表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傲慢の末路  作者:
本編
4/19

第4話・クロディーヌ

 次期当主となるはずだった最愛の娘を失い、モニクス伯爵家は大いなる悲しみと混乱に呑み込まれた。

 ウォルサル家の馬車で出かけた後のこととあって、伯爵夫妻からは涙ながらの抗議と非難が辺境伯家にぶつけられたが、「馬車の修理をしている間に、お嬢様はいつの間にか姿を消されてしまわれました。毒の森については近隣では有名なので、か弱いご令嬢がまさか一人で入ってしまうとは思わず……馬車を放ってもおけなかったので、修理を終えてからフェルダ家にお知らせした後、ウォルサル家へも報告せねばと取って返した次第で……」という年配の御者の真に迫った証言により、夫妻は怒りの持って行き場の変更を余儀なくされたらしい。

 そもそもアリス嬢のウォルサル邸及びフェルダ邸への訪問は、先方の許可なしに押し掛けようとした無礼極まるものである。辺境伯家は伯爵家より格上でもあり、屋敷を去った後の不心得者がどうなろうと、ウォルサル家が関知する義務はどこにもない。

 また彼女に同行してきた婚約者も、「辺境伯夫人の前で婚約解消を申し出られて了承した」と正直に明かしたため、それからの別行動を咎める理由はアリス嬢自身により消滅させられていた。婚約関係ではなくなった男女が一つ箱馬車で時間を過ごすなど、例え数時間であっても風紀的に問題が生じる。捜索に参加しようにも、土地鑑のないフレッド・クライトンでは単なる足手まといにしかならない。大体にして彼の最優先事項は、またもご破算になった婚約の件を速やかに実家に報告することだったのだから。


 残る非難の行き所は、最も早く事態を知らされたフェルダ家とそこに滞在中のリーゼお姉様だが、ソリュードお兄様の正式な婚約者となった今ならまだしも、ただ親戚として身を寄せていただけの当時のお姉様に、フェルダ家の使用人たちを動かせる権限などあるわけがない。表向きは。

 一方、フェルダ家の全責任を負うお兄様は、当日の夜はアリバイ作りのために、毒の森以外の場所を適当にそれらしく捜索させるように執事に命じていた。参加者には特別手当を出したので、彼らから不満は特に出なかったという。流石はソリュードお兄様。

 あえて捜索範囲から森を外した理由は他でもない。御者の知らせを受けたとされる時間は既に夕暮れで、それからの捜索には灯りが必要となる。そしてたいまつにせよランプにせよ、夜の森の中に持ち込めば多種多様の毒虫たちの格好の標的となり、二次被害が甚大になりかねないからだ。

 その理由をそのまま、「まさか伯爵令嬢が一人で夜の森に踏み込むなどとは思いもしなかった」という一般的な価値観とともに告げれば、伯爵夫妻に効果的な反論はできない。爵位にものを言わせて、「子爵家の使用人たちなど、伯爵令嬢たる娘の命に比べれば塵芥(ちりあくた)に等しい」と言い切るだけなら可能だっただろうが、実行に移せばどうなるかなどあえて考えるまでもない。


 そうして、悲しみに消沈したモニクス伯爵夫妻は王都に戻り、愛娘の葬儀に粛々と取りかかった。

 葬儀当日の様子は、伯爵家次期当主だった令嬢の葬儀としてはあまりにも小規模の、参列したのはほぼ身内のみ──両親以外では、リーゼお姉様と婚約者のソリュードお兄様、伯爵の義理の姉に当たるウォルサル辺境伯夫人とその娘であるわたくしの四人だけという、実に寂しい光景で。お姉様が家を離れた後の、故人やモニクス家の交友関係がどんなものだったのかが、実に分かりやすく窺い知れる。元婚約者であるところのクライトン家次男の姿さえない、というあたりがもう、何と言えばいいのか、何を言うまでもないと言うか。

 そのフレッド・クライトンは、王都の屋敷に帰宅してすぐ自らを振り返り、「自分がどれほど愚かな選択をしていたか、ようやく気がつきましたよ」と自嘲の笑いを見せつつ、辺境伯領でのアリス嬢の振る舞いを家族相手に、控えめながらもさほどためらうことなく報告したらしい。

 ようやく目が覚めた息子のため、クライトン家が総出で過不足のない真実を広めた結果、社交界におけるモニクス家の立場は完全にとどめを刺されてしまった。この閑散とした有り様も、ごく当然のことと言えよう。


 参列者個々人の思惑はともかく、葬儀は表向きは滞りなく終了した。

 もっとも、愛娘の死にひたすら悲嘆に暮れる現伯爵夫人をよそに、夫の伯爵の方は意味深にお姉様へちらちら視線を寄越したりもしたけれど、主にソリュードお兄様の圧のおかげで、無駄にお姉様に近づいてくることはなかった。

 あまりにも今更ながら、唯一直系として残ったお姉様を再び手元に呼び戻したいという意思が見え見えすぎて、呆れを通り越して笑うしかない。




 それからしばらくして、モニクス伯爵は爵位継承の件で、リーゼお姉様にしつこくしつこく接触を図ろうとしてきた。

 曰く、「このまま嫁いで子爵夫人になるよりも、女伯爵として慣れ親しんだ実家の当主になる方が、リーゼロッテにはよほど良いことのはずだ」だそうだけれど、最早鼻で笑う以外の選択肢はない。

 実際にソリュードお兄様は、そう書かれたお姉様宛の手紙を読んで「似た者父娘(おやこ)すぎて、阿呆としか言いようがないな」と唇を歪めていた。

 フェルダ家とウォルサル家のどちらにも、欠片も考慮の余地がない要請はなかなか止むことはなく、数ヶ月後、アリス嬢の喪が明けた早々にフェルダ子爵夫人となったお姉様が、お兄様とともにわたくしのデビュタントの付き添いで王都に来てからは、諦めるどころか別方向に勢いを増した。

 要は、「いずれ生まれる孫の一人を、是非ともモニクス家の跡取りに」ということなのだけれど、これには流石のお姉様も、元父親の厚顔無恥ぶりに堪忍袋の緒が切れたらしい。

 冷たい怒りを背負った無表情で、黙々とモニクス家への手紙をしたためたお姉様は、申し訳ないけれどすぐに届けるようにと使用人に頼んでいた。

 ──それが功を奏したか、伯爵からのアプローチはぴたりと途絶える。

 お姉様が一体何を書いたのか、その答えはすぐに出た。モニクス伯爵が若い平民の愛人を囲うようになったという噂が、社交界のあちこちであからさまにささやかれるようになったから。


「お姉様。例の噂は、お姉様が勧められたのがきっかけですか?」

「そのようね。あの人はどうしても自らの血筋に固執しているようだったから、『とうに家を出た親不孝な娘にこだわるのでなく、現夫人にもうひとり子を産んでもらうか、()()()()()を次期伯爵の母親にするか、お好きな方を選ぶとよろしいかと思います』と提案しただけなのだけれど」


 社交シーズンも終盤に近づいたある夜、夜会も何もないくつろぎの時間をフェルダ家のタウンハウスで過ごしながら、のんびりとそんな会話を交わす。

 いつもと変わらず優雅に紅茶を口にするお姉様の傍ら、ワイン片手にソリュードお兄様がにやりと不敵な笑みを浮かべている。……それは、お父様譲りの精悍なお顔にあまりにも似合いすぎる表情で、わたくしの友人たちが見ればくらくらしそうなほど魅力的なのは、果たしていいのか悪いのか。


「跡継ぎどうこうの前に、まず足元の地盤と、『最愛の妻』の様子を確認しろと言ってやりたいところだがな。何よりその愛人とやらの背景も、本来は()()()()()()()()()()調査すべきだろうに。次代の伯爵の母になる予定の女性となれば尚更だ」


 最初の二つは既にある程度把握しているけれど、よく知らない愛人の背景については、何となくその物言いで察してしまうものがあった。

 ひとまず情報の共有をさせてもらうことにする。


「モニクス家と夫人の現状は、噂であれこれ聞こえてはきますけど、実際の酷さはそれ以上だったりしますの?」

「何せ夫婦揃って、アリス嬢や家そのものにまつわる悪評をまともに払拭しようとすらしていないからな。嘲笑を避けて社交を控えるにしても、それならそれで事業や領地運営に力を注げばいいものを、そういう真っ当なこともせず、当主は愛人にかかりっきり。夫人はその当て付けに夫名義で、値の張るあれこれをあちこちで衝動的に買い漁る。そんなことしかしていなければ、当然資産は減る一方だろう?」

「それでなくともお父様、もとい伯爵は、夫人とアリスにあれこれ贅沢を覚えさせた上、アリスの結婚式の準備には相当な額をつぎ込んでいたから……屋敷の大半が既に抵当に入っていたとしても、私は特に驚きはしないわ」

「何と言うか、絵に描いたような転落劇ですのね……伯爵夫人は、前夫人(叔母様)の生前のお気持ちを、少しでも理解してくださったのならいいのですけど」

「欠片ほども理解していたら、『どうして私がこんな目に遭うの……!? 私と『真実の愛』で結ばれているはずの旦那様が、浮気をするだなんて……あんまりだわ。私が一体何をしたと言うの………!?』なんて、悲劇のヒロイン気取りの愚痴はこぼさないのではないかしら」


 呆れるしかない発言の情報源は、モニクス家の侍女長とのこと。伯爵夫妻や妹と違って、使用人たちはお姉様に出来るだけのことはしてくれていたらしい。フェルダ本邸の侍女長が高齢で引退間近なので、情報源の彼女にはその後釜を引き受けてもらう約束なのだとか。

 他の使用人たちにも、希望があれば本邸で働いてもらうか、紹介状をお姉様の方で書くつもりでいるそうで……この場合は、寛大、よりは公平と評すべきだろうか。

 次男の軽挙を改めて詫びるクライトン伯爵夫妻とも、異母妹(アリス)を止められなかったのは自分も同じで、フレッド様を巻き込んだのはこちらの方だからと、妙にしみじみ語り合っていたのは記憶に新しい。


 ちなみにそのフレッド・クライトンは、先日この家を訪ねてきて深々と頭を下げ、お姉様に正式な謝罪をした。

 結局のところ彼は、可憐な外見の令嬢にほんの一時(いっとき)惑わされただけで、本来はまともな判断力を持った、誠実かつ真面目な人なのだろう。……あのイモウトモドキがお姉様にまとわりつこうとする際の、客観的な視点というものを完全に無視した言動と、自分の見方とその正しさを絶対的と信じて疑わない愚かさや傲慢さを、実際に何度も見せつけられれば、危機感を覚えるのはごく当然と言える。又聞きのわたくしでさえ大いに気分が悪くなるくらいなのだから。

「『もっと前にさっさと気づいておけ』と言いたいところだが、それはそれで現状がかなり変わるから悩ましいところだな」とはソリュードお兄様の意見だった。まあ概ね同感ではある。

 フレッド殿はどういうツテがあったのか、北部辺境の街で事務方の職を得たそうだから、今後は無難な人生を送れるよう頑張ってほしい。


 さて、そろそろ本題の確認に入りましょうか。


「問題の愛人の件はつまり、ソリュードお兄様が関与なさった美人局(つつもたせ)という理解でよろしくて?」

「人聞きが悪いな。まあ、()()()()俺の友人が王都の裏社会の顔役で、そいつには血の繋がらない年下の、スズランみたいな叔母がいるってことだけは明かしておこうか」

「…………なるほど」


 愛らしい見た目に猛毒を宿す女性となると、それこそイモウトモドキが該当しそうだけれど、彼女と違って毒を自覚しつつ存分に有効活用するのがその愛人というところだろうか。

 察するに、系統としては現モニクス夫人と似た容姿なのかもしれない。風に倒れそうなほど繊細な儚げ美女が根っからのお好みなら、凛とした気品と華やかさを兼ね備えていた叔母様(先妻)を伯爵がお気に召さなかったのも納得はできる。それならそもそも求婚するなという話ではあるし、持参金目当てだったとしても正妻として娶った以上は、叔母様とその娘(リーゼお姉様)への扱いは論外の一言でしかないのだけど。


 そのお姉様は小首を傾げて、夫に首尾の確認をしている。


「ライネラさんと仰いましたかしら。彼女、そろそろ伯爵のお相手に嫌気がさしている頃ではありません? それでなくともあの方は、他に恋仲の男性がいるのでしょう?」

「そこは仕事(ビジネス)の一環として割り切ってるんじゃないか。いい標的(カモ)として提示した時に真っ先に名乗り出たのが彼女で、最終的に愛人役を任せると決めたのはその恋人兼甥っ子だしな。……とは言えあいつも、モニクス家に本格的に牙を剥く頃合いを見計らってはいるだろうが」


 黒い何かを漂わせて微笑むのも結構ですが、ご友人にまつわる衝撃の関係をさりげなく明かすのは如何なものかと思いますわよ、お兄様。この場にその事実を口外する者などは、使用人たちを含めて誰も存在しないのは間違いないとしても。


 ……それはさておき、別の事実としてモニクス伯爵は、王都の裏側を仕切る重鎮の恋人に手をつけたことになるわけで……伯爵家が既に多額の借金をしているとすれば、その証文もお兄様の友人の手にある可能性は極めて高い。

 となると、伯爵の未来に待ち受けるのは──破産で踏み留まれれば上々、最悪は物理的な破滅というところかしら?


「クロディーヌ。せっかくの綺麗な顔が色々と台無しになってるぞ」

「あら嫌だ。やっぱりわたくしはソリュードお兄様の妹ですのね」

「いや、黒さの度合いについては、お前の方が俺よりよっぽど上だろう」

「まあっ、妹とは言えデビュタントを終えたレディに対して、そんな物言いをなさるなんて紳士失格ですわよ!」

「レディか。クロディーヌがレディねえ……うーん……」

「お・に・い・さ・ま?」

「いででででで! 耳を引っ張るな耳を!!」

「だってお兄様たちにせよお父様にせよ、ウォルサルの男性は鍛錬が日課ですから余分なお肉がなくて、引っ張ったりつねったりしやすい場所がないんですもの。動きやすいように髪も短いですし」

「長ければ引っ張る気満々なのか、あだだだだ」

「クロディーヌ、流石にそのくらいにしてさしあげて? ソリュード様には私からもしっかり言い聞かせておくので。ね?」

「リーゼお姉様がそう仰るのなら。よろしくお願いしますわ。

 もう遅いですし、わたくしはそろそろ休ませていただきますわね。おやすみなさいませ」

「ええ、おやすみ。……大丈夫ですか、ソリュード様?」

「ああ、何とか」


 と答えたお兄様が、触れてきたお姉様の手に遠慮なく頬擦りするのを視界の隅に捉えながら、わたくしは部屋を後にしたのだった。

 ……いくら(わたくし)が席を外したからと言って、まだ侍女たちや侍従が傍にいる状況で、いきなりお姉様を押し倒したりはしないだろう。いくらお兄様でも。

「お前は俺を何だと思ってるんだ」とお兄様に突っ込まれそうなことを考えつつ、明日の予定を頭に描く。


「お姉様と一緒に、フォルテス家のお茶会に招かれているのだったわね。令嬢のロザンナ様とは、来年から通う王立学園では同級生になるから、親睦を深めるのはやぶさかではないけれど、兄君がねえ……外見はランベルトおじ様そっくりで、エリスおば様もさほど黒いお方ではないのに、どうしてご子息はあんなにも腹黒いのかしら」


 社交界の評判は、『心身ともに父親によく似た、爽やかで麗しい理想の貴公子』なのだそうだが、本性を見たことのある身としては違和感しかない。

 敬愛する筆頭公爵夫妻とその令嬢はともかく、嫡男に関しては、わたくしの中では『あまり親しくなりたい人物ではない』カテゴリーにしっかり収まっている。腹黒さについて他人のことを言えない性格だということは、それなりに自覚しているつもりだけれど。




 そんな愚痴を言いつつも、リーゼお姉様と一緒にそれなりに楽しい社交界ライフを過ごしていたが。

 シーズン終了間際、お姉様が体調を崩したことで、フェルダ家とウォルサル家に軽い騒動が巻き起こった。

 まあ要するに、結婚後半年のフェルダ夫妻が早くも第一子を授かったということなのだけれど。結婚四年目で双子を含めた三人の子持ちのレイナスお兄様といい、兄たちの仕事の早さには感心するか呆れるべきか、いつもながらとても判断に迷う。

 初めての経験に戸惑うお姉様を気遣いつつも時は過ぎ、お姉様は年明けすぐに男の子を出産した。母子ともに健康で、ソリュードお兄様は勿論、ウォルサル家の皆も遠慮なく喜びを爆発させた。

 かく言うわたくしも、三人目の甥っ子エーリックには完全に魅了されてしまっている。三ヶ月後に控えた学園入学を「一年延期しようかしら」と半ば本気でつぶやき、お母様を筆頭とした身内の苦笑を誘ってしまったくらいである。


 そう言った諸々の忙しなさが落ち着いたのは、学園入学から二ヶ月が過ぎた頃。

 最初の試験を手応え充分で終え、寮でくつろいでいる時に、実家から手紙が届いた。


「いつもの定期便と……あら。元モニクス伯爵夫妻の続報ね」


 モニクス家自体は、あれからそう間を置かず、拍子抜けするほどあっさり没落した。手放した爵位と領地は国に返上され、王家の直轄地になったという。領民たちの生活が守られたことに、妊娠判明から間もないお姉様はほっと胸を撫で下ろしていた。お姉様が見切ったのは父親夫婦と異母妹だけであり、それ以外の者たちが元家族の巻き添えになることだけは避けたいと思っていて、ソリュードお兄様の友人もそこは了解していたのだろう。

 その元伯爵夫妻は、家屋敷を手放しても足りない借金の返済のため、夫は裏カジノの、妻は娼館での下働きをさせられていると聞いている。

 わざわざ続報をよこしたとなると、二人の境遇に変化が生じたということなのだろうけれど──


「……あらあら。これはこれは」


 目を通して思わず声を上げてしまった。

 お茶のお代わりを入れ終えた腹心の侍女が、表情には出さないが目で訊ねてきたので、開いた手紙をそのまま差し出す。


「ラナも見る? 例の夫妻が亡くなったそうよ」


 夫はカジノの金を盗もうとして捕まり、粛正と見せしめのために処罰されたらしい。詳細は明記されていないものの、楽に死ねなかったことは行間から窺える。

 妻についてはもう少し詳しく書かれていた。元貴族夫人の肩書きから、娼婦たちの教養やマナーの教育係に昇格するも、あまりにも使えなすぎて一日で下働きに逆戻りしたそうだ。


「ぷっ……失礼いたしました。こらえられなくてつい」

「いいわよ。気持ちは大いに分かるもの」


 それが原因か、もしくは痴情のもつれでもあったのか。彼女は娼婦の一人に切りかかろうとして、用心棒に撃退、処分されたのだという。


「何と言いますか、何とも言いようがない最期ですね」

「そうね。ただ、夫婦揃って同じ日に亡くなったのは、単なる偶然か、それとも流石は『真実の愛』とやらで結ばれたお二人というところかしら?」

「おやめください、お嬢様。あんな不誠実極まる輩に『真実の愛』などを騙られてしまっては、愛というものが穢れてしまいます」


 無感情な声にはあまりにもそぐわない言葉を紡ぐ侍女に、ついつい笑ってしまう。


「ラナったら。いつもは徹頭徹尾現実主義なのに、愛に関しては意外と理想化しているのね?」

「現実を見ているからこそ、ですよ。ウォルサル家に連なる方々は総じて皆様、心から愛し合う伴侶を見つけていらっしゃいますでしょう?」

「それはまあ、そうね」


 身内の夫婦仲の良さは、今更あえて振り返るまでもない。お母様は後妻だけれど、お父様と亡き先妻──お兄様たちのお母様の仲も、政略ではありながら良好だったとのことだし。

 ソリュードお兄様については、文句なしにリーゼお姉様を大事にしてくれている。時々見ていて胸やけがしそうになるものの、お二人が結ばれてよかったとしみじみ思う。

 その意味では、イモウトモドキもといアリス嬢の取った行動は、とにかく腹立たしくはあれど、結果的には良い方に転がるきっかけになってくれたのだろう。


「もしもの話、当のアリス嬢が生きていてお姉様の現状を知ったら、一体どんな顔をするかしら?」

「『大好きな姉君』と『最愛の男性』が仲睦まじく過ごされるご様子に、感激のあまり大粒の涙を流したのでは? もしくは、お二人の醸し出す甘い空気に耐えられず、その場を逃げ出すかもしれませんが」

「ううん、どっちもありそうだわ。そう考えれば、彼女が亡くなったのはとても残念ね。結婚式に参列してもらえたなら、答えを目の当たりにできたのに。……まあ、場をわきまえない騒ぎを起こす可能性が限りなく高い以上、現状が一番なんでしょうけれど」

「仰る通りです。ソリュード様とリーゼロッテ様の門出を台無しにしないためにも、最善の結果だったかと」

「逆にアリス嬢(あのひと)にとっては、選択肢を間違え続けた結果でもあるのよね。──仮に、一つでも彼女が違う選択をしていたとしたら、事態はどう転んだのやら」


 ──そんなつぶやきが、死に際のアリス嬢の思いとよく似た内容だったことなど、わたくし自身には知るよしもなく。

 そして、彼女の無念が有り得ないはずの現象を引き起こしたことにも、気づく術を持つ者は誰もいなかったのだった。

 もっとも、万が一気づけたとしても、()()()()()できることなどはもう何もなかったのだけれど──




本編はここで完結です。続編予定なので、終わり方はそれらしくありませんが。


選択肢だの何だのを匂わせている通り、続編はいわゆるループものです。勿論ループするのはアリス。彼女にはもう少し色々と思い知ってもらうつもりなので。

ループ回数は二、三回くらいで、各二話程度を予定しています。場合によっては増えるかも。

アリスが何とか生存ルートに入れるまで持っていけるかどうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 悪役が全員綺麗に退場したこと、魔が差しただけの元婚約者が目を覚まして再出発できた事。 [一言] ざまあされた愚かだったり性悪だった人間が逆行で改心して・・・まではいかずとも、何が不味かった…
[一言] 続編楽しみです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ