84回目 月の光
作業の合間に僕が今の自分の身の上話をすると理沙は共感し、同時に酷く苦しんでいるようだった。
あの頃の貴方は家族とも仲が良くてとても幸せそうで、そんな自分だからって私を守ってくれたから。
そういう彼女の声は少し震えていた。
僕は二人が作っているオルゴールの譜面につけられたタイトルの読みを理沙に尋ねる。
ベルガマスク組曲第三曲、月の光。それが僕たちが組み立てているオルゴールの旋律の名前だと彼女は言った。
理沙には秘密がある。
彼女は頑なにオルゴール店で勤める以前の事を話そうとはしなかったのだ。
きっとそれが彼女が魔女と呼ばれてしまっている理由なのだろう。
昔の僕が今の僕にやり残したことを託したとするなら、オルゴールに選んだこの曲にもなにか意味があるのかもしれないと僕は思った。
オルゴール店で店の手伝いをしながら、昔の僕の作っていたオルゴールを完成させる作業を続けて一ヵ月がたち。
帰ってこない僕の様子を見に友人の浅野が店に訪れた。
浅野の顔を見た理沙の顔がこわばり、彼女と目があった一瞬浅野の表情が一度も見た事のない暗い笑顔に見えた。
理沙と浅野は知人であるらしいが、彼女の様子から親しい間柄というわけでもないようだった。
彼は僕の友人だから大丈夫だというと、理沙は驚いていた。
彼女の知っている時分ではそうではなかったのだという。
怯える理沙と浅野の浮かべたあの表情、そして僕が死んだあと彼が僕と友人になった事。
僕は頭の中で疑問の点と点が繋がっていくような感覚をおぼえた。
そんなさなか、浅野は僕と理沙の関係を見てなにかを疑いだしているようだった。
浅野は過去の僕が託していたものを僕と理沙に見せたいと言い、僕らは彼の運転する車に乗って森の奥深くへと向かった。
たどり着いた場所で彼は真実を打ち明ける。
浅野は理沙のストーカーで、彼女に関わる人間を全て殺していた。
彼の父が官僚で、そのつてで殺した人間から理沙に関する感情を省いて再生させていた。
そして理沙は魔女と呼ばれることになった。
浅野が僕と友人になったのは彼にとって自身に対する証明だと言った。
彼が犯していることが殺人ではなく、そうあるべき生き方へ他者を導いている事の証明のために彼は彼が殺した人間と接触をとるようにしていて、
僕と接触しているうちに僕の事が気に入り友人として付き合うようになったのだという。
そして浅野は僕が理沙との関係を思い出しそうな兆候を見せるたびに僕を殺していたのだ。
理沙もつれてきた理由は今度は理沙も導いて自分の事を好きになって貰うしかないと思ったからだと彼は言った。
彼にとってそれは殺人ではなく導きであるため、僕らを拘束するでもなく終始穏やかな物腰だった。
その顔に浮かべた昏い笑み以外は。
僕は理沙の手を引いて森の中を走る。
僕は森を二人で逃げる中でカラスの姿を見て美しいと思った。
あるべき姿ではあんなに美しい、きっと理沙もしがらみのない人生を歩んでいたら、
そう考えた瞬間僕は頭の中で過去の自分と感情を重ねて過去の記憶の一部を思い出す。
僕は以前も浅野にこの森で殺されていた、その時逃げているさなか見つけた小屋や道具や地形を使い浅野を罠にかけて窮地を脱することに成功する。
浅野の逮捕にあたって警察の取り調べをうけた僕と理沙が店に帰って来ると、もう時刻は深夜になっていた。
自分のせいで何人も犠牲になってしまった事実をしった理沙は自責の念にかられ消沈している様子だった。
僕は作りかけのオルゴールのどうしてもうまく作れなかった最後の仕上げの部分を、蘇った記憶の一部を頼りに完成させる。
ショーウィンドから外の夜景が見える、一人で座っている理沙の前にオルゴールを置くとゼンマイを回し蓋を開けた。
オルゴールの旋律は月の光を奏でる。
音楽は不思議なものだ、暗く冷たく孤独な夜にも優しく静かで豊かな時を思わせる。
冬の凍えるような寒さで傍にいる誰かの温もりを感じられるように、音楽は人の心の眼を開かせる不思議な力がある。きっといつかの僕はその力を信じていたのだ。
月の光はクロード・ドビュッシーのベルガマスク組曲の一曲で、
ドビュッシーはポール・ヴェルレーヌという詩人の詩集「艶なる宴」から着想を得たと言われている。
仮面舞踏会の様子を描いたその詩にはある一節がある。
この世の喜びを歌うその歌声は月の光に消えていく、君の仮面の下の悲しみを想う。そんな詩だ。
「理沙、君と一緒に過ごしていた頃の僕は君の秘密を知っていたんだ。そのうえで君に伝えたい想いがあった」
僕がそういうと理沙の表情が優しくなり、空の雲の合間から月が姿を現しあたりを明るく照らす。
曲が終わるとオルゴールの一部が開き中から指輪が現れ、埋め込まれた宝石が月光で美しく輝いていた。
「こんな仕掛けがあったなんて」
「うん、僕らが続きを作る前に彼が作っていたみたいだ」
理沙は指輪の美しさに息をのんでいた。
「僕はもうあの時の僕ではないけど、今の僕の気持ちを聞いてくれるかい」
微笑みかける僕の顔を見て理沙は少し驚いた顔をして目を伏せ顔を赤らめた。
「冗談やめてください、今そんなこと言われたら信じちゃうじゃないですか」
彼女の言葉に楽しい気持ちになりながら僕は指輪を台座から取り出し、じっと彼女の目を見つめる。
理沙は恥ずかしそうに左手を僕に差し出した。
僕は指輪をそのサイズがぴったり収まる指に、彼女の薬指にそれを通す。
「君の一番近い場所で君の過去も未来も全部僕に守らせてほしい」
理沙の眼に涙が光り頬に流れ落ちる。
雲一つない星空にいくつも奇跡のように流れ星が現れはじめ、優しい月の光に見守られながら僕らは誓いのキスを交わした。




