私はお前のレギオン脱退を認めていないし、認めるつもりもない。一度手を出したなら最後までだよ」
「……ああ」
その言葉を最後に、ルマとフレアは、教会との会合へ向かった。
魔導士と教会と魔女。
世界を左右する者たちを乗せて、大きく歯車が回り始める。




