863回目 異世界勇者の解呪魔法(ディスペルマジック) 631 : 忘却に抗う影
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雄馬と狂亮の決着で火柱が上がった。
雄馬の身を案じていた紗夜はそれに一瞬気を取られ、その隙を突かれ雪玲の一撃を喰らい、そこから雪崩のように攻撃を受けアバター化が解除されてしまった。
起きあがろうとする紗夜に雪玲は侮蔑の目を向けながら歩み寄り、紗夜が地面に落ちた刀を手にするより早く剣先を紗夜の首元に突きつける。
「目の前の私よりあいつの方が気になるってわけ」
降り出した雨に濡れる紗夜は雪玲が見た事のない弱々しい女の顔をしていた。
雪玲は嫌悪感に顔を歪める。
「つまんないねアンタ、やる気ないなら死ねば?」
雪玲は迷いなく紗夜の首を刎ねようと剣を振る、そこに雄馬が割って入り雪玲の刃を山刀で弾き紗夜を庇う。
「なになに、やろうっての?」
雪玲は血に飢えた獣のような眼で雄馬を見てそう言うと舌なめずりした。
「いけない、雄馬。この子は」
紗夜は雪玲の殺意が雄馬に向いていることに気づき警戒の声を出した。
「紗夜の大事な人なんだよねぇ、目の前で殺したらいい反応しそう」
雪玲は狂気に満ちた顔でうっとりとそう言うと雄馬に強襲をかける。
猛烈な攻撃の応酬、雄馬は紗夜を気にかけながらそれをいなしていく。
「あんたの大切な人はみんな殺す、あんたの妹がされたようになにもかも奪われて、血反吐を吐きながら苦しみ悶えて死ねばいい!」
「雪玲、あなた」
紗夜は彼女が初めて見せた憎悪の正体に戦慄した。
それはおそらく紗夜が償わなければならない罪そのものだった。
ルガードがすかさず紗夜を逃し、雄馬と雪玲の戦いが始まる。
人間が知覚できる限界を超えた剣戟の応酬。
宙を舞う銅銭から剣を持った骸骨の腕が出ては消える、剣の雨が雄馬の全身に襲いかかる。
敵の攻撃が早すぎて意識で追っていたら間に合わない。
吐き気を催すほどの憎悪が幻影水晶を通じて雄馬の思考に伝わってくる。
プレイヤースキルが対人特化に振られてる、雄馬は以前そうしたプレイヤーと戦ったことがある、それはPKを主にしていたプレイヤーと同じ百分の一秒単位の戦いだ。
瀑岺会の構成員もその戦いに加わり、雄馬の体が傷ついていく。
紗夜とルガードが応戦するが数が多くて間に合わない。
この動きはおそらく彼女の意思伝達速度よりも早い、動きと意識のわずかなラグそこに唯一の打開策がある。
雄馬は憎悪の思念に思い切り意識を埋めて、彼女の殺意に体を反応させ始めた。
神経が研ぎ澄まされて体が大気に溶けていく感覚。
雄馬の自我が遠ざかり心が無になった瞬間、山刀に光の文字が現れ雄馬はアバター化した。
魔鏡のカウンタースキルが道士のスキルを無効化して銅銭が地面に転がり落ちる。
雪玲はその状況に少し眉を動かし雰囲気の変わった雄馬を警戒した。
「シャアァアア!」
彼女はそう言って地面を太極剣で切り裂く。
その断面が高速で地面を破り広げ無数の死霊の手が雄馬に襲いかかる。
裂け目がどんどん広がり建物も飲み込み、巻き込まれた瀑岺会の構成員の命を奪っていく。
道士のジェノサイドクラススキルだ。
しかし雄馬は身じろぎもせず涼しい顔をしてゆっくりと歩く。
雄馬のスキル「死渡り」が発動していた。
空間が捻じ曲がり雄馬に死霊の手が届かず、地面の割れ目に飲み込まれることもなく宙に浮かびまっすぐに歩く。
雪玲が逃げようとするが空間が捻れてその場から離れることができず、雄馬が構える山刀の刃が迫ってくる。
対象を殺すまでいかなる障害も受け付けない暗殺者の最上位スキルの一つだ。
雄馬の自我は今はなく、その無感情の顔は紗夜の知るソウハの顔によく似ていた。
「待って雄馬!」
紗夜の悲鳴にも似た声が虚しく響く中、雄馬の山刀の切先が軽々と雪玲のHPを奪い、刃がするりと胸に突き刺さり彼女の心臓を貫く。
傷口から血が吹き出し、雪玲の見開かれた目は光を失い、力の抜けた体が人形のように崩れ落ちる。
紗夜はその状況に絶句する。
雪玲の血を浴びて赤く染まった雄馬も、意識を失いアバター化が解け倒れ込んだ。
ルガードは雄馬に駆け寄り呼吸を確認すると、彼を背中におぶる。
「追っ手が来る前に行こう」
呆然とする紗夜に気付するようにルガードが言うと、紗夜は死んだはずの雪玲が雄馬を見つめていることに気づく。
「危ない!」
紗夜は咄嗟に式札を放ち、火蜂が飛ぶ。
雄馬の頭部目掛けて飛翔した太極剣を火蜂が弾き飛ばす。
雪玲は体を弓形にしならせ、死霊のとりついた死体のように起き上がり、落ちてきた太極剣を掴み取った。
彼女の周囲にキョンシーが集まり自らの首を裂き雪玲に血の雨を降らせる。
彼女の胸の傷は塞がり、青ざめた肌には血が通い乾いた唇がうるおい濁った目に光が戻る。
そしてその視線はなおも紗夜に怨嗟を向けていた。
「雪玲……あなた、そこまで私を」
紗夜は影の中の気配に気づき刀を構える。
アバター化はまだ出来ない、しかし彼女は決死の覚悟で雄馬だけは守ろうと決意を固める。
闇の中から音もなく現れたもう一人の人影、それはソウハの側近の立場をショウ・タイフォンから奪った女、ローグだった。
彼女はプレイヤーではない、この世界で産まれた人間だ。
しかし瀑岺会に逆らう者はプレイヤーも余さず必ず死に、そしてその現場には彼女がいた。
瀑岺会のプレイヤーは皆彼女を処刑人として恐れていた。
紗夜は首元がひりつき体が恐怖に震える手を必死で抑える。
ローグはいつの間にか紗夜の背後に立ち、怯える彼女を憐れむように、慈しむように頬を撫で顎を指で引き寄せキスをするように顔を近づける。
「まるで乙女のような顔をして怯えるのですね」
その言葉に紗夜は心を汚されたと感じた。
雄馬に対して芽生え始めた優しく温かい感情、それを見透かし、愚かだとなじるような侮蔑の感情が紗夜を刺す。
紗夜は戦う事を定められて生きそして死んだ。
その人生を彼女がいくら憎んだところで生き抜く為に身につけた戦士としての彼女の 鎧 は魂に焼き付いて脱ぎ去ることはできない。
ローグの言葉は紗夜のプライドを刺激し、雄馬の味方でいようとする今の彼女を責め立てる荊へと変えた。
その苦痛に紗夜は顔を歪める。
「苦しいでしょう?そう、貴女は強い人。甘えることなんてできない、そんな自分を許せるはずがない。
その迷いが貴女を弱くしている」
戸惑う紗夜の心を手玉に取るようにローグは言葉を重ねる。
何かのオブジェクトの力なのか、今の瞬間時間が流れているのは紗夜とローグだけのようだ。
「山桐雄馬 を殺しなさい。私は貴女を気に入っているのです、紗夜。世界を憎み壊す気高く強く美しい戦士、それこそが貴女に相応しいあるべき姿。期待していますよ」
そういうと彼女は慈愛に満ちた聖母の顔で紗夜を見つめ、闇に消えていった。
雪玲は苦々しく舌打ちをするとローグの意思に従うように姿を消す。
紗夜は恐怖に震えた。
それは命を脅かされたことではなく、紗夜の心がローグに支配されかけた恐怖からくるものだった。
ルガードに促され退路を進む途中、紗夜は雄馬の顔を見た。
彼に対する温かな気持ちと同時に、彼を殺せば本当の自分になれるという薄暗い衝動がわいてくる。
「穢らわしい……憎まれて当然だわ」
紗夜は雨音に紛れる小さな声でつぶやくと、そんな自分の中の醜さに涙を流し自分の肩を抱きしめることしかできなかった。
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