829回目 メタフィクション
牧村一は都内に住む一人の青年だ。
誰からも見向きもされない存在、誰にも必要とされない存在。
彼はある事件で精神を病んでしまっていた。
高校卒業の記念旅行の前日、一緒に旅行に行くはずだった高校時代からの親友西谷侑斗が、牧村の実家の家族を皆殺しにしてしまったのだ。
西谷はその晩、何も知らない牧村の前に血だらけの姿で現れ、家族の生首をつめたボストンバックを見せて旅行前にゴミ掃除しなきゃなといって牧村を襲った。
抵抗した牧村は故意で西谷を死なせてしまい、家族が死んだのも西谷が死んだのも自分のせいだと思い、精神を病んでしまったのだった。
彼の生活は8割が夢遊病で見る妄想世界、2割がわずかに目覚めている間の現実の世界でできていた。
医者も匙を投げた彼の症状を、牧村は2割の正気の時間を使い、夢遊病中のパラノイアの自分を分析して自分で症状を解決しようと試みていた。
妄想の世界は彼の高校三年の夏休みから始まる。
それから卒業式までの数ヶ月を何度も繰り返す。
彼は高校の卒業式までの過ぎ去り死んだ時間の牢獄の中に閉じ込められた囚人だった。
何度も何度も変えられない過去を繰り返し、最悪な結末で終わりを迎えるその繰り返しは、確実に彼を蝕み壊していった。
彼は精神を病んだ汚れた自分を誰にも見せたくないと感じていて、そんな彼の世話を焼こうとする高校時代の友人の最後の一人、姫乃恵からの電話やメッセージを無視し続けていた。
彼女は同級生の間でも面倒見の良さで評判だった。
だから彼がゴミであっても見捨てないのだろうが、その親切は結果として彼女を不幸にするだろうと牧村は考えていた。
あれから数年、彼女は社会のレールに乗って大学生活を謳歌していた。
そんな彼女にとっての汚点になるのは良くないことだ。
そう、良くない。
なにもかもなくした牧村にとって、彼女から良くない過去そのものである自分を切り離すことだけが、彼にできるたった一つの人間らしい行いだった。
今の所、妄想の世界の登場人物一人一人が学生時代に一緒にいた同級生で、夢遊病のように彷徨っている間に写真を撮る時にその一人ひとりを象徴する生き物がいることが分かっていた。
カラスや猫や人形やネズミ。
スマホの中に撮られた写真と風景と象徴、記憶を照らし合わせて判別し、コルクボードに印刷した写真を貼る。
その写真は夢遊病で高校生になっている間の彼には普通の友人とのスナップ写真に見える。
牧村はその中の一人、写真に象徴が写ってない人物、舞浜アリサの存在が気になっていた。
卒業アルバムの写真には彼女は確かに存在していたが、牧村には彼女と交流した記憶はない。
しかし夢の高校生活でのアリサはまるで昔からの友人かのように牧村の交友関係に馴染んでいるのだ。
夢遊病時の牧村は廃墟の学校に深夜に通っている。
その間大筋の変わらない過去の自分の人生をなぞって生きているようだった。
高校卒業までの数ヶ月間で牧村は3人の友人を亡くした。
藤野花、猪瀬ゆかり、西谷由佳。
西谷由佳は西谷侑斗の双子の妹だ。
3人は殺人事件の被害者として無惨な死体として見つかった。
侑斗はなぜかその原因を牧村のせいだと言って犯行に及んだ。
牧村には何も覚えがないのだが、もし彼自身が気づかない何かで事件が起きたのだとしたら。
そう考えて牧村は何とか運命を変えられないか試行錯誤する。
しかし結果は何も変えられず、一人目の被害者藤野花の事件の日が迫り、追い詰められていく牧村を見かねて、アリサがいい場所があると彼を山に誘った。
獣道を進んで山を登った先に、朽ちかけた小さなお社があった。
社の周りは申し訳程度に雑草が取り除かれ、小さな花も備えられていた。
きっとアリサがそうしたのだろうと牧村は思う。
アリサがいうにはそのお社でお願いをすると何でも願いを叶えてくれるのだという。
今時迷信じみた事をと笑う牧村にアリサはムキになる。
こうやって二人でお参りに来るのだって叶ったんだから、と言ったところでアリサは牧村の驚いた顔を見て口を塞いでそっぽを向く。
「今のってどういう意味だ?」
尋ねる牧村に対してアリサは恨めしそうに顔をあからめ半べそをかいて睨みつける。
「わかったよ信じる、祈ったら願いが叶うんだよな?」
気まずくなった牧村は仕方なくアリサに合わせてお社に手を合わせた。
早速ご加護があったのか、不思議と牧村の気持ちは晴々としていた。
思えば過去に経験していない新鮮な体験はこれが初めてだ。
知らない女の子と歩いたことのない山道を歩いて、見たことのないお社に二人で祈る。
久しぶりに思考がまとまった牧村にはアリサの好意に感謝する心の余裕があった。
「ありがとな、気を使ってくれて」
そういう牧村にアリサは心底嬉しそうな顔で「最初から素直にそう言えばいいのよ」と言った。
帰った後、牧村は珍しく妄想の世界でアリサと撮った写真を印刷してコルクボードに貼ってベッドに入る。
目を覚まして現実世界で真っ暗闇の中、お社の前で一人で自撮りをしている自分の写真を見て複雑な気持ちになった。
いっそアリサと妄想の世界で新しい日常を生きていけたらいいんじゃないか?
牧村はそう思う自分の気持ちを否定しながら、また自己分析を始めるのだった。
願いが通じたのか、翌日の妄想の世界では記憶と大きく異なる事ができるようになっていた。
牧村が夢遊している間、彼を心配した姫乃は彼の家に入り込み、彼の自己診察カルテや資料を見て彼の現状を知る。
そして彼のコルクボードの写真、彼が暗闇のお社の前で自撮りしている物を見て絶句する。
牧村には見えていなかったが、そこには悍ましい黒い影が牧村を捕えるように絡めついている姿があった。
一方妄想世界にいた牧村は過去の事件資料から得た情報をもとに殺されるはずの同級生を救ってまわっていた。
一人また一人と救う度に、妄想の世界は明るく賑やかに変わっていく。
そして牧村はアリサとより一層親密な関係になっていった。
彼女と親しくなればなるほど妄想の世界で自由に動けるようになり、その事で同級生を救うことができるようになる。
初めは打算もあったが牧村はアリサに対して本当に恋愛感情を抱き始めていた。
もはや二人は事件解決のための相棒と言える関係になっていた。
犯人の犯行を防ぐごとに、犯人の残す痕跡から犯人の正体にも迫りつつある中、牧村は犯人が西谷侑斗であることに気づく。
現実では姫乃が夜の街を彷徨う牧村の姿を探していた。
夢遊病で彷徨う彼と会話していたらしい同級生の話を聞いて、彼女は牧村の通う廃校にたどり着く。
そこに現れたのは牧村ではなくアリサだった。
姫乃も彼女をよく知っているわけではない、ただ何度か見かけた高校時代と同じ姿のアリサに姫乃は寒気が走る。
アリサは姫乃にもうすぐ彼が私たちの世界にやってくる、だから追ってきても無駄だよという。
ずっと一人だったけれどもうそれも終わり。
アリサはそう言って嬉しそうに笑う。
姫乃は牧村は大切な友達だから返して欲しいと頼む。
そんな彼女にアリサは不快そうな顔をした。
あなたたちにとって彼はいむべき記憶、思い出したくない過去。
私と一緒に行く方が彼にとって幸せでしょう?
少なくとも私は彼を愛しているもの。
あなただって内心は関係を切りたいって望んでいたんでしょう?
ダメならダメで仕方ないって思っていた。
だから彼を一人にした。
あなたに必要なのはかつて関わりがあった友人という記号として彼、そして否定したいのは彼が人としての生を失うときに何もしなかったという記号としての罪。
人間としての彼を必要としてる人なんて誰もいない、私以外この世界に誰も。
アリサの言葉に姫乃は言い返す言葉が見つからなかった。
そんなことはないと言いたかったが、彼女自身牧村に会うことを恐れていたのは事実だったからだ。
そして彼女は気づく。
そうか、わかった。
あなたは幽霊なんかじゃない、ここにいる現実なんだ。
あなたは自分を否定してる。
否定した自分を肯定するための世界を生み出した。
私は間違ってるかもしれない、正しいなんて言えない。
失望させるかもしれない愚かかもしれない、だけど、だけどね。
姫乃は悲しそうに笑う
私はあなたが好き
どれだけあなたが否定して逃げ続けて振り向いてくれなくても
まだこうして想いが生き続けてる
あなたを追い続けられる
そんなしつこい私を信じてくれないかな
アリサは彼女に悲しげな顔をする
やっぱりこうなっちゃうんだ
生きてる人には叶わないなぁ…
私だって本当に牧村君のこと好きだったのに
アリサの言葉に姫乃は気づく
待って、もしかしてあなた
アリサは彼女の言葉を止めるように首を横に振る。
そして一陣の風と共にその姿を夜闇に消した。
そして彼女の消えた闇の向こうから牧村が歩いてくる。
姫乃?何でこんなところにいるんだ
驚いている彼に姫乃は抱きつく
そんな彼女の態度に戸惑いながら、牧村は自分が妄想の世界ではなく現実側にいることに気づく。
泣きながらよかったと繰り返す姫を抱きしめ、その温もりを感じながら、牧村は時の牢獄での贖罪が終わった事を理解するのだった。
その後症状が消えた記念に、牧村と姫乃は行くことが出来なかった卒業旅行を二人でやり直すことにした。
その道中、牧村は姫乃にアリサのことを聞かせて欲しいと頼まれて渋々口を開く。
西谷侑斗はアリサに恋心があり、彼女が自殺したことでおかしくなってしまったらしいと話す。
殺された3人はアリサをいじめで自殺に追い込み、そして牧村自身の自覚はなかったがアリサは牧村に片想いしていたらしい。
良い子だった?
そう尋ねる姫乃に、牧村は寂しそうな笑顔で好きだったよ、もっと早く気づけばよかった。と答える。
二人を乗せた飛行機が離陸し、二人の街から遠ざかっていく。
姫乃は牧村の手を握り、牧村は戸惑いながらも勇気を出して彼女を見る。
二人は唇を重ね、見つめ合い、消えることのない互いの存在を確かめ合うのだった。




