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今日も魔導士は幼女に耐える  作者: 虎山タヌキ
二章:魔女を狙いし者たち
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01 魔導士と穏やかな日常。

 暖かな日差しが小窓から差し込み、街商人たちが朝市の忙しさに追われる頃のこと。


 エスタディア北区にある小さな材料屋は、いつも通り一日の商いを終えようとしていた。


「ありがとうございます」


 ロクは、無愛想な中にも、出来る限りの誠意を込めて言うと、本日最後と思しき客から商品の代金を受け取った。


 当然、その左腕には命を蝕む魔法印は無い。


 あれから一月余りが経ち、自らの画策によって、一時期は北区に広まってしまった噂は影を潜めつつあり、少しずつではあるが客の数も戻ってきている。


 このまま、何事も無くこつこつと続けていけば、良い方向に収束していく筈だ。

 

「ありがとっ。また来てねっ」


 アビスは、店を出ていこうとした強面の職人へ、にこっと無垢な笑みを向けた。


「……」


 いかにも寡黙な職人、といった風貌の男は何を言うでもなく、じっとアビスを見下ろしている。


「……あっ、あのっ。ロクが、やすく……やすくしますので。また来て、ほしいな」


 アビスは、その迫力に気圧されて、しどろもどろになりながら、言葉をひねり出した。


「……ん」


 強面の職人は、少し戸惑うような表情をしてから、そのごつい手で優しくアビスの頭をわしわしと撫でた。


 見た目や表情はいかつく見えるが、職人は心優しい人が多い。


 強面の職人は、その様子を見ていたロクと目が合うと、少しバツが悪そうに眉を釣り上げ、小さく「また」、とつぶやいて出て行った。


 アビスは、その強面の職人を見送って、はあ、と大きく息を吐き出した。


「ち、ちょっと怖かったっ」


 アビスは、ロクの方へ向き直り、安堵の表情を浮かべる。


「ったく。あんまり適当な事言うなよ。それに、話しかける時は、ちゃんと相手を選べ」


 当然、街の中には様々な人間が居り、悪意が無くとも口の悪い者も居る。こどもの心というのは、傷つきやすく、後を引きやすい、未成熟なものだ。


「わ、わかった。髪の毛……ない人は怖い」

「何だその基準は」


 ロクは呆れながら店の片付けを始める。


 だが、実際のところ、店の信用が思ったよりも早く回復したのは、フレアがレギオンを使って工作してくれたのもあるが、アビスのおかげによるところも大きい。


 店内で見せる彼女の笑顔は、とてもではないが、自由を奪われ、虐げられている者のそれではないからだ。


 必然的に、ロクの悪い噂の中心である、アビスとの関係性の部分は、やはりレギオンの言う通りである、という方向に是正されていっている。


「……ふむ」


 ロクは、片付けの締めに、本日の売り上げを帳簿に記し、満足気に頷いた。


 まだまだ全盛期には届かないが、二人で生活していく分には問題ないだろう。


 そんな事を考えながら、数字に目を落としていると、ふと何者かの視線に気付いた。


 ロクは、何となくその姿まで想像しながら、顔を上げてみる。


 そこには、肩がけのポーチを装備して、尻尾をパタパタとさせながら、こちらの様子を窺うアビスが居た。


 その全身から、まだかな、まだかな、と言った空気が見て取れる。


 このあとは、いつも通りアビスは北区の学校へ行くのだが、それだけでこんなにそわそわしているわけではない。


 アビスが、いつもより学校を楽しみにしているのは、今日の先生役がリコベルだと聞いているからだ。


 リコベルは冒険者なので、そう頻繁に学校で本業を休むわけにはいかず、月に一度程度しか先生役をする事ができない。


 だが、その希少性が、元々こども受けする性格もあってか、かえって生徒たちの人気を押し上げていた。


「よし。準備出来たか?」

「うんっ」


 今日もまた、アビスにとっての平穏な日常が始まろうとしていた。


 店を出ると、ロクは少し強い日差しに目を細めて、大きく一つ伸びをする。


 ここのところは、ロクにとっても、アビスにとっても、心落ち着けるのんびりとした日々が続いている。


 朝の商いを二人で行い、学校へ送ったあとは採取へと出かけ、夜にはリコベルと三人で食事をして、就寝前のささやかな団欒を楽しむ。


 起伏に乏しい繰り返しではあるが、誰もが一度は望む理想の暮らしだ。


 だが、いくらその安寧に身を委ねたところで、自分は魔導士であり、彼女は魔女であるという事実からは逃れる事ができない。


 世界は、二人の小さな幸せを許さないだろう。


 そんな事は百も承知であるロクは、密かに鍛錬を続け、いずれ訪れるだろうその時に備えている。


 呪印に侵されていたこれまでとは違い、今は自分を縛る制限は無い。


 何としてでも、この手で守ってみせる。


 そう決意した視界の先には、尻尾をひょこひょこさせて、勝手知ったる北区の通りを進んで行く、ちっこい奴の姿があった。


 ロクは、その後ろ姿を強く脳裏に焼き付けながら、何を言うでもなく、あとを付いて行く。


「ロクっ。今日はなに食べる?」


 細い通りに入ったところで、前を歩くアビスが徐ろに後ろ歩きになって、呑気に話しかけてきた。


「……そうだな。とりあえず、前を向いて歩いてくれ」


 アビスは言われた通りに前に向き直ると、ゆっくりと歩く速度を落として、ロクと横並びになる。


「今日は、おにくにしたい」


 アビスは、にぱっと笑ってロクを見上げた。


 昼飯前に早くも夜飯のリクエストをしてくるあたりは、さすがは北区に名を馳せる腹ペコ王である。


「今日も、だろ?」

「うんっ。ロクは、リコが緑の苦いのをあびすの口に入れないように見張っててほしい」


 アビスは、その嫌いな味を思い出しているのか、半目になって口をへの字にした。


 リコベルは、アビスがガツガツと食べている横から、その大きな口が開いた時に、ひょいと野菜の切れ端を投げ込む事がある。


 もちろん、アビスにとって良い事なのだが、リコベルは純粋にその反応を楽しんでいる節があり、ロクとしても何とも言えないところだった。


 だが、アゼーレから、優しくする事と、甘えさせる事は違うと、日々口を酸っぱくして言われている。


「野菜も食べろよ」


 ロクは、一応保護者らしい事も言っておく。


「あれは、からだに良くない味がする。止めた方がいいと思う」

「……お前な」


 ロクは、しかたない奴だ、と肩をすくめるしかなかった。


「う~ん……あっ、そうだっ! ロク、これできる?」


 アビスは小さく唸ったあと、はぐらかすように話題を変えると、突如片足立ちでぴょんぴょんと二歩進み、三歩目で両足を広げて地に付けて見せた。


 こどもというのは、唐突に誰かに教わった事をやり始めるものである。


「……そりゃあ、できるだろ」

「ふぅ~ん。やってみて?」

「やだよ。やんねえよ」


 彼女を遠ざけ、冷たくする理由は無くなったものの、だからと言ってロクの性格が変わるわけではない。

 

 二人の関係は変われど、そのやり取りは相変わらずのようだった。


 むぅ、と下唇を突き出し不満気にするアビスを横目に歩いて行くと、辺りには金属を槌で叩く音が響く、職人たちの工房が広がっていた。


 今日の学校は、テッドの父親が持っている倉庫の一つで行うことになっている。


 確か、ここの並びに……。ロクがその場所の記憶を思い出していると、ちょうど通りの反対側から歩いてくる、赤髪の少女の姿が見えた。


「おっす~」

「リコっ!」

 

 相変わらずの間の抜けた挨拶をしながら歩いてきたのは、リコベルだった。


「……お前、寝癖ひどいぞ?」

「えっ? うそっ? ちゃんと直したんだけどなぁ……」


 リコベルは、少し恥ずかしそうにしながら、ぴょんと跳ねた髪を手櫛で抑える。


「あははははっ。リコっ、それおもしろいっ! そのままでっ」

「なんだとぉ。アビスちゃんもお揃いにしてやるっ!」


 リコベルは、はしゃぐアビスの髪をわさわさと逆立てる。


 そんな他愛の無いやり取りをしていると、少し先にある工房から、大柄の体に顎に髭を蓄える、いかつい職人が顔を覗かせた。


「おっ! ちょっと待っててくれよ。もう少しで空くからよっ!!」


 テッドの父親だ。


 彼とは、あの日の事を誤解と知って、殴った事を平謝りされて以来、割りと親しい関係になっていたりする。


「アビスちゃんっ」

「よぉ、アビスっ」


 外の声に気付いたのか、不意にテッドとウィズが工房の奥からひょこっと顔を出してきた。


「「「おはよーございま~す」」」


 二人の登場を皮切りに、続々と幾人かのこどもたちも集まってきた。


「おっし。待たせたな。入れ、ガキどもっ」


 テッドの父親は、幾つかの工具や材料を軒先に付けていた荷台に乗せると、にかっと笑って中を指さした。


 次々と倉庫へ吸い込まれていくこどもたちに倣って、アビスもいそいそと入っていく。


「おう、アビス。最近は難しい文字もやってるらしいな。これは、頑張るお前にやるっ」


 そう言って、テッドの父親がアビスに差し出したのは、大きなあめ玉だった。


「うんっ! ありが――」


 アビスは、そこまで言いかけて、さっと手を引っ込めると、テッドの父親を見上げてしばらく見つめたあと、はっとした顔をして、ロクのうしろにささっと隠れてしまった。


「……あん?」


 テッドの父親は、なんだ? と首を傾げる。


「どうした?」


 ロクも怪訝に思い、脇から顔を出すアビスを不思議そうに見つめる。


「ロク。テッドのお父さんも……髪の毛、なかった。怖いかもしれない」


 確かに、テッドの父親は日焼けした肌につるっと剃った頭が、そのいかつさを際立たせてはいるが、信用できる顔馴染みである。


「……いや、その基準は間違ってるからな」

「でも……」


 アビスは、店に来た職人の事が後を引いているのか、戸惑っているようだった。


「じゃあ、俺が頭ツルツルだったら怖いか?」


 ロクは、よくわからん奴だ、と思いながら、そんな事を訊く。


「…………ぷっ」


 すると、アビスは禿頭のロクを想像したのか、しばらく見つめたあと、吹き出した。


「それは、おもしろいっ。ロクもツルツルにしてっ!」

「しねえよっ。ほら、もう行け」

「うんっ」


 アビスは、それでスッキリしたのか、とてとてと歩いて行き、結局テッドの父親からあめ玉をもらっていた。


 我ながら阿呆なやり取りだが、そう悪く無いと思っている自分も居る。


 その後、リコベル先生にアビスを預けたロクは、明日も何もなければ良い、と素直に思いながら、採取のため、街の外へと向かった。


 しかし、見えないところで状況は動き続けている。


 あれだけ派手に魔女の術式を使い、魔神まで顕現させてしまったのだ。このまま、何の動きも無い方がおかしい。


 そして、それを証明するかのように、並々ならぬ魔力を有した二つの人影が、北区の小さな材料屋へ、静かに近付いていたのだった。


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