24話 その瞳を開いて
「どこまでが、嘘だったのかな」
慧はその問いに答えない。それを歩自身が答えを出すべき問いだと知っていたから。
そして歩も自身もまた……
(信じたい)
それを直感で理解していた。
(僕は、それでも信じたくて)
歩は答えを探し始める。自分の中にあるものを、ひとつひとつ引き上げて。
「最初は単なる偶然だけど、僕である必要はなかったけど……それでも白は僕を選んでくれた。可愛いって言ってくれた。たくさんデートもしてくれた。手を繋いでくれた。口じゃないけど、キスだってやりあった。用事が無いのに会いに来てくれた。人としての好意も抱かれた……」
思い出を引き上げれば、底に閉じ込めていた想いも一緒に引きあがる。不安、疑心、恐怖……
「もしもこの思い出のなにもかも嘘で、白が僕になにも思っていなかった。人として好ましくすら思われていなかったなら……僕はきっと耐えられない。僕が好きになったのは僕の手に収まらないほど自由に生きる白だけど、それでも白が幸せならそれでいいなんて……言えないよ。矛盾してるかもしれないけど、それでも僕は白が欲しいんだ」
(なんて小さいやつなんだろう、僕は)
体だけじゃなくて心が小さい。自分本位で疑り深くて、こんな自分が嫌になる。自分がもっと強かったら、今よりずっとマシな答えを見つけていたんだろうか。
歩は弱い自分が嫌で嫌で堪らなかった。それでも目は逸らさない。その奥に、まだ言葉は残っていたから。
「それでも」
心の奥の奥にあるそれを歩はありのままに引き上げて、そして意地でも笑ってみせる。
「もし慧が言うように、白が僕を好きになっていたのなら……むしろ願ったり叶ったりじゃん! そのために僕は今まで頑張ってきたんだから! それに慧はひとつ間違ってるよ。白がもし恋心や他のなにかを隠してたからって、それだけで僕の見てきた白が全部嘘になるわけじゃない」
歩は思い出す。つい昨日に叩きつけられた白の激情を。
――私の夢を、あなたがぐちゃぐちゃにしてしまった。あなたの、せいで!
(白は必死だったんだ)
頭の悪い自分にはそれだけしか分からない。だけどそれだけ分かれば今は十分だった。
「たぶんさ、白はみんなが思ってるよりも分かりやすいんだよ。分かりやすいから、隠そうとすると必死になったりもする。白は不器用なんだよ。だからきっと、僕の見てきた白はちゃんと本当なんだ」
歩の瞳が慧を力強く見据える。慧もまた、真っ直ぐそれを受け止めて言葉を返した。
「もう一度聞くぞ。白ちゃんのことを知らないお前に、一体なにが分かるんだ?」
「分からないよ。でも信じてる」
「……それじゃあもしも全部が本当だったら? 人としてお前を好ましく思ってても、お前に恋心を持ってなかったら?」
「それこそ今までとなにも変わらないじゃん。僕の恋した白が全部本当だったら、僕は今まで以上に頑張るだけだよ」
「お前は……」
慧がまた口を開く。そして反撃の言葉を、言葉を……
「ほんっと~~~に、馬鹿なんだな」
探すのを諦めた。
その代わりに腹の底から、はぁ~~~っと全力の溜息を吐きだす。あまりに露骨な溜息は、歩の癇に障るどころか全力で殴りつけてきたわけで。
「なんだよいきなり!」
「降参ってことだ。恋は盲目とはよく言ったもんだと心の底から思った」
「お、お前……ここにきて呆れるってないでしょそりゃ!」
「呆れるほどの馬鹿なんだから、呆れる以外になにがあるってんだよ」
「もー! 人が真面目に話せばすぐ茶化すんだから慧は――」
ぐぅぅぅぅぅ~~~。
歩の腹が、いきなり唸った。
「あっ」
そういや昼飯食べてなかった。
歩は自分の空腹をようやく自覚した。自覚するまでは何ともなかったのに、一度自覚してしまえば腹が減ったという叫びがそれこそ腹の底からわっと湧いてきて、頭の中があっという間に埋め尽くされてしまった。
「よし、とりあえず食べよう」
「食べようってお前、ここ俺の家で俺の部屋なんだけど?」
「だったらいいでしょ」
「まぁいいけどさぁ……」
際限なく呆れる慧を尻目に、歩は足下に置いてあった自分のスクールバッグから弁当箱を取り出した。
風呂敷代わりに弁当箱を包んでいたハンカチをほどいてそれから弁当の蓋を開けば……中身には黄金に輝く卵焼きやらスパイシーな香り漂う鳥唐揚げやら、梅干しをちょこんと乗せてごま塩振った白飯やら、絶対旨い感じのやつがありったけに詰まっていた。
これぞ、歩の手作り弁当である。
ちなみにこれもまた女性になってから始めた趣味の一環なのだが、それが本来誰のためのものなのかは、もはや言うまでもないだろう。
だが今は自分のための弁当だ。歩は弁当を左手にそして箸を右手に持つと猛烈な勢いで食事を始めた。冷めてもジューシーな鶏肉を、甘くてふわふわな卵焼きを、塩気の効いた白米を片っ端から口へそして胃へとぶち込んでいく。するとエネルギーが充電されて、胃がそして口がさらに激しく稼働する。もっともっと、とにかくエネルギーが必要だ。衝動のままに食べ続けるその中で、
「なぁ、なんで俺じゃないんだ?」
不意にそんな問いが聞こえた。だが今は飯を食べることがなによりも優先事項だ。だから歩は口いっぱいに飯を頬張ったまま生返事を返した。
「ふぁふぃが?」
「せめて口の中飲み込んでから喋れ。いやな、似た者同士なんだろ?」
歩はスクールバッグから水筒を取り出す。その蓋を開けて、蓋にお茶を注いで……ええいまどろっこしい! 水筒に口を付けてぐいっと持ち上げた。
「なんで白ちゃんに惚れたんだろうなって。ぶっちゃけお前は俺に惚れる可能性もあるなって、昔から少しは考えてた。なんつうか、昔から世話焼いてやってるし?」
水筒から喉へと流れていくのは生温い麦茶だ。香ばしくも癖のない味。熱くも冷たくもない。飲みやすいからぐびぐびイケる! 一気に喉を潤してさぁ飯だ……の前に、返事を適当に放り投げとく。
「なにその質問。まさか僕に恋してた、とかじゃないでしょ?」
「とかじゃないが、純粋な疑問ってやつだ。こう言っちゃなんだがなんでよりにもよって白ちゃんなんだ?」
そんなの考えるまでもない。だから弁当の中身を箸で突っついて、次はどれを口に入れようか悩む片手間に。
「白の瞳が好きだから。視野が広くて聡明で、そのくせ誰よりも真っ直ぐ一直線。いつだって本気で気高い瞳はきっと白そのものなんだ」
よし決めた。このアスパラのベーコン巻きだ。すぐ口に放り込めばアスパラの苦みとベーコンの旨味が絶妙ミックス。そこにまだ残ってる白米を追加でミックス! 我ながら素晴らしい出来だと自画自賛しながらよく噛んで味わって……あ、そういえばまだ言うことがあった。
だから麦茶を口内へと一気にぶちこみ全て纏めて飲み込んで、残り僅かとなった弁当箱を見つめながら。
「あの瞳に夢を貰ったんだ。なんでもいいから特別ななにかを欲しがっていただけの空っぽな僕が、初めて夢中になれたのが白なんだ。だから白に恋をしたんだ」
「ふーん。でもその夢中になったきっかけだって、一目惚れなんだろ? なんか変じゃねーか?」
「そっか、言われてみれば……白を好きになったから、白を好きになっただなんて。でもいいじゃんそれ、なんかいい!」
なんかいいから、残ってた弁当を一気にかきこむ。箱の隅に残った米粒までもをよく噛んで、たっぷり味わって、しっかりと飲み込んで。それから水筒の中のお茶もぜーんぶ飲み干して、ついにエネルギー充填MAX! 〆には乙女のたしなみとしてハンカチでそっと口を拭って。
「ごちそうさま! ぶわぁ!?」
なんだ、急に真っ暗になったぞ。停電か!?
視界が閉ざされたと同時、顔に布のような物が張り付いているのを感じた。慌ててそれを引っぺがしてみれば、一気に視界が明るくなった。そんでもって手に握った物へ目を落とせば。
「ふかふかだ」
見るからに暖かそうなジャンパーがそこにはあった。
「そら防寒具だからな。飯食ったんならさっさと準備すっぞー」
そう呼びかけてくる慧もまた、学校指定のウインドブレーカーを羽織っていた。
「準備? なにさ?」
「さぁなんだろな。ところでお前、白ちゃんの絵本とやらはどうしたっけ? 話聞いた限りだと弾き飛ばされてそれっきりだけど」
「へ? そりゃあ……」
弾き飛ばされて、白が走り去って、それから、それから……。
「……あ!」
歩はついに思い出した。なんと白の本はあの公園に置きっぱなしじゃないか! 歩はすぐに立ち上がった。
「取りに行かなきゃ!」
「だから準備しろって言ってんだ」
「なるほど!」
歩は急いで準備を始めた。慧に投げつけられたジャンパーを羽織り、慧から手袋を借りて、慧からマフラーを借りて……
「……こんなにいる? 今日そんな寒かったっけ」
「そら雪降ってるしな」
「雪降ってるの!?」
「お前それすら気づいてなかったのかよ……とにかくこんぐらい着こめばいいだろ。そんじゃ行くぞー」
「おっしゃ!」
そんなこんなで慧の家をあとにしたふたりは、例の公園へと行くためまずはバス停に向かった。その道すがら、慧が歩に軽く問う。
「で、本を取りに行ったあとはどーすんだお前」
「んー、まずは白に謝って……そっからは流れ次第?」
「適当だな」
「いやぁ、ここまで来たら下手に考えたってしょうがないかなって。目指す場所はもう分かってるからあとはガツンと行くだけじゃないかな」
「まーじで適当だな」
それからしばらく歩いて、慧はまたもや軽く問う。
「なぁ、俺の瞳ってどうよ」
「は?」
「白ちゃんの瞳は夢をくれたんだろ? だったら俺はどうなんだろうなーって」
「変なこと聞くね。また純粋な疑問ってやつ?」
「……そうだな」
「えー、なんだろう……慧の瞳は、胡散臭い?」
「おいこら」
「あ、わりと褒めてるんだよ? 胡散臭くて余裕たっぷりで、そのくせなんだかんだでちゃんと見てくれてるっていうか……なんていうか、慧と話してるとなんとかなりそうだなって思えるんだ。だから頼りにしてるよ、親友」
「そりゃ光栄だ」
「なんだかんだで世話焼きだしね。今一緒にいてくれるくらいには」
「おうもっと褒めろ。ま、雪に手を突っ込むのは嫌だから着いたらあとは自力で探せよな」
「そーいうところがさ、素直に褒めさせてくれないんだよね……まぁいいけど」
話しているうちバス停に到着した。もうほどなく公園行きのバスが来るらしい。歩がまだかまだかとそわそわする横で、慧は余裕そうにスマホを弄っている。
「なーに見てんの?」
「内緒」
「そーやってなんでも隠す。どーせ大したことないくせに」
「はっはっはっ。お前がそう思うんならそうかもな」
「はいはい意味深意味深。ああもう、まだかなぁバス速く来てよぉ!」
そう言いながら歩は唐突にその辺をうろうろし始めた。そわそわし過ぎて不審者と化してる親友を……慧はちらりと眺めて、そしてくすりと笑う。
「ま、確かに大したことないかもな」
歩に聞こえないほどの小声でそう呟いて、慧はスマホに視線を戻した。そのスマホが開いていたのはLINEのトーク画面だった。
画面の一番上に表示されているグループ名は、『ふたりの仲を面白おかしく見守り隊』。
「大したことない、駄目押しだ」
慧はまた、くすりと笑った。




