815回目 異世界勇者の解呪魔法(ディスペルマジック) 596:ユス・アド・ベルム
キングDこと暴虐王ディオニスに案内されて入った大きな大衆酒場で僕らは彼と食事を一緒に摂ることになった。
出された食事にそれとなく生命力探知をかけるが、微生物の状態から見て妙な薬は入ってなさそうだった。
脂の乗ったサバと玉ねぎや新鮮な野菜とレモン汁で挟んだサバサンド。
水餃子にニンニクの効いたチリソースをかけたマントゥはソースが変わるだけで水餃子の味わいはこんなに変わるものなのかと驚かされた。
それからムール貝のような貝殻の中にスパイスの効いたピラフと貝の入った一口料理のミディエドルマ、大皿に大量に盛られたそれに豪快にレモンをかけて食べると食べる手が止まらなくなる美味しさだ。
それに香辛料を効かせた大量の薄切り肉と野菜にオーロラソースをかけピタパンに挟んだケバブ。
どうもロアノークのこの港にはトルコ料理が愛好されてるらしい。
それと一緒にお酒が出た。
ライオンのミルクという名前らしいけど無色透明、匂いを嗅いだところアルコール度数も高そう。
お店の人が水を注ぐと白濁色になり、なるほど確かにミルクのような色になった。
正式な名前はラク、飲むとライオンみたいに強くなれると言われているらしい。
飲んでみるとこれがまた癖が強い、アブサンと同じアニスの匂いがするがニガヨモギが入ってない分こちらの方がまだ飲みやすい気はする。
料理を食べながら飲むと不思議とクセになって少し飲みすぎてふわふわしてしまった。
デザートに出されたパリパリの生地にチーズを挟み、甘いシロップと砕いたピスタチオをかけたキュネフェを堪能し、食後のトルココーヒーを飲んでいるとすっかり食事を楽しんでしまって油断し切っていることに気づき、水を一杯ぐいっと飲み干して気を引き締める。
「食事は楽しんで貰えたかな?」
ディオニスは僕の視線に気づくとにこやかにそう言った。
「ええ、どの料理も美味しかったです」
反応に困りながら当たり障りのない返事をすると、彼は包容力のある笑顔を見せた。
「そう緊張することもないだろ、君らが本気を出せばこの港町一つ簡単に消し飛ばして脱出できるわけだし」
こともなげに言いながらディオニスは愉快そうに酒を飲む。
彼はそういうが周りにいる客がみんな楽しげに飲み食いしているそぶりをしながら殺気立っているのが気になった。
僕たちに対してならまだわかる、でもどうもディオニスの一挙手一投足に対して反応している。
それはこの酒場だけでなく、さっきの拳闘会場でも同じ。
つまりみんなディオニスを殺そうとしているのだ。
「面白いだろ?」
ディオニスは僕の様子を見てそう言った。
この四面楚歌を酒の肴にでもしているかのようだ。
なぜこんな状況になっているのか、そして彼はなぜこんな環境に無防備に自身を晒しているんだろう。
「……キングD」
泥だらけで擦り傷とあざまみれの男の子が泣きべそをかきながら酒場に入り、ディオニスに声をかけた。
「おお、こりゃ派手にやったなローニィ」
ディオニスは男の子を迎え入れた。
「ダンの奴嫌な事があるといつも俺に八つ当たりするんだ。どうしたらキングDみたいに強くなれるのか教えて欲しくて」
「なるほど、そういう事なら任せろ」
そういうとディオニスは腰に下げていたロングソードを抜くと、ローニィに差し出した。
「これでダンを殺せ」
ディオニスはにこやかに気のいい青年の声色のまま言う。
それに対してローニィは「え?」と目を丸くした。
「おいおい穏やかじゃねえな、冗談にしてもキツすぎねえか」
クガイが見かねて言った。
「俺は本気だぞローニィ、俺に助けを求めるということはこういう事だ」
そういうとディオニスは持ち手の部分をローニィに押し付けて彼に剣を握らせる。
「でも殺すなんて俺……」
「できないか?じゃあ助けてやろう」
話が進むにつれて異様な空気がその場を支配していくのがわかった。
重苦しい空気に誰も言葉を発する事ができなくなっていく。
「ダンを殺せなかったらお前を殺す、お前の家族も全員残さず殺す。それならやれるよな」
彼は迷いなく親切心で言っている好青年の雰囲気のままでそういうとローニィの頭を撫でる。
ローニィの顔が恐怖で引き攣り、震えながら彼は小さくうなづくと剣を抱いて酒場を出た。
彼のことが気になり席を立つと、ディオニスは「野暮はしてくれるなよ?」と言って立ち上がり僕の肩を掴む。
「その場の自己満足の為に他人の人生に干渉するのは卑怯者のする事だ、そうだろ?」
彼は穏やかな顔で諭すようにいう。
彼の言葉には妙な力があり反論に迷ってしまう。
それだけじゃない、もしかすると彼は僕の奥の方にある何かをこじ開けようとしているのかもしれない。
安易な言葉は命取りになりそうだ。
「それじゃ見届けに行こうか」
無言の僕に対して彼はそういうと僕らはローニィの後についていった。
「おい雄馬、いいのかよこれ」
「多分干渉しちゃ不味いんだろうけど、いざとなったら……いいよねみんな」
おそらく手を出したら宝輪のことはおろかシラクスについての交渉もできなくなるだろう。
でも振り返った僕にみんなはうなづいてくれた。
たどり着いた場所でローニィはダンと思われる男の子と一言二言話をした後、周りの大人や子供たちがディオニスの姿を確認するや否や、二人の決闘の舞台を人垣で作り上げた。
人垣の中心に剣を持ったローニィとダン、華奢で小柄なローニィに対してダンは体格もよく年齢も上に見える。
ダンは状況に少し戸惑ってはいたが、怖気付いているローニィをみるとニヤリと底意地の悪い顔をして地面を蹴り砂をローニィの顔にかけた。
目潰しをされたローニィが目に入った砂を払っていると、ダンは遠慮なくローニィの腹を蹴り上げる。
「汚ねえやり方するなぁあいつ」
ベイルが気分悪げに言う。
幻影水晶で伝わってくるダンの思念は、ローニィの事情を知った上で彼の破滅を見てみたいという下劣なものだった。
いざという時に止めるつもりなのにそういう考えをされると正直困るんだけど。
そんな僕の気持ちを尻目にダンは仲間が投げてよこした花瓶でローニィの頭を思い切り殴り、ローニィは吹き飛ばされ頭から血を流した。
「一度人を殺してみたかったんだ!!」
そう言うとダンは花瓶の破片をナイフのように振りかざしてローニィに踊りかかる。
「ローニィ!!」
彼を心配した両親が叫び人垣をかき分け飛び込もうとするが人垣に阻まれた。
ローニィは起き上がり血で片目の塞がったまま覚悟の決まった顔をすると、飛びかかってきたダンに対して逆袈裟に剣を斬りあげる。
血が空を舞った。
ダンの傷は浅く大した傷ではなかったが、初めての刃物傷だったんだろう、彼は腰を抜かしてその場に倒れ込み、傷から流れる血を見て恐怖に引き攣った顔をしていた。
ローニィは剣を引きずりダンの側に歩く。
彼の顔はすっかり大切な人を守る戦士のそれになり、下衆に対する恐怖など消え去っていた。
ダンは近づくローニィに怯えて「やめろぉ……やめてくれ」と後退る。
ローニィが浮かない顔でダンにとどめを刺そうと剣を構えると、ダンはせきが切れたようにボロボロと泣きながら「お願いですどうか殺さないで」と嘆願した。
それを見たローニィは深く深呼吸するとダンのそばを離れ、ディオニスの元にやってくると彼に剣を返した。
「勝負には勝ったよキング、だから俺の命だけで許して」
そういうと彼は目を閉じてディオニスが自身に剣を振り下ろすのを待った。
「ローニィ、坊や!どうか誰かあの子を助けて!」
彼の母親の悲痛な叫びを聞いてダンはローニィとディオニスの間に割って入った。
「もう誰も虐めたりしません。だからこいつを殺さないで」
ダンがそういうとディオニスは笑顔でうなづき、ダンの耳元で何か囁くと剣を鞘に収めて手を叩いた。
するとその様子を見た周りの人間たちは一斉に人垣を崩してその場を後にする。
ローニィとダンはそれぞれの家族に迎えられ、互いを庇い合った二人には友情が芽生えたように見えた。
「結果オーライとはいえ随分な荒療治だなぁ」
ベイルがげっそりした様子で言った。
ダンの顔が青白く目が泳いでいるあたりなにかしらトラウマになる一言で釘をさされたんだろう。
全体的にやる事に容赦がないようだ。
「正しさなんて卑怯者の屁理屈だ、そうだろう?」
ディオニスは物分かりの悪い子供に言うように語る。
「ああいったやり方でしか救えない事がある知ってます」
ダンのようなタイプの対処には結果的には即効性のあるやり方だったとは思う、ただそのために命をかける必要があったかというと疑問がある。
でもだからといってうやむやにしていたら、犠牲になるのはローニィの方だっただろう。
正しさとは違う道に解決策を見出す、それが彼の王道なのだとしたら、暴虐王とまで呼ばれるほど孤独な道を生きている事になる。
彼が正しさを重要視しないとするのであれば、彼を取り巻く異常な環境にも納得がいく。
おそらく彼は自分を殺す事ができるものがいれば、そのものが王になったほうがいいという考えなんだろう。
王位を狙い自らを高め、彼の命を狙う周囲のレベルが上がっていく。
その結果自分が殺されることがあったとしても、彼を殺せる人材が王となるわけだから彼にとって十分利益のある結果になる。
「怖い人ですね、あなたは」
そう僕が呟くと、ディオニスは不適な笑みを浮かべた。




