89回目 アルタードバーゲン
7年前くらいに書いた短編がでてきたのでアップしてみました。
逃げ道が欲しい、そう思った。
今の境遇から状況から見えない未来から。向き合わなくても良い口実さえあればボクは今こうして学校で退屈な授業の中些細なリスクを犯して窓の外の景色を眺めるなんて不毛なことで自己肯定をしなくてもいいのに。
空の雲がゆがんでボクのかけた眼鏡のフレームに夏の日差しが奇妙な光を走らせる、あいつが来るときはいつもこうだ。ボクはため息をつきながら手を挙げる。
「先生、体調が悪いので保健室に行きたいのですが」
理由なんて頭が痛いとか腹が痛いとか言っておけばいい、教師はボクを教室からあっさり開放し、廊下を歩くボクのそばに人間大の人影が窓からしゅるしゅると忍び寄って寄り添う。
「また例のアレか?」
「うん!そうだよタケル!早く遊びたいの、今日は何時間いいのかなっ?」
影はうきうきとした様子で弾むようにボクの周りを走る。
「何時間っておまえこの間ボクが無理して三十分やってどうなったか覚えてないのか」
「あははは!虫みたいにピクピクしてたねぇ、頭抱えて!おもしろかったなぁ、そだそだもっかいやってよ」
「いやだ、つか死にかけてたんだっての。楽しいわけあるか!」
思わず叫んだボクにちょうどその時通りかかった教師が怪訝な顔をした、ボクが目をそらしたのは彼女にひるんだわけではなく。その、胸が。下手をすればピンク色な物まで見えてしまいそうなほどはだけていたから紳士として眼を背けただけであって、いやらしい気持ちをいだいたのを悟られないようにしたというわけでは決してない。とそんなボクの顔をのぞき込む人影改め猫耳妹のケイの顔を見る。嫌らしい目つきでにやにやとボクを指さしているこいつの顔が本気でムカつくのでボクはさっさと事をすませることにした。
「20分で片づけて来い、保健室で待ってるから」
ボクが眼鏡を外すとケイは眼の色を変えてあたりを飛び跳ね
「あいさー!!」
と叫びながら窓から飛び出していった。
ボクはやれやれと頭を振るとさっそく始まった目眩の中ふらつきながら保健室に向かった。
ボクはおとなしく保健室のベッドで眠るしかない、ケイが寄り道しないことだけを気にしながら。
なんにせよどうにせよ、それもこれも仕方がないのだ。
それがボクや彼らにかけられた呪いなのだから。
なんてことを考えながらボクは未だにたどり着いた保健室で椅子に座っていた。
スマホでなにを見るでもなくニュースブログをめくっていると、目的が入室してきた。
「あらぁ鮎川くんまたあなたなの?」
「すみません先生、ボクどうしてもあなたに会いたくて」
ボクは彼女の豊満すぎる胸を見ながらそういった。
「あはん、いけない子ねぇ、そんなにたまっちゃってるのかしら」
舌なめずりをしながら息を感じるほど顔を近づけてくる麗峰先生、こんな言動をしていても生徒とできちゃった話が一度もでないのが本当に不思議だ、きっとこの豊満すぎるおっぱいで顔とか口とかふさいでいるに違いないのだ。
「あなたはなんて人だ」
ボクはあきれ顔でおっぱいに言った。
ズグン、と眼が痛み視界が重く潰れていく。
時計を見ると25分を越えていた。ケイはまだ戻ってこない、麗峰先生が顔色が真っ青になっているとボクを心配する。
潰れた視界と正常な視界の境界で彼女の姿にも化け物のような本性が見える、ボクの感覚が世界観が狂っていく。
ベッドまで連れて行くと言っているらしい麗峰先生に首を横に振って自分でいくと立ち上がり振り向き際倒れそうになり、ボクを支えようとした先生に手をついてしまった。
ずるり、と彼女からソレが削ぎ落とされるのが死角に見える。
思考が自分の荒い呼吸に阻まれ熱で焼けていく。先生に支えられてベッドに向かう僕らの前に一匹の凶悪な姿をした化け物が血塗れのアギトを開けながら飛び込んでくる。剣のように長く鋭い牙に滴る鮮血の朱が視界を滲ませ脳にしみる。
「……遅いんだよバカ」
朦朧としながらボクは意識を失った。
ケイが木の上で寝そべりながら尻尾を揺らして尻尾に掴まろうとするアゲハチョウと遊んでいるのを後目に、ボクは木陰で昼食のサンドイッチとパックジュースを広げていた。
「それでお前が食べたのはどいつのだ」
グランドの片隅でボクは昼食用のサンドイッチを口に挟みながらケイに聞く。
ケイは尻尾をボクの目の前に垂らしてグランドを指す、その先にはサッカー部で名うての生徒の姿があった。今先陣を取って相手のパスをカットし華麗にゴールを決める。観戦してる女生徒がわーきゃーと騒いでいてとても若々しくて良いなとボクは舌打ちした。
今は元気そうに見える、この調子で乗り切ってくれればいいんだけど。まぁアフターケアまではやってられないのでいつも我関せずだ。めんどくさいし。
「酷いよけいなお世話もあったもんだよ、なぁタケルちゃん」
「ちゃんは止めろって言ったろ」
僕に声をかけてきたのは帽子を目深にかぶり黙々と携帯をいじってる影の薄い奴ミノリだった、ミノリはいつの間にかボクの座っている芝生の一段下の座席にいた。ミノリは友人でもなければ敵でもない、知り合いと言うよりは似たもの同士、そんな関係だ。
彼女特製のスマホからピコピコーンとバッテリー切れの警告音がする。ミノリは僕を一瞥もしないまま手をこちらに差し出して催促する。
「お前そんなにバッテリー切れるなら充電器買えよ」
「やだよ、バッテリー劣化するし」
ほれほれと手を振るミノリ。
「早くしないと僕また寝ちゃうなー。そしたらタケルちゃんがおぶって保健室まで連れて行ってくれるのかい?みんなが見たらまた恋人疑惑たてられちゃうなぁ、いゃぁまいったまいった」
と彼女はなにを想像してるのやらやぶさかではない雰囲気で照れながら頭をかく、非常にめんどくさい。スマホのバッテリー切れをしかけている所を一度助けたが最後すっかり頼られるようになってしまった。
「僕はお前の執事じゃないっつーの」
そうボヤきながら僕は自分のスマホから取り出したバッテリーをミノリに渡す。携帯の電池が切れると眠くなって寝てしまうネット中毒、寝てる間に化け物が現れる。ケイと似たような物をミノリも抱えているのだ、だからほっておけない。我ながら人が良すぎる、反省しよう。
ミノリは受け取ったバッテリーを鼻歌交じりに指の上で踊らせると、自分のスマホのバッテリーと目にもとまらない速度で交換する。無駄な神業である、手品師でもやればいいのに。とまぁそうした方向転換ができないのが化け物持ちの僕らの特性なのだが。
「仕方ないよ」
ミノリがそう言いながら空のバッテリーを投げてよこす。
「そだな」
ボクはそれを受け取り、胸ポケットに入れた。
「今日の放課後開いてる?」
「んー?約束があるんだ、わるい」
「不倫だ」
「違うわ!つか恋人ですらないだろうが!」
「はいはい行かせてあげますよ、まったく愛人は体を弄ばれるだけで損な立場だぜ」
「していいの?」
と僕は手をもみもみして見せる。
「エロおやじめ、百年早いぞ」
とまぁボクとミノリの関係は日々こんな調子だ、悪い気はしてない。それにいつか本当に揉んでやろうと思う。ただ彼女に付き合っているとスマホが使えなくなるのが致命的だ。この後どうするかはいつだってノープランである。
「たけるぅ♪」
と二人きりの時ケイは妙に俺と触れ合いたがる。今もなぜか俺に抱きついて離れない、正直暑いので離れてほしいのだが、歩きにくいし。
十六夜皐月、さつき姉はボクのご近所に住む昔なじみいわゆる幼なじみという奴だ。
彼女は神道の家系にあり、それが理由なのかボクにとりついているケイも見ることができた。だから彼女はボクの悩みを唯一共有できる間柄で、なにかと面倒を見てくれるためいつの間にか姉の敬称をつけるのが普通になっていた。正直ボク自身も彼女に出会うまでは自分の頭が狂ってるものだとばかり思っていた、だから今では家族当然、とボクは思ってる。
彼女の祈祷、綺麗とかよりやっぱりボクはそれがある種の踊りのようでかわいいと感じてしまう。それを言うとまだまだ未熟なのねとへこませてしまうから言えない賛辞なのだけど、発展途上と
言い張る胸が小さいのが個人的に残念でならない。まな板である、無念。
九十九神とは物に宿る神というのが一般的だけれどさつき姉から聞いた話この地方では少し伝承が異なっていて、ケイは人に顕現する神であるところの九十九神なのだそうだ。この地方出身者独自の体質という事なのだが、昔は一時期鬼や九十九憑きを鬼子と呼ぶような悪い時期もあったとかで、やはりそれらの怪異を代々祓ってきた神道一族の末席としてもやはりケイには良い印象はないらしい。表面上はこんなに親しくしているのにいつも武器を放さない、それがプロだからと言ってしまえばそうなのだが、半身とも言える存在を好意を抱く人に嫌われてるというのも複雑な感情だ。
翌日僕がクラスに登校してくると妙な噂が耳に入った。
世界を滅ぼす黒叉病と秘密結社天神党による世界救済計画の噂。
最近不審死が相次いでいて、それには黒叉病という病気が関係しているのだそうだ。その病気はなにがしというウィルスにより引き起こされ、人間の脳回路を冒すために病死と判定すらできないとか。水面下で感染は拡大しているとか。
そのウィルスによる世界滅亡を十年前に予知した教祖による現代の方舟計画が進んでいるらしいとか。眉唾らしい話だ、こういう話は一週間に一つはでては消えていく。いわばゴシップ、Twitterやらネットで噂の新陳代謝の活発な現代、ネタには事欠かないんだろうなと思いながらボクは自分の席につく。
どっと押し寄せるパーソナルスペースの安心感、プライスレス。
そんな平穏はいつも誰かに破壊されるのが常なのだが。そんなことを思いながら教科書を机に入れていると机から小さな手が生えた、ように見えたが机の向こうから誰かが手を出してるようだ。
子供の手のように見えるその手は机に握り拳をおいてその中の硬貨を落とす。
「……120円、ジュース価格?」
ボクが頭を傾げていると机の向こうからあどけない雰囲気の女の子が顔を出し「依頼賃」と言った。ドカン!と突然教室の扉を大きな音をさせて開けてのしのしと女というかアマゾネスな奴東城美咲が現れた。はっきり言って苦手な奴である
「それで、なんの用だゴリラ」
「はっはっはっ鮎川タケルぅ、いくらなんでも女の子に開口一番それはないぞ」
「うーんすまない、お前はどっちかというとオランウータンだったな」
「よし、殺す!」
そういうと美咲は間髪入れずボクの机を拳で粉砕した。
破片が飛び散る様がスローモーションに見える、ほらこれだ、だから苦手なんだ。怒った顔がゴリラそのものなんだもん。
「だめっ」
小さくて優しい声の後ゴリ魔神の動きが止まる。それはどうもボクをどうこうと言うより彼女にしがみついた小さな女の子を傷つけないための配慮に見えた。にしても筋肉で贅肉を落とした美咲のおっぱいはいつ見ても残念そのものだ。
「お前が他人の弱さに寛容なんて珍しいな」
美咲はボクのその言葉に心底憎々しげな顔をして拳をおろし、自分を抱きしめる女の子の頭に優しく触れた。笑顔、なのだろうか。彼女にはあまりにも似合わない表情で驚く。彼女に頭をなでられながら「やめてようやめてよう」と心底恥ずかしそうに顔を赤らめる小学生が必死に手をひらひらとする。やぶさかじゃなさそうである、体正直って奴だろうか。
「その年の女の子にその手の手ほどきをするのはどうかと思うぞ」
「なんのことだか知らんがお前の考えてることはいつも間違っている、さあいくぞ茜、バカがうつるからな!」
「うー」
やれやれひどい言われようである。「あ」机の上には茜ちゃんの置いたお金とくまさんメモ紙が残されていた、返そうと思ったがもう二人ともどこかへ行ってしまっていた。
「依頼、とか言っていたけど」
ボクはいつから探偵になったんだろう?とりあえずボクはそのメモを開いた。
さつき姉と昼食中に彼女から聞いた話では、僕が小学生に都市伝説探偵扱いされてるらしい。
理由はおおむね飯時には飯をたかりにくるケイだろうな。
あの様子では美咲と共に高校に来たのだろうけど、それでもただの噂程度の確証で年上ばかりのこんなところに来るなんてよっぽど彼女にとって深刻な悩みなんだろう。
「ふふっタケルくんが缶ジュース飲むなんて珍しい、いつも紙パック派だって言ってたのに」
「頼まれごとがあってね」
「ういうい、若いねぇ。がんばりなよ、お姉ちゃん応援しちゃうから!」
「らじゃっ、まぁぼちぼちやります」
「その経緯でいきなり僕を頼るのは男としてどーかとなにかと」
あきれ顔でミノリは一瞬ボクをみる、携帯から目を離すとかよっぽど呆れたようだ。生意気な奴め。
「なにから調べたらわからんし、知人に便利な情報屋がいたら一般的な高校生は友情にすがるものさ」
「かっこつけながらゆーな。それに僕は情報屋じゃなくてデイトレーダーだって前にも言ったじゃん」
ミノリの言葉にあわせてどこからかやってきた猫がにゃうと鳴く。
「それに無料じゃやれないな、貴重な僕の時間を削るわけだし」
「ほほう、どんな交換条件だ」
そうだなーそうだなーと悩みながらミノリはボクの唇を股間を目を見て、ボクを押し倒すようににじり寄り覆い被さると、白い犬歯を見せて捕食者の顔をする。
いつのまにか彼女の周りには何十匹の猫がいて、その全てが彼女に付き従うかのようにボクを見つめていた。ミノリが血のように赤い舌で唇を舐めたその時、スマホのバッテリー切れを示す音が鳴り響き僕たちの異常な空気を破壊した。
ミノリは普段通りの眠そうな顔をして一つあくびをしてからついでのように口を開く。
「じゃあいつものでいいや」
そう言って空のバッテリーを差し出し屈託のない笑みを見せるミノリにボクは現実味を感じなかった。人間にとって人間らしさなんてただの基準でしかない、人間性とはもっと粗野で醜いものだ。
だからボクはそれを人に見せられるミノリのことが嫌いになれない、人間以上に人間らしい彼女を愛している。ボクのバッテリーを受け取るとミノリは嬉しそうにそれをスマホに入れて話し始めた。
ミノリの言った雑居ビルを上りながらあいつの言葉を思い出す。
「茜ちゃんの依頼はカルト集団、世界救済教会を探すことだったよね。理由は?」
「そこまで書いてなかったな」
「憶測の域を出ないけど茜ちゃんをカルト集団に接触させるのはお勧めしないよ」
「たしかになにされるかわからないからなぁ、ボクがそれとなくケイに調べさせる形に持って行くつもりだ」
「彼女も僕らと同じなんだよ、自覚はないみたいだけど能力が発現してる。それがやっかいなんだ、素敵に相性が悪い。茜ちゃんの力は言うならパイドパイパー、ハーメルンの笛吹男みたいなものなんだ。人間と関係を持つ力だね」
「つまり茜ちゃんが組織に懐柔されたら……」
「想像したくない事態になる、かもね。規模がわからないからなんとも言えないけど」
となるとやはりケイに偵察を任せるのはリスクがあるというものだ、そもそも奔放すぎるあいつに頼み事をした事なんて一度もないのを忘れていた。
目的の集会場に続く廊下には贈花がおびただしく並び、お香だかなにかの妙なにおいが立ちこめていた。
受付に人がいたが、あらかじめ申し込んで入手しておいた入場券を見せて通り過ぎる。もちろん住所も名前も偽物だ。ちょろいものだ、探偵向いてるかもなんて自惚れ気味に扉を開くと、中は真っ暗闇だった。扉が閉ざされ一本の蝋燭の明かりだけを頼りに円形に並べられた椅子のシルエットをたどり腰掛ける。
ほとんど視界が効かないが闇の中の影の揺らめきから、数人がボクに続いて椅子に腰掛けたようだった。扉が後から開いた様子はない、はじめから中にいたのだろうか?それに気配は感じなかったがボクの来る前から座っていた人物からの視線に息苦しさを覚える。
少し後悔の気持ちを覚え始めた頃、一本だけついていた蝋燭の明かりが消えた。
周囲の息をのむ音が聞こえる、暗闇が目にしみて痛みを覚えた瞬間ボッと炎が燃えるような音をさせて一斉に周囲の蝋燭に灯がともる。蝋燭の明かりだけなのか疑いたくなるほどの光、そして無数の蝋燭、何人もの黒いローブととんがった三角の覆面をかぶった信者達の中心にその男はいた。
姿はサテンの黒い高級そうなスーツ姿、黒光りする角のように尖った革靴と革靴、手錠のように大量にはめた腕時計。人間としては普通の顔なのだが、やはり雰囲気の演出がうまいのかどことなくミステリアスな空気を放つ男だった。
彼は静かに目を閉じて両手を広げている、信者達の呼吸を意識を受け止め支配しているようにも見える。この場においての絶対的イニシアチブとしての存在感の証明、この組織は危険な匂いがする。とてもじゃないが一介の学生にどうこうできるレベルを逸脱している。ボクは周囲の様子をうかがいながら席を立つと、出口に向かいきびすを返した。その時。
会場の中心にいたその男が目を見開きボクに向かって力強く指をさして叫ぶ。
「悪魔憑きの少年よお前はどこへ行こうというのか!その扉の先の未来に君は希望があると思うか!」
一斉に信者達がボクを見る。
目、目、目と目と目と目が、黒服と覆面のためにまるで暗闇に浮かぶ無数の目玉に睨まれているようだった。
悪魔憑き、もしかしてボクのことも何か感づいている?ボクは平静さを装うためメガネをかけ直す。
「こんな時にだけ頼るなんてズルいかな」
部屋のガラスと暗幕を引き裂きながらケイがボクと目玉達の間に割って入る。
暗闇に射す日の光と輝くガラスの破片の放射線の先にボクとケイはいた。
あれ、こいつの背中ってこんなに心強かったっけ。
ケイはボクの心を読むように振り向きながら決め顔で笑う。自分がきたから大安心だぜ!とでも言うかのように。
教祖の手の一振りで襲いかかってきた信者をケイは左右の腕を振って追い払い尻尾を高く立てて威嚇する。
「ケイ、殺さない程度に暴れて時間を稼いでくれ」
「頼みごとなんて珍しいねぇ、ミノリちゃんみたいにケイもお願い事聞いて欲しいな」
「今はそれどころじゃ……ンッ!!」
突然ケイが振り向きボクの唇に自分の唇をつけ、ボクの口の中を舐めた。
ちょっ、ディープ!?つかなにそれ!?
「ケイ?ケイさんどゆこと?」
ケイはにんまり笑うと今日はこんなもんで良いよと言う。
「どれくらい暴れていいのかなタケル!」
「15秒だ、頼む」
ボクはメガネを外してきびすを返し走り出す。唇に違和感、ついまだ唇がまだついているか指で確認する。
「次は続きまでいきたいな」
と誰か女の子の声がした気がした、ケイだったんだろうか。猛獣の雄叫びだけが轟く背後を後にボクは外へ全力で走る。
15秒経ちどこかで窓ガラスがガシャンと割れる音を聞きボクはメガネをかける。この程度の時間なら軽い頭痛と妙な物が見える程度で収まるここまでは予定通り。ただ逃げ切るには新しく問題がいくつか出てきた。
外に待機していた信者達がボクを追いかけてきたこと、騒ぎを見ていたパトカーがボクを追いかけてきたこと、さらにボクは元々体力は全然無く息が切れてもうそろそろ走るのが限界ということだ。「も……むりだってばぁ!」
ボクが悲鳴を上げたとき横に一台のバイクが併走し、黒いライダースーツのフルフェイスヘルメットをした女性が「乗って!」と声をかけてきた。
怪しすぎる、ヘルメットでどんな顔をしてるかすらわからないし。ただ、すごいオッパイだ!
ボクはオッパイに思わず手を伸ばしてその手を掴まれバイクの後ろに引き上げられなし崩し的にバイクに乗ってしまった。
周囲からの制止の声の矢を交いくぐり彼女はバイクでアスファルトをこそげきるように車の流れの中をトップスピードで駆け抜けていく。
「お姉さんドラマとかでたまにいる逃がし屋さん?」
「ははっ似たようなものかな?さあ口閉じて舌噛むよ!」
そういうと彼女はギアを切り替えさらに加速していった。
僕らは港にほど近い巨大な河川際の道路までやってきた。
ボクが背後を確認し追っ手がいない事を彼女に告げると、彼女はバイクの速度を落として景色を少し眺めたあと休憩しようかと言った。
公園のベンチに腰を下ろすと疲れがどっと出てきて、ボクはぐったりと空を眺めた。
そこへ二人分の缶ジュースを持ったライダースーツのお姉さんが戻ってくる。彼女はボクに一本ジュースを投げてよこすと、ヘルメットを脱ぎ黒い長髪を風になびかせる。
「危なかったね君」
白い歯を輝かせて笑う彼女はまるで映画スターのようだった。スタイルが整った身体のラインを描き出すライダースーツ姿は正直下手な裸を見るよりそのとても魅力的である。
「年上のお姉さんも悪くないな」
なんてボクは顔を赤らめながら言ってみる。
「生意気さん十年早い!なんてね」
下心はバレてるらしい、大人な対応がなんだかボクには新鮮だった。
「名前聞いても良いですか、ボクは」
「タケル君だろ、知ってる」
「初めて会いますよね?」
「そうさ、まぁ仕事柄ね。そして仕事の事情で私の素性も明かせない、私が誰かは君の想像にお任せするよ」
ウィンクをしながら彼女はボクに別れを告げた。
彼女が去っていった後ビルの看板を見てボクは奇妙な既視感の正体を理解する。
「そうかTVスターの綺崎凛だ」
ひとりごちながら、なぜ彼女がそんな訳ありそうな物腰だったかなんて、ボクはその時気づきもしなかったんだ。
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逃げる人をゆっくり追う人影
目から手が出て動きを止められる
燃やされて死ぬ
ケラケラ笑いながら骨を舐める男が降りてきて骨を集める
後から歩いてくるライダースーツ姿の女性が携帯で電話をかける
ねえちゃん俺たち二人なら無敵だね!ひひっ
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ボクは学校生活に戻りやっぱり一学生にできる事なんて知れてるし、茜ちゃんには悪いけれどお金返して断ろうと思っていた。しかし教室にやってくるとクラスメイトが泣いてるのを見た。話を聞いてるのは姉さん、どうやらクラスメイトの父親が失踪したらしい。都市伝説の通りに。姉さんは能力者のにおいがわかる、ボクにも姉さんほどじゃないけれど能力によってすでにクラスメイトの父親は殺されてるらしいという事はその場で理解できた。姉さんならたぶん死に方の詳細まで見えてしまっているのだろう、ボクはおそらく産まれて初めて怒った彼女の顔を見た。
その後式神を使い一人で殺人者を探し出した姉さんが心配でケイを連れてボクも一緒にいく事にした。そんな中捜査中に美咲に襲われる、美咲は在日米軍基地で父と二人暮らしで殺人術を学んでいてなだめるのに酷く手こずった。
茜ちゃんがボクを町で見かけたという言葉を最後にいなくなったという。
ボクはケイを捜査に放ちミノリに調査を頼んだ。
三人で本拠地に向かう準備をしていた最中教団による救済計画に十万人が殺到しているとニュースを聞く、そこでケイを連れた綺崎さんと出くわした。
都市の中心に突然現れた方舟は教祖が一瞬にして出したという。奇跡と言うがやすい手品だとボクは思った。おそらく教祖は僕らと同じ存在なのだろう。僕らは方舟に向かい、そこから茜ちゃんを取り戻すことを決める。
ケイはあの会場の匂いがするからと綺崎さんを追った理由を話すが、とんだ見当違いだとボクは彼女にわびた。
綺崎さんは方舟に侵入するために十万人の目を盗んでというのは難しいと、二手に分かれて攻略する事を提案した。
僕らは綺崎さんの提案に賛同し、姉さんと美咲の茜ちゃん救出班、ボクとケイと綺崎さんの陽動班に別れる事になった。
しかし別れた先でボクが遭遇したのはボーントレーサー、救済教団の抱える殺し屋だった。
教団は滅びと救済の二つの都市伝説をばらまき終末論の演出のためささやかな殺人を行っていたのがこの男だった。自らの骨の中に鬼を飼う、こいつもボクらと同じ能力者だ。
その能力は輝く炎を放つ鬼から照射される光で骨だけを追跡できる。
一段階で反射光で捕捉、二段階で炎の固形化(光が強くなるために影の長さで判別タイミングを計ることができる)、三段階目で射撃。それに半径五メートルに近づくと閃光で骨を抜かれる。
僕は綺崎さんとはぐれ一人になりながらも、ケイの能力を解放しその姿を暴獣化させる事で彼を倒すことに成功する。
綺崎さんと再会したボクは、ボーントレーサーとの戦いの最中に抱えた疑問を払拭するため綺崎さんにカマをかけてみた。
ボーントレーサー一人では話に聞いたような人数の殺人、とくに人に見つからないようにそれを行うのは不可能だと思ったからだ。
綺崎さんはうまく交わしていたが一つミスをした、そしてそこからボクは彼女が彼の共犯である事を知る。
正体がばれると彼女はボクを始末しようとする。
教祖の狙いは十万人を巻き込んだ集団自殺であるという、あの巨大な方舟も彼の能力なのだと。
彼女はそれが方舟に救いを求めてやってきたこの地獄のような現世で苦しめられる子羊たちの真の救済だと信じ切っていた。それをごく僅かでも妨害する可能性のある強い力を持つボクは子供として放置しておくにはあまりにも危険だと、彼女は自らの能力、鏡の国の乙女を発動する。
彼女の能力は自分が他人に見られるなら、自分自身の本当の姿が失われても仕方がないというデザイアから生まれた鏡の能力。つまりボクに綺崎凛として見えるその姿は、ボク以外の人間から見ると全く違う別人の姿に見える、という事だった。
能力者としての経験の長い彼女は能力の正体をデザイアという精神上の「仕方ない」という拒否不可能の壁が生み出す現象だと説明した、ボーントレーサーは生まれつきの殺人衝動から来る「自分が他人を殺す存在でも仕方ない」、それに至った理由は綺崎さんが実の弟である彼が思い悩み死のうとしていたときにその存在を肯定してしまったからだと彼女は光の消えた目で言った。綺崎さんは手にしたコンパクトを割り、あたりに鏡の破片をばらまく。
いくつもの鏡の破片から放射された光がショーウィンドや窓ガラスに反射し、そこから真黒なマネキンのような顔のない人形がボクを襲ってきた。
ボクは綺崎さんの追撃を逃れながら、方舟へ侵入する。
できるかどうかはわからないがケイとボクの力で教祖の企みを阻止し、茜ちゃんを救いだすために。
そして方舟の中で苦戦しながらも綺崎さんを倒し、ボクは教祖と対峙した。
教祖は方舟の中心部でボクを待っていた。その傍らに眠る茜ちゃんと彼女のデザイアである巨大なネズミの姿をしたハーメルンの笛吹きを従えて。
彼は自らの能力の原因を恋人がレイプ殺人された事で行った自らの自殺未遂経験からだと話した。
死ぬのが救済でも仕方がない、それが彼のデザイアだった。
彼は自分が自殺に失敗したのは彼と同類の善人たちをこの世から救うためだと言った。
「幸せになれない人間は生まれた時から全ての努力も夢も無駄になることが決まっている。この世界は腐敗した果実によって侵された不毛の荒野だ」
そう彼は聖者のような顔で言う。
外ではさらに多くの人間達が方舟に集まり、その数は百万を超えようとしていた。
「それでも自分は幸せになれるって信じてさえいれば絶望なんてしない、たとえ苦しくてもふとした事で良いことだってあるからおもしろいんだ。それを苦しい段階で止めて終わらせようとするお前のやり方はボクは気に入らない、そんなのはお前の傲慢でしかないってわからせてやるよ」
ボクの返答に彼は静かに笑うとゆっくりと立ち上がり両手を広げて無抵抗を誇示するような姿勢をとる。
「言っておくが中にいる間に倒せよ、私の箱舟が完全となれば人の手では私を止めることは叶わない。君が選んだ責任だ、しくじれば君が100万人を見殺しにしたようなものだ。だがこれは好機でもある、掴みたまえ少年」
彼がそういうと方舟と同化し武器を身につけた信者が周囲に現れ、ボクは頭痛を覚えながらもケイの能力を解放した。
現れた敵を全て倒し、あと一歩で教祖ののど元にたどり着くという所で方舟内部に現れた巨大な力場によりボクは方舟の壁を突き破り外へ弾き飛ばされた。
方舟の入口が閉ざされ人々が飲みこまれていく、ボクは立ち上がろうとして血を吐いた。
ケイが庇ってくれたおかげでなんとかまだ体に手足がついてるようだった、ボクは痛みのない場所を探すのが難しい身体を起こし、朦朧とする意識と血で滲み視界の果てに無数の篝火を焚いた巨大な方舟の姿を見た。まるでバースデーケーキだ、そういえばボク今日誕生日だっけ、今日死ぬのに最後の誕生日のお祝いできなかったな。
思えば僕らもあいつ達もただのはみ出し者の集団なんだ。その主張が言葉や暴力とかで収まらず、人が何千何万人と死んじゃうレベルになってるだけで、これはただの喧嘩なんだろう。
方舟の篝火がこちらに砲塔を向ける、せめて外にはじき出されるときに連れ出せた茜ちゃんだけでも守らなければ。
砲撃を放たれ、それに対して暴獣化したケイが全身からはなった炎を槍の形に収束させ、ミサイルを放つように迎撃する。
目を覚ました茜ちゃんが自分のせいで酷い目にあわせてごめんないさいと泣く。彼女は一生一人ぼっちでも仕方ないというデザイアを抱えていた、ハーメルンの笛吹きは彼女にとっての痛みそのものだったのだ。
「茜ちゃんお兄ちゃんのために歌ってよ、お兄ちゃん今日誕生日なんだ」
ケイの能力解放による死を覚悟しながらボクは穏やかな気持ちでそう言った。
朦朧とする意識の中で彼女の歌を聴いていると異変が起こった。
空が巨大な口になり歌が終わると同時に、ボクが方舟にふっと息を吹きかけると、方舟に夜のアギトが落ちて消滅した。
ハーメルンのネズミ男の笛の音がいつのまにか消えていた。
地面に倒れ込んだボクを抱きかかえる茜ちゃんと、ケイの姿。姉さんと美咲の声もする。遠ざかっていく意識の中に見た夜空と月の鮮明さをボクは忘れることはないと思った。
ボクが負った怪我が治るまで一カ月の入院生活を経て、ちょうど夏休みにさしかかった。
退院祝いにお姉ちゃんと美咲と茜ちゃんが一緒に夏祭りを回ってくれる事になる。
ちょっとしたハーレム状態を羨ましがられ悪い気がしないながらも、遠くに見えたフルフェイスのライダースーツ姿の女性がうつりボクは彼女を見つめる。
今や自分にとってフルフェイスとライダースーツのその姿が本当の自分の姿だと、彼女は言っていた。彼女はどこへ向かうのだろう。それに僕たちデザイアを抱えた者たちも。
ミノリによると茜ちゃんのデザイアは幸いケイに食われたというわけでもなく、自然に消滅したという事だった。
ボクの顔を見上げながら茜ちゃんはまっすぐな瞳をする。
「ネズミは食べられる側の存在だけど悲嘆することはなかった、自分が幸せになれると信じ願い続けた。だから現代になってもしたたかに繁栄を続けてる。私はネズミさんが好きだったよ、だからネズミさんのために私もがんばる。自分が消えても私の幸せを望んでくれた、その願いを叶えたいんだ」
ハムスターを肩に乗せて彼女は屈託のない顔でほほえむ。
退院後ボクは祭りのさなか神社へ向かった、
桜並木の中階段を上る。
風と共に木々の合間に横を通り過ぎていく何かの気配があった。
「タケル!」
ケイが桜の木から飛び降りた瞬間風が走る。
まるで羽衣みたいに桜の花びらをまといながら降りてくるケイは、さながら天女のようだった。
まったくやれやれ、ボクのお人好しはこいつにつきあってるせいかとふと思う。
そんな関係も悪くないんだろうか、子供みたいにボクにじゃれつきはしゃぐケイの頭をなでながら、ボクは性懲りもなくこいつとつきあって生きていく道を選ぶのだった




