第13話 ラルフの記憶
それからしばらく馬車で進み、今晩はどこかで野営をしようとラルフ達が話し合っていた時のことだ。
林の奥から早馬が駆けて来る。
「陛下ー!! 大変です!」
息を切らしながら駿馬に乗ってやってきたのは、自国の兵士だった。
「どうした?」
ただ事ではない雰囲気をかんじとり、ラルフは強張った表情で兵士に問いかける。
兵士は転がり落ちるように膝をついて礼をすると、ラルフに向かって言った。
「聖女が……! いえ、元聖女で王妃様暗殺疑惑をかけられたアメリアが、シュバルツコップ侯爵と共謀し暴動を起こしました!」
「なんだと……!?」
「暴動ですって……?」
アシェリーは信じられないとばかりに口元を覆う。
「アメリアはシュバルツコップ侯爵と共謀し、侯爵の私兵と賛同者や己の信者達を連れて王宮に押し込んで占領しました……! 今はクラウス様が兵を出動させて反乱を鎮めようとなさっています。お早く王都までお戻りください」
焦った様子の兵士に、ラルフはうなずく。
「分かった。俺は早馬で先に行こう。アシェリー、お前はゆっくり後からついてきてくれ。すぐに信頼できる兵士を送る」
つまりラルフと離れ離れになるということだ。
アシェリーはラルフにすがりつく小芝居をする。
「ラルフ、何だか胸騒ぎがします。私も連れて行ってもらえませんか?」
「しかし……」
ラルフは躊躇する様子を見せた。
当然だろう。自分一人なら馬を早く駆けて首都に戻れる。しかしいくらアシェリーが一人で馬に乗れるようになったとはいえ、足手まといには違いない。到着が遅れた分だけ国民が危険に晒されるのだから。
「王妃様、お気持ちは分かりますが、ここは……」
「必ず我々がお護りします。陛下を信じて」
護衛達にそう励まされ、アシェリーは手から力を抜いた。
ラルフは苦渋の表情だったが、励ますようにアシェリーの両肩を叩く。
「大丈夫だ。必ず戻る」
「分かりました。せめて、これを一緒に持っていってください」
アシェリーは『精霊の涙』をラルフに手渡した。ラルフはそれに口付けを落として強く握りしめる。
「ありがとう。お前だと思って大事にする。──お前達、アシェリーを頼んだぞ」
ラルフの言葉に、その場にいた兵士達が「ハッ」と敬礼した。
そしてラルフが愛馬に乗って去っていく後ろ姿をアシェリーは不安を抱えながら見守った。
(これで本当に良かったのよね?)
あえてクラウスを泳がせ罠にかかった振りをする。
それがラルフとアシェリーが相談して決めたことだった。ラルフからはアシェリーが危険になることはさせられないとさんざん反対されたが、アシェリーが加わった方が敵も油断すると説得した。
ここからは見えないところにもラルフの忠実な『王の影』が潜んでおり、アシェリーの身の安全を守っている。
ラルフはこれを機に反逆者達を一掃するつもりだ。
『王の影』によって総主教は見つけられ、すでに安全なところに保護されている。
準備は着々と進んでいる。
(──とはいえ何が起こるか分からないから油断はできないわ)
アシェリーは気を引き締めて兵士達に向かって言った。
「私達も陛下の後を追いましょう」
アシェリーは王都までの道程の間、馬車の中でずっと祈り続けていた。
(どうかラルフ、王都の人達、皆無事でいて……! 何事もなく終わりますように)
被害が出ないことが一番だが、クラウスが反逆を実行した以上は流血は避けられない。
『もしもクラウスが思いとどまるならば、俺は見なかった振りをする』
そう決意の内を漏らしたラルフの表情を思い出す。こうなってしまって一番落胆しているのは彼だろう。
途中雨が降ったが、街道が整備されていたので、ほとんど休憩することなく走り抜けられたのは幸いだった。それでも三日かかる行程を一日半で走破して、アシェリー達が間もなく王都に到着するという時のこと──。
林の陰から眼前に兵士らしき男数人が現れた。木々に隠れていたのだろう。
馭者が慌てて馬車を停めた。
その男達は自国の兵士の格好をしている。それに気付いたアシェリーは馬車から降りて慌てて出て行くと、兵士達はアシェリーの前に膝をつく。
「王妃様! ご無事で良かったです!」
「あなた達は我が国の兵士ね。王都はどうなっているの? ラルフ──陛下の状況は!?」
アシェリーの問いに兵士は表情を歪める。
「陛下はアメリアの暴動を止めに行かれました。俺達はアシェリー様を安全なところにお送りするよう命令を受けましたので、どうか我々とご一緒に……」
兵士の言葉にアシェリーは眉根を寄せる。
「そんな……! 私一人で逃げるなんてできないわ! 私も戦う! ラルフのところへ連れて行って!」
アシェリーが強く言うと、兵士は躊躇する様子を見せたが、思ったよりもあっさりと首肯した。
「分かりました。それでは用心して我々についてきてください」
そう言って兵士達がアシェリー達に背後を見せた瞬間──音もなく近付いてきていた『王の影』達が兵士達に飛び掛かった。
そうしてアシェリーが目を丸くしている間に裏切り者達を背後から拘束してしまう。
「なっ!? これはどういうことですか!?」
動揺している兵士達にアシェリーは腰に手を当てて言った。
「首謀者の名前を言いなさい。私を捕えてどうしようとしていたの?」
冷たい声で問えば、反乱者達は震えあがった。青ざめていた男の一人が「誤解です! 我々は本当に──」と誤魔化そうとした。
「正直に言え」
『王の影』がナイフを男の首に這わせる。男は「ひぃっ!」と叫び、焦ったようすで言う。
「本当なんですって! 我々はクラウス様に命じられて王妃様を安全な場所へお連れするよう命を受けて……!」
「安全な場所へ私を連れて行ってどうするつもりだったの? 私を陛下への交渉の道具に利用しようとしたの?」
「違います! クラウス様はそんな御方ではありません! って、どうして全然話が伝わっていないのですか!? 我々は味方です!」
そうわめく男の様子にアシェリーは困惑した。
(何だか刺客達の態度がおかしいような……)
苦し紛れに味方だと言っているだけの可能性もある。油断はできないが──。
「事情をもう少し詳しく話してちょうだい」
そこでアシェリーは驚愕の事実を知らされることになるのだった。
◇◆◇
ラルフは駿馬を駆けさせていた。
先導する兵士達はクラウスの手の者だと分かっている。ラルフの背後には三人の手練れの護衛がいるし、少し離れた森の中には『王の影』がついてきていた。
シュトバリアス地方に滞在している間も自国の諜報員と密かにやり取りし、クラウスの動向を探っていた。
総主教を保護し、反国王派の貴族やヴィザル教徒との密書や使用人達の証言も確保してある。
(──あとはクラウスを捕えるだけなのだが)
「どうしてこうなった……」
思い起こすのは十年前──ラルフがまだ十一歳になる前の時のことだ。
次期国王として生を受け、自由にならない日々を過ごした。他の貴族の子供と違い、帝王学を勉強する日々への不満があった。自分に対して重い期待ばかりする両親。お茶会で知り合ったばかりのアシェリーにつきまとわれるストレスを剣を振るうことで解消していた当時、己を慰めてくれていたのは愛犬のカイルだけだった。
だが、カイルがある日、口から血泡を噴いて亡くなっていた。それを弟のクラウスと共に発見した。
呆然としてカイルを抱き上げた。なぜか、クラウスが一瞬笑ったように見えたけれど、それは気のせいで、すぐに「可哀想に」と眉を下げた。
「きっと悪いものを食べたんだね」
(悪いもの?)
確かにカイルの口からは緑色の液体が漏れていた。
動転してカイルの死因を口にするクラウスに不信感も抱かなかった。
その時に二人の母親である王妃がやってきて、眉を寄せる。
「ラルフ! 何をしているの? 帝王学の時間ですよ。先生も待っているんだから、遊んでいないで支度しなさい」
「でも母上、カイルが……っ」
涙をこぼしながら愛犬を抱きしめるラルフに、母親は顔をしかめる。
「あら死んだの? きっと撒いてあった殺鼠剤でも食べたのね。あとは使用人に任せて支度しなさい」
母親の言葉が信じられなかった。なおも彼女は言う。
「だいたい犬を飼うなんて私は反対だったのよ。ドレスに毛がつくし犬臭いのは嫌いなの。治療師がラルフの魔力と心を安定させるのに動物を飼うのは有効だからと力説するから陛下も仕方なく飼うことを許して──」
頭が真っ白になった。
気付いた時には母親は血を流して倒れていて、そばには腕を押さえて尻餅をついたクラウスがいた。まるで化け物でも見るような目でラルフを凝視している。
魔力暴走を起こしたのだ、と気付いた時には後の祭りで。
父王に命じられて何か月も軟禁生活を送った。その間に母親の国葬は終わっていた。
あんな事態を起こしておきながらラルフの王位継承権は揺らがなかった。魔力暴走については隠ぺいされ、王妃は病気で亡くなったことにされていた。そうして庇われるのは父王に愛されているからではなく、次期国王と見なされているというだけだと気付いたのは半年ほど経ってからだった。
「自分は王にふさわしくないからクラウスを王太子にしてください」
そう父王に懇願しても、彼は頑として首を縦に振らなかった。
「あいつは……」
物憂げに窓から外を眺めながらつぶやいた国王である父。その視線の先を見れば中庭の回廊で立ち話をしている大臣達の姿があった。その中にはヴェルナー・シュヴァルツコップ侯爵もいる。後ろに撫でつけた金髪と整えられたひげと冷たさを感じる青い目──その横顔はどこかクラウスの面差しと重なり……。
ラルフはハッとして父親を見つめた。父王は黒髪と青い目。ラルフも同じだ。けれどクラウスは目こそ青いが、金髪だ。母親は長く綺麗な銀髪だった。『きっとクラウス様は母方のおじい様に似たんですね』そう侍女が話していたのを聞いた覚えがある。けれど、妙な噂があることも知っている。王妃はシュヴァルツコップ侯爵と懇意にしていた。
苦々しげにシュヴァルツコップ侯爵を見据える父親の表情が全てを物語っているようで──ラルフはそれ以上は何も言えなかった。
ラルフの魔力は年を重ねるほどに強くなっていくようだった。どんな治療者もラルフの魔力を安定させることはできない。ないよりはマシ程度の治療を毎日受け、体内を渦巻く魔力の不快さと爆発寸前のそれに耐えかねていた頃、アシェリーが部屋に現れた。
自室と限られた場所しか往復することを許されていなかった軟禁生活のラルフは、顔見知りのアシェリーに会うのは久しぶりだった。
「お久しぶりね、ラルフ」
アシェリーはそうニッコリと笑う。
王子に対する態度にしてはフランクすぎたが、友人とも会うのを許されていなかったラルフはいけ好かない相手のアシェリーでも歓迎した。いつもなら咎める彼女の傲慢な態度も許容した。おそらく刺激に──いや、長いこと愛情に飢えていたのだ。
「どうしてここへ? 父上の許可は取っているのか?」
「もちろん。陛下はご存じよ。むしろ陛下に頼まれてここに来たと言っても良いかなぁ。私のお父様が『私には天才的な魔力制御の才能がある』って陛下にお伝えしたら、是非ラルフを見てやってほしいって頼まれたのよ」
「父上が……?」
ラルフは当惑した。
アシェリーはズカズカとラルフの元まで歩いてくると、下から顔を覗き込んできた。まるで血のように赤い波打つ髪、新緑のような瞳がラルフを射抜く。整った容貌だったが、ラルフは彼女が苦手だった。我が儘で、王族であるラルフに対しても偉そうで、それでいて痛烈なことを平気で口にするから。
「私が助けてあげる。その代わり私のものになりなさい」
「何を言って……」
戸惑うラルフの肩をつかみ、アシェリーは魔力を流し込む。
(なんだこれ……!?)
初めての感覚だった。体の奥底、細部に滞っていた魔力が流れ始める。体の脈という脈を全て鷲づかみされて優しく擦りあげられたような感覚だった。
耐え切れず崩れ落ち、ラルフはその場に膝をついた。顔を上気させて全力疾走したように荒い息を吐いているラルフに、アシェリーは馬鹿にするように笑う。
「これが私の力。その辺の治療師なんて比較にならないでしょう?」
それはラルフも認めざるを得なかった。不快だった気持ち悪さは消え、先ほどの異様な快感だけが体に残っている。
追い詰めた鼠をいたぶる猫のような目で、アシェリーは言う。
「魔力制御は続けないと意味がないの。いまは治療したけれど、また体は辛くなってくるわ。放っておいたら、いつかまた暴発しちゃうかもね」
暗い顔で押し黙るラルフの両頬を、アシェリーは掌で包んだ。
「だ・か・らね? この私が助けてあげるわ。魔力制御に目覚めて良かったわ。これで、ラルフを好きにできるんだもの」
そう言いながら無遠慮に首筋を撫でられ、全身の毛が不快さに耐え切れず逆立つ。
ラルフはアシェリーの手を払いのけた。
「……もし断ったら?」
その問いに、アシェリーはきょとんとした顔をして首を傾げる。
「私が魔力制御してあげなくても良いの? そうなったら、あなたは周りの人をみんな殺してしまうかもしれないのに。あなたのお母様にしたみたいにね。それが嫌なら私の婚約者になりなさい」
(選択肢などない、か……)
黙り込むラルフに、アシェリーは楽しさを抑えきれないというようにクスクス笑う。歌い出しそうなほど上機嫌だ。
ラルフは我慢できなくなり、アシェリーの赤髪の束をつかんで唸るように言う。
「……良いだろう。俺を好きにすればいい。だが俺の心まではお前の好きにはさせない」
おそらくギラギラした目をしていたのだろう。ラルフの食らいつきそうな目を見て、アシェリーは「あははっ! 反抗的な獣みたいね。その悔し紛れの言葉もいつまで持つかしら」と艶やかに笑った。
ラルフは過去を思い返して、それを振り払うように頭を振る。
昔のアシェリーを思い出すと何とも言えない微妙な気分になってしまう。
よくここまで心境が変化したものだ、と自分自身に驚いてしまうが、彼女が今や別人のように変わってしまったんだから己だって対応を変えざるを得ない。
もしかしたら心のどこかでは嫌がりつつも彼女に惹かれる気持ちもあったのかもしれない。けれど以前のアシェリーのままだったらきっと、自分はこうして素直に心を開くことはできなかっただろう。
(きっとアシェリーは生まれ変わったんだ)
ラルフは努力して変わった彼女を愛したのだ。
馬を疾走させながらラルフは次々と湧いてくる思考に囚われていた。
配下達が「陛下! 速度を落としてください!」と慌てているのが聞こえて、少しだけ手綱を緩める。
(今思うと、カイルが亡くなった時のクラウスは不自然な笑みを浮かべた気がする)
考えたくない悪い想像が脳裏に浮かぶ。
──もし故意にクラウスがカイルを殺したのなら?
そんなに昔からラルフはクラウスの恨みを買っていたことになる。
弟から母親を奪ってしまったことが後ろめたくて、クラウスと向き合えなくなっていた。父王も、母親も。家族の関係は何もかもがあの時に壊れた。
ハラハラと降り出した雨がラルフの頬を濡らす。
「……けりをつけるぞ」
そう噛みしめるようにつぶやいた。
王都はもう間近に迫っている。




