①ー5
南部辺境に向かう前、宝石箱にしまい込んできたはずの髪飾りが、どうして今ここにあるのか。それも露店の売り物として、だなんて。
信じられずに目を見張る私に、愛想はいいがあまり聞き心地は良くない声がかかった。
「おや? お嬢ちゃん、この髪飾りが欲しいのかい? なかなか目が高いじゃねえか。実はこれは、つい最近破産した元お貴族様の持ち物でな」
「破産!? そんな、どうしてですか!?」
驚いて声の主、露店の店主に問いかける。
少なくとも私がいた頃は、お母様や私の希望を叶えるのに、お父様はお金に糸目を付けてはいなかった。……お姉様のことまでは知らないけど、まさか破産の恐れがあるのに、当主であるお父様が、妻と娘にそんな贅沢を許していたとは考えにくい。
それに、私が勘当された時、お父様はお姉様を改めて次期当主に戻すようなことを言っていたはず。なのに破産って……
(……ううん、これはたまたま似た品物でしかなくて、モニクス家じゃない他の貴族の持ち物だった可能性だってあるわ。早とちりは駄目)
内心ぶんぶんと首を振り、希望にしがみついてみたものの、現実は無情だった。
「ああ、この伯爵家──オニキス、いやモニクスだったな。元々は割と堅実な家だったはずなんだが、五、六年前くらいから段々と羽振りが良くなったっつーか、ぶっちゃけると金遣いがやたら荒くなったらしい。何でもちょうどその頃、平民の愛人とその娘を家に迎え入れたとかで、多分その二人の影響がでかかったんだろうよ」
「そ、そんなこと……!」
「あの、おじさん。その家には愛人の娘の他に、跡継ぎになるような子供はいなかったんですか? まともな当主教育を受けてたら、破産の可能性にさっさと気付きそうなもんですよね」
「んー、先妻のお嬢さんはいたらしいぜ。ただ、ほら。愛人たちが迎えられたのが、先妻さんの亡くなった数ヶ月後の話なんだよ。で、愛人の娘は当時十一で、姉のお嬢さんとは三歳しか違わなかったそうでな。その上で、金遣いが荒くなった理由を付け加えて考えたら、さてどんな結論になる?」
「…………なるほど。つまりそのお嬢さんは、愛人と腹違いの妹に夢中の父親に、蔑ろにされてた可能性が高いと」
「そういうこったろうな」
相槌を打つサイだけど、その手は私の手を優しくしっかりと握り、元気付けるように包み込んでくれた。
信じてくれる嬉しさに少し泣きそうになりながら彼を見上げれば、目だけで微笑みを返してくれて、不覚にも胸がきゅんと高鳴った。そのせいで、「お父様がお姉様を蔑ろにしていた」という、明らかな言いがかりを否定するのも忘れてしまう。
「で、結局その一家は破産後どうなったんです? やっぱり散り散りばらばら?」
「当主と正妻になった愛人は行方知れずらしいから、路頭に迷ったか、借金のカタにタダ同然で働かされてるかじゃねえか? お嬢さんの方は一年ちょい前に家を出てったらしい。何でも婚約者だった男を愛人の娘に盗られたとか、ついでに跡継ぎの座も妹に譲らなきゃいけなくなったとか何とか、社交界じゃ結構な噂だったらしいぜ。ま、でもことは男女の話だからな。単純に姉より妹の方が好みだから乗り換えたとかいう理由で、貴族だからあれこれの問題でごちゃごちゃしただけなんだろうけどよ」
「お偉方は大変だってことですね。なあアリス?」
「う、うん。そうね」
「妹は妹で、姉が出てった数ヶ月後に婚約者とは縁を切って、怒った父親に勘当されたって話だ。男に飽きたか、やっぱり姉に悪いとでも思ったのかは知らんが、破産に巻き込まれずに済んだあたり、相当悪運が強いんだろうよ。
父親の子供は娘たちだけだったんで、妹を勘当した後は姉を連れ戻そうと色々やったみてえだが、まーそんなあれこれがあったのに、わざわざ家に戻ろうなんぞと思う物好きはいねえだろ? かくして後継者が誰もいなくなったモニクス家は、立て直す手段も人材もなく、破産の憂き目となりました、ってわけだ」
「…………」
他人事なのは確かだとしても、破産した事実についてそんなに軽い物言いをするのは、いくら何でも人としてどうかと思う。
私の思いなど知らない店主は、途切れることなく話を続ける。
「この姉妹はタイプは違うがどっちも結構な美人だったみたいで、姉が『麗しの薔薇姫』、妹は『可憐な妖精姫』と呼ばれてたそうだ。で、肝心なのはこの髪飾りが、どっちのものだったかってことだが……さて、あんたたちはどう思う? もし正解したら、髪飾りだけじゃなくこの中のどれでも、割引価格で売ってやるぜ」
にんまりと笑いながら、流れるように商売の話に持ち込むのは流石と言うところだろうか。
懐かしい思い出のある髪飾りでも、今の私にとってはブレスレットには全く及ばない代物だ。目標達成のため、無駄遣いをするつもりはどこにもない私の隣、割引と言われて心惹かれたのか、顎にもう片方の手を当てたサイが、髪飾りをじっと見つめる。
「うーん……『実はどっちでもなく、当主の愛人が持ち主だった』って引っ掛けはないですよね?」
「あっはっはっは! 面白いがそりゃねえな。このデザインは若い娘向けだし、贈り主も若い奴だから。……っと、こりゃでっかいヒントになっちまったか」
「え……贈り主?」
心当たりのない話に首を傾げた時──すっ、と。繋がれた手が離れる。
そしてサイの手はそのまま、質問とともに髪飾りに伸びた。
「判りました。この髪飾りの持ち主は、姉の薔薇姫ですね」
「おう、正解だ。ちとヒントを出しすぎたな。ちなみに、台座の裏を見れば贈り主が分かるぜ」
「えっ!?」
慌ててサイの手元を覗き込めば、確かに小さくメッセージが書いてあった。一年間私の手元にあったのに、ちっとも気づかなかったものが。
〈──婚約者より薔薇姫へ、愛を込めて〉
「品物にまつわるエピソードとしちゃ悪い話じゃねえが、売り物にするとなると、ちょいと値の付け方が面倒になるんだよなあ、この手の刻印は。だから露店に並んでるんだけどよ」
かと言って無理に消すわけにもいかねえし、と店主が肩をすくめれば、サイはじっとメッセージを見つめてこう尋ねた。
「……姉の婚約者は、こんな高価なプレゼントをするくらいには彼女との仲が良好だったのに、妹の色仕掛けであっさり陥落したってことに?」
「さあな。その通りなのか、本気で妹に惚れ込んだせいなのかは、第三者にゃどうやったって分からんさ。お嬢ちゃんもそう思うだろ?」
「え。あ……そ、そうですね」
無難な受け答えをするしかない私に、隣から感情のこもらない声が降る。
「そうか? アリス、他でもない君なら、よおく分かるんじゃないのか」
「んあ? 兄ちゃん、そりゃどういうことだい」
「実はね、おじさん。彼女は──」
「何でもありません! 私にはもう、貴族も何にも関係ないんです! さよなら!」
これ以上ないくらい居たたまれなくて、私は急いで駆け出しその場を離れた。
奇跡的にもほとんど人にぶつからず、たどり着いた家に駆け込んだ私は、そのまま中古のソファーにぼふんと突っ伏す。
……ようやく落ち着ける場所で一人になれたのに、どうしてか不安が収まらない。
「私……サイに、嫌われちゃった……?」
別れ際に向けられた目は、いつも優しかった彼とは思えないくらい冷たくて──いつかのお姉様やお父様を思い出させて、ひときわ大きな震えを感じた。
……つまり私は、お姉様にも嫌われていて……もしかして、軽蔑されてもいる──?
「──ううん。そんなわけないわ。お姉様はあんなにもお優しいんだし、血の繋がった妹のことは当然──」
『確かに血の繋がりは重要ではありますが、家族の絆とは、それだけで無条件に育まれるものではありません』
執事の言葉──フェルダ家かウォルサル家のどちらだったかは、もう忘れてしまったけど──が不意に頭をよぎり、ぶんぶんと必死に首を振る。
「一般論はそうでも、お姉様は違うわ。私の愛するお姉様が、そんなに薄情なはずがないもの」
不安材料を忘れるため、気合いを入れ直すためにソファーから下りると、私は寝室のドアを開けて部屋の隅、棚の奥の隠しスペースに手をかける。
そこは子供の頃、お母様に教えて貰った宝物置き場で、今はお金を貯めておく金庫代わりだ。
昨夜の今日で中身が変わるわけもなく、夕食どきの食堂の仕事が一番の稼ぎになるから、今ここを開け閉めする理由はないのだけど、こんな気分のままで仕事に行く気にはなれない。
意識的に笑みを浮かべて仕掛けを解除する私は、次の瞬間に起こることと、その後の未来について何も知りはしなかった。
──隠しスペースは完全に空っぽになっていて、必死に貯めたお金が消えたことで地の底までの絶望を感じること。
そのお金を盗んだ犯人が、実はお母様だと薄々気付きながらも、一度きりのことだったからと生涯目をそらし続けてしまうこと。
絶望を振り切り一からやり直そうと腹を決め、そのまま一人で必死に頑張った結果、二十年ほどでようやく目標額を稼ぐことができたものの、肝心のクロディーヌ様の嫁ぎ先が分からず困り果ててしまうこと。
そして──
「────!? 一体何者なの、あなた? わたくしが、他ならぬ筆頭公爵家長女シルヴィアと知っての無礼かしら?」
「お、お願いいたします、お嬢様! どうか、どうかそのブレスレットを私にお譲りください! この通り、代金はお支払いしますから、どうか──!!」
「下がれ、不届き者! フォルテス家の門前で、お嬢様に何たる無礼を! 女、手打ちにされたくなくば、即刻この場を立ち去れ!」
王宮にほど近い貴族街。
立ち並ぶ立派な邸宅の中でも、取り分け大きなお屋敷の前で騒ぎが起き、筆頭公爵令嬢にしつこく迫った中年の女が、令嬢の避難後、護衛の手により迅速に処理されてしまうことは、はるか過去にいる人間などに予測できるわけもなく。
──薄れゆく意識の中、私は声すら出せぬまま、答えの得られない問いを発する。
(ど……して、こんな……何が、いけなかったの……? 私は、ただ……お姉様に愛されていた、確かな証が欲しい。……それだけ、だった……のに…………)
ごふっ、と。生温かく鉄臭い液体が、喉をせり上がって口からこぼれ、石畳を赤黒く濡らす。
──ほとんど見えなくなった視野の隅、公爵邸の窓の一つに、きらりとアメジストの輝きが見えたような気がした。
そして、記憶の片隅に押し込めていたはずの優しい微笑が、驚くほど鮮やかに脳裏に蘇る。
「お、姉……様……サイ……わた、し、は──」
それから何を言うつもりだったのか、自分でも分からないままで。
私の意識は闇に沈み──そしてまた、十六歳のあの日。フレッド様との婚約を破棄したばかりの、ウォルサル邸の応接間へと戻ることになるのだった。
ループ一周目終了。
平民落ちをしたとは言え、無事に生き延びられたはずが、結局は姉(とお揃いのアクセサリー)への執着を捨てられず命を落とすことに。
姉のことを早いうちにすっぱり忘れるか、振り切ることができたなら、サイ……は妹のこともあって難しいでしょうが、他の誰かと、あるいは独身のままでも幸せな人生を送って、天寿を全うできたでしょう。
まあ、実際は無駄に根性があったせいで、逆に寿命を縮める結果となったわけですが。それでも今回は一応、両親よりはだいぶ長生きできました。幸せにはほど遠かったとは言え。
二周目では、一周目で全く姿を現さなかった姉に今度こそ会おうと、アリスは意気込んでいますが……さてどうなることやら。
続きはまだ構想中なので、更新まではお時間をいただくことになると思います。




