095:討伐
ヒュドラに向かって真っ先に駆け出すと、背後から黒衣たちが追ってくるのが背中から伝わってくる。
今までの嚥獄のボスも通常の魔獣に比べると確かに強くはあったが、強敵と呼べるほどではなかった。そのため、連携で倒すなんてことは一切なく、今まで単独でも危なげなく勝つことができていた。
しかし、今目の前にいるヒュドラはそう簡単にはいかないだろう。そう思わせるだけの存在感が目の前の魔獣からは発せられていた。
『詩庵様。私たちが援護します。隙ができましたら奴の首を斬り落としてください』俺の脳に直接黒衣の声が聞こえてくる。凛音が開発してくれたコネクトのお陰で、俺たちはネットの環境に左右されずにコミュニケーションを取ることが可能だ。
『分かった。みんなくれぐれも注意して戦ってくれ』
俺がみんなの身を案じると『詩庵もね!』と瀬那が返してくる。黒衣と瀬那は言ってしまえば契約で繋がっている関係だ。そのため彼女たちが俺を裏切ることはないだろう。だが、そんなものがなかったとしても、俺は彼女たちに全幅の信頼を寄せいている。もし彼女たちの身に何かがあったなら、俺はその原因になったモノやコトを許すことはないだろう。
『お前たちのことは私が盾になってでも守ってみせるよ』そう言ったのは、最近俺たちの仲間になった美優さんだ。彼女との出会いは衝撃的だったし、最初は警戒を続けていたが瀬那を身を挺して守ってからは、他のクランメンバーと同様に信頼を寄せるようにしたのだ。
そして、彼女も俺たちのことを同様に信頼してくれていると思う。
あれは俺が彼女に全てを打ち明けた夜のことだった。俺の部屋をノックをしたので、ドアを開けると彼女が立っていたのだ。
どうしたのかと尋ねてみると、全てを打ち明けてくれたこと、そして俺たちがやろうとしていることに深い感銘を受けたらしく、俺に全てを捧げて仕えたいというのだ。しかも『詩庵くんになら私の純潔を捧げるのも吝かではない』と言い出したので、流石にそれはと慌てて止めたのだが、そこまで言ってくれた彼女のことを信じられないほど俺は猜疑心の塊ではない。
『美優さんならちょっと危ないだけでも俺たちの盾になりそうだから、みんな気をつけような』俺がそう言うと、美優さんを除く全員がクスリと笑った。美優さんは俺の言葉に抗議をしようとしていたが、目の前に迫ったヒュドラがそれを許さなかった。
先ほどまでは俺たちが動き出したのを見ても反応をしなかったヒュドラだが、残り20mほどの距離まで近づくと突然9つ全ての頭を上げて『ゴオォォォオォ』と唸り声を上げる。それが全ての首から同時に発せられたので、大気が激しく揺れて俺たちの動きを一瞬遅れてしまった。
ヒュドラは俺たちが与えてしまった一瞬の隙を逃さずに、持ち上げた首を振り下ろして襲い掛かってきた。
首が一定方向からではなく、上下左右様々な方向から襲いかかってくる。それだけでも厄介なのに、不規則な動きをしてくるので動きを完全に見切ることが困難だった。それに、なんとか一本の首を躱してもすぐ様別の角度からもう一本の首が襲いかかってくるのが厄介すぎた。
『みんな大丈夫か?』
『はい、大丈夫です。――ヒュドラの首は私たちで引き付けますので、詩庵様は一度こちらから離脱して頂いて、隙を見つけて背後から首を切ってもらえないでしょうか?』
俺は黒衣の提案に同意し、一度戦線を離脱するのだが、ヒュドラの首はそれを逃そうとはしなかった。だが、ヒュドラの前に立ち塞がったのは、二本のハルバードを振り回す美優さんだった。出会った頃からハルバードを持っていたので、気にしていなかったのだが元々彼女は槍術を得意としていたらしい。しかし、芽姫と魂が融合し、神魂が発動して力が増幅されたことにより、重くて力強いハルバードを好んで使うようになったとのことだ。
「詩庵の邪魔をするやつは私が許さない!」美優さんがそう力強く言い放つと、手にしたハルバードをヒュドラの顔面目指して振り下ろした。俺は美優さんのサポートに感謝する。ヘイトが美優さんに向いたことで、俺は難なくヒュドラの死角に回り込むことができた。そして、思いっきり地を蹴ると、ヒュドラの首を目掛けて宙を舞う。
「天下一刀流、太刀の型……『天地崩れ』」
ヒュドラの首を袈裟斬りにすると、根本から斬り落とすことに成功した。手応えを感じた俺は、他の首の追撃を警戒して空中でヒュドラの方へ向き直るのだが、眼前には大きな口が迫ってきていた。俺はその攻撃を何とか躱すして、すれ違いざまに一太刀浴びせたのだが、首を斬り落とすまでには至らなかった。
俺が体勢を整えると『詩庵様が斬り落とした瞬間に、新しい首が再生しました』と黒衣が伝えてきた。改めてヒュドラを確認すると、確かに斬り落としたはずの首からは、新しい首がすでに生えていた。しかも、新たにもう一本の首が生えており、合計10本の首が現在俺たちに襲い掛かってきている。
首を斬ってもすぐに生えてくるし、胴体を斬っても怯むことなく襲ってくる。ここまでは神話通りの存在だ。では、神話ではヒュドラのことをどうやって討伐したのか。俺が記憶を遡っていると、『みんな! ヒュドラの首を斬ってもすぐに再生しちゃうの! だから、傷口を燃やすなりして再生能力を失わせないとダメだよ』と凛音からヒュドラ討伐の指示が届いた。それを聞いた俺は、確かに神話のヒュドラは、凛音が言った通りの方法で倒されていたと思い出すことができた。
ヒュドラ討伐の糸口が見つかった俺は、『分かった! ありがとな、凛音!』と感謝を伝え、黒衣にアイコンタクトを送る。その視線の意図を察したのか、黒衣は首を縦に小さく振ってきた。
「葬送神器――――黒死天斬」
もしヒュドラに再生能力がなければ、葬送神器を唱えるどころか、黒衣を神器化せずとも勝つことが出来ただろう。しかし、ヒュドラを倒すためには、斬り落とした傷口を燃やして再生出来ないようにしなくてはいけない。それを凛音から聞いたときに、ついに黒衣と研究を積み重ねた必殺技を出す時が来たと判断した。俺たちは必殺技の開発をレベルを上げるよりも最優先で行い、最近になってようやく形にすることができたのだ。
――俺は無個の霊装という万能にして無能と呼ばれる霊装を纏っている。この霊装はどの属性の神器や霊器を持つことが出来る代わりに、自分自身の霊装を使用した必殺技を作ることができないというデメリットがあった。神器や霊器自体に技があればそれを使用することは可能なのだが、黒衣は支援系の能力が高い代わりに、攻撃に特化した必殺技を持っていなかったのである。
必殺技に関しては、力の底上げにもなるので瀬那も取り組んでいて、俺たちよりも先に完成させていた。美優さんに関しては、芽姫が使用していた必殺技をそのまま使用することができるとのことだった。
『みんな! 俺は例の必殺技を使うつもりだ。少し距離を開けて巻き込まれないようにしてくれな』
『『分かった(わ)』』
葬送神器モードになった今の俺の霊装は160%まで出力を高めることが出来るようになっている。以前までは140%が限界だったのだが、嚥獄にダイブするようになってレベルが上がったことにより、霊装の出力を160%まで引き上げることに成功したのだ。
急激に力を得た俺の速度にヒュドラはついてくることが出来ないのか、気付いたら6本の首が俺に襲いかかっていた。だが、それでもヒュドラの動きが遅く感じてしまう。それだけの力を俺は引き出せるようになったのだ。
だが、必殺技を出すためには、少しだけ溜めの時間が必要になってくる。その隙を作らないといけないのだが、ヒュドラの生命力が強すぎるため斬っても止まる気配がないのが厄介だった。さてどうするか、と考えていると、『美優さん! ヒュドラの前足を同時に斬るわよ! 私のタイミングに合わせて』と瀬那がコネクトを使って叫んだ。それに『分かった!』と美優さんが応える。瀬那は溜めを作ることが出来ていない俺の状況を察して、ヒュドラの動きを封じようと提案したのだ。
そして、『行くわよ!』と瀬那が合図を送ったとほぼ同時に、ヒュドラの体が前方に崩れ落ちていった。それを見た俺は、流を使って黒死天斬の周りにほぼ全ての霊装を纏わせた。そして黒死天斬の周りを揺蕩う霊装を極限まで圧縮する。黒死天斬の周りには元々黒衣の霊装が纏っているのだが、内側に圧縮した俺の霊装とは違い、彼女の霊装は展開しようと外へ押し出そうとしている。今黒死天斬の周りには、2つの霊装が反発して高エネルギーを生み出しているのだ。俺は力を抑え込んだ黒死天斬を、ヒュドラの首元を狙って勢いよく振り下ろす。
「くらいやがれ! 『黒極』」
黒死天斬がヒュドラの首元に触れると、反発により高エネルギーを生み出していた霊装が弾け飛んで大爆発を起こした。ヒュドラの首は、激しい爆音と共に根本から弾け飛んだ。その爆発に巻き込まれる形で、周りの首も根本が抉れている。そして首の根本には、圧縮熱により発生した黒い炎が激しく燃え盛っていた。この炎は俺が消さない限りは燃え続ける不滅の炎なのだ。俺の予想外の攻撃に動揺したのか、ヒュドラは残った首全てで俺に攻撃を仕掛けてくる。瀬那たちもヒュドラの首を狙って攻撃はしているが、致命傷を与えることができないという判断なのかも知れない。
俺たちが総出で残り7本となった首の対応をしていると、ヒュドラの前足が、黒極で吹き飛ばされて今もなお燃え続けている首元を、鋭利な爪で抉り始めたのだ。そして、燃えた傷口を刮げ落すとそこから新たに2本の首が生えてきた。
「マジかよ……」俺はヒュドラの理不尽なまでの再生能力に、呆れ声を漏らしてしまう。
『詩庵様。やつの活動を止めるには、四肢を切り落として一気に首を落とすしかないかと思います』
『あぁ、私もそう思う。足がなくなっても、こいつだったら傷口を喰いちぎってしまいそうだからな』
『多分だけど、足は首ほど再生速度が速いわけじゃないみたいね。その証拠に私たちが前足を斬っても、回復するまで少し時間かかったみたいだし』
『なるほどな。じゃあ、まずこいつの動きを封じる必要があるな。――その役目を2人に任せてもいいか?』と俺が2人に一瞬視線を向けると『もちろんよ!』『任せとけ』と言いながら二人は力強く頷いてきた。
都合が良いことに、今完全にヒュドラのヘイトは俺に向かっているので、瀬那たちが首に攻撃しなくなってもそこまで気にすることはないだろう。俺は引き続きヒュドラの意識が俺に向くように、手打ちで攻撃し続ける。何手か攻撃を交わしていると『詩庵。こっちの準備はOKだよ』と瀬那から合図が送られてきた。
その合図を聞いた俺は、ヒュドラの背から降りて正面で向き合う形になる。そして、『俺も大丈夫だ!』と言うと、ヒュドラの背後から「白夜・颯』!」と言う声と同時に眩い光が放たれて、次の瞬間にはヒュドラの四肢の全てが斬り落とされていた。
白夜・颯――彼女の刀と同じ名を持つこの技は、瀬那が編み出した必殺技だ。光の属性を持つ瀬那の霊装を解き放ち、眩い光を発した後に超高速で移動しながら攻撃するというもの。直線の動きしか出来ないのが欠点ではあるが、この技を放った瀬那の動きを見切れる者はほとんどいないだろう。
瀬那の白夜・颯によって、ヒュドラの四肢が斬り落とされたが、ヒュドラは激しく胴体を動かして暴れ回っている。するとヒュドラを囲むように地面から土が迫り上がってきて、ヒュドラの周りを囲んで動きを完全に封じてしまう。これは美優さんの「地縛城壁』」だ。ただの土壁であったらヒュドラの動きを抑えることは出来なかっただろうが、美優さんが創り出した土壁には霊装が纏っている。そのため流石のヒュドラであってもそう簡単に破壊することができなかったのだ。
『『今だ(よ)!』』
ここまでお膳立てしてくれた2人の期待に応えるためにも、ここでヒュドラを倒してみせないとな。
俺は黒死天斬を鞘に収めると、「天下一刀流、居合の型――――虚空一閃』」を放ち、一瞬の内にヒュドラの首元に潜り込んで、鞘から黒死天斬を抜いて横薙ぎに振るう。
だが、ただ首を斬り落とすだけではヒュドラを仕留めることは出来ない。俺は鞘に黒死天斬を収めた際に、先ほど同様に霊装を刀身に纏わせて極限まで圧縮していたのだ。
「これで終わりだ。――黒極一閃!」
刀身がヒュドラの首元に触れると、圧縮された霊装が弾けて13回の爆発音を鳴り響かせた。ヒュドラの全ての首は弾け飛び、ヒュドラは胴体だけが残る形となった。その胴体も爆発により大きく抉れており、傷口からは不滅の黒炎が激しく燃えている。ここまでのダメージを与えると、流石のヒュドラも数分暴れた後にすぐ活動を停止したのだった。しかし、突然動き出すことも考えられるので、ロックアップに入れるまでは警戒し続けたのだが、無事何事もなく収めることが出来た。
「ヒュドラやばかったな……」そう言いながら、黒死天斬を手放して黒衣の神器化を解くと、「あの再生能力の高さには肝を冷やしました」と黒衣も呟いた。
「詩庵と黒衣ちゃん、お疲れ様」
「見事な技だったぞ、さすがだな」
そう言いながら瀬那と美優さんは笑顔で近付いてきた。2人とも怪我はなかったようなので安心していると、「かなりレベルが上がったことに気付いているか?」と美優さんが俺たちに聞いてきた。俺はその言葉を受けてアプレイザルでレベルを確認すると、42から50へと上がっているのが確認できた。俺のレベルは未だに上がりにくいのだが、それでも8も一気に上がったことに驚きが隠せない。
「私も84まで上がってた」と言うのは瀬那だった。彼女も71から一気に13も上がったらしい。最初に気付いた美優さんも10上がって、現在は80になっていた。そして、レベルが上がったのは俺たちだけではない。黒衣も同様にレベルが上がって、現在は92になっている。ヒュドラを一体倒しただけなのに、こんなにもレベルが上がるのは驚きだったが、あの強さを考えると妥当なのかもしれないと思い改めた。
「しぃ〜くぅ〜ん!」
俺たちがレベルが上がったことを喜んでいると、背後から凛音の声が聞こえてきた。俺は声がした方に振り返ると、ミカに抱きかかえられながら、物凄いスピードで迫ってくる凛音がいた。
「ここで離して!」と凛音が言うと、ミカは手を離して急ストップをする。すると当然のように凛音はそのまま勢いで宙を舞ったのだ。俺は慌てて吹っ飛んだ凛音をキャッチすると、「んふふ。しぃくんかっこよかったよ」と言いながらそのまま抱き着いてきた。
流石に危ないので注意しようとしたのだが、凛音が楽しそうにしているので、まぁ良いかと思い「応援してくれてありがとな」と頭を撫でると「えへへ」と顔を綻ばせた。その後黒衣と瀬那がどういう行動を取ったかは推して知るべしという感じである。
そんな俺たちを見て、美優さんはやれやれと肩をすくめるのであった。




