第14話 ほうれんそうは大事
「陛下!」
伝令の兵士の後にしばらくしてから、クラウスはラルフの元まで馬でやってきた。
まだ王都に入る前、城門が見えたところでラルフは馬の手綱を引いて停める。
「クラウス! 状況は……!?」
そう問えば、クラウスは馬から降りて膝をつく。久しぶりに会った弟は少し痩せた顔で言う。
「はっ! アメリアとシュバルツコップ侯爵は王宮に籠城し、侍女達を人質に取っています! すでに兵士を王城外に配置し、後は陛下の号令があれば乗り込めます」
「お前らしくないな。警備はどうした? なぜ占拠された? こうもやすやすと突破されたということは何者かの手引きがあったのだろう。それは分かっているのか?」
ラルフの静かな問いかけに、クラウスは反射的というふうに顔を上げた。
「それは……」
何か言いかけた時──近付いてくる人影があった。自国の兵士だ。男は慌てた様子で何かをクラウスに渡して耳打ちすると、クラウスは目を輝かせた。
「おお、やっとか。よくやった」
「何だ?」
ラルフが問えば、クラウスは場違いな明るい声で言う。
「俺の部下がアシェリー様を保護しています。彼女を人質に取られたら困りますからね。兄上はご心配なさらず」
(なんだ……?)
言い方に何か違和感を覚えたが、ラルフは口元を歪めて笑う。
「そういうことか。アシェリーを捕らえたら俺の弱みに付け込めるからな。お前は本当によくやったよ」
「お褒めに預かり恐縮です。主君に命じられる前に己の職務を全うすることこそが腹心たる者の努め。さあ、これを機に邪魔者を一掃しましょう。準備はしてあります!」
(うん……?)
何だかやっぱり会話がおかしい。噛み合わないにも程がある。
「兄上に敵対する者は全員城に閉じ込めておきました。いつでも攻め込めますよ。それとも兵糧攻めが良いですか? 内部にいる部下に王宮内の武器は排除させましたし、徐々に弱らせることも可能です!」
妙に生き生きと弾んだ声でクラウスは言う。
ラルフは険しい眉間のシワを撫でて考え込んだ。
「えっと、お前はシュバルツコップ侯爵と共謀し、アメリアを使って王位を簒奪しようとしたのではなかったのか?」
ラルフの問いに、心外だというふうにクラウスは驚いたような表情をする。
「まさか! 俺は王位なんて興味ありませんよ。そんな面倒なことは御免です! 兄上がやってください」
「ならば、なぜ……」
当惑しているラルフに、クラウスは困ったような顔をした。
「参ったな。てっきり兄上には伝わっているものかと……俺は以前から反国王派の貴族を一掃したいと考えていました。その筆頭にいるのがシュバルツコップ侯爵ということは分かっていましたが、なかなか奴らが尻尾を見せなくて困っていたんです。それでシュバルツコップ侯爵が俺に擦り寄ってきたことがあったんです。そして侯爵が国家転覆を図ろうとしていることを知った俺は彼に同調した振りをして懐に入り、シュバルツコップ侯爵の反国王派を亡き者にするために証拠集めに奮闘し──」
「ちょっと待て待て待てッ!!」
あまりの事態にラルフは動転した。脳内でクラウスの話を整理して、ようやく口を開く。
「つまりお前は……俺のために敵の内情を調べる諜報活動をしていたということか?」
「まあ、そういうことになりますね」
しれっと言われて、ラルフは頭を抱えた。
「どうしてそれを先に言わない!? 俺はてっきりお前が反意を持ったのだと思って……!」
クラウスは困ったような顔で頭を掻く。
「いやぁ……言わなくても分かるかなと思っていたんです。だって俺達って仕事のことはいちいち口にしなくても通じ合えていたじゃないですか」
「いや、それでも報告は必要だろう! こんな大事なことはッ!」
報告連絡相談の大切さをラルフは痛感する。
クラウスは肩をすくめた。
「そもそも俺は兄上を裏切ることはできないですよ。先王とそういう誓約を結んだので」
「誓約……?」
眉根をよせたラルフに、クラウスが目を丸くする。
「え? 父上から聞いてませんか? 参ったなぁ……なるほど。それを知らないと確かに俺が王位簒奪をしようとしていると疑われても仕方がないか」
「何だよ、誓約って。隠し事はせずに早く言えよ」
ラルフが睨みつけると、クラウスは苦笑して降参するように両手を上げた。
「……兄上もお気付きでしょう? 俺は父上とは似ても似つかない」
「それは……」
言葉を詰まらせるラルフ。
クラウスは微苦笑して続ける。
「俺は母上とシュバルツコップ侯爵が密通して生まれた不義の子です。そしてそんな俺に絶対に王位を継承させる訳にはいかなかった。それで父上は俺を王族として認め生かしておく代わりに、兄の忠実な手足となって動く臣下になるよう幼少期に誓約を結ばせたのです」
クラウスは襟を開き、左鎖骨の下を見せる。そこには誓約を結んだ者にしか表れない契約の証の魔法陣が刻まれていた。
「そんな……」
ラルフは愕然とする。そんな残酷なことになっているとは思わなかった。
クラウスはからりと笑う。
「ああ、悲観しないでください。これは俺も納得して結んだ契約なので。むしろ本来なら殺されてもおかしくない俺を生かしてくれた父上に感謝しているんです。俺の存在は兄上の地位を危うくさせてしまう。そう父上が考えるのは自然なことです。俺はシュバルツコップ侯爵に利用されるのも御免だし、国を戦火の渦に巻き込みたくない。これでも愛国者なんです」
「だ、だが、シュバルツコップ侯爵がお前の本当の父親ならば、お前は彼と反目してしまうことになる……それは……」
クラウスは寂しそうに顔を歪める。
「血の繋がりなんて重要じゃありません。誰しもが家族を愛している訳じゃない。……俺はシュバルツコップ侯爵に何の感情も抱いていません。むしろ俺を道具のように利用して国を乗っ取ろうとしている彼には嫌悪感すら湧く。母親だって同類です」
クラウスのその言葉で、ラルフは昔愛犬を亡くした時のことを思い出した。
「じゃあ、十年前にカイルが死んだ時にお前が笑ったのは……?」
突如向けられた矛先にクラウスはきょとんとした表情になる。
「カイル? ああ、兄上が可愛がっていた犬ですね。え? 俺、笑ってましたか? 記憶にないなぁ。ああ、もしかしたら王妃の行動がお粗末すぎて失笑してしまったのかもしれません」
「お粗末……」
「ええ。王妃は以前から犬嫌いで、カイルを邪魔に思っていましたから。兄上の帝王学の勉強の時間が減ると周囲に不満を漏らしていました。殺してしまうとは愚かだなぁと内心馬鹿にしていましたので、その感情が表に出てしまっていたのかもしれません」
あまりの言い様にラルフは呆然とした。
(自分の母親をそんなふうに言うとは……)
知らなかった弟の一面を知り、ラルフは困惑する。
「お前は……俺を恨んでいたんじゃなかったのか? 母親を殺してしまった俺を……」
クラウスは瞠目する。
「いいえ。まさか。……まあ確かに、うんと幼かった頃は、母親の愛情を求めていたこともありました。ですが母は俺を顧みることはなく、王位継承者である兄上の方しか見ていませんでした。むしろ俺に対しては、己が不貞を働いたくせにそれを知られるのを恐れて、必要以上に冷たく接してこられていたように思います。そばに寄れば『近付かないで』と叩かれていました。母親に抱きしめられたことも愛しげに名前を呼ばれたこともない。ただ生まれたことが何かの間違いだと言うような非難の目で見られたことしかなかったんですから」
ラルフは絶句した。そんな関係だと気付けなかった。確かに弟と母親は距離があるような気はしていたものの……。
クラウスは弱弱しく笑う。
「だから昔は母親の興味を一身に受ける兄上が羨ましく、妬ましいと思ったこともありました。ですが自分を愛してくれない親の愛情を求めることがどれほどむなしいことか、成長していくうちに気付いたんです。だからなのか、母親が亡くなった時も悲しみなどの感情は湧いてきませんでした。……あの事件の後、兄上が父に軟禁されて一緒に遊べなくなって、とてもつまらなかった。その時に将来王になる兄上の役に立ちたいと思ったんです。だから離れている間にいっぱい勉強しました。でもこれは誓約があるからではなく、俺は自分の意思で兄上を支えたいと思ったからです。幼少期の俺を救ってくれたのは兄上の存在だったんですから」
そこまで聞いて、ラルフはその場にずるずると屈み込んだ。
ふと脳裏に浮かぶのは手を取り合って走る子供だった自分達の姿だ。母親はクラウスとラルフが仲良くすることを好まなかったけれど、子供の時は「勉強しなければいけないから」と言われても納得できなかった。隙あらば家庭教師を撒いて会いに行っていた。
「……もっと早く言えよ。俺が思い悩んだこの十年は何だったんだ」
脱力したまま絞り出すように言えば、クラウスは申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません。まさか兄上がそんなことで悩んでいらっしゃったとは思わなかったので」
「いや普通悩むだろう。母親を殺してしまったら弟に罪悪感を持つだろう」
「いやだって俺は普通の環境に生まれてないですし──」
「ああ、もう!! やかましい!」
ラルフは己の髪をぐしゃぐしゃに掻きまわす。
「ああ、もうよく分かった! 俺達に話し合いが足りなかったことが!」
もっと早く腹を割って話し合っていればここまでこじれなかったのだ。ラルフは弟への罪悪感からクラウスと向き合えずにいたし、クラウスはクラウスでマイペースすぎて説明不足。
(父上もクラウスの誓約のことは説明しておいてくれたら良かったのに……)
一家そろってこうなのだから頭を抱えてしまう。
クラウスは鬱陶しげに髪を搔き上げる。
「アメリアが無遠慮に俺にベタベタと触ってくるから、アシェリー様にご心配いただくくらい気が乱れてしまいました。ああいうことをされるのはかなり不快ですね。兄上の昔の心労が分かりました。アシェリー様も昔は別人のように傍若無人でしたからね」
「あ、ああ……」
ラルフは何とも微妙な返事をした。
(それでクラウスの魔力が乱れていたのか……)
しかし魔力暴走を起こしかねない状態で放置していたのは破滅的すぎる。もっと自分を大事にしろ、と言ってやりたいが、幼い頃に人から大切にしてもらえなかった者は自分を宝物のように扱うことができないのかもしれない。
(もっと弟とも向き合わねばな。この戦いが終わったら一緒に酒でも酌み交わすか……)
伝えないことの危険性はもう痛いほど知った。腹を割って話すのは大事だ。十年そばにいたって言葉にしなければ相手の真意は分からない。
「さて、どうなさいますか?」
クラウスの問いかけに、ラルフは重い息を吐く。
「できれば無血開城させたい。王城の中にいる味方の兵士達は外に出しているのか?」
「ええ、アメリア達が攻め込んでくるのは分かっていたのでほとんどの兵士は攻め込まれた時に外に逃げさせました。内部の様子を知らせるために数名忍び込ませていますが、いつでも対応は可能です。おそらく内部では今、捕虜がまったくいないことに戸惑っているでしょう。武器も食料もないので罠に嵌められたことに気付いた頃ではないですかね」
「よし、それでは王城を包囲し、シュバルツコップ侯爵とアメリアに無血開城を要求しよう。それでも奴らが降参しなければ外に持ち出した食料を使って、市民にも協力してもらい宴を開こう。何日かすれば腹が減った奴らは音を上げるはずだ」
◇◆◇
アシェリーはラルフのいる王都へと馬に乗って駆けていた。
馬車は後からついてきてもらっている。今アシェリーの前後で馬を走らせているのは『王の影』のメンバーと、クラウスから遣わされた味方の兵士だ。
少し前に合流した兵士達から聞かされた報告連絡相談のないクラウスの行動にアシェリーは憤慨していた。
(なんて紛らわしい……!)
もっと他の方法はないのか、と心を痛めて悩んだ期間は無駄だった。
それに迎えにきてくれた兵士達を疑う行動をしてしまい申し訳なかった。事実が判明した後にアシェリーが謝罪すると彼らは恐縮して『我が主君の説明不足ゆえですから』と許してくれたが。
もちろんまだクラウスの計略に嵌っている可能性がない訳ではないが、アシェリーは疑いの心はいったんは置いておくことにした。『安全な場所で待たれた方が……』と渋面になる兵士を説得し彼らと共にラルフのいる王都に向かうことにしたのだ。
(原作にないストーリー。ラルフの身に何が起こるか分からないもの)
「アシェリー様、疲れていませんか?」
隣を走る護衛がそう声をかけてくるが、アシェリーは首を振る。
「いいえ、大丈夫。急ぎましょう!」
そうして辿りついた王都は異様な空気に包まれていた。アシェリー達は馬を降りて周囲を見回す。
(な、なに……?)
いたるところに兵士らしき恰好をした男がたむろしていて、酒場で飲めや食えやの大騒ぎをしている。人が溢れすぎて道端で座って飲み食いしている者達もいる。市民と兵士が混じっての宴会がいたるところで開かれていた。
アシェリーが王都に入ったという知らせが早々に入ったのか、ラルフが馬で駆けてきた。
「アシェリー!」
「ラルフ、無事で良かった……!」
馬から降りたラルフと抱き合う。彼の匂いを嗅いで存在を噛みしめると、ようやく落ち着いた。アシェリーは問う。
「町中で戦勝の宴でも開いているのですか?」
「いいや。今も俺達は戦っている最中だ。アシェリーもどうだ?」
ラルフは追ってきたクラウスから肉の串焼きを受け取り、アシェリーに渡してくれる。
「あ、ありがとうございます。お腹が空いていたから嬉しいです。私の護衛さん達の分もありますか?」
「もちろん! 皆さんどうぞ!」
クラウスが兵士達が炊き出しをしている屋台へと促す。アシェリーの護衛達は戸惑いつつも「ありがたい」と休憩を取ることにしたようだ。
「食べてみろ。美味いぞ」
「はい」
まだ温かいそれを口に入れると、炭火で焼いたお肉からはじゅわりと肉汁が広がり、その後に塩味。鼻腔を香草の匂いが抜けていく。
王宮のフォークやナイフを使う上品なコース料理とは勝手が違って野性味あふれているが、それがなおさら素朴な美味しさを掻き立てる。
「美味しいです」
(町の治療院で働いていた時はサミュエルとこうして町の食事を取っていたわね)
思い返して懐かしむ。
「それなら良かった」
そう微笑むラルフの後ろでクラウスがニコニコしているのが気にかかる。アシェリーはラルフを窺うように見た。
「お二人の誤解は解けたのですね」
「ああ」
「あはは。どうやらご心配をおかけしていたみたいで、すみません」
ラルフはげんなりとした表情で、クラウスは後頭部を掻きながら笑っていた。
「これからどうするのですか? しばらくこのまま様子見?」
アシェリーの問いに、ラルフが首を振って悪戯めいた笑みを浮かべている。
「総主教が王宮の中にいる信者達と話したいと言っているから任せてみようと思う。それに良い考えがあるんだ」




