第六十九話
俺は汗を拭いながら床に腰を下ろした。
ほう、と息を吐きながらアドレナリンの分泌が減っているのを気取りつつ、先程の戦いを思い出す。
見事にボコられたのは、俺がまだまだ未熟であることを如実に表していた。
ここ最近は剣が身体に馴染み、近い間合いでも戦える要素は増え始めていたと個人的には思っていたのだが、ただ思い違いだったようである。
(というか、この感じだと一生敵わないよな)
こと近い間合いでの戦いでは追いつける気がしない。
そもそも現時点のヴァルを相手に勝てる探索者もそう多くはないと俺は見ている。
Aランク程度の実力を持っていると自負している(感じた圧力からも事実なのだろう)東雲レベルの強者は流石に厳しいが、近接に特化した探索者であっても、Bランク程度の腕前がなければ、ヴァルの身体能力と優れた剣の技術の前になすすべなくやられるに違いない。
実際、俺も遊ばれていたようなものだからな。
最後の方は本気だったのかもしれないが、最初からギアを上げた状態で戦っていれば、数秒程度で決着がついていただろう。
(強気に来なかったから、上手く散らして動きを誘導、そして上手いこと隙をついて仕留める方向に持っていきたかったんだが、素の能力が違い過ぎるんだよな)
ヴァルのポテンシャルは果てしないほど、俺では底が見えないほどに高い。
ダンジョン探索を共にしてそこまで経ってはいないが、実力の伸びが異常なまでに高いのだ。
元々出会った当初は更に化け物じみていたが、今は化け物じみた身体能力と、自身の身体を上手く使った戦術で、人間のように戦ってくる。
戦いは様々な要素が絡み合うので、一概にこのぐらい強いとは断言できないが、ヴァルの強さは既にであった当初に近い、もしくは越えているレベルで、しかもまだまだ余地を残した状態で強くなっていた。
またモンスターであるがゆえに人に縛られない動きができるのは、彼女の強みだと思った。
奇想天外な攻撃を仕掛けることもできる上に、東雲の剣術を吸収し始めて、強さに磨きがかかり始めたヴァルがもしも敵に回ったらと考えるだけで恐ろしい。
(敵に回ることなんてないんだがな)
彼女には感情がある。表情こそ自動人形というモンスターの性質上分かりづらいが、接していると感情の機微が何となく分かるのだ。
テイムしているのもあるが、敵に回ることは俺的には考えられない。
(でも、やっぱり怖いよな)
恐怖心というものが湧き出てくるのを感じていた。
俺は俺で魔術を使えばヴァルのことを倒すことはできるが、彼女は彼女で無手の状況でも俺を倒す、曳いては殺すことも可能だろう。
身近に己を簡単に殺せる存在がいるというのは、思っているよりも怖いことだと、今の俺は感じていた。
「さて、伊藤さん、今度は私と模擬戦をしましょうか?」
俺が深く考え込んでいると、東雲がニッコリと笑みを浮かべながら、こちらを見ていた。
(ヤベ、休憩しすぎた)
近くではヴァルがボロボロになりながら、何とかいった様子で立っている。
対して東雲は息を一切乱さずにこちらをジッと見つめている。
(はあ、やられてきますか)
先程考えていたことなど、頭の中から完全にどこかに行ってしまった。
随分と下らないことで悩んでいたな、と思う。
目の前にもっと強い化け物がいるというのに、悩んでいたのが恥ずかしい。
俺はスポンジ製の頼りない剣を片手に深く息を吐くと、東雲の元へと向かうのであった。
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