第7話 ローレンツの病の謎
ラルフの客室へと案内されたアシェリーは、ソファに腰掛けさせてもらって一息つく。
「疲れたか?」
ラルフに尋ねられて、首を横に振る。
「いえ……ただ、レベッカが……」
アシェリーは言いよどむ。
(また嫌われてしまったわ)
「俺も驚いたな」
「え……?」
アシェリーが首を傾げると、ラルフは頷く。
「レベッカ嬢のことを言っている」
「ああ……」
アシェリーは納得して頷いた。
確かに、あの態度の悪さには驚いたものだ。いくら子爵家の娘とはいえ、ラルフに対しても失礼が過ぎるだろう。今頃父親からお説教されているに違いない。
(でも……)
アシェリーは小さくため息を吐く。
(私も人のことを言えないのよね……)
幼い頃の自分は我儘で高飛車な少女だったのだから。
「レベッカがあんな無礼な振る舞いをしたのは私のせいです。申し訳ありません」
そう落ち込んでいると、ラルフが「気にするな」と言って慰めるように頭を撫でてくれる。その心地よさに思わず目を細めると、彼が少し笑う。
「明日もローレンツのところに一緒に行くんだろう? 旅の疲れもあるだろうし、今日は早く休むと良い」
「はい。そうですね」
ラルフがそう言ってくれるので、アシェリーは素直に頷く。
「では、おやすみなさい」
「……ああ、おやすみ」
ラルフに挨拶をしてから自室に戻り、室内着に着替えてベッドに入る。
(少し疲れたわ……)
ローレンツの治癒で思った以上に疲労していたらしい。その上、レベッカの態度に気を揉んでしまった。
目を閉じると、睡魔がすぐにやってきて眠りについた。
◆
翌朝、身だしなみを整えて食堂へ向かうと、子爵夫妻がすでに席についていた。アシェリーを見て微笑む。
「おはよう、アシェリー」
「おはようございます」
挨拶を返した頃にラルフも合流する。
レベッカは朝が弱いのでまだ起きてこないらしい。食事を終えても来なかった。
「無作法で、すみません。夕食時には必ずご一緒にさせますので……!」
そう申し訳なさそうに言う子爵に、ラルフは肩をすくめる。
「構わない。それより朝食をいただこう」
子爵は頷いて、給仕に朝食を運ばせる。そして当たり障りのない会話をして、朝食を終えた。
「それでは、私達はローレンツの様子を見に行ってきます」
食後の紅茶を飲み終えると、アシェリーはそう両親に言って席を立った。
自室で簡素な庶民用のドレスに着替えていると、同じく地味な格好をしたラルフが迎えに来る。
「こんな格好は初めてしたが、動きやすくて気に入った」
衣装は平民のそれなのに、かもしだすオーラが只者ではなく、とても一般人には見えない。
(やっぱりラルフは眩しいわ……)
手足が長く、簡素なシャツだけでも格好良く見えてしまう。普段のきっちりした衣装とは違い、今はシャツから胸元が覗くラフな格好のため、不思議な色気がある。
思わず見とれて黙っていると、ラルフが首を傾げる。
「アシェリー?」
「あ……いえ」
赤くなった顔を逸らして咳払いした。
「陛下はとても平民には見えません。仕方ないので、ローレンツの前では没落貴族の三男坊という設定にしておきましょう。金遣いが荒いせいで実家を追放され、今は元貴族であることを隠して生活しており、金策に困って治療師の私の助手となったということにしておいてください」
早口で言った。
「具体的すぎるな。まぁ、良い。何だか俺も、その気になってきた」
普段は政務ばかりして鬱屈しているためか、ラルフは意外にもノリノリだった。
(何だか、ラルフって外にいる時の方が楽しそうなのよね)
乗馬の時も、精霊の民に会いに行った時も、船旅でも機嫌が良かった。運動神経が抜群だし、体を動かしている方が性に合っているのだろう。
アシェリーはラルフに向き直って言う。
「お互いの設定を決めておきましょう。ローレンツに会っている間、私はリーゼと名乗ります。レーマー伯爵に頼まれて来た平民の治療師で、ミレー子爵の遠い親戚ということにします。これは万が一レベッカ達と容姿が似ていることを指摘されても追求されないようにするためです」
「なるほどな。俺は何と名乗れば良い?」
ラルフの問いに、アシェリーは唸る。
「う~ん……どうしましょうか?」
自分の名前についてなどは考えたが、ラルフの名前までは考えていなかった。アシェリーはあまり命名が得意な方ではない。
ラルフは顎に手を当てて考えている。
「それなら自分で決めるか。本名から遠いと、とっさに反応できないかもしれないからな。できるだけ近い名前で、ラルフ……ラル……ライと名乗ろう。俺は、助手のライだ」
そしてラルフと少数の護衛と共に玄関ホールへと向かう。
外に出ると、すでにレーマー伯爵家の馬車が待ち構えていた。昨日も会った執事のウィリアムが背筋を伸ばし待機している。
「おはようございます、ラルフ陛下、アシェリー様。お待ちしておりました」
ウィリアムが馬車の扉を開けてくれたので、アシェリーはラルフと共に乗り込んだ。彼は扉を閉めて御者台へ上がった。護衛は馬に乗って周囲を警戒しながら後続して来るようだ。
ゆっくりと馬車は動き出す。アシェリーはラルフの隣に腰掛けて、窓の外を眺めた。馬車の窓から見える景色は晴天で心地良い風が吹いている。
馬車にしばらく揺られているうちにレーマー伯爵邸に到着した。
御者台からウィリアムの声がして、馬車の扉が外から開けられる。
「到着いたしました。お気をつけて降りてください」
ウィリアムが扉を開けてくれたので、ラルフとともに馬車を降りた。
伯爵邸の玄関ではレーマー伯爵夫妻が待っていた。
「ようこそおいでくださいました! お待ちしておりました!」
レーマー伯爵夫妻は揃って頭を下げて出迎えてくれたので、アシェリーもそれに倣う。
「ありがとうございます」
アシェリーは己とラルフの偽名や設定について軽く説明して了承を得た後、伯爵に向かって言う。
「それでは、ローレンツを診させてください」
それからウィリアムに先導されて邸内へ入ると、ローレンツの部屋へと案内された。
既にアシェリー達が来る知らせを受けていたのか、彼はベッドの上で半身を起こして待っていた。まだ包帯だらけではあったが、隙間から覗く顔色は昨日より少し良くなっているように見えて安心する。
(良かった……)
アシェリーがホッとしていると、ローレンツが言った。
「ご挨拶が遅くなって、すみません。私はローレンツ・レーマーと申します。あなた方は……」
(ここが頑張り時ね)
アシェリーは微笑んで自己紹介をした。
「こちらこそ昨日はご挨拶もできずに、すみませんでした。私はリーゼと申します。レーマー伯爵に頼まれて治療に来ました。ミレー子爵の遠い親戚です」
「え……ミレー子爵の親戚……?」
ローレンツは戸惑っているようだったが、ラルフとアシェリーを交互に見る。
ラルフはローレンツの疑問が伝わったのか、深く頷く。
「俺は、彼女の助手のライです」
「助手……? あ、はい……」
ローレンツは戸惑いながらも頷いた。
(できるだけ突っ込まれないようにしましょう)
アシェリーは素早く話題を変えた。
「ところで、ご体調はいかがですか?」
ローレンツは己の体を見おろしながら、言う。
「おかげさまで、昨夜は久しぶりにぐっすりと眠れました……いつもは痛みと痒みでなかなか寝付けず、夜中も肌を掻きむしって起きてしまうこともあったのですが……」
「それは良かったです」
アシェリーはホッと胸を撫で下ろす。
ローレンツの顔や体は未だに包帯だらけだが、昨日のように血が滲んでいない。
「治療の前に傷を見せていただけますか?」
アシェリーがそう言うと、ローレンツは頷く。
昨日と同じように夫人が手を貸そうとしたが、今日はローレンツが起きていたので彼は「自分でやるから大丈夫だ」と言って、痛みに顔をしかめつつシャツを脱ぎ、包帯をほどく。
アシェリーは体を検分して、傷の状態を確認した。
(体はあまり掻いてなかったみたいで、良かった……)
「それでは、治療を始めますので楽な姿勢になってください」
アシェリーがそう言って、ローレンツに横になるよう促す。
「それでは、よろしくお願いします」
伯爵はそう頭を下げてから、夫人とメイドを伴って部屋から出て行った。
(人がいない方が治療の気が散らないから助かるわ……)
おそらく、そばにいたらアシェリーが集中できないと思って席を外してくれたのだろう。
「ラル……ライ、お願いします」
アシェリーの言葉にラルフは頷く。それから彼はアシェリーの手を取った。
「なぜ助手の手を握るんです……?」
ローレンツが戸惑ったように尋ねてきた。
アシェリーは固まる。
(当然の疑問よね……さて、なんと答えるべきか……)
アシェリーが悩んでいると、ラルフが言った。
「俺達は師弟関係ですが、恋仲でもあります。彼女は助手であり恋人の私の手を握らないと集中できないんですよ」
(何言ってるの!?)
アシェリーはあまりのことにポカンとしてしまう。直後、羞恥心で顔に熱を帯びる。
「こっ、恋人……? そ、そうか。そうだよな。こんなに魅力的な人なのだから、恋人くらいいて当然だ」
なぜだかショックを受けた様子で、ローレンツは何度もうなずく。
アシェリーは恋人の手を握っていないと何もできない人扱いされてしまい、わなわなと恥ずかしさで震えた。
(が、我慢よ……ここで否定したらおかしいことになるわ。他に良い言い訳も見つからないし)
アシェリーはキッとラルフを睨めつけてから、深くため息を落とした。
(もう、仕方ない。恥ずかしいのは今だけよ。集中! 集中!)
「はっ、始めますね!」
ベッド脇の椅子に腰掛け、アシェリーは、開けられたシャツから覗くローレンツの胸に触れる。
意識を集中させて、ラルフの魔力をローレンツに注いでいく。
そのまましばらく治療していたが、アシェリーはこれ以上は危険だと感じて、ローレンツの体から手を離した。
深呼吸していると、ラルフが声をかけてくる。
「リーゼ、大丈夫ですか?」
偽名で呼びかけられて、新鮮な気持ちでアシェリーは微笑む。
「大丈夫です。ちょっと疲れただけですから」
アシェリーがそう言うと、ローレンツは申し訳なさそうな顔になる。
「すみません……私の治療のために……」
「気にしないでください。私は治療師ですから、このくらい当然です」
アシェリーは首を振ってから、ラルフに話しかける。
「もうこれ以上はできません。手を離して良いですよ」
ラルフもフッと口の端を上げる。
「分かりました。手をもう握っていられないのは残念ですが、治療は終わったので仕方ありませんね」
何だか妙に、ラルフがローレンツの前でいちゃつこうとしているように見えるのは気のせいだろうか。
(いいえ、勘違いじゃないわよね。ラルフはローレンツが私を意識していると誤解しているみたいだから……)
恥ずかしさを感じつつも、ラルフに独占欲を持たれるのは悪い気分ではない。
アシェリーは朱に染まった顔を誤魔化すように頭を振ってから、ローレンツに言う。
「今の体調はいかがですか?」
毒素はまた最初の五分の一ほどは排出できただろう。皮膚の怪我も少し薄くなったように感じる。
「すごい……短時間でこんなにも回復するなんて信じられない……ありがとうございます!」
ローレンツは己の体を見おろしながら驚き、目を見開いている。
アシェリーは微笑んだ。
「それは良かったです」
(疲れたけれど、こうして患者の喜ぶ顔が見られるから、仕事をしていて良かったと思えるわ)
アシェリーは気になっていたことがあった。いつローレンツに聞くか迷っていたのだが──。
「ローレンツ……様」
呼び捨てにしかけて、慌てて敬称をつける。
「何でしょうか?」
妙に期待のこもったキラキラした瞳で見つめてくるので、アシェリーは一瞬口ごもった。
「もし今、体調が良ければ少しお伺いしたくて……」
「何でもお尋ねください、リーゼ」
相手は貴族なのだから平民設定のアシェリーを呼び捨てにするのはおかしくないのだが、いきなり距離を詰められたようで少し驚く。
アシェリーは気を取り直して、真剣な表情で問いかけた。
「ローレンツ様のご病気、これは普通の病気ではありません。何か原因に心当たりはございませんか?」




