00 序幕
魔女の術式を終えた渓谷の森に、土を踏む音が静かに響く。
木々の隙間からは、まばらに月明かりが差し込んでおり、一人の男の影を地に映しては消していた。
男は、一見するとどこにでも居る好青年のようだが、闇に落ちる深い森を独り丸腰で行く姿は、どこかただならぬ雰囲気を感じさせる。
それはまるで、この世界の住人ではないかのような、形容し難い風格であった。
男は感覚を研ぎ澄ませ、迷うこと無く細い獣道を進んで行く。
やがて、木々の開けた場所に出ると、男は何かを確信したかのように嗜虐的な笑みを浮かべた。
やはり、間違いない。
辺りには、魔女の特殊な魔力の残滓が、わかる者にだけわかるように、微かに存在している。
男はその状況を見て、これで隠したつもりか、と呆れるように鼻で笑った。
このまま放っておけば、教会が世界中に張り巡らせた探査術式によって、いずれ魔女の居場所は特定されてしまうだろう。
この機会を逃すわけにはいかない。
男が魔力を練り上げ手をかざすと、魔女の波長が、痕跡が、余韻が、そこだけ綺麗に切り抜いたように薄まり、消えていった。
それは、男が有する稀有な術式魔法の効果である。
残ったのは、自然な魔力粒子だけが存在する、何の変哲もない穏やかな森だけであった。
あとは、じっくりと魔女を手中に収めれば良い。
男は、堪え切れず喉の奥で笑うと、もうここには用がない、とばかりに踵を返し、闇に溶けるようにその姿を消した。
それから、魔導士と魔女が暮らすエスタディアの街に、一月の時間が流れていく。




