72回目 幸せな裏切り者
王女は幸福だ。
彼女はとある戦争における英雄であり、民の誇りだった。
観衆の前で微笑みを浮かべ手を振り、その割れんばかりの歓声の中心に彼女はいる。
王女の国は敵国に攻められ、その支配下に置かれた。
彼女は拮抗する戦況を自らの父である王を殺す事で覆し、その戦争の立役者として敵国の王の妃として迎え入れられ、今では彼の子も5歳となった。
「侵略国にとって我が国の民は暴君に支配されていた被害者でなくてはならない。
そうでなくては戦敗国の民として奴隷のように扱われてしまうだろう。
そしてお前はその暴君を討ち、その功をもって我が王家の血を守ってくれ」
彼女はそういって短剣を手渡す父に異論を挟むことも、彼が彼女に求める行為を断る事すらできなかった。
王女は幸福だ。
戦争に勝ち、王女の心血を注いだ演技を信じ込んだ敵国の王から彼の本当の望みを知ることができたから。
敵国の王は王女の国の王族が秘めたしきたりを知っていた。
あえて暴君としての体裁を保ち、王家の統治能力に陰りができれば民衆にそれを討たせる正当性を持たせる事。
国力としては同程度である国同士であったが、民に犠牲を出すことを嫌い王は自らが犠牲になり戦争をこちらの勝ちで終わらせるはずだという事。
そして敵国の王が本当に欲しがっていた物、王女を最も安全な立場に据えて彼に差し出すであろうという事を。
ただ一つの誤算を除いて全てが彼の思った通りになった。
敵国の王は世界の全ての女を愚かだと誤解していた。
それゆえに王女も保身の為に魂を自分に売るであろうと彼自身の傲慢さから思い込み、王女の偽りの笑顔も愛のささやきも総てを信じてしまっていたのだ。
王女は自らの子供に巧妙に暗殺の方法と人心を欺くすべを与え、彼の命の全ては彼の父を殺すためにあるのだという価値観を植え付けていた。
王子は母の教えに従い、自らの愛の証明のため父を殺すという善行の為に生きていた。
王女は幸福だ。
身を焼くような憎悪も針で爪を剥ぐような嫌悪も内臓を抉るような罪悪感も、その偽りの笑顔を浮かべ人々を騙す事で和らげることができた。
幸せそうな夫愛くるしい息子熱狂する民衆の全てに、いつか振り下ろす復讐のために彼女は生きていくことができたのだから。




