864回目 異世界勇者の解呪魔法(ディスペルマジック) 632 : 雪解けに咲く花のように
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レジスタンスのアジトに戻り勝利の報告に沸き返るその場を後にして、紗夜は夜更けの冷たい風の中一人海を眺めていた。
雪玲の死んでも褪せない紗夜に対する憎悪、美咲の事を知っていた彼女の言葉。
紗夜の罪が追いかけてきた事に彼女は怯えていた。
「雄馬もアイリスも殺されてしまう、美咲みたいに……」
紗夜はこの世界に来る前のことを思い返す。
紗夜は太史局という政府の裏機関に所属していた。
そのルーツは飛鳥時代に造られた陰陽寮という機関であり、明治時代に表向き廃止された事にして政府に命じられた裏の仕事を請け負う暗部組織となった。
紗夜は陰陽師の家系に生まれた。
歴代でも屈指の力を持って生まれた彼女は赤ん坊の頃、無自覚に呼び出した式神で家を火事にしてしまったことがあった程だった。
彼女の血族は古来から一家庭から一人陰陽師とするべく本家に子供を差し出さなければならないというしきたりがあった。
しかし紗夜の生家は系統で見れば分家の末端に当たり、そこまで行くと陰陽師の血筋という認識も形骸化し、血族の役目すら免除されていた普通の家だった。
だが強すぎる力を持つ紗夜の扱いに困った両親は紗夜を本家に養子に出し、自分たちが育てるための娘をもう一人作った。
彼女の名は美咲、両親から必要とされ、愛されて生きてきた紗夜の妹。
しかし美咲が小学生の頃、強盗に襲われた両親が亡くなってしまって、その頃中学生ながらに一人前の陰陽師として生計を立てていた紗夜が彼女を預かることになった。
美咲は両親が殺されるのを見て死を異常に恐れるようになり、初めは紗夜にすら死の気配を感じて拒絶していた。
美咲も彼女を守る不可視の式神を無自覚で使役しているようで、その囁きは直感として彼女に働きかけていた。
事件で彼女が生き延びたのはそのためのようで、両親は美咲のそれに気づかず紗夜くらいにしか一瞥で看破は出来ない存在だったようだった。
共に暮らすようになって数年間、紗夜は深夜に叫ぶ彼女を一晩中抱きしめたりぎこちないながらも家族としてのわずかな時間を過ごした。
初めはなれない辿々しい敬語を使っていた美咲だったが、二人はいつか打ち解けて普通に家族として話せるようになり、紗夜は美咲が普通の人間として幸せになってくれることを夢として抱き始めた。
思えばそれは紗夜が初めて持った夢だった。
美咲が時折り見せるその笑顔を見て思う、愛されてきた娘の純心からくる笑顔、それを守りたいと紗夜は願っていた。
しかし美咲は紗夜を恨む者に殺された。
現代まで生き延びている怪異は人心掌握に長けているものが多い。
ターゲットにした人間に自分を愛させる事で自分を守らせ、自分が死んだ後は自分を愛した人間が同族の敵を憎み殺す、それは愛情を呪詛として機能させる最悪な部類の怪異と言えた。
美咲はけして紗夜に口にしなかったが、彼女は紗夜と暮らし始めてからほどなくして学校でいじめられるようになっていた。
愛情を利用した呪詛をはじめ、他者に悪夢を見せることができるまつろわぬ者の生き残りが、紗夜の血縁である美咲に害意を持つように彼女の周囲に美咲から危害を加えられる夢を見せて、彼女を孤立させ、攻撃の標的にさせた。
紗夜がそれらの異常に気付き、元凶を始末した時には全ては手遅れになっていた。
「苦しむがいい、お前のせいで妹は死ぬ」と手にかけた怪異が今際の際に口にして、紗夜は美咲を連れて街を出ようと彼女を探した。
しかし見つけた時には美咲は二目と見られない姿で殺されていた。
美咲の殺害に参加していたのは紗夜が以前他の怪異から助けた娘も含まれていた。
そして紗夜と美咲の両親を殺したのも、紗夜がこれまで助けてきた人間達による犯行だった。
それらは全て紗夜を恨む者達により仕組まれた呪いだった。
彼女の行ってきた行為の全てが美咲から全てを奪い殺してしまった。
その認識を植え付けられた紗夜は生きる気力を失ってしまった。
絶望した紗夜は失意の中、自暴自棄で任務にあたり、そのうちの一つで命を落とした。
そしてこちらの世界で目覚めた後、新しい人生を与えられたその意味を知るために、今度こそ美咲のような人々を救える生き方をして、罪を償っていくつもりだった。
だけど彼女の罪は再び雪玲という罰として姿を現した。
紗夜にはもうどうすればいいかわからなくなっていた。
救いを求めるにはその手はあまりにも汚れすぎていた。
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目を覚ました後、アジトに紗夜の姿が見えず、僕は彼女を探して外を歩く。
今日は冷えるからと出る時に持たされた毛布を体にかけ、しばらく歩いた先で紗夜は一人でたそがれていた。
その姿があまりにも悲しそうで、泣きだきそうな彼女が見ていられなくて、僕は彼女の肩に自分の毛布をかけた。
「どうしたの、こんなところに一人で。悩みがあるなら話聞くよ」
「やめて」
紗夜は迷惑そうにそういうと、僕を突き飛ばした。
まだ具合が悪くてよろける僕を見て紗夜はバツが悪そうな顔で「ごめんなさい」と消え入りそうな声で言った。
「今はあなたの優しさが怖いの、一人にして」
「そんなに追い詰められた顔で言われちゃ、ほっとくなんてできないよ」
そういうと僕は彼女の横に立ち、一緒に夜の海を見る。
「私には貴方のそばにいる資格なんてない、だから」
今度は手ではなく言葉で彼女は僕を遠ざけようとした。
「何か僕に負い目があるなら、僕のお願いを一つ聞いてくれないかな」
その言葉に紗夜の返答はない、僕はそのまま言葉を続ける事にした。
「紗夜のことを教えて。紗夜って自分がどんな人なのかちっとも見せてくれないでしょ?仲良くなりたくてもとっかかりが掴めなくて困ってたんだよね」
そういって紗夜に笑いかけると、彼女は暗い顔のまま僕の目を見た。
「私は貴方を殺すように命じられたの、逆らった人間はみんな彼女に殺された、そんな相手からの命令よ」
だから自分から離れろ、と言いたいらしい。
それなら答えは一つだ。
「僕は殺されないし、君も死なないよ、僕が守るから」
「簡単な事みたいに言うのね」
紗夜は呆れたように言う、でもすぐに考え込むような顔をして、言葉を続ける。
「でも貴方がいうと気休めや嘘には聞こえない、本当にやってのけるんじゃないかと信じてしまいそうになる」
希望を抱きそうになった自分を罰するかのように、届かない物に焦がれるように、紗夜は曇った顔をして遠くを眺める。
そこには自責の念に押しつぶされそうな弱々しい彼女の姿があった。
これまでも彼女は時折りそんな姿を見せることがあったが、今の紗夜はいつにも増して苦しそうに見える。
僕は見ていられなくて彼女の手を静かに掴み「約束するよ」と口にする。
彼女はそんな僕の顔を困った顔で見た。
「酷い人……私には救われる権利なんてない、恨まれてもしょうがないことをしてきた最低の人間なのに。そんなに無邪気な顔で手を差し伸べられたら振り払うことなんてできないじゃない」
身に余る贈り物を受け取ったような寂しそうな目で彼女は僕の手を見つめる。
「理屈もなく希望を抱いてしまう……」
迷いながら絞り出すように彼女は言った。
紗夜の手は冷たくて、その心が凍えているように思えた。
僕は言葉が届くように彼女の手を温めながら口を開く。
「いつか……いつかさ、紗夜が心から笑える時が来るよ。だから辛くても諦めないで、君は孤独でいる必要なんてないんだ」
言葉だけじゃ伝わらない、だから僕はかつてのひとりぼっちだった自分に声をかけるように紗夜に言った。
空がわずかに白み、影が落ちていた紗夜の顔を優しい朝日が照らす。
「ソウハが闇を導く月とすれば、あなたは希望で人を導く太陽のような人。彼があなたを求める理由が少しわかったかもしれない」
彼女の中の氷のような迷いが少しずつ解けていくのを感じる。
「月は太陽を映す鏡、朝をもたらす 希望 で闇に姿を表す孤独な星。彼はきっとあなたに見つけてもらいたがってる、そんな気がする」
彼女は優しい微笑みで僕を見る、それが嬉しくて僕も彼女に笑顔で答えた。
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雄馬の助力で立ち直れた紗夜だったが、一つだけ気がかりなことがあった。
それはおそらく雄馬自身では解決できない問題だ。
正気を失った時の雄馬の顔がソウハに似ていた事。
それが何を意味するのか今はわからない。
ただ彼女はこの先何があったとしても、自分にぬくもりを与えてくれた彼が自分らしく生きていけるように、「守ろう」とそう決意するのだった。




