第8話 呪い
アシェリーは以前からローレンツの病気に不可解な点を感じていた。
並の治療師では対応できないくらい毒素が溜まっていたから。
アシェリーでさえ、無尽蔵の魔力を持つラルフがいなければ治療の方法が見つけられなかったほどだ。ローレンツが十年も生きながられていたのが奇跡と思える。
ローレンツは少し気まずそうな顔になった。
「それは……その……」
言いよどむ彼に、アシェリーは優しく言う。
「どんな情報でも構いません。もし分かれば、お教えいただけませんか?」
(何か秘密がありそうね)
そう考えて、アシェリーは彼の答えを待つのだった。
呪術は普通の怪我とは違う。治療後も影響が残ってはいけない。
それに治療師として、他の人にも同じような症状が出た時のために原因を特定しておきたい気持ちもある。原作と違う展開なのも気になった。
ローレンツの返答を待っていると、部屋の外からノックする音が聞こえて振り返る。
すると扉が開き、レーマー伯爵夫妻が入室してきた。
「ア……リーゼ、治療は終わりましたか?」
伯爵に尋ねられて、アシェリーは慌てて頷く。
「はい……あの、ローレンツ様はお疲れのようですので、今日はこれで失礼いたします」
アシェリーがそう言うと、ラルフも頷いて立ち上がる。
「それでは、明日また来ます。ローレンツ様、ゆっくりとお休みください。先ほどのお話の続きは……もし良ければ、明日に」
アシェリーがそう言うと、物憂げな表情でローレンツは頷く。
そして二人は退室した。
◆
馬車に揺られながら、アシェリーはラルフに話しかける。一言、物申したいことがあったのだ。
「あの……ラルフ?」
「どうしました? リーゼ」
そう答えるラルフの声はとても甘い。
「もう! その設定は良いから! さっきの誤魔化し方は何ですか⁉ 私が恋人の手を握っていないと集中できないって……ッ」
アシェリーは顔を真っ赤にして抗議する。するとラルフは小首を傾げる。
「機転が利いていただろう?」
「そ、それは、まあ……確かにその通りですけれども!」
他に、あの状況を誤魔化す方法が思いつかない。
助手が無尽蔵の魔力持ちということが知られてしまえば、国王ラルフだと気付かれてしまうかもしれない。そうしたら連鎖的に王妃アシェリーのことまで察してしまう可能性もある。
仕方のなかったことだと分かっているが、恥ずかしいのだ。
アシェリーが言葉に詰まると、ラルフがフッと笑う。
「アシェリーは本当に可愛いな。そんな可愛い顔を見せられると、我慢が効かなくなる」
「な……っ!」
アシェリーは絶句する。
(ラルフの冗談って本気なのか判断に困るわ……)
アシェリーが戸惑っていると、ラルフは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「冗談だ。今は我慢しておく。アシェリーの実家だからな」
「……そうしてください」
アシェリーは赤い顔を逸らして、そう答える。
(もう……っ!)
そして馬車は子爵邸に到着した。
◆
翌朝、レーマー伯爵邸に着くと、伯爵夫人が嬉々として出迎えてくれた。
「ローレンツは中庭にいます。ご案内しますね」
アシェリーは驚く。
「ローレンツが外に?」
「ええ! 今日は外の空気を吸いたいと言って……こんなの何年振りのことか……! まだ一人では歩けませんでしたが、執事達で肩を貸してもらって中庭に連れてきました」
伯爵夫人はとても嬉しそうだ。目の端には涙がにじんでいる。
「アシェリー様のおかげです。本当にありがとうございます」
「いえ……」
アシェリーはそう言って、やんわりと首を振る。
(夫人の息子を思う気持ちは本物だわ……)
それに感心していた。
公にはされていないが、ローレンツは妾腹の子だ。伯爵夫人とは血の繋がりはない。
それでも彼女は本当にローレンツを息子として愛しているのだろう。それが今までの態度から伝わってきて、アシェリーの胸が温かくなる。
中庭に着くと、ローレンツは木陰の下で涼みながら空を見上げていた。
彼はアシェリー達に気付くと、顔をほころばせる。
「おはようございます。リーゼ、それにライさん」
「おはようございます。もう外に出られるようになったんですね。良かったです」
アシェリーが微笑むと、ローレンツは淡い笑いを浮かべる。
「おかげさまで。まだ少しの間だけですけどね。……今朝は、ちょっと気分転換をしたくて……ずっと室内にいると気持ちも鬱屈してしまいますから」
アシェリーは首を縦に振る。
「そうですね。外気に触れるのは、とても良いことだと思います。昨夜はゆっくり休めましたか?」
「はい! あの……」
そう答えてから、ローレンツは母親に目配せする。彼女は心得たというふうに邸に戻って行った。
(人前では言いにくい話題なのかしら……)
母親の背中を見届けた後に、少し言いづらそうにローレンツは口を開く。
「……昨日言っていた私の病気の原因についてなのですが……もしよろしければ、今日の治療の後にお話しさせてください」
「ええ、もちろん! ぜひお聞かせください」
アシェリーが微笑んで頷くと、ローレンツは胸を手で押さえながら落ち着きなく目を逸らす。
(やっぱり何か隠し事があるのかしら……)
「治療は部屋で行いますか?」
アシェリーが尋ねると、ローレンツは首を振る。
「いえ、部屋に戻ると時間もかかりますし……今日は天気も良いので、もし良ければこちらで行っても大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。それではシャツを脱いで、包帯を取ってもらえますか?」
ローレンツが頷く。
シャツを脱ごうとしたが、やはり一人では大変なようだ。
見かねてアシェリーが手を貸そうとすると、その手をラルフに制される。
「俺がやりますよ。なぜなら俺は助手なので」
アシェリーが目を丸くしている間に、ラルフは手早くローレンツの包帯を外していく。
(いつもは人にされているでしょうに……ラルフって何でも器用にこなすわね)
さすがは物語のヒーローというところだろうか。あらゆるところが恵まれている。
アシェリーはローレンツの治療を開始した。
昨日と同じようにラルフと手を繋いで、彼の魔力をローレンツに流し込んでいく。
徐々にローレンツの体内から毒素が抜けていくのが分かる。
皮膚の上でかさぶたとなった場所がかゆかったのか、突如、耐え切れなかったらしいローレンツが身動ぎする。
「すみません、ちょっと……」
そして腕を掻くとポロリとかたぶたが剥がれた。
「あっ……」
かさぶたの下は綺麗な皮膚に変わっている。
アシェリーは微笑む。
「あと二回ほど治療をすれば、完治するでしょう。体内毒素も抜けて肌も綺麗になるはずです」
ローレンツは目を輝かせて、己の腕をマジマジと見おろす。
「いつ見てもすごい……ありがとうございます!」
「いえいえ、ライ。もう手を離して良いですよ」
アシェリーの言葉に、ラルフは「ふぅ。残念だな」と、もったいぶったように手を離す。
ローレンツは引きつり笑いを漏らした。
「本当に仲がよろしいんですね」
「ええ、そりゃあもう。他人が付け入る隙がないくらいにラブラブですね」
ラルフの言葉に、アシェリーは耐えきれず真っ赤になって叱責する。
「ライ!」
(どうして、そんな余計なことを言うの!?)
ローレンツは苦笑いを浮かべながら、シャツを着直す。
そうして、アシェリーに向き直った。
「それでは、私の病気についてお話させてください」
「はい」
アシェリーは姿勢を正した。
ローレンツは重々しく口を開く。
「実は、私は小さい頃に知らない誰かに呪いをかけられたかもしれないんです……」
「呪いを……?」
アシェリーの問いに、ローレンツは慌てたように言う。
「いきなりそんな話をしても困惑しますよね。まずは私の出自についてお話します」
そして、ローレンツは己が伯爵家の息子ではあるが妾腹の出で、実の母親は身分のない呪術師の娘だったことを明かした。
(想像通りだわ)
というか、原作ではそうだったからアシェリーもそのことは知っている。
聞きたいのは、もっと詳細についてだ。
ローレンツは目を丸くしている。
「驚かないのですか? 私が呪術師の血筋であることに」
彼はアシェリーの反応を不思議がっているようだ。
ローレンツが言い淀んでいたのも納得できる。
(確かにこの世界では呪術師は珍しいし、忌避されているものね)
アシェリーは慌てて首を横に振る。
「いえ、驚いていますよ。ただ、ローレンツ様のお母様が呪術師であっても、私は特に偏見は持っていませんから、ご心配なさらないでください。このことも職務上知り得たことなので秘密にします」
「そうですか……そんなふうに言われたのは初めてです」
ローレンツは嬉しそうに頬を赤らめて少年のように微笑む。
隠し事を打ち明けて、偏見を持たれなかったことに心の底から安堵したのだろう。彼の握る拳がかすかに震えて見えるのは気のせいだろうか。
「本当に……リーゼは素晴らしい女性だ。まるで私の理想のような……」
その独白のようなローレンツの呟きを聞き留めたラルフが咳払いした。
「当然だ。リーゼは俺が認めた女性だからな」
ラルフはドヤ顔で言う。アシェリーは恥ずかしくなって、思わず俯いた。
(もう……っ!)
ローレンツは一瞬だけ表情を歪めたが、頭を振ってから話を続ける。
「……続きの話をしますね。十年ほど前、私が家の庭で遊んでいた時に、怪しい男に会いました。黒ずくめの姿で……彼にいきなり手を握られた直後から体調が悪くなり、私はその場で倒れてしまいました。それから皮膚が焼けただれたようになってしまい……」
十中八九、その男は呪術師だろう。
アシェリーは相槌を打って、話の続きを促す。
「まだその頃は存命していた実母によると『その男は呪術師かもしれない』と。……しかし母も男に心当たりはないそうです。呪術師の血筋と言っても、母も私も呪術は使えませんし……私は知識があまりないので、その呪いを解く方法も分かりませんでした。日々悪化する皮膚の腫れもどうすることもできず……父が内密に呪術師を連れてきて火傷の対処をしようとしてくれましたが、呪術師には『手に負えない』と言われてしまい……」
「そうですか……」
アシェリーは神妙な表情で頷く。
ラルフの反応が気になって横目で見ると、特に表情の変化はない。
もしかしたら、ラルフもローレンツの病が呪術に関係するものだと多少の推測はしていたのかもしれない。
アシェリーは顎に手を当てて考え込む。
「呪いによるものとなると、どう対処するべきか……一時的に怪我を治すことはできますが、もしかしたら再発する可能性もあります。呪術は普通の怪我とは違いますから……」
「そうですね……呪術によるものとなると根源を断つのが一番の解決方法です。つまり、呪いをかけた相手を見つけないと……」
そう言って絶望したような顔で肩を落とすローレンツに、どう言葉をかけて良いか分からない。
アシェリーは眉を寄せる。
「呪術師に関しては分からないことが多いですからね……」
彼らは迫害されて国を追われた。正体を隠して暮らしているから、どこにいるかも分からない。
呪術に関する書物の多くは焚書され、現存するものは少なかった。呪術師達はその秘術を口伝で子々孫々に伝えているらしい。
(うーん……)
ラルフなら何か知っているかもしれないと彼の方を見るが、ラルフは首を横に振る。
(そうよね……)
アシェリーは小さくため息を吐く。
「少しこちらでも調べてみます。呪術だとしたら、完治しても油断はできませんから……もちろん再発しない可能性もありますが」
アシェリーの言葉に、ローレンツは顔を上げた。
「はい、よろしくお願いします」
そしてアシェリーとラルフは伯爵邸を後にした。




