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傲慢の末路  作者:
本編
3/19

第3話・アリス/リーゼロッテ/クロディーヌ

 ウォルサル家に一泊させてもらい朝一番で帰途につくと言うフレッド様と別れ、私はすぐにお姉様のいるフェルダ邸へと向かうことにした。


 用意してもらった馬車は大きくてとても快適で、少しだけウォルサル夫人を見直した。ひょっとしたら、私の悪い噂を聞いたせいで当たりがきつかっただけで、本当は悪い人ではないのかもしれない。

 そんな風に思っていた時だった。


 ──がたん!


「きゃあっ!」


 突然馬車が大きく揺れ、急停止したせいで、危うく座席から放り出されそうになる。


「な、何……!?」


 驚きに高鳴る胸を押さえていると扉が開き、ウォルサル家の御者が顔を出す。

 とは言っても、背後から射す夕陽が逆光になっているため、表情や目鼻立ちはほとんど見て取れない。出発の時も帽子を目深にかぶっていて、挨拶をしてもぶっきらぼうに応じただけだったので、はっきり言うと良い印象など全くなかった。

 でも、他に人のいないこの状況で、頼れるのは彼しかいないのだから我慢しないと。辺境伯家の使用人ならそれなりに教育は行き届いているはずだし、いくら二人きりだと言っても、伯爵令嬢である私に対する身の程知らずの下心のようなものを、彼が抱いている様子は良くも悪くも皆無なので、そこのところは安心できる。


「申し訳ありません、お嬢様。どうやら車輪が道の凹みにでも嵌まったのか、動けなくなってしまったようで。どうにかして押し出さなければ先には進めませんが、私一人の力では……」

「そんな……! 困るわ! 私はできるだけ早く、ソリュード様やお姉様を訪ねなければいけないのに!」


 焦る私をなだめるようなことはせず──別に期待もしていなかったけれど──、男は変わらず淡々とした声で、冷静な意見を述べてくる。


「先ほど通りすぎたところに民家がありましたから、そこに協力を頼むとして……私の足で行って帰って来るだけでも、一時間は必要かと。それから出発するとしても、フェルダ邸に着く頃には完全に日は落ちているでしょう。……実のところ、ここまで来たのなら、馬車の入れない森を徒歩で突っ切った方が早く目的地に着けるんですが」

「!! そうなの!?」


 朗報を聞いて目が輝いたのが自分でも分かった。

 それが事実なら、こんなところでじっとしてなどいられない。


 体格のいい御者の手を借りて外に出れば、見たこともないほど大きく美しい夕陽に照らされる中、眼下に広がる黒い森の向こう側に、飾り気はないが頑丈そうな造りのお城が見えた。


「あのお城がフェルダ家のお屋敷です。もとはウォルサル家の別邸でしたが、六代前の当主様の弟君が分家となり、フェルダ子爵を名乗られるようになったのだそうです。初代の孫の代で一度は途切れたものの、昨年ソリュード様が新たにご当主となられて──」


 どこか誇らしげな、既視感を覚える声音で紡がれる言葉はしかし、私の耳を右から左に通り抜けていく。

 もうすぐソリュード様に会える喜びの前には、御者の声などは言うまでもなく、フェルダ家の歴史も何もかもどうでもいいことでしかなかったから。


「つまり、この小道を下りてまっすぐ森の中を行けば、あのお城に着けるのね!?」

「……はい。まあ、そうです。ただ、きちんとした道ではない上、それなりに距離はあるので、ご令嬢の足では少々厳しいかもしれませんがね」


 説明を遮られたせいか口元を引き締めた御者は、あまり心配そうではない口調でそんなことを言う。

 忠告はありがたいけれど、私はお姉様のように、生粋の貴族令嬢というわけではない。


「大丈夫! 私はもともと庶民育ちだから、歩き回ることには慣れてるの! 子供の頃は友達と、町外れの森で秘密基地を作ったこともあったくらいには活発だったのよ」

「そうですか。……生憎ここは、町外れの森なんかとは違いますよ」


 付け加えられたつぶやきはあまりに低く小さくて、私の耳には届かない。


 送っていきたいが馬車を放ってはおけないという御者をその場に残し、私は意気揚々と峠を下って、振り返りもせず森へと入っていった。


(待っててくださいね。ソリュード様、お姉様)


 ──だから、知らなかったし気づかなかった。

 私の背中が木々の向こうに消えてからしばらくして、一服していた御者が立ち上がり、ひらりと元の席についたことも。

 彼が再び軽やかに馬車を操り、何事もなかったように目的地──フェルダ邸へ向けて走り去ったことにも。


 そして、森の中の道に関する御者の言葉が、「障害物が多いため道そのものが曲がりくねっているので、慣れない女の足では到底、日が沈むまで森を抜けられない」という意味であり、実質的に「森を徒歩で突っ切る」なんて不可能なことに私が気づいたのは、あらゆるものがとうの昔に手遅れになってからのことだった。




「お疲れ様ですわ、お兄様!」

「お帰りなさいませ、ソリュード様。御者ごっこは楽しまれまして?」


 フェルダ邸の玄関ホールにて、従妹のクロディーヌとともに出迎えた私に、ウォルサル家の制服を実にしっくりと着こなした現フェルダ子爵は、普段通りの不敵な笑みを見せ、やはりいつものように優しく捉えた手に唇を落としてきた。


「ただいま、リーゼ。こうして最愛の女性に出迎えてもらえるのは、数ある至福の中でも最高の瞬間の一つだな」

「相変わらずお上手ですわね。書斎にエールを用意してもらいましたので、よろしければそちらでおくつろぎくださいな」

「君が同席してくれるなら喜んで」

「もうっ、お兄様! 可愛い妹のことは完全に無視ですの!? そんな風につれなくされてはわたくし、リーゼお姉様との二人きりのお時間を、徹底的に邪魔したい衝動にかられてしまいますわよ!」

「ああ、わかったからそんなに拗ねるな! お前の邪魔は洒落にならないレベルになるから、本気でやめてくれ。それでなくとも、クロディーヌはあらゆる意味で義母上そっくりなのに」


 ぷくぅっ、と頬を膨らませるクロディーヌの頭をぽんぽん撫でる様子は、何だかんだと妹に弱い兄の図で、ついつい笑みがこぼれてしまう。


 ソリュード様にエスコートされて書斎のソファに腰を落ち着けた時にも、私の顔にはまだ微笑の名残が刻まれていた。


「楽しそうで何よりだが、そんなにいいことがあったのか?」

「いいこと、と言いますか。ソリュード様のようなお兄様がいて、クロディーヌが羨ましいと思ったものですから」

「……リーゼ? 知ってるとは思うが、俺は君に兄として見られたいなんて考えたことは一度もないからな?」


 言いながら隣に座った彼が本気で拗ねているようで、ますます笑みを誘われる。外見は正反対と言っていいくらいなのに、こういう時の態度はクロディーヌとよく似ていて、やはり二人は兄妹なのだと和んでしまった。

 ……けれども、いつまでもそうして現実逃避をしてはいられない。


 自然と楽しい気持ちは消え、本題を切り出すために、膝の上でぐっと手を握りしめた。


「……それで、ソリュード様──アリスは、今?」

「ああ。彼女なら──」


 と、異母妹がほぼ予想通りの行動を取ったことを聞かされ、あれこれの複雑な感情にしばし目を閉じる。


「そう、ですか……本当にあの娘はどうして、あんなにも私のものに執着したのかしら。よりにもよって、日暮れの森に一人で踏み込むことを選ぶほどの動機が、私には未だに想像すらできませんわ」

「うーん。それなんだが……俺の個人的な意見としては、いわゆる『試し行動』と言うか、()()()()()()()愛情確認作業みたいなものじゃないかと思うんだ」

「……はい……?」


 予想外のことを言われ、何とも間の抜けた声を上げてしまった。


「ほら。今更すぎるが、リーゼは異母妹(彼女)のことは、今も昔も全く愛していないだろう?」

「ええ。お母様を悩ませた愛人の娘ですし……同居早々に、よりにもよってお母様の形見に目をつけるだけならまだしも、それを強引に取り上げたお父様の、『()からのプレゼントだ』などという戯れ言を信じて疑いもしない無邪気さには呆れましたわ。その後、聞き分けがないからと三日ほど部屋から出してもらえなかった私に対して、『もう体調は大丈夫なんですか、お姉様? 何日も寝込んだなんて、とても心配です』と、あのペンダントを身に着けて尋ねてきたあの娘の顔を、ひっぱたかずにおくのにどれだけ苦労したことか。『どうして私が体調を崩したのか、理由に心当たりはないの?』と聞けば、意味も分からず首を傾げるだけでしたし」


 とは言え、確かに当初のアリスの立場からすれば、父の言葉を疑う理由はなかっただろう。だから、問題がペンダントの件だけで済んでいたなら、時間はかかってもいずれ、彼女に対して姉妹らしい情が湧くことが有り得たかもしれない。──無論、そうはならなかったのだけれど。


「──つまり。私に欠片も愛されていないことを最初から感じ取っていたために、あの娘は私の注意を引きたくて、この五年間ずっと、おねだりという名の試し行動をし続けてきたと? 一人で危険な森に踏み入ったのも、その延長上の行いだと……」

「確証はないにせよ、アリス嬢にフェルダ家について少し語ってみても、何にも反応を示さなかったからな。わざわざ王都から辺境(ここ)まで押し掛けてくるほど興味がある対象が俺なら、その周辺情報に一切食いつきもしないのはおかしいだろう? だから結局、彼女が執着してるのは俺じゃなく、姉のリーゼだとしか思えない。

 ──彼女の経験上、おねだりをすれば経過はどうあれ、『大好きなお姉様が大事にしているものを()()()()()()()()()()()()』を手に入れることができていた。つまるところその『結果』が、彼女にとっては『お姉様に愛されている何よりの証』だったのかもしれないってことだ。

 あくまでも、彼女のことをろくに知らない俺が、話を聞いただけで組み立てた推測ではあるけどな。逆に、両親からと同じくリーゼにも心から愛されていると根拠なく確信した結果、『自分が何をしても姉は許してくれる』とかいう、実にろくでもない思い込みで行動したとも考えられるから。

 もしどちらかが正解だったとしても、アリス嬢本人は何ら意識していなかったろうし、今までやらかしたことの積み重ねがやりすぎどころの話に留まらないのは、どうやっても変えようがない事実だが」


 ソリュード様の言葉は、理屈は通らなくもないが、理解に少々の時間を要する程度には衝撃的なものだった。

 それでもどこか納得せざるを得ず、くらくらと目眩を覚えながら力なくつぶやく。


「では、私は……姉として、アリスを止めるために何かをすべきだったのでしょうか。関わりを避けようとするのではなく、きちんとあの娘を愛して叱ってあげられれば、こんなことには──」

「それはない」

「……え」


 いともあっさり否定され、目をぱちくりさせれば、ソリュード様は優しく笑って私の頬を手で包み込んでくれた。


「そもそもの原因は、リーゼが嫌がることを何度も繰り返して恥じないように娘を育て上げた、現モニクス伯爵夫妻にある。彼女の意識を率先して矯正すべきはずの両親が、逆に徹底的に彼女を甘やかし続けていたわけだから、第三者が関与する隙も何もあったもんじゃないのは自明の理だ。リーゼ一人がどうにかしようとしても、徒労だけで終われば御の字だろう。

 何よりも、だ。どんな理由があれ、自分の大切なものをあれもこれもと次々にねだって奪い去り、ようやく離れられたかと思えばしつこく近づこうとしてくる存在(ストーカー)に対して、心底からの愛情を抱ける人間は、よっぽどの聖人か間抜けでしかないと俺は思うんだが、リーゼはどうだ?」

「……ソリュード、様……」

「ん?」


 微笑む顔と、(にじ)んだ涙をぬぐってくれる指があまりにも温かくて。

 私の口元も、知らず知らずのうちに笑みの形をとっていた。


「…………はい。私も、そう思いますわ」

「よかった。価値観が合うようで何より」


 いつものように軽い調子で言い放つソリュード様は、私の頬から手を離し、胸ポケットから何かを取り出した。

 そして──熱を宿した首筋に、不意に冷たく細いものが当たる。


「……あ。これは……アリスから取り戻してくださったのですね」

「義母上がな。俺はただ、無事に取り返せたからきちんとリーゼに返すようにと言いつかっただけだ」


 灯りを弾いて胸元に輝くのは、五年前に手放さざるを得なかった、お母様の形見。

 ペンダントトップを両手で包み、ようやく手元に戻ってきた嬉しさと、それと同じほどに強い想いを噛み締めていると、無骨な、けれど温かい手のひらが再び頬に触れ、唇が流れる涙を吸い取ってくれる。


「……ありがとうございます、ソリュード様。本当に、何から何まで……もう何と申し上げればいいのか」

「リーゼが喜んでくれたならそれでいい。

 何度も言っているように、俺は勿論、義母上やクロディーヌ他ウォルサルに連なる人間は皆、これからリーゼを一人きりにしておくつもりは全くないんだから、肝に銘じておいてくれよ?」


 ──元の家族とは違って。という言外の声は、私の心の奥深くに酷くゆっくりと、けれど確かに沁み込んでいった。


「……はい。喜んで」


 広い胸に寄り添い、浅黒い頬にそっと口づければ、おもむろに唇が奪われる。

 力強くはあるものの明らかに加減がされた温かい腕に身を委ねつつ、私はようやく、欲しいものに積極的に手を伸ばす決心をした。


「ソリュード様。……どうか、私と結婚してくださいませんか?」




 リーゼお姉様とソリュードお兄様はようやく素直に想いを交わし合い、二人でお姉様のお部屋──実はお兄様のお隣の部屋なのだけれど──に引き揚げ、翌朝まで存分に甘い時間を過ごすことにしたらしい。


「よかったわ。一安心ね」


 食堂で一人、夕食を終えた私クロディーヌは、適当なタイミングでお二人に食事を運ぶよう指示を出してから、バルコニーへの窓に近づき、暗闇の向こうを透かし見る。


「先ほどからずっと、森の気配がいつもと違うようだけれど。何かあったのかしら?」

「何でも、()()()()()()()()()()()が、考えなしに足を踏み入れてしまったのだとか。ご存知でしょうが、あの森には貴重な薬草が群生する一方で、薬草に見た目の似た有毒植物や毒虫の楽園でもありますので、一般的な野生動物は生息しておりません。人間が入り込んだ場合、素人ではよほどの幸運に恵まれなければ生還は不可能な場所なのです。

 そのような次第ですのでクロディーヌお嬢様には、間違っても見物になどお出かけになることのないよう、当家使用人一同、心よりお願い申し上げる所存でございます」


 お兄様の忠実な執事に恭しく頭を下げられては、不満はあっても我がままは言えない。


「言われなくともわざわざ入っていく気はないけれど、残念だわ。リーゼお姉様に付きまとうイモウトモドキとかいう希少で厄介な生き物を、真っ向から叩き潰す機会がなくなってしまったみたい」

「そのような代物を()()するのに、あえてお嬢様のお手を煩わせる必要はございません。万が一にも生きて森を抜けてきたとしても、近くフェルダ家の女主人となられる御方に害を為そうとする存在には、我々が責任をもって()()()()()をいたしますので」

「その時には間違いなく知らせてちょうだいね。関与はしないけれど見物はしたいから」

「かしこまりました」


 お兄様が聞けば「そこでかしこまるな!」と突っ込みが入りそうなやりとりを終え、わたくしは自分用の客室に戻りながら、闇の向こうに広がる森を眺めやる。


「──せいぜい、息絶えるまで苦しんでちょうだいな。お姉様が五年に渡って味わった苦痛と同じくらいには、ね」


 と、わたくしが心からの願いをこめてつぶやいた通り。


 翌日の午前、フェルダ家の使用人たちが山狩りならぬ森狩りをしたところ、屋敷側から六割程度の距離を入った地点で、透けるような白い肌のあちこちを毒々しい斑点で彩られ、苦悶の表情をした令嬢の遺体が発見された。



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― 新着の感想 ―
現代日本の刑法的にはせいぜい接触禁止令くらいの罪状だけど、執着される方としてはいっそ遠くで事故死でもしてほしいと思うのは否定できない。一生付きまとわれるとか無理。 むしろ元婚約者の行いの方がもにょる。…
殺す必要性は無いから殺しはしなかったし納得 でも何か勝手に死んだけど ダーウィン賞あげちゃいたい
妹を殺す必要性は、なかったでしょう。一人で森に入ったといっても、この森に入ることは死と同じと忠告しなかったのだから、殺したのも同然だと思う。義理の姉が殺したとは思っていませんが、物語として殺すまではと…
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