第13話 求愛
アシェリーがガゼボを離れてラルフの元まで行くと、彼は庭園の腰掛けできる自然石に座っていた。眉間には皺が寄っていて、難しい顔をしている。そんな表情をするのは珍しい。
(一体どうしたのかしら……?)
不思議に思いながらも声を掛けると、ラルフはふてくされたような表情をしていた。
「終わったのか?」
とりあえず用件を伝えようと口を開いた。
「ええ、実はローレンツから告白されたの……」
そうアシェリーが言うと、ラルフは肩をすくめた。
「だろうと思った。奴がアシェリーの手に口付けた時は殴りに行こうかと思ったぞ」
「まあ、ラルフったら……」
アシェリーは冗談だと思って苦笑した。だが、すぐに表情を引き締める。
「でも……ローレンツには、ごめんなさいと返したわ。安心して」
「……そうか」
ラルフは安堵したように息を吐く。
「それで? 奴のことはどうする? 殺すか?」
アシェリーは噴き出した。
「殺さないで」
「冗談だ」
そう言って笑うラルフだったが、その目は半ば本気に見えた。
ラルフはアシェリーを手招きして膝の上に座るように促す。アシェリーは素直に従うことは憚られたので、周囲をチラチラと様子見る。少し離れた場所にいた護衛は察してくれたようで、顔を背けてくれた。
(仕方ないわね……)
ちょっと拗ねている夫のために、アシェリーは思い切って彼の膝の上に座る。するとラルフがそっと頭を撫でてくれた。その仕草が優しくて心地良い。思わず目を細めると、ラルフも微笑んだ。
アシェリーは少し考えてから言う。
「ローレンツのことは……結局、呪術のことは分からなかったし……私がここで出来ることは、もうないと思う」
「そうか……それなら予定より少し早いが、王都に帰るか?」
ラルフがそう言った。
先ほど見たレベッカの眼差しを思い出し、背筋がぞわりとする。
(レベッカのあの目……私を憎んでいる?)
片思いしている相手が、嫌いな姉に告白した──。
もし、それを察しているのなら、あの冷たい表情もうなずける。
押し黙るアシェリーに、ラルフは苦笑して再び頭を撫でてくれる。
「アシェリーは責任感が強いな」
ラルフは、アシェリーがローレンツに治療師としての責任を感じているのだとでも思ったのかもしれない。
だが、アシェリーは首を横に振る。
「ううん……そうじゃなくて……」
ラルフが不審そうに見つめてくる。
「……どうかしたのか?」
アシェリーは逡巡していたが、意を決して口を開く。
「実はね──」
(レベッカのあの目……あれは憎悪だわ。あんな目をさせたまま、妹を放って王都に戻ることはできない……)
そう確信し、ラルフに打ち明けることにしたのだ。
「……だから、もう少しの間、ここに滞在したいの」
アシェリーがそう言うと、ラルフは驚いて目を見開いた。しかし、すぐにうなずいた。
「……分かった。アシェリーが望むなら俺は構わない」
「ありがとう、ラルフ」
アシェリーは微笑んだ。ラルフはアシェリーの希望を尊重してくれる。それが嬉しかった。
◆
翌朝、ローレンツがアシェリーの元を訪ねてきた。
執事から呼ばれて玄関ホールに出てきたアシェリーは驚く。
「おはよう、アシェリー」
「ええ……お、おはよう……」
昨日の告白のことがあるだけに少し気まずいが、さすがにそれを態度に出すわけにもいかず、ぎこちなく挨拶を返す。するとローレンツは苦笑した。
「そう警戒しないでくれ」
「……ごめんなさい」
素直に謝ると、彼は首を横に振った。そして言う。
「いや……良いんだ。俺が悪かったんだし」
だがその表情には陰りが見えるように見えた。
(やっぱり、まだ気にしているんだわ……)
アシェリーは思い切って口を開く。
「あの、ローレンツ──」
しかしそれを遮るように彼は言う。
「実は、アシェリーを訪ねてきたのには理由があるんだ」
(え……?)
驚くアシェリーに、ローレンツは言った。
「もうすぐ王都に戻るんだろう? その前に一緒に行きたい場所があるんだ。行ってみないか? そんなに遠い場所じゃない」
そう言って片手が差し出される。
アシェリーはその手をじっと見つめた後に、首を振る。
「……どこへ行くつもり?」
アシェリーが尋ねると、ローレンツは微苦笑する。
「……本当は秘密にして驚かせたかったんだけど、教えるよ。伯爵家から少し離れた場所に小高い丘があって、そこには今の時期は一面花畑になっているんだ。色とりどりの花が咲き乱れている様子は圧巻だよ。思わず見惚れてしまうほどだ。是非、アシェリーと行ってみたいと思って」
恋人同士ならば、とてもロマンティックな提案だ。
だが、アシェリーは顔を強張らせる。
「……ローレンツ、私は行けないわ」
(彼はこんなに頑なな性格だったかしら……一度は拒否したというのに、また訪ねてくるなんて……)
記憶の中と違う彼の強引さに戸惑う。
「どうして?」
理由は分かっているくせに、困ったような表情でローレンツは尋ねてくる。
「私は……王妃なのよ。それに私はラルフ……陛下のことを誰よりも愛しているの」
「分かっている。でも、俺はアシェリーを諦められないんだ。もうすぐ王都に戻ってしまうだろう? 一度で良い、思い出が欲しい。その記憶を大事にして、これからも生きていくから……」
懇願するローレンツの表情。その切実な声音に胸が痛むが、それでもアシェリーは首を横に振るしかなかった。
するとローレンツは悲しげに目を伏せる。
「……そうか……」
そんな彼に罪悪感を覚えるが、こればかりはどうしようもない。
(ごめんなさい)
心の中で謝罪することしかできなかった。
顔を伏せたアシェリーに、ローレンツはそっと手を伸ばしてくる。その指先がアシェリーの髪に触れ、驚いてアシェリーが顔を上げた瞬間、遠くから近付いてきていたラルフが鋭い声を発した。
「そこで何をしている?」
その声に驚いて振り返ると、ラルフが厳しい表情でホールの階段の前に立っていた。彼の後ろには護衛も控えている。
(ラルフ? いつの間に……)
目を見開くアシェリーに構わず、ラルフはずかずかと近付いてくると、ローレンツの手を掴み上げた。そして、そのまま捻り上げるようにして拘束する。
「痛っ……!」
痛みに声を上げるローレンツを冷たい目で見下ろして、ラルフは言う。
「アシェリーに何をした?」
ラルフは怒っているようだ。だが、ローレンツは痛みに顔を歪めながらも答えた。
「……何もしていませんよ」
するとラルフはさらに強く捻り上げる。
「嘘をつくな! お前がアシェリーの髪に触れているのを見たぞ!」
「ラ、ラルフ……乱暴なことは……」
アシェリーは止めようとするが、ラルフは聞く耳を持たない。ローレンツは苦痛に顔を歪めながら言う。
「それは……っ、俺が……アシェリーの髪にゴミがついていたから取ってあげようとしただけです」
「嘘をつくな! 貴様のような男がそんな紳士的なことをするはずがない!」
(え……?)
ラルフの言葉に、アシェリーは凍り付く。
(確かに許可なく女性の髪に触れるのは紳士のすることではないけれど……)
そうは言っても、ラルフの言葉は言い過ぎの気がした。
ローレンツは何も言い返せなかったのか、悔しそうに顔を歪めた。
「っ……そこまで言うなら、私の行動が嘘だという証拠を見せてください」
ラルフはふんっと鼻を鳴らすと、ローレンツを突き飛ばした。
「悪魔の証明に乗るものか。不毛すぎる」
そしてラルフはアシェリーに向き直る。
「アシェリー、ちょっと良いか?」
そう言って手招きをするので近付くと、彼はいきなり唇を重ねてきた。驚いてアシェリーは身を引こうとするが、後頭部を押さえられて逃げられない。その間にも舌が入り込んできて口内を蹂躙される。
「……んっ……ふ……」
息苦しさに喘ぐが、それでも離してくれず、さらに深くなる。ようやく解放された時には、アシェリーは息も絶え絶えになっていた。
ラルフはそんなアシェリーを見下ろしながら優しく微笑んだ後、ローレンツに向かって冷たい目を向けた。
「これで分かっただろう? 俺達が深く愛し合っていることが」
ローレンツが呆然とした様子でしばらく押し黙った後、悔し気な表情で、その場を駆けるように去って行った。
「……ラルフ」
ローレンツの姿が完全に見えなくなったのを確認してから、アシェリーは彼を睨みつけた。顔は先ほどの行為で上気している。
「一体どういうつもりですか!? あんなこと、人前でするなんて……っ」
前世日本人のアシェリーは恥ずかしくて仕方ない。護衛やメイドに見られただけでも愧死しそうなのに、幼馴染相手だと羞恥心が倍増する。
だがラルフは悪びれた様子もなく答える。
「アシェリーが他の男に触れられるのが我慢できなかっただけだ」
「……っ、だからってこんな人前でそんな……それに、ローレンツにも失礼です」
アシェリーの言葉に、彼は少し不快そうに片眉を上げる。
「やっぱり殺すか?」
「すぐに殺さないでください」
ラルフは嘆息して、頭を掻く。
「むしろ、かなり寛容な態度だぞ? アシェリーの幼馴染で患者だというから、鞭打ちなども罰も与えず、あの程度で許してやっているのに。本当なら極刑にしたいくらいだ。あいつはお前の幼馴染で患者かもしれないが……結局は、ただの男だ。しかもお前に好意を寄せている。そんな奴がお前に近付くことは許せない」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
アシェリーは恥ずかしさをため息で誤魔化した。
「もう。ラルフは本当に……」
(嫉妬深い……)
「……とにかく、二度とあいつには会うな。アシェリーに好意を寄せているからというだけが理由じゃないぞ。あいつは危険だ」
(どうしてそこまで……?)
そんな疑問がアシェリーの脳裏をよぎる。
「危険って、どういうことですか? そういえば、先ほども紳士じゃないとおっしゃっていましたが……」
アシェリーの問いに、ラルフは眉を寄せた。
「……前に、王宮図書館の禁書庫になら呪術についての資料が残っているかもしれないと言っただろう? その調査結果が先ほど届いた。先に中身を検めさせてもらったが……いや、直接見た方が早いだろうな」
どうやら、良くない結果のようだ。
アシェリーの表情が強張る。
「俺の滞在している客室に保管してある。行こう」
「ええ」
アシェリーはラルフと共に客室へ向かった。




