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第6話 約束

 アシェリーの部屋の中を検分した王都から連れてきた護衛達が静かに部屋の外に出て行く。

 大人数で押しかけても迷惑なので、今回は護衛も最小限の人数しか連れてきていない。どちらかといえば身の回りの雑務をしてもらうために同行してもらったようなものだ。

 滞在中は子爵家や伯爵家の者がアシェリー達を警護してくれることになっている。

 今はそのわずかな護衛も、部屋の外に控えてもらっていた。

 室内はラルフとアシェリーの二人きりだ。

 

「思っていたより可愛らしい部屋なんだな」

 

 アシェリーの部屋に入るなり、ラルフは部屋を見回してから、そう言った。

 

「十年前から、ほとんど変わっていませんから」

 

 アシェリーはそう居心地が悪くなりつつ答える。

 

(確かに、ちょっと子供っぽいかもしれないわ……)

 

 高級な調度品ではあるが、白とピンクを基調にした可愛らしい子供部屋だ。ぬいぐるみもある。貴族令嬢らしく、縫いかけの刺繍や塗りかけの絵画が載ったイーゼルがあったりと、幼少期のアシェリーの飽きっぽさを物語っている。

 アシェリーは十歳の時に王都のタウンハウスに居を移したから、内装は昔と、ほとんど変わっていない。

 ラルフはベッド脇の椅子に腰掛ける。

 

「こうして見ると、普通の貴族令嬢の部屋のようだな」

 

「拷問器具でもあると思いましたか?」

 

 アシェリーは珍しく軽口を叩いてみた。

 

(かつての私ならば、そう疑われてもおかしくはないけれど……)

 

 ラルフは「まさか」と笑う。

 

「ただ……その、昔はお前が何に興味があるのかも知らなかった。俺に執着していたのは分かっていたが」

 

 それだけラルフがアシェリーに関心がなかったのだろう。好きなものも知らないくらいに。

 アシェリーは肩をすくめる。

 

「……私は何にも興味の持てない飽きっぽい子供だったんです。そのくせ、綺麗なものや珍しいものは好きで。……手に入らないと、躍起になって父親にねだっていました」

 

 裕福な子爵の父親にお願いすれば、何でも買ってもらえた。唯一叶わなかったのがラルフだ。

 

「手に入らないから俺に執着した?」

 

 からかうように言われて、アシェリーは考え込む。

 

「それはあったと思います。でも、それだけじゃなくて……いつの間にか、私にとってラルフは特別な存在になっていました」

 

 アシェリーにとってラルフは初恋だ。どうしても実らないと思うような。

 恥ずかしくなって少し照れ笑いを浮かべるアシェリーに、ラルフは目を細める。

 

「それは嬉しいな」

 

 思い返せば、アシェリーは貴族令嬢にありがちなワガママな子供だった。

 家の中では女王様のように振る舞い、周囲から持ち上げられて高慢な性格に育った。自分の美貌と財力を鼻にかけていた。

 しかし、そのくらいなら少し自分勝手な貴族令嬢という評価で終わっていたかもしれない。

 厄介だったのは、アシェリーに治療師としての才能がありすぎたことだ。だから周りがアシェリーに勝手に期待をしてしまった。その力がなければ、よくいる貴族令嬢と言われるだけで終わっていただろう。それなのに、誰も敵わないほどの魔力制御の力があったために周りの人生を狂わせてしまった。

 

(前世の記憶を思い出せていなければ、ずっと私は自己本位に生きていたはずだわ)

 

 一部の人としか交流しない小さなコミュニティで生きていた貴族令嬢のアシェリーは、前世の記憶によって、強制的に広い世界を知ることができた。それが今までの考え方を改めるきっかけになったのだ。

 アシェリーはベッドに腰掛けて、深く息を吐く。

 

「今度こそ間違えないようにしたいんです。過去の過ちはどうすることもできなくても、これからの行いは、私の意志で決めていくことができるんですから」

 

 ラルフはアシェリーの言葉に少し驚いたように目を見開く。それから柔らかく微笑んだ。

 

「そうか……それは良い心掛けだな」

 

 ラルフが頭を撫でてくれるので、アシェリーは照れ笑いを浮かべる。

 その時、扉がノックされ、外からメイドの声がした。

 

「旦那様からご伝言です。夕食までは時間がありますので、陛下とお嬢様に湯浴みを勧めて欲しいとのことです」

 

(ここに来るまでに少し疲れていたから、お湯に浸かれるのはありがたいわ)

 

 子爵家は田舎にしては珍しく浴室も豪華で凝っている。国王のラルフが使っても恥ずかしくないくらいだ。

 アシェリーはメイドに向かって微笑む。

 

「分かったわ。それでは、陛下を先に──」

 

「いや、俺は疲れていないから、後で良い。先にアシェリーが入ると良い」

 

「しかし……」

 

 アシェリーは少し焦る。

 さすがに国王を差し置いて浴室を使うのは礼儀に反している気がした。

 

「それとも、一緒に入るか?」

 

 ラルフが冗談めかして言うので、アシェリーは慌てて首を横に振る。

 

「そっ、それは駄目です……! 実家ですよ!?」

 

「実家じゃなければ良いのか?」

 

「陛下!」

 

 さすがに小さく叱責する。実家のメイドにまで、こんなイチャイチャしたやり取りを聞かれてしまい、アシェリーは居たたまれなくて赤面してしまう。

 

「もう……! そんなことを、ここで言うなんて……っ」

 

「良いじゃないか。子爵領ではまだ俺達が険悪だと誤解している者がいるかもしれない。国王夫妻の仲の良さを見せつけておこう」

 

 ラルフが臆面もなくそう言うので、アシェリーは頭を抱えてしまう。

 

「……分かりました。それでは、お言葉に甘えて私がお先に入らせていただきますね」

 

「一緒に風呂に入る話は?」

 

「同意してませんから!」

 

 そう言って、アシェリーは逃げるように部屋を出て行ったのだった。


 ◆

 

 夕食の時に執事に案内されて、ラルフと共に食堂へ向かう。

 食堂の長テーブルには既に子爵夫妻と、ムスッとした表情のレベッカが腰掛けて、アシェリー達を待っていた。

 子爵達が立ち上がり、代表して父親がラルフに向かって言う。

 

「料理長が腕を振るいました。宮廷料理人には敵わないかもしれませんが、地元の野菜をふんだんに使った自慢の料理です。ぜひ、遠慮なく召し上がってください」

 

 長テーブルを眺めて、アシェリーは喜色満面になる。

 

「まぁ、どれも美味しそうだわ!」

 

 思わずそう声を上げると、父親が嬉しそうに笑う。

 

「そうだろう? アシェリーの好きな料理もたくさん用意させたんだ」

 

「ありがとうございます。お父様」

 

 そう言ってアシェリーが微笑むと、父親は頷く。それからラルフの方を見た。

 

「陛下もお口に合えば良いのですが……」

 

 座って執事からワインをそそいでもらっていたラルフは、グラスを鼻に近づけてその匂いを嗅ぎ、一口含んだ。

 

「ああ、とても美味いな。アシェリーの故郷の味だと思うと、さらに美味く感じる」

 

「それは、ようございました」

 

 上機嫌になった子爵に向かって、ラルフは微笑む。

 

「このワインの風味は素晴らしい。ぜひ王都で流通させたい。王妃のワインとして大々的に売り出しても良いだろう」

 

 ラルフはそう言ってワイングラスを傾けて、さらに一口飲んだ。

 

「おお……! そんなに……! お褒めにあずかり光栄です! まだ流通前のワインなので、そうなれば大変ありがたいですな」

 

 子爵はそう言って興奮したように拳を握り締めている。

 

(お父様ったら、はしゃいじゃって……)

 

 アシェリーの父親は商売の才があり、色んな商売に手を出している。今回もお金の匂いを嗅ぎ取ったのか、売り出し予定のワインを食卓に出したのだろう。抜け目のない父親にアシェリーは苦笑する。

 子爵はラルフとアシェリーを交互に見た。

 

「それにしても、国王夫妻が仲のよろしいお姿が見られて安心いたしました。これまでは、あまり良い噂が聞こえてこなかったもので……噂なんてあくまで噂でしかないと実感いたしましたよ」

 

(噂って……)

 

 どんなものか想像がつくが、アシェリーは好奇心から尋ねる。

 

「どのような噂ですか?」

 

「……その、陛下と王妃の仲が悪くて、離縁してしまうのではないかと……」

 

 子爵はぎこちなく答える。

 アシェリーは苦笑いした。ほとんど事実というか、アシェリーでさえ離縁していたと思い込んでいたくらいラルフとの仲は冷え切っていたのだから、そんな噂が立つのは仕方がないことだ。

 

「誰だ、そんな事実無根な噂を流しているのは。アシェリーを離縁するなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないというのに」

 

「陛下……」

 

 子爵夫妻は感動したように目を潤ませた。レベッカだけは面白くなさそうにそっぽを向いている。

 

(ラルフったら……)

 

 アシェリーは気恥ずかしくなり、頬を赤らめた。

 以前はアシェリーの魔力制御の能力が必要だったために離縁できなかったのだろう。だけど、今は愛ゆえにそう言ってくれているのだと理解している。

 突如、レベッカがフォークを置いて言った。

 

「それは素晴らしいことですわね。良かったですね、お姉様。でも陛下はお姉様の本性をご存じなのかしら?」

 

「レベッカ!」

 

 そう窘めるように鋭い声で言ったのは子爵だ。レベッカはフンと鼻を鳴らす。

 

「お父様、私は本当のことを言っているだけですわ! お姉様は昔から自分の才能を鼻にかける人でしたもの! 陛下にそうおっしゃっていただけるような素晴らしい妃ではありませんわ。私はお姉様の冷血な性格をよく知っていますもの。陛下はお姉様に騙されているのではありませんか?」

 

「何だと?」

 

 レベッカの言葉にラルフがピクリと眉を上げる。

 アシェリーはスカートの上で拳を握りしめた。

 

「レベッカ、私は……」

 

(やっぱりレベッカはローレンツのことで、今でも私を恨んでいる……)

 

 幼い頃に、レベッカはローレンツに熱を上げていた。もしかしたら今でも彼に気持ちがあるのかもしれない。それなら、これほどアシェリーを憎むのも理解できる。

 レベッカはラルフに向かって微笑む。

 

「陛下、お姉様がどんな人か教えて差し上げましょうか? お姉様は幼馴染のローレンツを見捨てたんですよ」

 

「レベッカ!」

 

 アシェリーが思わず叫ぶと、レベッカは酷薄な笑みを浮かべる。

 

「あら、ごめんなさいお姉様。私ったら、うっかり口を滑らせてしまいましたわ」

 

(わざとだわ……)

 

 そう確信するくらい、レベッカの態度には悪意があった。アシェリーを挑発している。

 ラルフはレベッカを冷ややかに見据えた。

 

「アシェリーがしてきたことは知っている。俺にも色んな葛藤はあったが……それでも全て理解した上で、彼女の隣にいることを選んだ。今のアシェリーは過去を悔いている。己の過ちを清算するために、ここまで来たんだ。そんな彼女を俺は尊敬する。ローレンツをまた見捨てることもできたのに、そうしなかった。こうして恨み言を受けることが分かっていただろうに、それを全部覚悟の上で来たんだ。そんなこと、そう簡単にできることじゃないだろう?」

 

 ラルフはアシェリーを見て微笑む。

 

「そんなアシェリーだから、俺は愛しい。過去を許そうと思えたんだ」

 

(ああ……)

 

 ラルフの優しさに胸が詰まるような思いになる。

 レベッカが鼻白んだように顔をしかめた。

 

「もう、やめなさい。レベッカ、陛下の前で無礼だろう」

 

 そう子爵から叱られ、レベッカは渋々といったように口を閉じる。

 アシェリーはしばらく言葉に迷った後、妹に話しかけた。

 

「ローレンツは必ず治すわ。約束する」

 

「どうだか。お姉様のことだから、これも気まぐれのことでしょう? どうせ、反故するに決まっているわ! 陛下の前だからって格好つけちゃって」

 

「レベッカ!」

 

 何度目かになる父親からの叱責が飛ぶ。

 子爵夫妻は文字通り頭を抱えていた。そして、すがるような眼差しをラルフとアシェリーに向けてくる。

 

「申し訳ありません。レベッカは難しい年頃で……どうかお許しを」

 

 反抗期扱いされて、レベッカはムッとした様子で唇を尖らせる。

 実の姉とはいえ、本来は王妃であるアシェリーに対してする口の利き方ではない。いくら身内しかいない非公式の場とはいえ、レベッカが越えてはいけない領域に足を踏み入れているのは明白だった。

 しかしアシェリーは咎める気はない。そしてアシェリーが動かない以上、ラルフも見守るつもりなのか押し黙っている。

 

「食事がまずくなってしまったな。下げてくれ」

 

 子爵はそう言って、己の前の皿を給仕に運ばせようとした。

 場の空気もしらけているし、ラルフもそれ以上は食事する気がなさそうだ。

 アシェリーはため息を落とし、それでも伝えなければならないことを思い出して重々しい口を開く。

 

「実は、ローレンツが完治するまでの間、私の素性を隠すようにレーマー伯爵から頼まれまして……」

 

「何だって?」

 

 子爵が驚いたように目を丸くする。

 それでアシェリーは伯爵家で話し合った内容を彼らに伝えた。

 

「……そういうわけで、ローレンツには私のことを秘密にしておいて欲しいんです。しばらく私は偽名を使いますから。こちらに滞在していることは隠すので、ローレンツから直接話がくることはないかと思いますが、万が一の時は話を合わせてもらいたくて……」

 

 アシェリーがそう説明すると、子爵は頷く。

 

「分かった。皆もそれで良いな?」

 

 子爵夫人は快く頷く。

 レベッカもローレンツの治癒自体には賛成なのか、不機嫌そうな様子ではあったが黙り込んでいる。

 

(良かった……)

 

 家族に同意してもらえて、アシェリーは安堵の息を漏らす。

 レベッカはアシェリーのことが嫌いだろう。しかしローレンツのためならば、協力してくれると信じていた。

 

(やっぱり、レベッカとの関係は、簡単には修復できそうにないわね……)

 

 アシェリーはレベッカのつんけんした態度に寂しくなりながらも、両親に挨拶を済ませて、ラルフと共に席を辞した。


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