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傲慢の末路  作者:
続編〜最終ループ・アリス
17/19

③ー3

 ひとしきり悲しんだ後、それでも何とか前向きに教育を受けさせてもらったものの、私は結局以前の通り、二年ほどの白い結婚生活を得てディント家から離縁された。


 そうして私は再び王都に戻ってきた。勿論、平民として。

 けれど思うところがあって、住む家は幼い頃のそれとは違う場所にした。かつてお母様と住んでいた家から遠ざかりたかったのだ。

 お父様とお母様と、家族で過ごした家。そう表現すれば、規模の差はあれ、あの小さな家もモニクス邸も同じだった。でもそれは事実ではない。私はただ、「真実の愛」とやらで結ばれた二人が、家族ごっこを楽しむための付属物でしかなかった━━思えばお父様は勿論、お母様も嫁いだ私に対して、心配したり結婚生活の様子を聞くような連絡を寄越すことは一度もなかったのだから。子供を愛する親ならば、祖父の年齢に近い男性の妻となった娘をどう思うかなんて、自明の理のはずなのに……


「……私が守ろうとしたものって、一体何だったのかしら」


 そんなことをつぶやきながら、久しぶりの休みの日に露店を見に行く。かつてのようにサイとではなく、一人で。


 特に目的もなく店を眺めて回っていると、どこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「意外ですわ。シグルド様が平民向けのお店を見て回ることに賛成してくださるなんて……それもしっかり平民の服装までなさるんですもの」

「ふふっ。こういうお遊びは細部にこだわってこそ楽しいものさ。そう言うクロディーヌ嬢も、口調以外はしっかり商家の娘のように装えているみたいだな」

「さして親しくもない筆頭貴族家の嫡男様を相手に、口調を崩すのは至難の技というものですから」


 ツンツンした態度のクロディーヌ様は記憶にあるよりも大人びていて━━思えば二年も経っているのだから当然かもしれない━━、その隣、頭一つ分ほども背の高い美青年はそれはもう楽しそうにくすくす笑っている。……どうでもいいけれど、二人とも服装や振る舞いはともかく、その美貌で周囲の目を釘付けにしていることを自覚しているのかいないのか。

 一応面識があり平民を装っている相手なので挨拶しようかとも思ったが、シグルド卿はともかくクロディーヌ様とは、今回の人生で顔を合わせてもいないことに気づき取り止める。正直なところ、何を話していいかも分からないし……お姉様のことをいきなり聞いても教えてもらえるとも思えない。


 そんなことを考えていたところに、後ろから声がかかった。


「あれ。もしかしてアリス嬢かい? 数年ぶりに会うけれど元気そうだね」

「!? ディ、ディオン様……! お久しぶりです」


 反射的に淑女の礼をとってしまった。貴族街でも何でもない街中では、あまりにも場違いだとすぐに自覚して顔が熱くなったけれど……どうやらそれとは違う意味で、ディオン様とその連れの女性を驚かせてしまったらしい。


「へえ……これはまた、意外なほど板についた振る舞いだね? 記憶にあるのとは大間違いだ」

「ディオン様。この方は、以前話していらした元令嬢ですわよね? それにしては、伺っていたのとは随分と……」

「ええ、そうですよ、ロザンナ様。正直僕も驚いています」


 女性、と評したがよく見れば少女だ。それも私より年下の。

 艶やかなブルネットのストレートヘアに、やや幼げながらどこまでも淑やかな美貌。先ほど見たシグルド卿とクロディーヌ様、隣にいるディオン様と比べると決して目立ちはしないが、その存在に気づいてしまえばどこまでも目を惹き付けてやまない、不思議な雰囲気をまとっている……そんな少女の名前であろう「ロザンナ」という響きは、どこかで聞き覚えのあるものだった。

 あれは確か━━


 考え込む私を前に、何やらアイコンタクトを交わしたお二人は、ひとまず初対面の紹介と挨拶をしてくれた。


「ロザンナ様。こちらは元モニクス伯爵の次女アリス嬢です。アリス嬢、こちらの方はフォルテス家ご長女ロザンナ様だ。君も以前お会いしたシグルド様の妹君でもいらっしゃる」

「初めまして、アリス様。ロザンナ・フォルテスですわ。あなたのお姉様リーゼロッテ様には、何かとお世話になっておりますのよ。もしよろしければ、あなたからのお話もこれから色々と聞かせていただけると、とても嬉しく思いますわ」

「よ、よろしくお願いいたします……ですが私はもう、どのような意味でも貴族ではなくなりましたので、フォルテス家のお方に敬語を使われてしまうのは居心地があまり……」


 モニクス姓など名乗れないし名乗るつもりもない、単なる一平民でしかないのに、よりにもよって筆頭貴族のご令嬢に丁寧に接されるのはあまりにもむず痒い。

 そんな私へ、ロザンナ様はころころと笑いながら言う。


「まあ、細かいことはお気になさらないで。せっかくですし、ゆっくりお話しできるところに参りましょう」




 そう言われて連れていかれた先は━━よりにもよって、フォルテス家のタウンハウスだった。

 何故!? と混乱する私の前に美味しそうな紅茶とケーキが出され、同じテーブルにはロザンナ様とディオン様が笑顔で座っている。クロディーヌ様やシグルド卿がいないのは一安心ではあるけれど……でもきっと、シグルド卿にはここでの話はいずれ伝わるのだろうと、漠然とながら確信していた。


「さて、アリス嬢。早速だけど聞いてもいいかい? 君が以前言っていた『モニクス家を立て直したい』という望みは、半分失敗して半分叶ったようなものだが、それについて君はどう思っているのかが気になっているんだ」


 率直なのかそうでないのか判断に困る言い回しだが、言いたいことは分かる。

 無事に……と言っていいのかはさておき、お父様は破産して伯爵の地位を失い行方知れず。お母様もそれは同様で、肝心のモニクス領はディント家のものとなり滞りなく運営されていると噂に聞いている。離縁の際に貰った手切れ金はまだ十分残っているので、その気になれば旧モニクス領まで行き状況を確認することもできるけれど、そこまでする気にはなれずにいた。

 ……良くも悪くも領地そのものへの関心が湧かないあたり、結局のところ私にとって大事だったのは「家族」であって、領地を含めた「モニクス伯爵家」ではなかったのだろう。その家族も今となっては、既に影も形もなくなってしまったけれど、不思議と心は穏やかだ。リーゼロッテお姉様にとっては「モニクス家の家族」よりもよほど大事な、モニクス領とその民たちが救われたのだし……お姉様としても、彼らが貴族としては不安の塊でしかない私ではなく、ディント家に委ねられた方が色々と気が楽だろうと、今更ながらに思う。

 ただ一点、私の心にはお姉様の形をした穴がぽっかり開いていて、そこには謝罪や償いができない辛さと後悔がぎっしり詰まっているが……こればかりはどうしようもない。両親に━━家族にまともな扱いをされない苦しみを、今回の人生でようやく実感するまで、私はモニクス家にいた頃のお姉様の心境を、理解どころか想像することすらしていなかったのだから。


 何故か巻き戻る人生のことは伏せておき、それ以外の素直な気持ちを打ち明ければ、目の前の二人はそれぞれに興味深げな反応を示してから顔を見合わせた。

 何だろう、と不思議に思う私にロザンナ様が尋ねてくる。


「では、アリス様。あなたはもう、リーゼロッテ様にお会いしたいとは思っていないのですね?」

「……はい。私はもう、お姉様━━リーゼロッテ様にお会いする権利も、謝る資格もないと思っています。ただ━━」


 口に出して認め、更にお姉様を名前のみで呼んだことで胸がきりきりと痛んだ。その痛みが、付け加えるべきでないことを口から押し出してしまう。


「ただ、何ですの?」

「……もしも、一つだけ叶うのでしたら。リーゼロッテ様が幸せでいらっしゃるお姿を、遠目に一目だけでも拝見したくて……高望みであることは分かっていますが」


 ぽつりとこぼした言葉は、けれど静かな応接間にはっきり響いて。

 それをきっかけに、二人の頭脳が高速で動き出したのが、何故か私にも感じ取れた。


「よし、決まりですね。ロザンナ様」

「はい。わたくし、早急に内輪のお茶会をセッティングいたしますわ。場所はどちらにいたしましょう? 場合によっては、ディオン様のお屋敷の方がよろしいかも……」

「いえ、こちらのタウンハウスにしましょう。サイストンゆかりの家にアリス嬢がいるのをもし悟られては、要らない誤解を招きかねませんし」

「? あ、あの……」

「あら、大丈夫ですわアリス様。万事滞りなく整えますので、しばしお待ちくださいませ。詳しくはまた後ほどお話しいたしますわね」


 当惑している私に、優しくも反論を許さない笑顔のロザンナ様がそう言った。


 そして、三十分ほどの後に詳しい話を聞かされた私は━━


「えええええ!?」


 と驚愕の声を上げたのだった。




 十日後。タウンハウスの中庭で優雅なお茶会が行われていた。

 出席しているのは三組のカップル。まずは主催者のロザンナ様とパートナーのディオン様。シグルド卿とクロディーヌ様━━こちらはカップル扱いが非常に不満げではあったけれど━━、それにフェルダ子爵ご夫妻ソリュード様とリーゼロッテ様である。

 いずれも以前からの友人だったり親戚だったりと、とても和やかで楽しそうな空気だが、私アリスはそれどころではなかった。何せ今の私は、フォルテス家の侍女の一人として片隅に控えているのだから。


『リーゼロッテ様の幸せなお姿を見たいのですわよね? それなら少しだけ頑張ってくださいな』


 と笑顔のロザンナ様に言い渡されてから、恐ろしくスパルタな即席侍女教育を受けさせられたのである。侍女頭によると、貴族らしい身のこなしは既に備わっているので、教える方としては実にありがたいとのことだったが、正直あまり嬉しくなかった。

 それでも何とか、私のいつもの仕事には影響が出ないラインを見極めてくれたようで、欠勤はせずに済んだけれど……毎日のように筋肉痛に苛まれたのはなかなかにきつかった。そのお詫びも兼ねて、一時的とは言え侍女としてのきちんとした給料と、希望があればフォルテス家から別の仕事を紹介してくれるという話もあったので、そこのところはまだ考え中にさせてもらっている。


 私の正体を知られては困るお三方のうち、クロディーヌ様に顔は知られていないので問題はないが、リーゼロッテ様と、すれ違い程度とは言え顔を合わせているソリュード様対策のため、私の顔は腕利きの侍女たちによりメイクで大幅に印象が変わっていた。……それでもソリュード様には、意味深な目で何度か見られていたが。記憶力か勘かは分からないけれど恐ろしい。


「ところでリーゼ姉様。エーリックは元気ですか?」

「ええ。最近ハイハイをし始めたところなの。お陰であちこちを動き回ることが増えて、なかなか目が離せなくてみんな困っているのよ。この前は、帰宅なさったソリュード様を出迎えようとしていたらしくて、部屋を出ようと扉にぶつかりかけたところを慌てて止めたわ」


 にこやかに尋ねるディオン様に、リーゼロッテ様もまた温かな微笑で答えた。それは、紛れもない母親としての笑みで……きゅうっと胸が引き絞られるように痛む。


「まあ、エーリックったら。誰に似たのかとってもやんちゃですのね。ねえ、ソリュードお兄様?」

「そりゃあ勿論、やんちゃな実の叔母に似たんだろうな。……いてっ、足を踏むなクロディーヌ! シグルド殿、本当にこんな妹でいいのか? 婚約の申し出を取り消すなら早い方がいいぞ」

「そんなクロディーヌ嬢だからいいのですよ。内輪の集まりだからこその振る舞いでしょうし、とても(手懐け甲斐があって)可愛らしいではありませんか」

「……何だか不穏な言葉が聞こえた気がしたのですけれど、気のせいですわよね、ロザンナ様?」

「さあ……お兄様のことですので、わたくしには何とも言えませんわ」


 私にも聞こえた言外の言葉が、クロディーヌ様に届かないはずもない。……まあそれでも、聞かなかったことにしたい気持ちはよく分かる。


 不躾にならない程度に見ていると、クロディーヌ様とお姉様━━リーゼロッテ様の手首にはお揃いのブレスレットが煌めいた。かつて私が手に入れようとして、二十年余りを費やしたものが。

 あれほど欲しくてたまらなかったものだと言うのに、今はまるで燃え尽きたかのようにその執着は消え去っている。

 だってもう理解してしまったから。……私が何をどれほど求めて手に入れようとも、リーゼロッテ様の愛情の証には決してならないのだと。


 私がいなくても━━むしろいない方が、リーゼロッテお姉様は幸せなのだと。


 こぼれてきそうな涙をこらえ、事情を知る侍女にそっと断ると、お客様方には気づかれないルートをたどって人気(ひとけ)のない控え室へ戻る。

 そうして、私は泣いた。これまで繰り返してきた人生で溜め込んできたお姉様への想いを、全て吐き出し洗い流すかのように。




 フォルテス邸に泊めてもらった私は翌朝、ロザンナ様とシグルド卿に別れの挨拶とお礼をしていた。ディオン様は昨日のうちに帰っていて、クロディーヌ様を送っていったらしい。


「残念ですわ。アリス様さえよろしければ、このままわたくしの侍女になっていただきたかったのに」

「こら、ロザンナ。気持ちは分かるが、本気の目で本人を見ながらそういうことを言うのはやめておけ。アリス嬢が断りにくいだろう」

「いいえ、大丈夫です。……お気持ちは大変嬉しいですけれど、私はとうに貴族ではありませんし、今後も貴族の皆様には直接関わらずに生きると決めましたから」

「まあ……そうですの」


 心底惜しそうに言うロザンナ様の隣、シグルド様がこんなことを言ってくれた。


「それは、私としても少し残念だ。ちなみに、リーゼロッテ様への伝言はあるかな? 手紙でも口頭でも、良ければ伝えるよ」


 見れば、いつの間にか執事が便箋と筆記用具一式を持って待機している。

 流石に公爵家の便箋その他を使わせてもらうのは……と遠慮したものの、これが何かを伝えられる最後だという思いと、ご兄妹の圧に負けて手にとってしまう。

 そうして、書いた文面はこうだった。


『どうか末永くお幸せに』


 言われるまでもなくリーゼロッテ様は既に幸せだろうし、私などに願われたところで嬉しくも何ともないだろうけれど、それでも本心を伝えたかった。

 これまでの私の人生で唯一、心からの幸せを願ったのがリーゼロッテ様━━お姉様だから。


 書き終えて封をしたそれを、シグルド卿に手渡す。


「分かった。確かに渡しておくよ」

「ありがとうございます」


 改めて深々と頭を下げ、私はフォルテス邸と貴族社会に永遠の別れを告げた。




 私アリスのその後の人生は、とりたてて山も谷もない平穏なものとなった。

 幼馴染みのサイと結ばれ、義妹のジェンナとも仲良く過ごし、子供や孫に恵まれて。

 五十年ほどが経ち、家族に囲まれて幸せなまま、私は息を引き取る。


(……こんな幸せな人生なら、また繰り返すのもいいかも)


 と、ほんの少しだけ思ったけれど……そのためにまた、誰かを不幸にしてしまうのは嫌だから。

 そう思えば後悔も何もない。私は心の底から満足して、現世を去ることにした。


(さようなら、私の人生。そして━━何より愛する家族たち)




無事にラストを迎えられました。お読みいただきありがとうございました。

……と言いつつ、実はもう二話エピローグがありますが。元凶の末路とその後のリーゼロッテについてちょろっと書いてますので、ご興味のある方はどうぞ。


何やかんやアリスのお花畑ネタ自体はたくさんあったんですが、結構な割合でお蔵入りになりました。もっとループが続けば披露できたかも……とも思いますけど、これ以上アリスが早死にする理由もループする理由もありませんのでね。

ただサイとアリスがくっつくのは正直書いてても予想外でした。賛否両論あるだろうなあとは思ってます。


今後は、番外編になる小ネタを思いついたらひっそり追加するかも?

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― 新着の感想 ―
サイはアリスのこと好きすぎだろー!w 一途な男だなぁ
 一見平凡に見える人生が、いかに幸せであるか実感しその通りに生きられるって十分良い人生だったと言えると思いますね。  テンプレお花畑ちゃんがまともなひとりの女性として生きられるようになるまでと考えると…
アリスのモンスターっぷりと、空回りと、気付きと、後悔と、そして学びのループ逆行、読みごたえがあり泣けました。彼女が穏やかな幸福と愛する家族を得られて本当に良かったです。それと同時に、思ったより早くゴー…
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