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めっちゃ疲れますね結婚式って…


 教会での式は、あくまでも宗教上のものだ。厳粛な雰囲気のまま、そこまで時間もかけない。華やかなパーティや舞踏会は、皇宮に戻ってからになる。


 これまでも歴代皇族の多くが結婚式を挙げてきたアウグストゥム教会から皇宮までは、無蓋の馬車にエルディナント陛下と並んで乗り込んでのパレードになった。

 絢爛豪奢に飾り立てられているとはいえ民衆へ顔を見せるためのオープントップ、二頭で充分()けるのだが、アドラスブルク帝室の権威をしめすために白馬の八頭立てだ。お馬さんたち楽そうでいいわね。御者の人は背筋がガチガチに緊張してるけれど。


 沿道にあふれる、人、人、人――


 アドラスブルクの勢いに陰りが出てきてからは、意地の悪い諸外国の新聞に不人気を書き立てられない(なお国内紙には検閲があり、政府に都合の悪い記事は差し止められる)よう、皇族関係のイベントのさいに小金を配って民衆を動員することもしばしばあったそうだけれど、今回は何日も前から、オストリヒテ全土のみならず、周辺国からも帝都へ見物人が押し寄せてきていて、()()の必要はないと早々に判断されたという話だった。


 オストリヒテの、アドラスブルクの旗が人々の手に振られている。


 エルディナント陛下はみんなから慕われているんだなあ、と、周囲のお上りさんたちと同様に、のほほんと感心していたわたしだったが、作った笑顔とともに手を振っているうちに、「皇帝万歳」よりも「帝妃万歳」という声のほうが多いような感じがしてきた。


 ……なぜだろう?


 神聖帝国(ハイリジェス・ライヒ)がバルトポルテによって分割されてから、もう一世代以上たっているのだ。ヴァリアシュテルンで生まれ育ったわたしは、オストリヒテの人々から見れば完全に異邦人(よそもの)なのに。


 もはや別々の国の住民でありながら、かつての帝国貴族としての栄光にすがりつき、帝都フィレンに入りびたる周辺国の君侯はたしかにめずらしくない。

 だが、父フリードリヒは浮浪貴族(ルンペンクラット)呼ばわりされるほどの異端児だ。ヴァリアシュテルン公として立ち会う義務を負っている用件があるとき以外、皇宮には近寄ろうともしなかった。


 わたし自身、数えるほどしかオストリヒテを訪れたことはない。大した親しみは持たれていないはずなのだけれど。


 そんなわたしの内心のつぶやきは聞こえるはずもなく、


「ごらんよセシィ、みな、きみの美しさを讃えている。きみをひと目見たとたんに心奪われた、私と同じだ」


 その言葉とともに、エルディナント陛下の腕が伸びてきて、わたしの肩を抱いた。周囲の歓声がひときわ大きくなる。


 客観的に見れば、まあ「()」にはなっているのかな。


 黄昏のアドラスブルク帝国を再興させる、若き皇帝夫妻――その絵図にわたしが必要なのだというなら、その役目を引き受けるのもやぶさかではない。

 ……しかし、ほんとうにわたしでなければ駄目だったのか。シャルロッテお姉さまとの結婚式では、ご成婚万歳を叫ぶ、この民衆の姿はなかったというのだろうか。わたしには、さほど確信がなかった。


 たしかに、いまは民衆からの支持を得られているように思える。しかし彼らは、メロヴィグでの復古王朝打倒運動の報に自分たちの不満を重ね、皇帝罷免を要求してきたこともあるのだ。


 メロヴィグでは、二度に渡って王政を廃した民衆が、その後の内輪争いに倦んで独裁官を選び、その男に〈皇帝〉と成り(おお)せることを許していた。

 かつて神聖帝国(ハイリジェス・ライヒ)を解体したバルトポルテの甥が、バルトポルテ三世を称して、いままたメロヴィグの玉座に就き、今度こそ帝政を確立しようと動き出している。


 民衆というのは移り気なものだ。父フリードリヒは、だからこそ彼らの一時的軽挙妄動に振りまわされない、指導層としての貴族の存在価値を論じていた。


 わたしはエルディナント陛下の(かお)を横目でうかがった。こちらの視線に気づいて、陛下の表情が、臣民向けの威厳ある笑みから、優しげなものに変わる。


 高まっていた喝采がさらに爆発し、この日最大の「皇帝陛下万歳」「帝妃殿下万歳」の叫びが巻き起こった。


 エルディナント陛下とともに、わたしもロイヤルスマイルを作り手を振って歓呼に応える。


 一切憂いの色がない陛下のかたわらで、わたしは新婚の帝妃として、しあわせそうに見える表情をなんとか維持していた……。


    +++++


 去年の夏、婚約締結式のときは踊れなかったワルツも、今夜の皇宮舞踏会ではどうにか曲の最後までエルディナント陛下についていき、あたたかい拍手をもらうことができた。


 実際には、ステップが相変わらずめちゃくちゃだったわけですが。ドレスの裾が長いおかげで、足がちょこまかとせわしなく動いているのはごまかせた。


 それにしても、大広間に詰めかけた人の数のすごいこと。あとで聞いた話では3000人いたそうで、教会と皇宮のあいだの沿道を埋め尽くしていた40万人に比べれば微々たるものとはいえ、ここにいるのは全員が招待客だ。

 つまり帝室公認の「やんごとない」人たち。()族と称するには、少々希少性に欠けるのではなかろうか。


 基本的には知らない顔ばかり。見知った顔も、あまりよい関係とはいえない相手だ。父のことを「浮浪貴族(ルンペンクラット)」とうしろ指差してきた人たちと、その連れ合い。


 ……気にしすぎちゃいけないんでしょうけれど。


 それ以上に困ったのは、皇宮内での公用語がメロヴィグ語であることだった。バルトポルテにあれだけひどい目に遭わされておきながら、オストリヒテのみならず、各国の宮廷とその儀典はなおもメロヴィグ式が模範なのである。


 各国の代表が、国内の領袖が、流暢なメロヴィグ語でつぎつぎとあいさつしてくる。


 わたしはといえば、


「えー、めるしー」


 と応じるのが精一杯。

 デウチェ語以外に、いちおうブライトノーツ語とエトヴィラ語とポリニカ語とアジュール語は日常会話できるんですけれどね。どうしてよりにもよってメロヴィグ語なんですか?


 はい、メロヴィグ語覚えようとしなかったわたしが悪いんでしょうね。でも父は、メロヴィグ語が母国語の人相手でも、基本的には他の言語で会話してたからなあ。


 皇宮典礼嫌いの反骨心だったのだと、いまならわかる。実際は必要とあらばメロヴィグ語しゃべれるのが父だから。そしてシャルロッテお姉さまに母がメロヴィグ語の教師をつけるのにはなにもいわず、お姉さまの上達を確認するためにメロヴィグ語で会話したりなんかもしていた。


 わたしも、専任教師まではいかずとも、父からメロヴィグ語を教わっておけばよかった、という話ではあるけれど。

 まさか帝妃にされるとか思わなかったし。準備期間半年とか思わなかったし。半年間全部語学に集中できたならともかく、覚えなきゃいけないことが多すぎた。


「……ああ、ノインシュルツの森には帝妃も行ったことがある。そうだったね、セシィ?」


 だとか、わたしにわかる言葉でエルディナント陛下がなにかと会話をつないでくれたけれど、正直、そういうお心遣いよりは、さっさと切りあげてお開きにしてほしかった。


 朝一番からはじまった、儀式、パレード、本式、パレード、お披露目、宴会、謁見……そろそろ日付も変わるころで、もうくたくただった。


 ……けっきょく、寝室に引っ込むことができたのは真夜中の二時すぎ。自分ひとりなら10秒でベッドに飛び込めるところが、侍女たちにていねいに着替えをさせられるのを待たなければならなくて、解放された瞬間、事実上気絶してしまった。


 つまり、結婚初夜を迎えなかったわけである。


 あとから寝所へお出でになられたエルディナント陛下は、わたしが爆睡しているのを見て、すぐにご自分のお部屋へ引き取られたとのことであった。

 これは先々までわたしの立場を悪くした。


 自業自得としかいえないけれど。


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