第10話 秘密
翌朝から、アシェリーはレベッカに魔力のコントロールの仕方を教えることになった。
「まず、魔力を体内で循環させるのよ」
そう言って、アシェリーは実践してみせる。体の中で魔力を練って手のひらに集めていくと、手のひらに白い光が現れた。
「この光を手のひらに維持できるようになるのが、第一段階。ここまではレベッカもできているわ。第二段階は、指先だけに光を集めてみて」
「う、うん……」
レベッカは緊張した面持ちで頷く。そして指先に魔力を集中させるが、すぐに霧散してしまう。
アシェリーは微笑む。
「最初は難しいわよね」
「……お姉様も初めはできなかったの?」
レベッカが驚いたように言うので、アシェリーは少し考えてから答える。
「そうねぇ……私は最初からできたけれど」
そう言うと、レベッカがムッとした顔をする。
(ああもう……)
と内心苦笑しながらアシェリーは続ける。
「でもあなたの場合は、魔力量が多いから難しいのかもしれないわね。もう少し魔力を減らして試してみて」
「……分かったわ」
レベッカは素直に頷いて、再び指先に魔力を集中した。今度は白い光が人差し指に現れるが、すぐに霧散してしまう。それでも何度も挑戦するうちに、少しずつだが光が長持ちするようになってきた。
アシェリーは頷く。
「その調子よ」
「これってなんか意味があるの?」
レベッカは不服そうだ。修行が地味すぎて嫌になっているのだろう。
アシェリーは肩をすくめる。
「魔力は糸のようなものなの。治療師は己の魔力を細い糸のように操り、患者の体内へ送り込む。だから、この練習は必要なのよ」
「でも、糸って他の先生はそんなこと言ってなかったわ。お姉様だって、手のひらから出ているのは糸というよりは光の塊じゃない!」
レベッカに指摘されて、アシェリーは言葉に迷う。
「それは……私の放出する魔力の糸の数が多いから、手のひら全体が光っているように見えているだけよ」
「何それ、嫌味⁉」
「事実を言っただけ」
真実を言うことは時に相手によっては失礼に当たるらしい。
アシェリーはため息を落とす。
「悔しかったら、私が唸るくらい魔力が操れるようになってみせなさい」
アシェリーの言葉に、レベッカは「ぐぬぬ」と悔し気に顔を歪めて練習を再開する。
こうして軽口を叩き合えるくらいには、姉妹仲は改善していた。
その時、ラルフが護衛を連れて近付いてくる。
「アシェリー、そろそろローレンツのところへ行こう。伯爵家の馬車が迎えに来ている」
「分かりました」
アシェリーは頷いて、レベッカに「また後でね」と声をかけると立ち上がる。レベッカがハッとした表情になった。
「お、お姉様! ローレンツの治療はあとどのくらいで終わるの?」
「そうね、一応は今日を含めて、あと二回くらいかしら……」
そのくらいすれば、一応は体内の毒素も全て抜けるだろう。皮膚の怪我も綺麗になると思う。
「そ、そう……それなら、明日には治療も終わるのね……」
落胆したようなレベッカの様子を見て、アシェリーはピンときた。
「はは~ん? さては、自分がローレンツの治療をしたいと思っていたのね?」
図星を突かれたのか、レベッカは突如顔を真っ赤にして挙動不審な動きになる。
「い、いや、べっ別にそこまで考えてなかったし! すぐに私が誰かの治療するなんて無理だって分かっているもの!」
慌てている妹を見て、アシェリーは口元を手て押さえて笑いを堪える。
「良いわ。手伝ってあげる」
「え……?」
「午後も練習しましょう。そしたら、明日はレベッカも一緒にローレンツのところへ行って治療しても良いと思うわ」
レベッカはポカンとした表情をしている。
「良いの……?」
「ええ。大部分は私がラルフの魔力を借りて治療をさせてもらうけれど、細かな部分はお任せするわ」
レベッカはじわじわと喜びがあふれてきたのか、頬が緩むのを堪えられないようだ。
「ま、まあ、そこまで言うなら一緒に行ってあげても良いけど!」
そう言って、ツンと顔を横に向ける。
「ただし、魔力のコントロールの練習はしっかりすること。良いわね?」
「わ、分かったわよ!」
レベッカが素直に頷くのを見て、アシェリーは微笑む。
王都へ戻る日まで、あと残り一週間ほどだ。
その間、妹と仲良くできる時間が少しでも長く続けば良いなと思うのだった。
◆
伯爵家の馬車の中で、アシェリーとラルフは向かい合って座っていた。護衛達は後ろから馬で付いては来てもらっている。
ラルフはアシェリーに言う。
「本当にレベッカにローレンツの治療を手伝ってもらうのか?」
「……ええ、そのつもりですけれど」
少し考えるようにしてから、アシェリーは答えた。ラルフは眉を寄せる。
「大丈夫か? 姉妹が二人でローレンツの前に立ったら、さすがに彼の目を欺けないのではないか?」
そう指摘されて、アシェリーはピタリと動きを止める。
「た、確かに……」
元から親戚とは伝えてあるものの、レベッカと一緒にいたら怪しまれてしまうかもしれない。
アシェリーは冷や汗をかきながら唸る。
「でも……レベッカにローレンツの治療をさせてあげたいし……。ああ、やっぱり無理かしら……」
ラルフは苦笑して言う。
「まあ、どうせいずれは種明かしをするつもりだったんだろう?」
「それはそうだけど……」
ローレンツに正体を知らせず黙って去ろうかとも悩んでいたが、それも誠実ではない。嘘を吐いていたことを謝るしかないだろう。
「ただ、もしローレンツが怒って私の治療を拒否してしまったらと心配で……」
アシェリーの言葉に、ラルフは肩をすくめる。
「それならアシェリーがほとんど治療を終えてから、最後だけ妹に手伝ってもらえば良いんじゃないか? そうすればアシェリーの正体がバレて今後治療ができなかったとしても、レベッカだけで何とかできるだろう?」
「う~ん……それもそうだけど……」
(果たして、それで良いのかしら……)
そう悩みながら、アシェリーは窓の外に視線を向けるのだった。
◆
「リーゼ、お待ちしておりました」
伯爵家に到着すると、玄関先でローレンツに熱烈に迎えられた。
顔色は少し悪いが、今日のローレンツは貴族の青年らしくクラヴァットを巻いている。昨日まで病人のような見た目だったのが嘘のようだ。
「ローレンツ様! もう歩けるんですか?」
アシェリーがそう声をかけると、彼は照れ笑いを浮かべる。
「まだ邸の中だけですがね。できるだけ歩いて落ちた体力を回復させているんです。ここまで回復できたのもリーゼのおかげです」
「そんな……いいえ、ローレンツ様が頑張ったからですよ」
アシェリーは首を横に振る。ラルフの魔力をもらっているからもあるだろうが、まだ若いからか想像以上に回復が早い。
「それでは、さっそく治療を行いましょうか」
今日の治療は中庭が臨めるサロンで行った。
ローレンツがシャツを脱ぎ、アシェリーはローレンツの全身を診る。
昨日よりも皮膚が再生しており、ほとんど傷跡も残っていない。自己治癒力も上がっているようだ。
アシェリーは手のひらを彼の胸にかざした。そしてローレンツに魔力を流していくと、白い光が体全体を覆っていく。
(……うん、大丈夫そうね)
アシェリーは手を離すと、ローレンツが驚いたように言う。
「もう終わったんですか? いつもより短いですが……」
「ええ。これで本日の治療は終わりです。念のために明日も弟子と一緒に様子を見にきますが、もう普通に生活していただいて大丈夫ですよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
ローレンツが感激した様子でアシェリーの手を握る。驚いて硬直していると、ラルフが無言でローレンツとアシェリーの手を引き離した。
「油断も隙もないな」
「すっすみません。感激のあまり……」
ローレンツが気まずそうにしている。
「いいえ、お気になさらず。でも、今後も無理だけはしないようにしてください。呪いの影響がどうでるか分かりませんから」
最後の方は、彼にだけ聞こえるように小さな声でアシェリーは言う。
ローレンツは真面目な表情でうなずく。
「わかりました」
「まだ呪術については調べがついていませんが……何かわかったことがあれば、すぐに手紙でお知らせしますね」
「手紙? リーゼはどこかへ行ってしまうんですか?」
急に不安そうな顔をして、ローレンツは尋ねてくる。
(あ、そうだったわ……ローレンツは私が王都から来ていることを知らないから……)
「え、ええ。私の住まいは王都にあるので……ローレンツ様の治癒が終われば戻るつもりです」
「それはいつですか? いつ出発するんです?」
「予定では一週間後ですが……もしかしたら早まるかもしれません」
矢継ぎ早に質問されて、アシェリーはたじろぐ。
ローレンツの病状が思ったより早く快方へ向かったので、予定していたスケジュールより早く王都に戻れそうだと思っていたのだ。
しかし、ローレンツが暗い表情になる。
「せっかく仲良くなれたと思ったのに……」
「大丈夫。私がいなくなっても、私の弟子はこの街にいるので……困った時は彼女を頼ってください」
「弟子? それは誰です? 私の知っている方ですか?」
この地方に治療師は少ないのだから、そんな者がいるなら顔を知っているはずだ。そんなローレンツの疑問が伝わってくる。
「……明日、紹介しますね」
躊躇いがちに言ったアシェリーの言葉に、ローレンツは怪訝そうな顔になる。
「はい。それはもちろん構いませんが……リーゼはどこに滞在しているんですか? 邸の者に聞いても誰も教えてくれないし……伯爵家の馬車で迎えに行っているのだから知らないはずがないのに」
「それは……」
アシェリーは言葉に詰まる。
街に滞在しているなどと言えば解決するのかもしれないが、嘘に嘘を重ねるのはやはり気が咎めてしまう。
その時、ラルフが助け舟を出してくれた。
「リーゼ、次の患者が待っていますよ。約束の時間に遅れてしまいます」
「あっ、そうね」
アシェリーはラルフが機転を利かせてくれたのだと気付き、慌ててうなずく。
「話途中だったのに、すみません。急いでいるので、もう行きますね」
アシェリーがそう言って立ち去ろうとすると、ローレンツの低い声に止められた。
「リーゼ、待ってください。まだ話は終わっていません」
「ローレンツ様……」
アシェリーは困ったように眉を下げた。ラルフも眉をひそめている。
「何か言えない事情があるのですか?」
ローレンツのその静かな問いかけに、アシェリーは首を横に振る。
「はい。……今はまだ……。でも明日、お話させてください」
アシェリーはそう答えて、その場を立ち去った。
(……ごめんなさい)
心の中で謝りながら。
やはり真実を告げると思うと、憂鬱な気分になってくる。もしかしたらローレンツに罵倒されてしまうかもしれないから。
「……やっぱり隠しておくってことはできないわよね」
アシェリーは馬車の中でつぶやく。
いくら言いにくいことだからといって、彼を騙し続けて良いはずがない。そう分かっているのだが、アシェリーはこの場になって怖気づいてしまっていた。ローレンツに非難されることを覚悟して王都からやってきたというのに。
彼が今はとても友好的な態度だから、それが豹変したらと思うと恐ろしいのだ。
「どうして隠したいんだ?」
ラルフの疑問に、アシェリーは視線を伏せる。
「だって、きっと罵られてしまうから……」
俯いて、ポツリとそう答えるアシェリー。
しかし、ラルフは肩をすくめる。
「お前は王妃だ。どんな悪事を働いたとしても誰も非難できるはずがない。──それに、俺の予想では、そんな結果にはならないと思うぞ」
「え? どうして……」
当惑してラルフを見つめる。
ラルフは面白くなさそうに頭の後ろを掻いていた。
「多分、奴は俺と同じだ。最初はアシェリーの変化に驚いて、狼狽して……認めたくないと狼狽えまくって、最後には観念して……お前に愛をささやくんだ」
彼は言葉を切って、苛立ったように舌打ちする。
アシェリーは目が点になる。
「は? え? それは冗談ですか?」
「冗談なものか。お前、俺とローレンツが似ていると思わなかったのか?」
「え? そう……かしら……?」
アシェリーは首を傾げる。
(ラルフとローレンツが似ている……?)
アシェリーはそんなふうに思ったことなど一度もないのだが……。
ラルフは嘆息する。
「忌々しい。妻が魅力的過ぎると夫は苦労する」
冗談なのか本気なのか分からないことを言い、ラルフはアシェリーの頭を撫でる。
「とにかく、お前はローレンツのことなんて気にして不安にならなくて良い。それ以上、あいつのことを考えるな」
ちょっと拗ねたような表情を見て、アシェリーはラルフが嫉妬しているのだと気付く。
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
「何がおかしい?」
「いいえ、何でも……」
アシェリーは口元を押さえて笑う。ラルフのこういうところが可愛いと思ってしまうのだ。
ラルフは不満そうにしている。
「俺は真面目に言っているんだが」
「ごめんなさい、私も真面目です。でも……そうね、できるだけ気にしないことします」
アシェリーがそう言って微笑むと、ラルフも表情を和らげる。そして、アシェリーの髪を一房手に取るとそこに口付けた。
「ああ、そうしてくれ。そして愛らしい妃を娶ってしまった俺の苦労も早く理解してくれよ」
アシェリーはラルフの言葉に頬を染める。
「……ぜ、善処します?」
(そう答えるのもおかしい気がするけれど……)
アシェリーの言葉に、ラルフの機嫌が少しだけ良くなったような気がした。
そんな甘い空気の中、馬車は子爵家へと到着するのだった。




