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ネイビージャイアント  作者: 水里勝雪
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50-1 “悲しみ”対“憎しみ”

 防衛隊科学班実験室。蒼真はひとり、ビーカーに浮かぶ液体が時とともに変化していく様子を眺めていた。


「阿久津隊員、一昨日からずっとあんな感じなんですよ」

 科学班の一人がアキに話しかける。アキは蒼真に目をやる。蒼真に覇気がないことは明らかだった。仕方がない、彼の育ての親である柏崎博士が亡くなった。いや、それ以上に、彼にとって一番大事な人・高城美波が死んだ。そのことが、南野氏の件以上に彼を切り裂いている。アキにはそれが分かっていた。


「そう、何か支障は出ている?」

「今のところは。でも阿久津隊員がこのままでは……」


「分かってる。私に任せて」

 アキは科学班の隊員に所定の仕事へ戻るよう命じ、ゆっくりと蒼真に近づく。蒼真はアキの存在に気づいていないようだった。


「蒼真君」

 アキが優しく声をかける。蒼真は反応せず、変わらずビーカーを見続けている。


「少し休んだ方がいいんじゃない?」

 その言葉にも返事はない。アキは黙ってしばらく彼を見守る。


「鈴鹿さん」

「うん?」


「どうして、人は死ぬんでしょう」

「どうしたの、急にそんな哲学的なこと聞いて」


「今、僕の目の前、ビーカーの中には水と油の二つの液体があります。でも、この中にある物質を加えると両者は混ざろうとします。つまり、変化します。でも混ざりかけた瞬間、また別の作用で分離する。この現象は何度も繰り返されます」


「?」


「生命はこの現象に似ています。物質が化学変化して状態を変える。でも、その状態はずっと維持されるわけではなく、また変化する。この変化し続ける状態を“命”と呼び、変化しなくなった状態を“死”と呼ぶのかもしれません」

 蒼真は依然として、アキを見ようとせず、視線はビーカーに向けられたままだ。


「蒼真君は、人の死を“状態が変化しなくなった”、つまり化学的にも物理的にも変化がなくなった状態として定義しているのね」


「仮説ですけどね。本質的には、魂とか霊魂とか、そういうエネルギーはなくて、あるのは状態の変化だけ。その変化を起こすエネルギーは、まだ発見されていませんが。近いうちに見つかる気がしています」

 アキは彼の言わんとすることが少しずつわかってきた気がした。


「そうね、生物の死とは、そういうものかもしれないわね」

 蒼真は美波の死をどうにかして理解しようとしていた。それはただ物質の状態が変わらなくなる現象にすぎないと。


 アキがそっと彼の肩に手を置く。蒼真の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「今、目の前の活動も、やがては落ち着いていく。つまり、状態が変わらなくなる。なぜなら、変化を促すエネルギーが熱など別のエネルギーに変化して、その量を減少させてしまうから。死とはエネルギーが何かに変化することを意味するのかもしれない」


 アキは蒼真が何を言いたいのか、少しずつ理解ができなくなってきた。


「美波さんが亡くなったことと、蒼真君とは無関係じゃないの?」

 蒼真は再び無言になる。沈黙の後、口を開いた。


「もし、もしあの時、美波が自分の生きるエネルギーを僕にくれたんだとしたら、やっぱり、美波を殺したのは僕だ」

「蒼真君、何を言っているの。美波さんは……」


「鈴鹿さんには分からない。あの時、何が起こったか……」

 アキは混乱した。自分の知らない何かが蒼真に起こった。その出来事と美波が死亡した事実とを結びつけるには、あまりにも情報が足りなかった。


「蒼真君、何があったの?」

 蒼真は再び沈黙し、そして、


「鈴鹿さん、僕は…… 僕は……」

 そこまで言ったところで、彼は急に立ち上がる。


「鈴鹿さん、ごめんなさい。僕が、美波を殺したんだ!」

 そう叫びながら、実験室の出口へ走り出す。


「蒼真君、どうしたの?  待って!」

 アキの声がむなしく響いた。蒼真はもう、実験室を後にしていた。


 ×   ×   ×


「教授、分析はできましたか?」


 夜の闇がリビングにある暖炉の光をより鮮やかに際立たせている。部屋の電灯は消され、炎の揺らぎだけが周囲を赤く染めていた。ソファーでくつろぐ遠山教授に、闇の中から問いかける声が聞こえる。秘書が持ってきたコーヒーが、遠山の前に静かに置かれた。


「もちろんです」

「ほぅ、では結果をお教え願えますか」


「前回、なぜ逆位相電磁波が有効でなかったのか――。ネイビージャイアントが石化して海の底に沈んだ後も、電磁波は照射され続けました。にもかかわらず、その効力が失われた原因は、フレロビウム301が302へと変化したものと思われます」


「302?」

「ええ、そうです」

 遠山教授がコーヒーカップを手に取る。


「原因についてはまだ不明ですが、物質的な変化が明らかに起きたようです」

「なるほど。では、その対策は?」


「物質が302であると特定できれば、対応方法はあります。そこから放出される電磁波の特定もできるはずです」

 遠山教授がコーヒーを一口、ゆっくり口に含む。


「分かりました。何分、早めに片付けてしまいたいもので」

「ほう、なぜそんなに急がれるのです?」

 二口目のコーヒーを喉へ流し込んだ後、遠山教授が黒衣の男に問いかけた。


「我々の母星から、この地球へ移民者たちが到着します。その前に、事態に決着をつけておきたいのです」

「三ヶ月ほど前に地球に向けて発射されたロケットと同じものですか?」


「はい。おっしゃる通りです」

 遠山教授がコーヒーカップをテーブルの上に置いた。ほとんど音のない空間に、カップとソーサーが触れ合う甲高い音が静かに響いた。


「約束は守っていただけるんでしょうね。我々だけが生き残る」

「もちろんです。お命は保証します」


「それと、あなた方が保有しているフレロビウム研究のすべてを開示していただけると」

「それも問題ありません」

 闇の中から聞こえる男の声は、終始落ち着き払っていた。


「あなたは地球人の生き残りとして、この星で我々と共に暮らすことになります。我々の科学を、あなたの力を借りながら進めていくつもりです」

「ありがとう」


 遠山教授が残りのコーヒーを一気に飲み干した。秘書が空のカップを手に取り、静かにキッチンの方へ運んでいく。


「私は阿久津蒼真をおびき出し、ネイビージャイアントに変身させます。その時が、あなたの出番になります」

「承知しました」

 秘書が新たに注いだコーヒーを再び教授の前に置いた。


「では、私はこれで」

 男の声は闇の中に溶け込んでいった。そしてその姿も、闇と一体化するように消えていく。残されたコーヒーカップだけが、暖炉の炎に赤く染まっていた。


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