①ー1
ループ一周目開始。全編アリス視点でお送りします。
アリスは本編では反省イベントがほぼないまま死んだので、お花畑は変わらず健在です。むしろパワーアップ疑惑あり。
「……ス。──アリス!!」
──はっ、と。
呼ばれる声に気がつけば、暗闇だった視界が開け、記憶に新しいウォルサル邸の応接間の内装が、突き付けられるように目に飛び込んできた。
「え……? わ、私は……どうしてここに?」
「ぼうっとしてどうしたんだい? 君はリーゼロッテに会いたいからと、私の馬車で南部辺境のウォルサル家まで同行してきたんじゃないか。つい先ほど婚約解消を君が宣言したから、その件の報告で王都に帰らなければならない私と、彼女のいるフェルダ邸に行く君とで、別行動にならざるを得ないのだけれどね」
「……あ……そう、でした。その……本当にごめんなさい、フレッド様」
声そのものは優しくても、トゲを隠しきれないフレッド様の言葉に、混乱しながらも頭を下げておく。
──あの森の中、肌のあちこちが草でかぶれたり虫に刺されたりで酷いことになり、やがて痛みや痺れが全身に広がり動けなくなってしまった。
それから意識までもが徐々に消えていって、死に至る恐怖と、どうしてこんなことになったのかという疑問や混乱で頭が一杯になって──それなのに今、私はこうして、生きてウォルサル邸にいる。
(……つまり……時間が巻き戻った、ということ……?)
そうとしか思えない事態に、くらくらする頭を押さえて周囲を見回す。
外は明るく、まだ夕方にもなっていない。
ということは……これから森に入ることさえ避ければ、ソリュード様やお姉様に会いにいける?
そうだ、そうに決まってる! これはきっと、私を助けようとして神様が起こしてくれた奇跡なのね!
ぐぐっと意気が高まったものの、まずは森をどう避ければいいのかを考えなければならない。
そもそも私があんな目に遭ったのは、あの御者が完全なでたらめを言ったから。……まあ、彼はかなり体格がよかったし動きも機敏だから、強引にあの森を横切った経験があったのかもしれないけれど、それと同じことを女の子に期待する方がおかしいと思わなかったのかしら。
そんな考えの足りない御者の馬車にまた乗るなんて危なすぎる。だから、御者さえ替えてもらえば何とか……でも、巻き戻ったことを明かさずにどう話を持っていけば……
そんなことを考えていた時だった。
「お待たせいたしました、アリス様。馬車の用意ができましたので、お急ぎならばどうぞご出立を」
「え……」
記憶通りに慇懃無礼な態度の執事が顔を出し、反論を許さない調子で私を促してくる。
──どうしよう。どうすればいいの? このままだと私は──
「……アリス? 顔色が真っ青だけれど、大丈夫かい? 先ほども様子がおかしかったし、少し休ませていただいてから出発した方がいいんじゃないかな。ここに来るまでもかなり急ぎだったから、疲れが出たのかもしれないね」
「あ……は、はい! すみません。せっかく準備してくださったのに……」
フレッド様の優しい誤解に便乗すれば、執事はしばらく私の顔を見て、納得してくれたようだった。
「──かしこまりました。それでは、アリス様にも念のため、今夜はお泊まりいただくべきですね。フェルダ邸へは明日の朝に向かわれるということで」
さくさくと話を進められてしまったけれど、特に異論はないので口は挟まずにおいた。
体調が悪いということで、本来なら伯母様、ではなくてウォルサル夫人と同席しなくてはいけない夕食は、客室で一人で取らせてもらった。あんなにたくさん責め立てられた後で一緒に食事だなんて、絶対に居心地が悪いものにしかならないのでほっとする。
フレッド様は使用人に呼ばれて食堂に行ったようなので、普通にウォルサル家の方々と食事を取ったのだろう。礼儀を重視したにせよ、元とは言え婚約者だった相手を容赦なく責め立てた人たちと仲良くテーブルを囲むだなんて、よくできるものだと思うけれども。
「お父様やお母様なら、何があっても私の味方をしてくれるのに……普段は優しくても、フレッド様は肝心のところでは冷たいお方なのね」
終われば呼ぶからと侍女には下がってもらったので、室内には他に誰もいない。愚痴をこぼしても咎められはしないから、溜まったものを存分に吐き出していく。
美味しい食事で満腹になり、入浴を終えてからベッドに入れば、ウォルサル夫人の言動が思い出されて、またも不満がぐるぐる頭の中を回り始めた。
……お姉様からお母様の形見を、知らなかったこととは言え取り上げてしまったのは確かに申し訳ないと思う。
でも、実際にお姉様から取り上げたのはお父様で、私はそうまでしてペンダントを欲しいだなんて思っていなかった。いくら私を可愛がってくださっていても、お父様のしたことがやりすぎなのは確かだ。
それは分かる。分かるけれど、どうしてお父様のしたことで、私があんなに責められなければいけないのかしら。
お姉様だって、あのペンダントが形見だと、何年も経ってからでなく早いうちに教えてくださったなら、私だって素直に信じて返す気にもなれたと思うのに──
「……あら? そう言えば私、ペンダントを返してもらってないわ」
ふと気づいて身を起こす。
昼間に執事経由でウォルサル夫人に渡してしまってから、ペンダントは一度も手元に戻ってきていない。
明日お姉様に会いに行くのはその件を謝罪するためでもあるのに、肝心の返すべき品物がないのは困る。
「…………でも、もう夜も遅いものね。出発前に話をすれば済むでしょうし」
と、寝心地の良い寝具に改めて包まる。
──前回の今頃は、敷物も何もない暗い森の中で、虫たちに刺されて息絶える寸前だった。
いや、正確な時間なんて分からない。実はもう、完全に命を落としていたのかも──
「…………っ」
ぶるっと身を震わせて、私は固く目を閉じ、何も考えずに済むよう眠りの安らぎに身を委ねた。
翌朝。
昨夜と同じく食事を部屋で取らせてもらい、時間になって紹介された御者は、記憶の彼とは明らかに違う穏やかそうな年配の男の人で、内心ほっと胸を撫で下ろした。
長旅になるフレッド様は一足先に出発していて、別れを惜しむ暇もほとんどなく終わってしまった。
まあ、今となっては元婚約者のことはどうでもいい。それよりも問題は──
「どういうことですか、ウォルサル夫人! あのペンダントがもう手元にないだなんて!」
「どうもこうも。昨夜あなたも認めたはずでしょう? あれは紛れもなく、リーゼロッテの母親の形見だと。だから昨夜のうちに、あなたが乗るはずだった馬車の御者に預けて、フェルダ邸のリーゼロッテのもとに届けるよう頼んだのよ。可愛い姪の手元に大事な宝物を一刻も早く戻してあげたいと思うことが、そんなにおかしなことかしら?」
「……お、おかしくはありませんけど! でも私は、自分の手でお姉様にペンダントを返すつもりで──!」
「あら、そうだったの。それならそうと早めに言ってほしかったわね。もっとも、そんな申し出があったところで、わたくしは絶対に許可はしなかったけれど」
「っ!! そんな、どうしてですか!?」
「『どうして』ですって? まさか本当に理由が分かっていないのかしら?」
昨日何度見たかも知れない嘲笑を向けられ、ぐっと手を握りしめて反論を試みる。
「…………ウォルサル夫人は、私が主導でお姉様からペンダントを盗んだような仰り方でしたけど。本当にお姉様から奪ったのはお父様で、私は何も──」
「何も悪くない、と? そうね、一度だけならまだその言い分も通じるかもしれないわ。でもあなた、リーゼに対して何度も同じことをしていたのでしょう。同じようにおねだりをして、同じように父親に姉の持ち物を取り上げさせて、自分はそれをまんまと手に入れご満悦。そんなことが続けば、あなたの我が儘にリーゼが抵抗する気も失せるというものだわ。
ねえ、アリス嬢。あなたは一体何様のつもりなの?」
「────っ!」
違う、そんなことはしていない。ペンダント以外は本当に、全てがお姉様からのプレゼントで──そう言いたかったのに、夫人は先んじて反論自体を潰してしまう。
「それに、普通に考えればおかしいと思うものではない? いくら妹にねだられたからと言って、あれもこれもと大事な物を次々に譲り渡すような無私で無欲な人間が、この世に本当に存在するのかしらね」
「それは、ウォルサル夫人! 貴女がお姉様の優しさや愛情深さをご存知ないからです!」
「あら、少なくともあなたよりはよほどよく知っているつもりだけれど……では逆に伺いましょうか。アリス嬢、あなたは愛しい姉であるリーゼロッテについて、優しさや愛情深さとやらの他に、一体何を知っているの? 趣味や好きな食べ物、好きな色、何でもいいわ。彼女の実の伯母であるわたくしに、是非とも教えてくださる?」
「……お、お姉様の趣味……ですか。ええと、それは…………そう! ピアノです!」
記憶を掘り起こしてようやく思い出した。
モニクス家に越してきたばかりの頃、お姉様はよく音楽室で一人、美しいピアノの音色を奏でていた。
その姿があまりにも綺麗だったので、いつかお姉様にピアノを教えてもらえないか頼もうと思い、機会を窺っていたのに、そうする前に何故か、屋敷からピアノそのものがなくなってしまった。それからは当然、お姉様がピアノを弾く姿を見ることはなく、しばらくはとても残念に思っていた記憶がある。
それを話せば、ウォルサル夫人はくすくすと、扇の向こうで何とも楽しげに笑い出した。
「『何故か』ね……無知というものは、周囲にとっては罪だけれど、当の本人はとても幸せだということがよく分かるわ」
「……どういう意味です?」
「単なる感想なのでお気になさらずに。ちなみにそのピアノは、つい最近まではこの家にあったのだけれど、今はフェルダ邸に移したことを教えておきましょうか」
「えっ……では、フェルダ邸に行けばまた、お姉様のピアノが聴けるんですね!?」
嬉しさに声を上げれば、夫人の予想とは違った反応だったらしく、軽く目を見開かれてしまった。
「……注目するところはそこなのね。まあいいけれど……さて、あまりハンスを待たせるのは申し訳ないので、そろそろ乗り込んでいただけるかしら、アリス嬢? もしもまたこちらに立ち寄られるのなら、その時には是非もっとたくさん、あなたの知るリーゼロッテのことを教えていただきたいわ」
「────っ、お世話になりました!!」
痛いところをあまりにも的確に突かれ、礼儀を投げ捨てるような態度になってしまったけれど、後悔はない。
話す言葉のほぼ全てが、ああも皮肉と高慢さに満ち溢れている相手には、いくら目上でも敬意を示す気になどなれなくなる。
「それに、お姉様はご自身のことを、私にはなかなか教えてくださらないんだもの。……私はお姉様の、たった一人の妹なのに」
馬車に揺られながらつぶやき、ふと閃いた。
──この旅行は、姉妹間の隔てを解消するにはとてもいい機会ではないだろうか。
お父様とお母様は近くにおらず、直接の家族はお姉様と私の二人だけ。それに今となっては、フレッド様との婚約を取り止めたという共通点もあるのだ。ソリュード様のことや次期当主の件で説得するにしても、少し時間をかけてお姉様との仲を深めてからの方が、受け入れてもらいやすくなるだろうから一石二鳥になる。
「うん、そうだわ。そうしよう。お姉様はお優しいから、ペンダントのことも謝れば許してくださるだろうし……まずはそこから始めるとして。フレッド様に関する愚痴も、いずれ言い合えるようになれたらきっと楽しくなるわ」
大好きなお姉様と談笑する楽しい未来を想像するうちに馬車は進み、問題の森を回り込んでお城へと向かっていくのだった。
ウォルサル邸の時とは違い、御者のハンスがフェルダ家の人たちと顔見知りなのと、昨夜先行した例の御者が話を通してくれていたらしく、執事に身元自体を疑われるようなことはなかった。
けれども、あちらの執事の息子か甥か、そっくりではないが明らかに血の繋がりがあると判る青年の、私に対する視線は何故か、明らかに普通よりも温度が低い。
「……そうですか。あなた様がリーゼロッテ様の妹君で、モニクス伯爵家の次期当主様でいらっしゃると」
「あ、それは──」
もう違います、と言いかけたけれど、玄関先で話すことでもないので訂正するのはやめる。
「それは、何でしょう?」
「いえ、何でもないです。それより、リーゼロッテお姉様にすぐお会いしたいのですけど」
「生憎ですが、リーゼロッテ様は本日はお疲れのご様子ですので、今はお部屋で昼食を召し上がっておいでです。ソリュード様は街にお出かけでご不在なので、クロディーヌお嬢様より同席のご許可をいただければ、食堂でお食事を召し上がれるよう手配いたしますが」
クロディーヌ様と言えば、確かウォルサル夫人の娘でお姉様の従妹、そしてソリュード様の異母妹のはず。
つまり将来的には、私の義妹になる可能性が極めて高い人なのだから、親睦を深めておいて悪いことは何もない。
むしろ喜んでそうすべきだという結論を出した私は、満面の笑顔で執事に、彼女へ伺いを立ててもらうよう頼んだのだった。
──その「未来の義妹」と見なした相手に、徹底的に叩きのめされることになるとは思いもせずに。
というわけで、アリスは「フェルダ邸への出発日時変更」を選択したことになりました。
さて、この選択はどんな結果に至るのか。




