【戦後二年】於:ブライトノーツ首都ロンディミオン
『ヒストリカル・ロマンス』シリーズの別作からキャラが出張してきていますが、該当作を読んでいなくても大丈夫です。
ロンディミオン市内でもっとも古くから営業している老舗三つ星ホテル・アルビオンの個室談話ブースにて、アイラ=ハルーヴァは待ちびとを迎えた。
白髪の老貴婦人は、80をゆうに越える年齢となっているが、かつては西方一の美女と呼ばれていたと、見る者に充分得心させる気品を漂わせている。
アイラはいちおう、ブライトノーツ有数の大貴族であるハルーヴァ侯爵家の次男エドワードの妻であったが、くだくだしい儀礼抜きで老婦人へ声をかけた。
「お会いできる日を楽しみにしていました、セシーリアさま」
「わたしもよ、アイラさん。でも不思議なものね、初対面という気はしないわ」
老婦人もまた、仰々しいところなく応じたが、世が世なら、それぞれ10人以上の従者がついて、直接会話を交わすまで小一時間はかかっていただろう。
格だけならブライトノーツ王室をもしのぐ、西方最古の王朝、その最後の太后へ、アイラは尊敬と、それ以上に親しみを込めた笑みを向けた。
「そうですね。ずっとお手紙でやりとりをしていたから、これまでもお話しをしていたつもりになっているのかもしれません」
「あなたは手紙での印象どおり、とてもすてきなお嬢さんね。……侯爵家のご嫡男と結婚されている女性にこの言いかたでは、失礼かしら」
「わたしは商家の娘で、侯爵家とは釣り合っていない身分ですから。失礼といえば、こちらのほうがよほどです。アドラスブルクの太后さまに、こんな態度で」
「あなたはガルダ藩国の血筋であって格式に不足はないし、アドラスブルクこそ、もう君主でもなければ貴族ですらない。気にする必要はないわ。……ようやく、身分にわずらさわれることなく、どこにでも行けるようになったのにね」
ふいに表情を曇らせたセシーリアの着衣は、喪服である。フェリクスとゾラの孫夫妻がテロの兇弾に倒れて以降、ずっと喪服姿であるが、最愛の夫エルディナント上皇も戦争終結の直前に崩御してしまい、平和になった世界をふたりでまわるという夢は果たされずに終わっていた。
「セシーリアさま……」
「あら、ごめんなさい。年寄りはこういうところがいけないわね。ときどき、自分の過去に裾をつかまれて、いま現在のことを忘れてしまう」
気遣わしげな眼と声になったアイラに対し、セシーリアは心配無用とかぶりを振った。
孫夫婦非業の死と国難への憂慮は、たしかにエルディナントの余命をいくばくか削ったかもしれない。それでも、いまのセシーリアよりも長く生きての、85歳での大往生であったのだ。その死をことさらに早すぎたと歎くのは、戦争で喪われた一千万を超える人命を思えば市民感覚に外れる。
アイラの夫であるエドワード・ジョン=ハルーヴァも、戦地より生きて戻りこそしたが、右目の視力と右脚を喪っている。
エドワードだけではなく、アイラの身近の多くの人々が、祖国と友邦を守るために出征し、戦傷を負い、あるいは還らぬ人となった。
ブライトノーツの海外植民地であるプラーナ亜大陸にルーツを持つアイラは、母の生まれ故郷である彼の地とブライトノーツ本国の関係を、主従から対等なものにするべく活動をしている。
アイラがブライトノーツ大連邦の改革を志すきっかけとなったのは、ハルーヴァ侯爵家との縁談が進むにつれ、自身のルーツを意識するようになったからだが、数多の献身と犠牲の上に取り戻された平和を守るためでもあると、決意をあらたにしていた。
自分のやろうとしていることは、ただブライトノーツ国内の格差を是正するにとどまらず、西方圏全体の勢力に影響を与えるのだと、活動をはじめてからほどなくアイラは気づいた。
かつてアジュール王妃として、多民族国家アドラスブルク帝国の統治の片翼を担っていたセシーリアの経験を知ることで、活動の指針を得られるのではないかと思い立ち、文通の申し入れをしたのが、終戦間もない二年前のこと。セシーリアも快諾し、これまで週に一度ほどのペースで書簡を交わしてきた。
アドラスブルク帝国の終焉よりもひと足早く皇籍を離脱し、ロンディミオン近郊に居を移していた長男ヨーゼフを訪ねてブライトノーツへ渡航してきたセシーリアと、こうしてはじめて直接対面する運びとなったしだいである。
一流ホテルの提供するティータイム、充分豪華だけれど、それぞれの身分を考えれば過大というほどでもないお茶の席を囲みながら、アイラはセシーリアが回想録なかばで筆を擱いてしまったことを残念がった。
「直接会うことが決まったからといって、お手紙で書いてくださるのを終わらせてしまうことはなかったんじゃありませんか? まだまだ楽しみにしていたお話は多かったんですよ。本国ではとうの昔に使われなくなっているのに、なぜか香海沿岸で広く流通しているメレナ・テレーゼ銀貨の代替にセシーリア銀貨を発行して、財政危機を乗り越えたときのこととか、ヨーゼフ殿下の貴賤結婚の希望に激怒されたエルディナント陛下を説得なさったときのこととか」
セシーリアが語らずじまいのままであったエピソードを並べ立てることができるところからわかるように、アイラはアドラスブルク帝妃セシーリアの事績について、充分な知識を持ってはいる。それでも、セシーリア自身の手によって記された回想録を読むことは、自身の活動に資する以上に、純粋に興味深いものだった。
世界最古の保守的な帝室に嫁入りしたひとりの女性が、自分の居場所を確保するために繰り広げた闘いの記録として。
乞われるままに手紙につれづれと書いてきた回顧録を、アイラが読者として楽しんでいたと聞いて、セシーリアは微笑みながらもかぶりを振った。
「太后さまの死は、わたしにとってとても大きな転換点だったのよ。それ以降のわたしは、折りにふれてゾラさまの偉大さを感じていかざるをえなくなる。ことあるごとに義母の影を思い出しながら自分の人生を振り返るというのは……疲れるわ。わかるでしょう?」
アイラはあいまいにうなずいた。正直に言えば、アイラは姑との軋轢で悩んだりはしていない。彼女の義母であるハルーヴァ侯爵夫人は親切なひとだ。
それでも、世の多くの嫁姑というのはひとかたならぬ確執を抱えているものだと話に聞いてはいるので、セシーリアの言を否定はしなかった。
「お手紙を読んでいるぶんには、太后さまからの干渉はそれほど多くなかったように感じましたが、あえて触れないようにしていた、ということでしょうか」
「もし全部書いていたら、倍以上の長さになってしまったかも」
そういって、セシーリアは肩をすくめる。
仮に二倍の長さになっていたとしても、全部読んでいただろうと思いつつ、
「いままでのように、ひとつひとつのできごとを順に追いながらではなくても、まだセシーリアさまのお話しをうかがいたいです」
と、アイラは自身の目的より、読者としての立場で帝妃セシーリアの物語のつづきを聞きたがった。
「それなら、いま話せるだけ、話してしまいましょう。時間が足りなかったぶんは、これからも手紙で書くことにするわ」
応じて、セシーリアは過ぎ去りし帝国黄昏期の記憶をひもとく。
……フィクトールの結婚式に招かれたときのことや、テレーゼとマクシミリアンが師弟の関係からじょじょにお互いを意識していく過程をにまにましながら見守ったことなど、まるで祖母へ寝物語をねだる孫娘のように、アイラはセシーリアに話をせがんでやまなかった。
当然、話の尽きないうちに陽が暮れてしまい、お開きの時間となったが、近いうちの再会と文通の継続を約束して、新旧の世紀を代表するふたりの女性は初の対面を終えた。
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退役軍人会の若き旗手として議員となった夫エドワードとともに、アイラはブライトノーツ内にとどまらず、世界の不均衡を是正するために活動を広げていく。
のちにアイラは「オリーブの女神」と呼ばれるようになるが、戦後から戦間期へと移りゆこうとしていた世相の流れを食い止め、戦争再発を防いだその活動には、もとアドラスブルク太后セシーリアとの交流で得た見識が大いに活かされていたという。
「夫婦のあいだに愛があり、家族が融和していれば、自ずと世界も平和になります」
アイラとエドワードはこのような言葉を残したが、もとはセシーリアから聞いたことだったのかもしれない。
――了
去年のうちに終わるはずだった予定がほぼ1年伸びてしまい、分量としても想定の2倍強となりましたが、最後までおつきあいいただき誠にありがとうございました。
最後にこぼれ話を一本つけ加えておしまいとなります。よろしければいましばらくおつきあいくださいませ。




