832回目 わけあり陰陽師は犬神と暮らしている②
5年前、絃八が10歳の頃に時は遡る。
彼らの住む神社に早朝1人の男が訪ねてきた。
タバコ吹かしてるしわくちゃなスーツを着たぱっと見胡散臭い探偵のような出たち。
右手の袖をめくっている事をいつもだらしないと七瀬に叱られている、冴えない中年の男だ。
彼は絃八達の家に入る前にふと気づいたように辺りを見回した。
そして自然な仕草で片手で印を結び、咥えタバコの煙を印に吹きかけると、煙は縄のような形の式神に代わり虚空に向かい飛び出すと、そこにいた不可視の悪霊を縛り実体化させた。
「優しく成仏させられるか、手痛く退場させられるか、どっちがいい?」
彼が悪霊に向かい尋ねると、悪霊は縄を千切って彼に襲いかかった。
男は肩をすくめて笑う。
「OK、ハードに逝っちゃおうか」
彼はタバコを指に取り、迫ってきた悪霊の口に突っ込んで折ると、飛び散った火花が連鎖増幅して悪霊を内部から大爆発させた。
「いっちょ上がりっと」
そう言って彼が新しいタバコを箱から出して咥えると、家の中から絃八が姿を現した。
「お久しぶりです鷹羽さん」
「よう、絃八くん。ちょっと見ない間にまたでかくなったな」
鷹羽はにこやかにそう言うとタバコに火をつけ紫煙を燻らせる。
「もーおじさん、爆発やめてって前から言ってるでしょー?」
七瀬がぷんすこしながら窓から顔を出した。
「悪い悪い、七瀬ちゃん元気してた?」
おどけて見せながら鷹羽はそれとなく印を結んで煙を撫でる。
不可視のハチドリが七瀬と絃八の周りを飛び、彼に何かを耳打ちして消えた。
その知らせを聞いた鷹羽は神妙な顔で小さくため息をつく。
「今日はどうしたんですか?」
絃八が彼の様子を察して声をかけると、鷹羽は優しい笑顔を見せた。
「美味しいパンケーキの店見つけたんだ、今から行こうよ」
「ほんと!?」
七瀬は大声を出すと顔を引っ込めバタバタと急いで着替えを始めた。
「その、いいんですか?」
遠慮がちに言う絃八の頭を撫でながら、鷹羽は胸ポケットから数枚の万札を見せてドヤ顔をする。
「応援してたお馬さんが勝ったんでお裾分けさ、
好きなだけ食べていいぜ。六牙も来るだろ?」
鷹羽がそう言って神社の屋根の上の六牙を見ると、遠巻きに絃八達を見ていた六牙は仏頂面でそっぽを向いて去っていった。
「あらら、出番取られて怒っちゃったかな」
頭を掻いた後まぁいっかといって鷹羽は絃八と七瀬を連れて喫茶店に向かった。
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その日の深夜。
絃八は自転車でとある廃病院にやって来た。
手には鷹羽に渡された紹介状と、簡素な地図。
「丑寅病院、ここでいいんだよな」
絃八はじくりと痛む首のあざを撫でながら、病院に足を踏み入れる。
パンケーキを注文して待っている間、鷹羽にあざの事を言い当てられ、彼にこの病院を紹介されたのだった。
医者に見せても一向に治らないそれは「幽痕」というものらしく、専門の医者に診てもらう必要があるらしい。
深夜にだけ開く丑寅病院は幽霊とか霊障に侵された人専用の病院なのだという。
鷹羽から念の為ともらった三枚のお札をポケットで握り締め、懐中電灯で照らしながら病院内を歩く。
その時絃八には知らされていなかったが、絃八や七瀬に取り憑けば自らの邪念を絃八に押し付けて楽になれるため悪霊が寄ってくる状態にあった。
間に合う限りには鷹羽が祓い、それ以外は六牙が食い殺していたが、幼い兄妹は悪霊と六牙の区別がつかず、彼を怖がり避けてしまっていた。
深夜の廃病院の中をおっかなびっくりで進むと、電灯のついた受付を見つけ、霊障科と書かれた看板を見てカウンターに紹介状を出す。
紹介状はひとりでに闇の中に吸い込まれ、青白く光る蝶が現れて絃八を待ち受け場の椅子に案内した。
絃八が真っ暗な中椅子に座って待っていると、闇の中何かの気配や聞き取れないくらいの微かな声、何かがこちらを見る視線を感じた。
実体のないそれらの存在に怯えていると、目の前の扉が開き、中で1人の白衣姿の好青年が爽やかな笑顔でどうぞと絃八を誘った。
彼がいうにはこの病院は人間は人間の医者が担当しているとのことだった。
診察を受け、薬と湿布のように貼れる札をもらい絃八は家に帰る。
半信半疑ながら薬と札を試すと不思議なほどによく効いて、絃八は少々おっかないことには目を瞑って病院に通うことにした。
絃八が何度か病院に通ってると、朧げに院内の幽霊の姿を視認できるようになり、その中の1人、紅葉という女の子とも知り合いになった。
彼女がいうには病院が暗い理由は幽霊が光りが苦手だかららしい。
成仏方法がわからない幽霊が悪霊にならないように呪詛で病気になったら通院しているとの事だった。
事情がわかり怖いと思わなくなったら不思議とみんなの姿が鮮明に見えるようになり、絃八は紅葉に会える通院が楽しみにもなった。
そんな中で絃八は他の患者から失踪した幽霊を見かけたら教えてくれと頼まれる。
事情を聞くと最近幽霊の失踪が続いているらしい。
紅葉に聞いてみようかなとひとりごちる絃八に、窓の外から六牙がやめておけと声をかける。
驚き外を見ると六牙が木の枝の上に立って絃八を見ていた。
少し怯えながらも絃八はお札を握りしめながら窓に歩み寄る。
「ほう、逃げないのか」
意外そうに言う六牙にどんな顔をしたらいいかわからず絃八はもじもじした。
彼はこの病院に通い始めてから道中や病院内にいる間、六牙が付かず離れずで絃八を見守っていることに気づいていたのだ。
それに六牙は数河の家に代々仕えてきた犬神だ、家族といってもいい。
そんな彼を怖がったままじゃいけないと、絃八はずっと近づくための機会を探していた。
「いつまでもこのままじゃいけないから、忠告……してくれたんでしょ?」
「……あの娘には近づくな」
六牙は少し言いづらそうにそう言うと、何かに気づきその場をさっていく。
「見守ってくれてるんだよね?でも紅葉に近づくなってどうしてだろう」
その後診察が終わった後、紅葉と六牙をしばらく待っていたが、その日2人に会うことはなかった。
その後数日六牙がいなくなってしまい、絃八は鷹羽に電話で相談する。
「アイツが君達のそばを離れるなんて考えられない、厄介な事になってるな」
彼はそう言って神妙な様子で考え込む。
「どうしてそう思うんですか?」
絃八は前から薄々気づいていたことの答えを求め鷹羽に問いかける。
鷹羽はそんな彼の気持ちを察したのか、少し間を開けて口を開いた。
「俺に君たちの様子を定期的に見るように頼んだのはあいつなんだよ、君たちのご両親が亡くなったその日にね。
アイツには秘密にしろと言われてたんだが、やっぱり君たちは知っておくべきだよな」
「六牙はなんで秘密にしようとしたんでしょう」
「あいつが数河家の式神で主の血筋を守るのが義務って事と、あとはまだ子供のお前達に変な義理や恩を抱かれたくなかったんだろう。あくまで式神と主人という関係を維持して、それをどうするかは成長した君たちに任せるつもりだったんじゃないか」
「俺が六牙のことを怖がっていたから信じてもらえなかったのかな…」
絃八は自分の行いで六牙を孤立させていた罪悪感を吐露する。
鷹羽はその痛みを柔らかく受け止めるように言葉を続けた。
「まぁアイツ自身が裏切られたと感じずに済む距離を作らなきゃならない立場ではあるからな。大人はそうやって自分の心を守らなきゃいけない時があるんだ、何百年も生きてる奴は余計にな」
「犬神さん意外とナイーブ?」
横で話を聞いていた七瀬が絃八に尋ねると、彼はそうかもねと微笑み七瀬を撫でた。
「でも六牙なりに君たちを大切に想って、不器用なりに親代わりになろうとしてるのは事実だから、君たちがそれについてどうこう思う事について気に止む必要はないと思うぜ。それこそ彼を信じてあげて欲しいかな」
「六牙に会えたら信じてるって伝えてみます」
「態度には出さないだろうが喜ぶぜアイツ。さてと長話しちまったがここからが本題だ。俺は今遠方にいるから急いでそっちに向かっても間に合わない、だからお前が六牙を助けてやるんだ、できるか絃八」
「六牙は大切な家族だから、やります」
「よし、じゃあこの間護身用に渡した札は後何枚ある?」
「まだ使ってないので三枚あります」
「ならこれから指示した通りにそれを使うんだ、いいか……」
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絃八は鷹羽に指示された通り、札を一枚取り出し六牙に会いたいと願いながら強く握りしめた。
すると札が黒く染まり、絃八を導くように動き始めた。
「七瀬留守番よろしく!」
絃八は玄関の救急箱を片手にそう言って家を出ると、自転車に飛び乗り走り出す。
「がんばってけん兄!」
七瀬はそんな彼に大声でエールを送る。
日が沈んでいく中、絃八が眼前を飛ぶ札を追いかけていくと行き止まりにぶつかった。
しかし獣道をさらに進む札を追いかけ、絃八は自転車を乗り捨て走っていく。
木の枝を払い除けながら進むうちに無数の小さな切り傷ができたが彼は気にせず進み、やがて大きな河原に突き当たった。
札は河原の一箇所で止まり、クルクルと円を描いた後地面に落ち灰になった。
絃八がその付近を探すと血痕の先に血まみれの六牙の姿があった。
「六牙!大丈夫!?」
絃八が声をかけると彼は弱々しく動き絃八を見た。
「馬鹿者、なぜ来た。お前がここに来てしまっては意味がないではないか」
「ほっとけないよ、君は俺たちの家族なんだ」
そう言うと絃八は救急箱を開けて、六牙の傷に消毒液を傷に吹きつけ慣れない手つきで包帯を巻き始めた。
「儂は式神、家族などではない。主人が危険を犯して守るものではないぞ」
ぶっきらぼうに言うその言葉はどこか優しい、そんな六牙に絃八はふっと笑顔を見せる。
「なにがおかしい」
「本当に不器用なんだなって思って、鷹羽さんの言う通りだ」
「彼奴…ッお主に喋ったのか」
「知ることができて俺は良かったよ、ずっと君と仲良くなりたかったんだ。それに父さんと母さんの話も聞いてみたかったし」
「絃八……」
「こんな無茶をした理由は俺のせいなんでしょ?……紅葉なんだね、幽霊を襲ってるのは」
六牙はその言葉にため息をついた。
「あやつは鬼だ、自覚はなかったようだがな。お前とあっている間人間の姿になり、自分が人だと思い込んでいたようだが、お前に対する好意が執着となり鬼の本性を抑えきれなくなったらしい」
「どういうこと?」
「奴は食人鬼、執着が強いものほど食いたくて仕方がなくなる。折を見て始末するつもりがこのザマだ」
六牙は起きあがろうとして膝をつく。
「だめだよじっとしてなきゃ」
「今ならまだ儂の命と引き換えにやつを倒せる、今しかないのだ絃八」
絃八は六牙の気持ちを汲み心苦しさを顔に出したが、すぐに気を引き締め鷹羽に言われたように札を取り出し六牙に貼り付ける。
「なっ!?」
バチン!と音をあげ六牙は見えない力で座り込まされ、彼の周囲を不可視の結界が包んでほのかに輝く。
「なにをする絃八!お前まさか」
「六牙が力を出しきれない理由は今の主人の俺が六牙を怖がって遠ざけてたからなんだ、だからここから先は俺が決着をつけるよ」
「バカを言うな、お前はまだ子供なのだ。戦う手段も知らんだろうが」
絃八は必死に止める六牙に後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、札を取り出し結界の外に出る。
そこには彼を待っていた紅葉の姿があった。
「私、君に会いたくて。人間の姿をするために食べなきゃいけなかったの。でもどんどん食べなきゃいけない人数が増えて、君を思うほどお腹が空いて……」
彼女は心底悲しそうに言う。
彼女の記憶が呪詛として絃八の脳裏によぎる。
無理心中で1人生き延び山の中で餓死してしまった女の子、両親の死体の肉を食い食人鬼になり山を彷徨っていた紅葉の姿。
「でもわかったの、絃八君を食べたらずっと一緒にいられるんだよ」
彼女はそう言うと泣きながら笑い、その口が裂け、体は膨張し巨大な鬼に変貌する。
絃八は変わり果てた紅葉の姿に胸が傷んだ。
「紅葉、今俺が助けるから」
絃八はそう言うと札を眼前にかかげる。
札が一人でにピンと立ち上がり、絃八は六牙の血のついた指で一線なぞる。
すると描かれた線が口を開きそこの見えないくらい闇を露わにし、そこから轟々と風が吹き一本の刀が姿を現した。
鍔も柄巻もない剥き出しの刀身のみの刀。
絃八が柄を握ると頭の中に一言だけ言葉が浮かんだ。
絃八が柄を握りしめて構えると、彼女に向かい合う。
悍ましい雄叫びを上げながら鬼となった紅葉が襲いかかってきた。
不思議と絃八の心に恐怖はなかった。
ただ静かに彼女を救うために、彼は深い絶望と狂気の闇を目を凝らして見つめる。
鬼の中に紅葉が泣きながら彼に手を伸ばし、絃八の名を叫んでいるのが見えた。
絃八は目を見開き刀を構えると「鬼切丸」と呟く。
絃八の刀は眩い銀の光を放ち、陽光のごとき一閃で食人鬼を両断、光と共に消滅した。
霧散していく鬼の黒い闇の中から紅葉が姿を現し、絃八は彼女を抱きしめる。
彼女は絃八を見つめて微笑むと「ありがとう」そういって消えていった。
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翌日絃八が丑寅病院で六牙用の薬をもらって帰ると、六牙は彼が頼んだ通り家の中で絃八を待っていた。
散々七瀬におもちゃにされうんざりしたような顔をしながら、彼はようやく帰った絃八に安堵のため息を漏らした。
昨晩絃八の前に姿を現したのは妖刀として封じられている鬼切丸、またの名を髭切という刀の生き霊のようなものだと鷹羽は彼に説明した。
由来は罪人の首を落とした時に髭まで綺麗に切れたからというぞっとする代物で、源頼光や渡辺綱が鬼退治に用いた事もあるらしい。
鷹羽によると鬼切の太刀であるがゆえにその使命感から絃八に力を貸してくれたのかもしれないとのことで、彼の想定ではそこまでの大物の妖刀が出るとは思っていなかったらしく驚いていた。
そんなこんなで絃八は六牙の包帯を変えながら彼に両親の話を尋ねる。
「やれやれ面倒な……」
そう言う彼は言葉と態度に反して尻尾を嬉しそうにゆったり揺らす。
そして彼は絃八達、家族の話をしはじめるのだった。




