第11話 発覚
翌朝、アシェリーはラルフとレベッカを連れて伯爵家の馬車に乗リ込む。
「ああ~、緊張する。私、ちゃんとできるかしら……」
レベッカはそう言って、赤くなった己の頬を両手で包んだ。
アシェリーは微笑ましく思いながら妹を見る。
「あれからしっかり練習したじゃない。大丈夫よ」
アシェリーは昨日も一日中レベッカの指導をしていたのだ。
(おかげで、街の図書館に呪術について調べには行けなかったけれど……)
今日が終われば時間ができるはずだから、そうしたらラルフと一緒に行こうと話をしてある。
「そ、そうよね! 私、頑張るわ!」
レベッカはグッと拳を握りしめた。
◆
いったんレベッカには馬車の中で待機してもらうことにする。
アシェリーがラルフと共に伯爵家の玄関に向かうと、執事が扉を開けてくれて、間もなくローレンツがやってきた。
昨日より顔色が良く、どんどん元気になっているようだ。
「おはようございます。ローレンツ様」
「おはようございます、リーゼ」
熱心に見つめられて、アシェリーは戸惑う。
「立ち話も何ですから、どうぞ中へ」
ローレンツに促されて、アシェリーはホールへと入って行く。馬車の中で隠れていたレベッカと目が合うが、『後で迎えに行くから』と合図をした。
「リーゼ、こちらへどうぞ」
ローレンツがそう言い、アシェリーとラルフは彼についていく。
そしてサロンへ案内された。
「どうぞ。おかけください」
アシェリーはローレンツの向かいの席に座る。
ローレンツは少し逡巡するような素振りを見せたあと口を開く。
「昨日は失礼しました。恩人に対して詮索するような無礼な真似を……」
「い、いえ! こちらこそ、申し訳ありません。すぐに答えられない事情があって……でも、後でお話させてください」
モゴモゴと言い訳をしているアシェリーを見て、ローレンツは苦笑する。
「もちろん構いませんよ。秘密の多い方なんですね。そこもミステリアスで魅力的だ」
アシェリーは目を剥き、言葉が継げなくなる。
そして悩んだあげく、治療師として無難な言葉を選んだ。
「今日の調子はいかがですか?」
「とても良いです。リーゼとライさんのおかげです。お二人がいなかったら、俺は今頃どうなっていたことか……」
ローレンツはそう言うと、アシェリーとラルフに頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました。治療が終わった際には何かお礼をさせてください」
「いえいえそんな……頭を上げてください!」
アシェリーは慌てて言う。
治療師として当然のことをしたまでだ。それに過去に頼ってくれたのに無下にしてしまった罪悪感もある。だから、お礼も本音では必要ないとさえ思っていた。
彼は真剣な表情で言う。
「いえ、リーゼは俺の命の恩人ですから。何か謝礼をしなければ俺の気が済みません! 伯爵家にできることでしたら、何なりとおっしゃってください」
「そう言われましても……」
アシェリーはお金に困っているわけではないし、欲しいものがあるわけでもない。あえて言うならば、伯爵家がこれからも王家に忠実な臣下であって欲しい、ということくらいだろうか。しかし、それでさえ改めて頼むようなことでもない。
「それでは……今日が終わっても、私のことは怒らずどうか許していただけますように、お願いいたします」
簡単なことではないはずだ。十年も前からの恨みなのだから。それでも、できればアシェリーはローレンツとの仲も改善できたらと淡い期待を抱いていた。
「怒らず? 俺がリーゼに怒りを覚えるだなんて、そんなことあるはずがありません。恩人のあなたに対して……」
戸惑うローレンツの表情に、アシェリーはきゅっと唇を引き結ぶ。
「……それでは衣装を脱いで、体を診させていただいてもよろしいですか?」
アシェリーの言葉にローレンツはうなずき、シャツを脱いだ。
(肌も綺麗だし、やっぱり、もうラルフの力を借りるほどの状態ではないわ)
ローレンツの状態を確認してから、アシェリーはうなずく。ローレンツは、もうほぼ完治しているといっても良いだろう。
「今日は最後に私の弟子に治療してもらおうと思っているのですが、大丈夫ですか?」
「ええ、それは構いませんが……」
ローレンツは困惑しているようだ。
アシェリーが立ち上がってレベッカを呼びに行こうとすると、壁際で静かに控えていた執事のウィリアムが察したように「私が呼んで参ります」と言った。
「一緒に来ていたんですか? それなら、リーゼと邸に入ってくれば良かったのに……」
不思議そうに言うローレンツに、アシェリーは微苦笑する。
そうして、やがて扉がノックされて、おずおずとした様子でレベッカが入室してきた。
「ロ、ローレンツ。こんにちは……」
「レベッカ⁉ どうして君がここに……リーゼの弟子って、まさか……」
ローレンツは驚いた表情でレベッカを見る。
アシェリーは微笑む。
「ええ、彼女が私の弟子です」
「そ、そうなんですね。いやぁ、驚きました。確かに前にリーゼはミレー子爵家の縁者だとは聞いていましたが……レベッカが治療師を目指しているだなんて知りませんでしたし……」
動揺したようにローレンツはレベッカを見て、その後にアシェリーを見やる。その動きが不自然に止まった。
「親戚とは聞いていましたが、改めて見ると……雰囲気は違いますが、目や口などの細部が二人はとても似てますね。まるで……」
──姉妹みたいに。
彼の飲み込んだ言葉が何なのか分かって、アシェリーは顔を伏せる。
ローレンツは少し気まずそうに言う。
「あっ、その……すみません。いきなり変なことを言ってしまって……」
「い、いいえ」
彼はまだ確信が持てていないようだ。だが、その内気付くだろう。
アシェリーはレベッカを呼び寄せる。
「さあ、治療をしてみせて」
「わ、分かったわ」
不安そうなレベッカに、アシェリーは微笑む。
「大丈夫よ。きっと上手くいくから」
そう言って軽く妹の肩を叩いて励ますと、レベッカは表情を改める。
「そっそれでは、始めますね!」
そう言ってレベッカは手のひらをローレンツの腹部にかざした。彼女の手に淡い光が宿り、その光はローレンツの腹部に吸い込まれるように消えていく。
「ああ……温かい……」
ローレンツは心地よさそうな表情で言う。
アシェリーも彼の状態を確認する。
あとは念のために週に一回くらい様子を見ても良いかもしれないというところだ。それは妹に任せても良いだろう。
「終わりました」
レベッカがそう言うと、ローレンツはシャツを着直した。そして、彼は言った。
「……ありがとう。レベッカが治療できるなんて、本当にびっくりしたよ」
レベッカは顔をほろこばせる。
「どういたしまして」
アシェリーはそんな二人を見て微笑む。
(良かったわね)
長年、恋しい彼を癒してあげたいと思っていたのだろう。
今のレベッカは晴れ晴れしたような表情で、アシェリーにドヤっとした様子で胸を張っている。
尻尾を振っている子犬のようで、つい微笑ましくて笑ってしまった。
ローレンツがタイミングを見計らったように言う。
「それで……リーゼ、お話をしてくださるんですよね? レベッカも一緒で良いんですか?」
おそらく個人的なことだと思って、そう声をかけてくれたのだろう。だが、レベッカに席を外してもらう必要はない。
アシェリーはラルフと、それにレベッカと目配せした後──覚悟を決めて、ローレンツに向かって言った。
「すみません、ローレンツ様。実は隠していたことがありまして……私の本当の名前は、リーゼではないのです」
「え?」
固まるローレンツに、アシェリーは続ける。
「私はアシェリー・ミレーです」
ローレンツは目を見開く。
「……何をおっしゃっているのですか? あなたがリーゼではないなんて……」
ローレンツはしばらく呆けた表情で固まっていたかと思うと、やがて頭を抱えて呻いた。
「そんな……まさか……雰囲気が全然違うのに! アシェリーはこんなことしないこんなことしない……」
混乱する彼の様子を見て、アシェリーの胸が痛む。だがこれは言わなければならないことなのだ。
ラルフも頷いて名乗りをあげる。
「俺の名もライではなく、ラルフ・トーレ・フリーデンだ」
「ラルフ・トーレ……? ま、まさか国王陛下⁉」
ローレンツは仰天したようだ。そして、その場に跪いてラルフに頭を下げる。
「も、申し訳ありません! まさか国王陛下とは知らずに無礼な口をきいてしまって」
ラルフは苦笑する。
「いや、気にするな。今まで通りで構わない」
「そんな……恐れ多いです!」
ローレンツが恐縮して言うので、ラルフは困ったように眉を下げる。
「アシェリーのこと、許してやってくれ。悪気があって騙したわけではない。お前の両親から、治療が終わるまでは偽名を名乗ってくれと頼まれたんだ」
「父上が……」
呆然と、ローレンツはつぶやく。
家族ぐるみで騙されたことがショックなのだろう。
だが、アシェリーは彼に謝らなければならない。
「ごめんなさい、ローレンツ。騙すような形になってしまって……それに、頼ってくれたのに治療にくるのが遅くなってごめんなさい」
アシェリーが頭を下げると、ローレンツは慌てたように首を振る。
「い、いえ! そんな……」
それ以上、言葉が出てこないようだ。
彼の立場ならそう言う他なかっただろう。
アシェリーは顔を歪める。
「……私のこと許してほしいと先ほど言いましたが……訂正させてください。私のことを許さなくて良いです」
「アシェリー」
目を見開くラルフに、アシェリーは淡い笑みで首を振る。
「だって……よく考えたら、ひどいことをした相手が謝りに来たって、どうしても許せるはずがないじゃないですか。それなのに、やった側が一方的に『許せ』と言うなんて、自己満足以外の何物でもない傲慢な行為です。ましてや、今は私の方が立場が上で、ローレンツが嫌と言うことはできない。これほど無礼なことはありません。私は、もう二度とあなたを苦しめたくないから……だからローレンツ、私のことを許さなくて良いんです。……あなたを治療したのは私がやりたくて勝手にやったこと。それに恩を感じる必要もありません。あの時のお詫びだと思ってください」
アシェリーの言葉を噛みしめるように、ローレンツはじっと見つめてくる。
そして、かすれた声でつぶやいた。
「君は……本当に、アシェリーか? 俺の知っている、あの……?」
ラルフが笑って、アシェリーの肩を抱き寄せる。
「ああ、アシェリーだ。そして俺の最愛の妃でもある」
ローレンツは呆然とした様子で二人を見る。
「そんな……」
言葉を失っているようだ。
ラルフはアシェリーの手を取る。
「では行こうか? もう用事は済んだのだろう?」
「……え、ええ」
アシェリーはうなずき、後ろ髪を引かれながらも部屋から出て行こうとする。
床に膝をついたままのローレンツが声を上げた。
「アシェリー! 国王陛下も……俺の命を助けていただき、本当にありがとうございました……!」
「い、いや……」
ラルフはローレンツの殊勝な態度に驚いたようだ。
アシェリーが振り返ると、ローレンツは一瞬、泣きそうな顔をしたが、すぐに表情を引き締めて頭を下げる。
「確かにまだ混乱している……だが、ここでお礼を言わないのはありえない。アシェリー、君は私の恩人だ。……助けてくれて、ありがとう」
その言葉に、アシェリーは心からの笑みを彼に向ける。ようやく過去の亡霊から解放されたような、肩のつかえが取れたような気がした。
「いいえ……どういたしまして」
そうしてアシェリーはラルフとレベッカと共に伯爵家を後にした。




