835回目 異端のエクソシスト⓪ 死籠りの繭
黒衣の男が二週間前突如住民が全て消えたゴーストタウンを散策し、何かを嗅ぎ当てる。
彼が何もない空間にナイフを突き立てて切り開くと、空間が流血と共に裂けて向こう側が見えた。
ドス黒い血のような赤に染まった闇の中、蠢く巨大な触手のようなものが街を蝕んで見えた。
「…どこかに根があるはずだ」
そう呟き彼はナイフを放り投げると、躊躇うことなく異界の中に足を踏み込んでいった。
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新米記者のラナは突然変質した街の中で人間が化け物に食い殺されていく地獄のような世界を逃げ惑いながら、住民達の生きていた痕跡を集めてまわっていた。
スラムで孤児をしていた彼女を、この街の住民が拾い育ててくれた。
彼女はその恩返しでこの街の良さを伝えるために記者の道を目指した。
住民を助けたくても誰も助けられない状況の中、彼女は大好きなこの街の人たちのためにせめてジャーナリストとして最後まで生き延びようとした人たちの意思を伝える義務があると感じていた。
しかし物資もつき味方もなく悪魔に追われながら疲れ果てていた彼女は窮地を黒衣の男に救われる。
彼は出立ちや言動はマフィアに見えるが、スーツの下に見える十字架や服装や装備は神父のようだった。
彼が言うには今のこの街は悪魔のための人間牧場のようなもので、悪魔が一気に人間を殺さない理由も閉じ込められた人間達が負の思念を増加させ堕落して罪を重ねていくのを目的としているからだという。
邪念と悪意は悪魔の精力となり、死肉は悪魔の糧となり、罪で汚れ切った人間はこの地を支配する大悪魔受肉のための器となる。
つまり悪魔が受肉するための 繭 がこの異世界の正体であり、彼の仕事は生存者の救出と悪魔の始末なのだという。
初めは名乗りもせず怪しすぎる彼に疑念を向けていたラナだったが、彼に助けられているうちに孤独感も薄れ、心を開き彼に自分の境遇を語る。
彼は初めはそんな彼女を嗜めるが、彼女の話を聞いているうちに何かに気づき、彼女の集めた痕跡を記録した手帳を見て話の続きを求める。
みんな優しくて良い人ばかりで、いつも自分のことを可愛がってくれて。
悲しい時寂しい時も助けてくれて、嬉しかったと話を続ける。
男は少しの沈黙の後ラナに嘘をついてないかと尋ねる。
彼女は戸惑いながらそんなことはないと答えた。
ならこれはなんだ。
そう言って男が見せたラナの手帳に記録されている内容は今彼女が語った人物に対する恨み言と、どう死んで行ったかの観察記録だけだった。
ラナは動揺しながら記憶を思い出す。
悪夢のような情報が彼女の現実を虫食いのように食い荒らし、ラナは思わず絶叫した。
彼女の声に悪魔が集まり、男は舌打ちしながら銃で悪魔や屍鬼化した住民を撃ち殺していく。
「それじゃ私…」
ラナがすがるように記憶を辿るたびに言葉にする度に穢らわしい記憶が噴き出してくる。
偽物の記憶はあっけなく霧散し、心に刻まれた傷が開いて痛み始める。
「どうして、みんな私を」
彼女はみんなに受け入れられたかった。
暖かな故郷に友人に家族に憧れた。
しかし現実としてあったのはこの街における不信感の掃き溜めとしての役割だけだった。
養父が病で亡くなった後、街の人達は物が盗まれたりなにか事件があれば彼女を疑い、諍いがあれば彼女を憎悪の捌け口とすることで解決するようになった。
彼女に不都合を押し付け危害を加えては、悦に入りながら皆笑顔になった。
彼女にとって他者の笑顔は加害者による暴力でしかなかった。
生きてる事が罪だと言いたいかのように、住民たちは日常的に彼女を責めたて、ある日彼女は闇の中から呼ぶ声に応え、街が異界に飲み込まれた。
「私何か間違ったことしたのかな…」
「罪も罰も他者の都合にすぎない。潔白であっても人は吊るされる。お前は逃げるべきだったんだ、この街から」
「でも他になかったんです、故郷と呼べる場所が」
2人が向かう先に空間に切り裂かれた傷跡が見える。
「出口だ」
彼がそう言った瞬間、ラナは彼の背中にもたれかかった。
その手にはナイフが握られ、男の背中に刺さったそれから血が伝い落ちる。
ラナは憎悪に満ちた顔を浮かべている。
その背中にはこの街に蔓延る無数の触手が集い蠢いていた。
男はため息をつく。
「残念だよ」
男がそう言うとラナはナイフを持つ手を強める、しかし指を伝う血が彼女の手を焼いてその手を解かせた。
「これは私の血、新しい契約の血である」
そう言いながら銃のマガジンを交換する。
ラナは男に襲いかかった。
「これは私の体である」
男はそう言ってラナに弾丸を放つ。
肩に受けた傷を押さえた彼女に男は冷たい目をしながら言う。
「お前には悪魔が宿ってる、殺すしかない」
ラナは憎悪に顔を歪ませ襲いかかる。
攻め手のたびに彼女の皮膚は黒く爛れて膨張し、悪魔のような姿に変わっていく。
男は攻撃を交わしながらラナに対して十字切ると2丁拳銃で腕をクロスする。
周囲に無数の殺人蝙蝠が襲いかかり、彼は腕をクロスしたまま銃を乱射し跳弾の結界で蝙蝠を撃ち落としながら口を開く。
「慈しみ深き神の御名においてこの者に永遠の安らぎをもたらしたまえ」
聖句を唱えると足元から光の波動が広がり悪魔の肌が焼けて苦しみ、命乞いするように手を伸ばす姿にラナの面影が見えた。
「お前達は人の愚かさの代弁者だ、罪を抱いて死んでくれ」
彼はラナだったものにそういって頭に最後の一撃を打ち込む。
世界が崩壊していく、彼女がこの異界を構成していた核の悪魔で間違いなかったようだ。
偽装現実と異界化が解けると、そこには人間達が互いを殺しあう地獄の末路だけが残された。
悪魔が人をこうさせるのか、人がこうだから悪魔がこの世に現れるのか……。
男は嫌悪感に顔を歪ませる。
そう呟きながらタバコを一服、返答のない錆色の空を見上げて睨む。
彼はラナの残した唯一の生きた証、彼女の手帳を手に街を後にした。




