③ー2
初夜にひと騒動あった後、寝室に一人残された私は、ベッドに横たわりぼんやりと考えを巡らせる。
……また、こうなってしまった。
今回も何とか白い結婚にできそうでほっとしたが、問題はそこではない。
私は結局、自分の手でモニクス家を存続させることができなかった。つまりはリーゼロッテお姉様への償いを果たすことができないということで……
「……結果としては、領民たちを救うことには繋がったのかもしれないけど……」
けれどそれでは駄目なのだ。
ディント男爵家の狙いは、あくまでもディント家が伯爵位を得ることであり、そのための手段か人質として伯爵の娘である私を娶った。だからこのままでは、モニクス家は爵位は勿論、破産により家名そのものが残らなくなってしまうわけで、それは私が妻としての務めを果たそうと果たすまいと何ら変わらない。
どちらにせよ、そうなってしまっては意味がない。お父様だって家名がなくなることなど望んでいないはず━━
「……あれ?」
ぱちくりと目を瞬かせる。
そう言えば……私がこうしてモニクス家を離れてからというもの、お父様は一体何をしているのだろう。
今までは当然のように、破産を防ぐためにお父様もあちこちを駆け回っていると思っていた。結果的に実にはならなかったにせよ、お父様にはお父様なりの判断や目算があって私を他家に嫁がせたのだと。
━━けれど、本当にそうなのだろうか。
一方的な思い込みによる判断は禁物。何度も繰り返した人生で、私が得た教訓の一つだ。
「調べなきゃ……とりあえずは、そう。お母様に様子を訊ねる手紙を書いてみるのがいいかな」
とは言え、文面は少し考えなくてはいけない。事情を知らないだろうお母様相手にいきなり「破産が……」と切り出したところで、ただ混乱させるだけになってしまう。
まずはお互いの近況報告を交わす形からにしよう。結婚して即実家に手紙を書くというのも周囲からはおかしな目で見られかねないので、最低でも一週間後を目処に始めることにしようか。
そう決めて、お母様との文通を開始した結果。
最初は本当に日常的な出来事しか記されてくることはなく、安心と未来への不安を感じてそわそわしていたけれど━━数ヶ月が経過した頃から、徐々にお父様への愚痴が混ざり始めた。
━━最近旦那様がそっけない。知らないうちに出かけることが増え、寝室にも来ることはなくなった━━
「……お母様。娘に対してそんな赤裸々な報告はどうかと思うわ」
本人に届きはしないと分かっていても、思わずそうこぼしてしまう。両親の寝室事情など、いくら仲のいい夫婦であり母娘だとしてもあまり知りたいものではない。
ただそれはそれとして、お父様がお母様に冷たくなった理由は気になる。お父様とお母様は真実の愛で結ばれた夫婦で恋人同士のはずなのに。
という思いは声に出ていたようで、お茶を運んできた中年の侍女が不躾にも口を挟んできた。
「は?『真実の愛』って……奥様のご両親が、ですか?」
「……え、ええ。そうよ。少なくとも以前は、お父様とお母様のどちらもそう言っていたもの」
「はあ……大変失礼ですけど、モニクス伯爵ご夫妻は夢見がちな方々なんですね」
呆れた様子を隠しもせずに、私の前に適温の紅茶を置く。女主人に対するものとしては少し砕けすぎた態度ながら、所作は目に見えて美しく、きちんと教育された侍女なのは一目瞭然だった。聞けば以前は、それなりに爵位の高い家で働いていたらしい。
そんな彼女は、まだ他にも言いたいことがある風情だった。
「……あなたは、私の両親が好きじゃないみたいね」
「それはそうですよ。お二人の娘でいらっしゃる奥様には申し訳ありませんけどね。奥様のお母様、現モニクス伯爵夫人はもともと、伯爵の愛人でいらしたのでしょう? 要はご両親の関係の始まりは、不倫以外の何物でもなかったわけです。それを『真実の愛』だの何だのと飾り立てるのは好きになさればいいですが、第三者からするとそういう名付けは、とっても痛々しいか腹立たしいか、もしくは呆れるかのどれかですからね」
「う」
おかしな声が出てしまった。……でも何も言い返せない。ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。別に私が責められているわけではないのに、この上なくいたたまれない。
侍女の言葉は続く。
「まあ奥様もまだまだお若いどころか学生の年齢ですし、ご両親の関係に夢を見たがることは否定しません。けれどこれだけは忠告させていただきたいんです。世の中、浮気や不倫をする人間は男女問わず、高確率でまた同じことをするものなんですよ。あたしの叔父もそうでしたからね。独身の頃から大変な浮気者で、叔母と結婚して落ち着いたかと思えばそんなことは全然なく。まだ乳飲み子だったあたしの従弟を抱えた叔母を放置して、夜な夜な愛人のもとへ通う姿はもう、今でも思い出せるくらい醜悪で━━まあ最期は、愛人の一人に刺されて死んでしまったんですけれどね」
……かなり衝撃的な人生の終わりを、ずいぶんさらっと口にしてくれる。
「そんなあたしが女好きな旦那様のお屋敷にお仕えしてるのも、一体何の因果かという話なんですけどね。旦那様の女遊びはまあ、それなりのお店の娼婦に限られてるだけ叔父よりマシですから。奥様はお嫌かもしれませんが」
「そんなことないわ。私は……その、知っての通り旦那様とは、白い結婚だから」
「それは存じてますけど、書類上だけの夫でも愛人や女遊びは許さない! って奥様も世の中にはいますから。世間体が悪いからって理由だそうですけど、それはそれで問題しかないですし。立場的に仕方がないところはあるにしても、夫婦でも家族でも友人でも、どっちかが一方的に我慢しなければいけない関係は不健全ですし、長続きするものではありませんよ、本当に」
「そ、そうね……」
あまりにもぐさぐさと刺さりすぎて心が痛い。……リーゼロッテお姉様と同じ家で暮らした五年間、私はお姉様にひたすら我慢を強い続けてきた。そのことを思い出すだけで頭を抱えたくなる。
『どうして私がお姉様のために、したいことを我慢したり、欲しいものを譲らなければいけないの!?』
かつてフェルダ邸で叫んだ言葉が脳裏に蘇り、奇声を上げてベッドで転げ回りたい衝動に駆られてどうしようもない。いくら何でも侍女がいる前で実行はしないけれど。
私の黒歴史はともかく、今の問題はお父様の行動の変化だ。お母様の視点から見れば不自然ではあるものの、金策のために忙しく動いていて帰りが遅くなり、疲れやお母様に隠しごとをしているストレスでそっけなくなったり、寝室で夫婦の時間を過ごす余裕がないとも考えられる。
でも……先ほどの侍女の言葉はどうにも引っかかる。
━━浮気や不倫をする人間は男女問わず、高確率でまた同じことをする。
確かにお父様は昔、リーゼロッテお姉様のお母様と結婚していながら、私のお母様とずっと関係を持っていた。それはどう言い繕おうとも不倫でしかなく……「お父様に限ってそんなことはしない」なんて主張は、私にはできない。他でもない私がその不倫の産物なのだから。
お父様の変化のわけは金策か、不倫か、もしくはもっと別の理由があるのか。断定するにはまだまだ材料が足りない。
とりあえず、お母様との文通は続けよう。間違っても不倫やら何やらの疑惑を私が抱いていると悟らせないように気をつけて。……とても気を遣うことにはなるけれども……
今後を思い、私はこっそりため息をついた。
それからまた月日が過ぎ、すっかり春になった頃。
私がまともな令嬢だったなら、学園の二学年に進級していたはずなのに……と現実逃避気味なことを思いながら、お母様からの最新の手紙に再び目を通す。
……何でもお父様は、私がモニクス邸に残してきたアクセサリーやドレスを全て売り払ってしまっていたらしい。持ち主であるはずの私には勿論、お母様にも何の断りもなく。お母様が売却に気づいたのはつい最近で、それに対する謝罪が手紙に綴られている。
当然ながら、お母様は何故そんなことをしたかとお父様に尋ねた。返ってきた答えは、「領地で天候不良があり、緊急にフォローをしなくてはならず金が必要だった」とのことで、領地に関心の薄いお母様はそれで納得したそうだけれど……私の中でのお父様の評価は急降下せざるを得なかった。
まず、領地のためという言い分それ自体が、事実かどうか極めて怪しい。そんな正当な理由があれば、お父様から直接、私に連絡の一つくらいはあるはずだ。いくら急ぎであっても、事後でもいいから一報をくれれば、私は迷うことなく売却の承諾をしたのに。
でも実際にそんな知らせはなかった。お父様が娘である私の意思を無視したのか、そもそも売却理由が嘘なのか……どちらであれ、私がお父様に完全に蔑ろにされたのは変わらない。
「謝るのなら、お父様からも一言くらいはあるべきでしょうに……」
残念ながら、お父様の字で一筆添えられているということもなかった。……お母様は、夫にそうしてくれるよう頼んだりしなかったのだろうか。
「……まあ、どっちでもいいけれど」
ぽつりとつぶやいた私の声は、自分でも意外なほど寂しそうに聞こえた。
季節が変わり夏になると、お母様の手紙の文面は怒りと悲しみと愚痴だらけになった。
「明らかに女物の安っぽい香水の香りを漂わせて朝帰り、か……浮気で間違いないわね」
もしかしなくともお父様は馬鹿なのではないだろうか。そんなにもあからさまな女性の気配を妻の前で漂わせるなんて。
おまけに今度は、お母様に贈ったかつてのプレゼントも次々に持ち出して換金しているらしい。居合わせたお母様には「もとは私が贈ったものだろう! ならば私の好きにしていいはずだ!」などと理不尽なことを言いながら。
━━正直、頭痛を覚える。
「……馬鹿だの理不尽だの、私が言えた義理じゃないけど……お父様は本当に、何を考えてるのかしら。愛人だったお母様をそのままでいさせずに正式に結婚して伯爵夫人にしたんだから、お母様への愛情はあったはずよね……?」
その愛情が冷めてしまったにしても、以前のプレゼントを取り上げるというのは行きすぎとしか思えない。それだけ経済的に切羽詰まっているのだろうが……ならば愛人とは速やかに別れるべきだと思う。相手の女性はおそらく貴族ではないはずで、その暮らしぶりについては知るよしもないけれど、お父様のことだから何かと彼女に贈り物をしているに違いない━━かつてのお母様や私に対してと同じように。
愛人と楽しく過ごすことで現実逃避をしているのかもしれないが、それにしても……
「……まさかとは思うけど、お母様のプレゼントを売ったお金で愛人へのプレゼントを買っていたりは……」
いくら何でもそこまで厚顔無恥だとは思いたくない。が、否定できる要素もないのが悲しい。
頭を左右に振り勝手な思い込みをどうにか振り払うものの、不快な感情までは消し去れるものではなかった。
━━シグルド卿とディオン様と交わした、図書館でのやりとりが脳裏に蘇る。
モニクス家の立て直しのために、お父様を速やかに切り捨てる━━あの時の私はその案を選ばなかったけれど、今となってはそれを大いに後悔していた。
「でも、他家に嫁入りした私の立場で何ができるものでもないし……白い結婚でしかない旦那様には頼める筋合いじゃないし」
極論、放っておけばお父様はこのまま破産して貴族ではなくなるだろうから、私の出る幕はないというのもある。いずれモニクス領と爵位はディント家のものとなり、私はそこに関わることなく離縁されるのだ。無理に居座ったところで、ど素人の私が領地の立て直しに関わらせてもらえる見込みはほぼない。
けれどそれとは別の問題として、お母様にはすっぱりとお父様と離婚してほしい。嫌な言い方になるけれど、リーゼロッテお姉様のお母様が正妻でいらした時と違って、私のお母様は裕福でも何でもない平民出身なのだから、お父様にとっても離縁することにそこまで手間暇はかからないはずだ。だからこそお母様さえその気になれば、お父様が了承してくれる可能性はそこそこ見込めると思う。
「……問題は、お母様がその気になってくれるかどうかね」
手紙の文面を見る限り微妙なところである。
それでもここは、離婚をはっきり促すのが娘の役割のような気がして、私は返事にそうしたためて封筒に入れた。お母様さえ良ければ、また母子二人で平民として暮らそうという誘いも記して。
……お母様、激怒するだろうか。
その疑問の答えは恐ろしい早さで判明した。
ほんの数日後に届いたモニクス家からの手紙は、例によって分厚いけれど、内容としては非常に端的なものだった。
要約するとこうなる。
『真実の愛で結ばれた両親を離婚させたいなんて、そんなことを言う子は娘でも何でもないわ。金輪際連絡してこないで』
「……お父様とお母様が『真実の愛』で結ばれてるなら、お父様は浮気なんてしないはずでしょう」
流石の私も呆れてしまう。
同時に、お母様にとっての優先順位は明確に娘よりもお父様が上なのだと、嫌でも実感してしまった。
単にお母様は、都合の悪い現実を直視したくないだけなのかもしれないが……ついつい苦笑がこぼれる。
「……やだ。私は本当に、お二人の娘なんだわ。そっくり……」
笑うしかないとはこのことだ。
ついでに言うと、お父様とお母様もある意味で似た者夫婦ではある。それはもう、娘の私が嫌になるほどに。
……ぽろり、と涙がこぼれる。
一体何の涙なのか。悲しみなのかそうでないのか、悲しみだとしたら何に対してか。そもそも私に、悲しんでいい資格などあるのだろうか━━
浮かぶ疑問のどれにも答えは出ることなく、私はただただ自室で一人、声を出すこともなく泣き続けたのだった。
両親がどっちもクズだとようやく悟ったアリス。これも親離れの一環(?)ということで。
裏設定として、出てきた侍女さんはもともとウォルサル家に仕えてた人で、生まれもウォルサル領です。砕けた態度は半分演技。言葉に少し南部訛りがあるので出身に気づく人もいますが、辺境に詳しくないアリスはさっぱり気づきませんでした。
描写はないけど実はループ2周目にもいて、レイナスお兄様の情報源にもなっていたり。今回その役目はほぼ不要ですけど。




