662回目 長寿堂物語
12年前くらいに書いた短編です。
私、笹島真名水は現役女子高生かつ、古本屋「長寿堂」の若き店主である。
正確には新品の本からなにからそろってはいるものの、全体的な本の年代が古い、そうゆう意味での古本屋の看板だ。
主な仕事は本の整理とかレジうちとか、掃除は最近家に転がってきた名字不詳の丸メガネの青年コウゾー君が現在進行形でやっていたりする。
私が高校に行っている間、彼はずっと掃除やらなにやらしてくれているらしく、
「長寿堂」は以前にくらべ少し吹き抜けるそよ風が気持ちいい店になった。
……とはいえ昨今、朝っぱらから寂れた古本屋に訪ねてくるのは今日もスズメの親子とさぼりの立ち読み少年くらいで、スズメの鳴き声と天蓋から差し込む柔らかな朝日にまどろみながら、私はカウンターにもたれ、ぼんやりお昼はなに食べようなんて考えていたり。
「お客さん来ませんねぇ……」
「んー、まぁいつものことだよ」
ホウキとちりとりを持ったコウゾー君に私はさして支障もないといった表情で返した。
「今時印字された本を読むノースピの人もめずらしいしね」
「のー…その、なんですそれ?」
「No Spiritual Contyfactor 略してノースピ、最近流行の脳内電子端末使ってない人のことだよ。その様子だとコウゾー君もノースピだね」
「はぁ……、どうやらそうみたいです」
脳内電子端末「キューブ」、数年前まで絵空事だと思われていたものがまさか現実に、
しかも携帯電話並に普及するなんて思っても見なかった。
「でも頭の中に異物入れるのってピアスとかよりよっぽど抵抗あると思うんだけど、私って時代遅れなのかなぁ……」
「たぶん……そんなことないですよ、入れるって事は一度頭を開けて閉めなきゃいけないわけでしょう?僕もあんまりやりたくないなぁ」
「あはは、コウゾー君はあんまり詳しく知らないからね。つまるところ便利なんだよ?
ナビ機能使えば体感ゲームしながら気がついたら体が目的地に着いてたり……」
っと噂をすれば何とやら、ちょうどキューブのナビ機能を使った通行人が通りかかり、私は目でコウゾー君に店の扉の外を見るように促した。
のりの利いたスーツを着たサラリーマンが焦点の合わない目で見えない目的地を見据え、まるで操り人形のように不自然にアスファルトを踏みながら歩いていく。
サラリーマンのお兄さんには悪いとは思うけれど、見ている方としてはやはり人間の体がオートメーションで動いているのは、なんだかゾンビみたいで不気味だ。
「やっぱり……、僕には向いてないみたいです」
「うん……、やっぱりあれはねぇ……」
ハァ……となんともなしに二人揃って溜め息をついた。
時代に取り残された人間の溜め息はなんとなくマヌケで空しい感じはする、けれどそれはそれで良いんだと思う。人それぞれ生き方って物があるんだもの。
何はともあれ私は今の生活が好きだ、ちっくたっく揺れる柱時計とお気に入りの日めくりカレンダー。毎日店にくるいろんなお客さんの様子を見ているだけでも結構楽しい。
2055年11月10日の日付をぺりっとめくると、4本の電信棒におじいちゃん、お父さん、お兄さんに弟のわんこがおもいおもいの動きをしてる絵にノベンバーイレブンの印字が朝日にぺかり。
揺りかごのようなノスタルジーに包まれながら、今日も私の一日は始まるのだ。
「んーと、ニンジンとタマネギと……あとはジャガイモと豚肉かな」
コウゾーはおばさま方がママチャリで爆走する商店街をテクテク歩きながら、買い物袋を片手に空を仰いで買い物を確認していた。
「ということは今日もカレーかぁ……」
ここ一ヶ月カレー以外の物を食べてないな……と彼は溜め息をひとつつく。
「ん?」
少しブルーになっていた彼の目の前にゆらりと赤い風がながれる、それは通行人の目には映らないものらしく道行く人はそのまま歩き続けるが、コウゾーの目はその流れの元を辿っていた。
その流れの先の裏路地に黒衣の男はいた、男は赤い風の源泉を確認すると右手中指の指輪にふっと息を吹きかけキィンと一瞬の音を残して、物陰に溶けるようにその姿を消す。
次に彼が姿を現した場所は先ほどと同じ裏路地の片隅、しかし大気を満たす青いエーテルの濃度が濃く、その風景はまるで異国の地のように見える。
果てしない静寂の中にどこからか獣の遠吠えと無遠慮な大きな足音が響く。
黄昏の金にエーテルの落とす紫のマーブル模様、その中を男の黒いロングコートが風をうけはためきなびく。遙か遠方には一匹のケモノ、そのヨダレでぎとぎとな口には、熊のエンブレムの入った小さな銀の棒がくわえられている。
深く男がかぶったフードに留められた数個のピン、それがキラリと夕陽に輝くたびに二つの影は策を変え、思考を切り替え、屋根の上を飛び交っていく。
獣の影がちょうど太陽に影を作った瞬間。
彼はダダダッと踏み込みを深くすると「ほッ」っという声と共に舞い上がりケモノに向かって長距離のサマーソルトキックを放つ。
そのくるぶしがヒットすると同時に、ごぉおん という音と共に土煙をあげて崩れる廃屋の屋根、しかしケモノは遙か上空に飛びニヤリと男を見下ろしていた。
「残念だったな」
と男がケモノに指をさす。
彼は一枚金属のカードを取り出しそれをコートで擦り、火を出すと目の前に放り投げた。
するとそのカードが放つ火がじわっと広がり、カードが燃え尽きる頃に一つの魔法陣のような物を形作る、中心に吊された男の模様その片隅には『THE FOOL』の文字。
「ぎにゃああああああああ!!!」というケモノの叫びも空しく、その巨体の重心は反作用を波紋として外側に弾きながら、はじっこから消えていくソレの中心へとすべり寄せられ、もろい廃屋を砕きながらぼふんっと地面に墜落した。
「―――ふん、肩慣らしにもならん」
コートについたほこりを払い、 ボロボロの手すりに肘をつき彼が見下ろすと、
目を回したケモノは口から煙を吐いた。
ぼふっとその獣の巨体が消滅すると、シュルシュルッと熊の装飾の銀の棒が男の手の中に収まる。
するとどこからかパチパチと拍手がなり、頭上の梁に彼が振り向くとそこに大きな帽子をかぶったボーイッシュな格好をした少女がいた。
「はにゃ~、おみごとおみごとね~」
「……ウィルディか、久しぶりだな」
「んふ、覚えててくれたのね。キミもずいぶんおかわりなく」
とウィルディと呼ばれた少女は左右にゆれながら屈託のない笑顔で笑う。
しかし男はその穏やかな物腰とは裏腹に全身を待機状態にし、左手はベルトのカードホルダーに添え、臨戦態勢をとこうとしない。
ウィルディはそんな彼の様子に少し不愉快そうな顔をすると。
「……ダメだよ、ボク敏感なんだ」
と彼女が呟くとあたりのエーテルが騒ぎだし、男の髪を静電気のように逆立てる。
「今日はお願い事に来たの、……だから止めて?」
彼らの間に言葉上の嘘はない、それは男にとってよく知っていることだった。
「……いいだろう」
男が無言で手を横にぷいっと振るとウィルディは暖かい笑顔に戻った。
どことなくさっきの笑顔よりも素直な微笑みに見える。
「単刀直入に言うと、『怒りの日』が近いの」
男はその言葉にぴくっと反応する。
『怒りの日』……それは男の存在意義の全てだったもの、
それと同時に彼の自身から全てを奪いさってしまった忌むべき時。
「ボク達としてはこのまま予定通り進めばいいんだけど、
どうやら今回は妙な邪魔が紛れ込んだみたいでね」
それは少なくともどちらに転ぼうと人間達にとっては災厄には違いのない、
時限爆弾のようなものだ。
「でも立場的にボクらの干渉はルール違反になるでしょ?」
この世界に刻まれた全ての規約、何人としてそれを異してはならない法、
彼らはその執行官なのだ。
かつて彼も彼女達と同じように役目だけを盲目的にこなしていた。
「そこで、リバレーター君の出番ってわけなんだ」
リバレーター、その名は彼の体に入れ墨と共に刻まれている。
彼の仄かな思い出と焼け付くような記憶、その証として。
彼らに与えられた役目はただ一つだった。
『この世界を舞台に、最高のショーを演じること。』
そのふざけた【たった一つの法則】のためにアイツはその手で……
「忘れてないよね、ボクらの役目は」
彼女の言葉を最後まで聞かずに男は踵を返した。
「言われるまでもない……」忘れても、地の果てへ行こうと逃れられない。
―――だから、俺は―――
からんころーん
扉が開き鐘が鳴る、戸に手をかけていたのはコウゾー君だ。
「おかえり」
「ただいま帰りました、少し遅くなってすみません」
「ん、きにしないきにしない」
かちゃかちゃと手を動かしながら軽い口調で私が返すと、コウゾー君はカウンター上に首を伸ばして不思議そうに私の手元をみる。
「いゃんえっちぃ」
「あ……は、すみませんつい気になって……。なんですそれ?」
と興味津々な顔のコウゾー君に得意げに見せつけながら
「パズル、エニグマっていうの」
と言うとニッと笑って見せた、ちなみにスーパーで買った最近ではわりとよく見かけるパズルである。
「へえ、僕も得意なんですよ。パズル」
「そうなんだ、そこらにあるのもう解いちゃったのだから、よかったらやってみる?」
「あっはい、…っと」
「どれにしたの?」
「えっと錠前みたいのですが、できました」
「ほぇ?」
とコウゾー君の手のひらの中を覗くとたしかにほどけている。
「は…はやいね、やるじゃないの」
「えへへ」
と照れくさそうに笑うコウゾー君は、妙に母性本能をくすぶらせるオーラを放っていてこちらもついにんまりしてしまいそうになるが、ここは集中集中…精進せねばなるまい。
「あっそうそうコウゾー君」
「はい、なんですか?」
とコウゾー君の手の中の錠前がさりげなくすでに元に戻っていることはこの際スルーして、私は一つの紙袋を取り出した。
絹のようなさわり心地と諸処にあしらわれた金箔、それらが揃っていかにもブルジョワな感じを醸し出している。
「…招待状かなにかですか?」
「ほほう、よくわかったね。その通りだよ」
「装飾が凝ってますから、どなたからです?」
「んとね、今朝もいたいつもうちにきてる男の子いるでしょ?
あの子からもらっちゃったんだなぁ」
それもとつぜん、よかったらコウゾー君と一緒に来てくださいと招待状は二枚。
「ってことなんだけど、コウゾー君もいく?」
「真名水さんの事だから、そういうより僕がいかないと断るつもりでしょう?」
「あはは、ばれちったか。あんましこうゆうの好きじゃないんよねぇ…肩こっちゃうもん。でもコウゾー君もいくならいこうかな、みたいな」
っと私が探るように甘えながら見ていると、コウゾー君はやれやれといった顔で笑いながら
「わかりました、ご一緒します」
と言った。
封筒に書かれた12/24の文字が夕日にキラリキラリと光っていた。
そして幾日か過ぎた日曜の朝。
日めくりカレンダーをめくると12月24日、犬猫熊に豚や鳥がもみの木の回りに集まっててっぺんの星を眺める絵柄に、イブの文字が赤緑白のクリスマスカラーで描かれている。
都内某所とある高層ビルの最上階の会場にて。
「はぁ~なんかすごい、天井高いよ二階分くらいありそう……」
などと私が感嘆の声を上げているとなりで、使い古してごわごわの若草色のダウンジャケットに身を包んだコウゾー君が受付をすませる。
「はい、半券です。これかざせばこの建物の大抵の場所は入れるそうですよ」
「ありがとっ、……にしてもギャラリーもすごいよ」
まるでここだけ国境が取っ払われたように各国のセレブや色とりどりのメイドさん、果てはアクロバットな動きのきぐるみ集団までなんでもありな異空間が広がっていた。
それでもなんとなく落ち着きがあるのは、諸処に配置された歴史を感じさせるアンティークと建物が放つ白亜の威力だろうか。
とりあえず私にただ言えるのは。
「場違いなとこに来ちゃったかなぁ…」
ということだけだ。
そんな感じて私がおどおどしているともしらずコウゾー君は
「んーこいつは美味いッ!」
とさっそく素手であちらこちらの料理をぱくついていた。
「……バカ」
男の子なんだから、少しくらいはレディのエスコートくらい覚えてほしいものである。
とそんな中私がふくれっ面をしていると、誰かが後ろから声をかけてきた。
「ようこそ!良く来てくれたね」
「えっ…あ、吉岡君?」
といま私に声をかけてきた少年こそ少年、このパーティの主催者だ。
「なんだかすごいね、私もうちょっとおしゃれな格好でこれば良かったかな」
私は友人の誕生日にしか着ないありふれたパーティドレス、コウゾー君に至ってはほぼ普段着である。
「あはは、気にすんなよ。どうせここにいる連中も大したこと無いんだ」
「はぁ……」
指が縮れそうなほどのダイヤや、金のカフスのついた漆黒のタキシードに純白のドレスの海と化した会場のどこに大したことのない人が居るのか、一般人の私にはよくわからないけど彼にとってはそうなんだろう。
「自己紹介がまだだったよな、オレは吉岡タカシ。タカシでいいよ。
君は?」
「私は笹島真名水、真名水でいいよタカシ君。
それから……あっちの朴念仁がうちのコウゾー君」
っと眉を上げてコウゾー君を見ると、彼は両手にてんこ盛りに食べ物を盛って、あたりの目もかまわずガツガツ食べまくっていた。
「……もうッ、ごめんねコウゾー君おいしい食べ物には目が無くて」
「あれだけ美味そうに食ってくれれば誘ったかいがあるってもんさ」
そんなこんなで世間話をしていると突然会場のブレーカーが落ち、真っ暗になった。
「あれ、停電?」
ざわつく会場に赤いランプが点灯し、白一色だった会場がどことなく雰囲気を変える。
バァンッという炸裂音とともに何かが破裂し、あたりに煙がたちこみ始めた。
回りにいた人たちが次々に目を押さえながら咳ごみ始める。
「え……、なに?」
「……まずいな、こっちへ!」
「え……あっちょっと待って、コウゾー君が!」
「大丈夫あとで彼も誘導する、まず真名水から安全なところへ」
コウゾー君を呼ぼうとあたりを探し回る私の手をタカシは強く掴んでどこかに引っ張る。
私は近くにあった紙ナプキンに『吉岡君と一緒にいます』と殴り書くと、彼に引かれるまま会場をあとにした。
暗闇に赤い非常灯の明かりの中でコウゾーはほかの客と一緒に捕らえられていた。
四方には彼が前にTVでみた最新の特殊防護服に身を包んだ数人の男。どうも警備員とか警察のような好意的な団体ではなさそうだ。
どうやって嗅ぎつけたのやら外はマスコミのヘリがけたたましい音を立てて飛び、そのライトの光が薄暗い部屋の中を右から左、左から右に流れていく。
「あのー……」
とコウゾーが口を開くと銃口の返答が返ってきた。
これがテロってやつなのかなとやれやれと困り果てながら、コウゾーは怪しまれないようにマナミの姿を探す。
(いない……か)
うまく逃げられたのだろうか?とにかく今の状況では彼女の安否は確かめようもなく、いろいろ考えては見るもののうまい作戦が思いつかない。
そうそう都合よく閃くなら苦労はないよな、とため息をついていると少しまずいことに気づく。
客の中にキューブを使っている少女がいたのだ。
おそらく外部に連絡を取ろうとしているのだろう、彼女の周りにいる人たちはそのことにもう気づいているようで、体を使って賢明にテロリスト達から見えないように彼女を隠そうとしていた。
しかしキューブを使用中の人間は様子がまともじゃない、その上暗がりのため目の奥から漏れる淡い光はいやでもその場における不正を暴き出していた。
コウゾーの目の前の銃口は静かに次のターゲットへと向けられ、引き金に指がかけられる。
「でぇいっ!!」
と銃弾が発射される間際、ヘリのライトがちょうどその男に当たった瞬間を狙いとっさにコウゾーは彼女をかばって前に飛び込んだ。
ぱぁん!という乾いた銃声の後コウゾーと男はもみ合いながら、テーブルをたたき壊し地面に倒れ込む。
コウゾーはそのまま銃をひったくって男をぶん殴ると振り向こうと体勢を……直そうとしたが背後でガチャッという複数の銃が動く音がしてコウゾーはそのまま手を挙げた。
「銃を降ろせ」
怒気混じりにそう言われしぶしぶ銃を降ろすと、突然一斉に銃声が響きわたった。
ゴンッ という音共に打ち下ろされた見えない壁にその鉛玉の群れはひしゃげ潰される。
そして一つの疾風の音とともにその黒い巨体が飛び込んだ。
まるで雷鳴のような音が群れをなしてその部屋を飛び交う中を、その黒色はまるで流体のように空間を泳ぎ、手にした無明の剣で次々とテロリストをなぎ払う。
四方から飛び交う銃弾の軌道を剣で自在にそらし、まるでそうなることが自然であるかのように次々と男達が屠られていく。
そしてぱたり……となにも聞こえなくなった。
銃声の音で耳が聞こえなくなったような、息音一つ無い静寂。
コウゾーが背後に振り返るとそこには、夜を切り抜いたような真っ黒なローブの一人の男が幾人もの倒れたテロリスト達をバックに立っていた。
男はコウゾーを見下ろすと、なにも言わず何かを引きずるように歩き始めた。
見えない何かその剣のような物が動くたびに、ゆらりゆらりと赤い風がその輪郭をなぞるように流れる。
「君は……」
コウゾーの問いかけに男はただなにも言わず足音すらもなく、影のように歩いていく。
そしてなにかの紙切れの目の前で一瞬立ち止まり、ちらっとコウゾーの方に振り向くとそのまま歩き去っていった。
戸惑うコウゾーをよそに平静を取り戻した客達は口々に騒ぎ始める。
「……見ろよこの防護服のエンブレム、吉岡の私兵じゃないのか?」
「ふざけやがって……金になる話があるっていうから来てやったのに、吉岡の小僧……俺達をまんまとコケにしやがって!」
「知ってるか?アイツキューブのメインシステム作るときに何人か頭を開けて人体実験したらしい、町中ぶらついてるのも次の実験に使う祖体を探してるんだってさ……」
「やっぱりどうかしてるぜ、もしかして俺達も実験材料にするつもりだったんじゃ……」
このパーティの主催者に対するいくつもの噂が飛び交う中、コウゾーは真名水の残したメモを握りしめ、今はただ黒衣の男のあとを追いかけるしかなかった。
かつんかつん、と二人分の足音だけがただ永遠にも思えるような螺旋の回廊に響き渡る。
白い壁白い天井、建物の外装からパーティ会場では装飾や人気があったため気が付かなかったが、ここにある白はなにか普通の世の中にある白色と言うには異様な雰囲気だ。
時折かすかに通り抜ける風の深く重い音が、私たちを包む空間を前から後ろへと通り抜けるたびに、それが愁いを持って踊るのを感じる。
一切の継ぎ目のないここは、まるで白い空気に満たされたシェルターのようだった。
「寒くないか?」
「え、ええ……大丈夫」
もうどのくらい歩いているのかさえわからず少し不安を覚える私に、タカシは真っ直ぐ前に歩を進めながら話しかける。
「いいところだろ、静かでなにもない」
「ん、そうだね。……でも私にはちょっと寂しい気もするかな」
「オレにはこれくらいでちょうど良いよ……本当の一人は優しいくらい心地良い」
そういうと吉岡少年ははぁっと小さく白い息を吐く。
「雪が降り始めたみたいだ」
彼の言葉と共に閉鎖された回廊の中に粉雪が舞い散り始めた。
「これは……君が?」
吉岡はなにも答えない、ただ彼の私を見つめる瞳はまるで小さな子供を見つめる親のように、底の知れない深さをたたえている。
「真名水……人はね、生まれたとき、一度死ぬんだ。
安らぎの庭を奪われ、命の尾を切られる、その悲しみで泣くんだよ」
そう言うと彼はまるでそこからでも空が見えるかのように天井を仰ぎながら、ちらりほらりと舞い落ちてくる粉雪の先をみつめた。
「生ける屍なんだ僕らは。だから互いの肉を喰い、一歩でも上へと登ろうと互いを足蹴に踏みにじっても、歴史はそれを正しいこととして刻んでいく。……時計の針が、ただ時を刻むように」
そして彼はこちらを見つめ、懐から古ぼけた一冊の本を手に取る。
「真実の書……これを誰が記したのかはわからないし、それ自体にはあまり意味はない。でもこれはオレに本当にいろいろなことを教えてくれたんだ。」
そう言うと何かを思い出し少し疲れたような顔をして、顔に手を当てながら言った。
「この本に記載されていたコード形式とその解読を行うスペック、それが揃ったときに発現する一種のプログラムがいまのオレにある力の源だ。
そしてこの全てのコードにおける記号原理を解析して、
超高圧情報アセンブラ『ベノムコード』理論を構築、それを利用して作ったのが……」
「キューブ、まさかあなたみたいな子供が作ったなんて思わなかったけれど……」
疑う気が起きない、それだけ彼の言葉は重くその視線の重圧は強い。
「……やがて全てが変わる、そのためにアレを作ったんだ」
そういうと軽くステップを踏んで私の前でくるっと回ると頭をトントンと叩いた。
「世の人は利便性に弱い、上手く浸透してくれたよ。目先の金にしか興味のない豚共にはエサをくれてやればいい。俺の計画はちゃんと深いところに、確かに根付いた」
と楽しそうに言うと鼻歌交じりに両腕を広げた。
次の瞬間回りが蠢き始めた、突然足下が押されるような感覚に襲われて
「わわっ!」
っと私は慌てて後ろに下がろうとして尻餅をついてしまった。
「もうここからは一方通行だ、後戻りは出来ないぜ?」
いまさらながらやはり様子が変だ、っということに気が付いてももはや手遅れなのは明らかだった。
床をそっと指でなぞると細かい粒子がザリザリッと高速で動いているのがわかる、床や この回廊全ての表面が前に前にと動いているようだ、後ろに下がろうものならすぐに足を取られてしまう。
「砂地獄みたいね……」
「悪くない趣味だろ?」
興が乗ってきたのかカラカラと笑いながら話すその風貌は、常軌から逸しているようにも見えた。 それは愁いの果ての凶行か、それとも。
「あなたはなにがしたいの?なにが目的でこんなことを……」
彼は振り向きニッコリと笑うと言った。
「与えてやるのさ、世界は新しい道を模索している。そいつを導き出す」
彼がゆらゆらと手をはためかせ手を叩くと、白の回廊の先が左右に割れて眩しいくらいの闇が差し込んでくる。
「さあここが終着駅、これが世界への答えだ」
満天の星空の下、まるでぽっかり穴が開いたかのような黒い球体がそこにあった。
中で時折なにかが脈打ちながら動き、どこからか声が聞こえてくる。
こんな時にミサだろうか、聖歌が冷たく乾燥した空気にのってあたりを包み込んでいる。
白い雪がちらりと舞い降りる様子はまるで星が降ってくるようにも見えて、目の前の異常な現象すら全て内包して一つの静かな儀式のようだ。
胸の奥がじわりじわりと熱くなって、トクン……トクン……と小さな脈が聞こえる。
それの見つめる視線の中で、私の意識は肌に触れた雪のようにふわりと消えていった。
その頃黒衣の男を追いかけてコウゾーはエレベーターホールの内壁を登っていた。
「ふぅ……なんだか寒くなってきた、もうすぐ外なのかな……」
そういってふと下を見ると、さっき出てきたエレベーターの天井が豆粒のように見えて、思わずコウゾーの手から力が抜けそうになった。
ぶるっ……、と身震いすると勇気を振り絞ってはしごを登る。
一段一段と掴むたびに手の体温が冷たい鉄のはしごに奪われてヒリヒリしても、なぜか黒衣の男が行く先に真名水がいる気がして、また一段、一段と登っていく。
冷たい風がコウゾーの頬を撫で、白くて小さな雪がはらりはらりと舞い込んでいる。
黒衣の男は静かに佇んでいる、その横にコウゾーはよじ登った。
「ようこそ、これで役者は揃ったわけだ」
そこには玉座に座る吉岡がいた、かたわらにひかえたゴシック調の服を着たメイドが一人の少女を抱えている。
「真名水さん!」
真名水はメイドの腕の中で気を失っているようだった、力無く垂れ下がった腕からは血の気が失せてまるで死人のようだ。
「……その人を返して下さい」
「いやだ、と言ったら?」
その言葉のすぐあとに黒衣の男が銀のナイフを投げつける、ナイフが吉岡めがけて滑るように飛び込む瞬間メイドが長剣でそれをはじき飛した。
キィンと濁りのない音を上げ、光を反射しながらナイフは闇に落ちていく。
「悪くない返答だ、嫌いじゃないよ」
というと吉岡は両手を広げて挑戦的に笑う、そのままメイドをの方を見て指で側に来るように指図をして、彼女がかたわらにやってくると腕を組み右手を口に当てながら続けた。
「容易くはないと思うけど……やってみる?」
愚問だと言わんばかりに黒衣の男は動いた、向かい風を無理矢理に引き裂きゴウッと音を響かせながら矢のように近づくと赤い風を引く見えない剣を少年に振り下ろす。
ギィンッ、と鈍い音とともにメイドの突きが彼の剣をはじき飛ばし、吉岡の攻撃的な笑みと共に黒衣の男に鉄球がめり込むような重圧が叩きつけられ一瞬浮き上がる。
吉岡が片腕をゆっくりと男に向けて伸ばして、ゴキゴキッと鳴らしながら握りしめた拳を勢いよく開くと、男にマシンガンのような衝撃が襲いかかり彼を吹き飛ばした。
男は宙に浮きながら一枚カードを投げ捨て剣を振り、その反動で姿勢を整えると地面を滑りながら着地する。
「ふむ、この力に上限はなさそうだ」
自分の手を観察するように見つめながら少年は呟く。
コウゾーはその様子を見ながらメイドの隙をうかがって飛び込んでいった。
メイドがコウゾーに気付き、走ってくる彼に切っ先を向けて振りかぶると、彼女のかたわらで黒衣の男が落としたカードが小さな炎の円を描きThe Hermit の円陣を刻む、そこから発せられた激しい閃光が彼女に浴びせられた。
メイドがひるんだ一瞬の隙を縫って黒衣の男が彼女の腕を蹴ると、真名水が宙に浮き上がった。
コウゾーはそれを見逃さず、吉岡の放った追撃をすんでの所でかわすと、転びながら真名水をキャッチした。
「あはは、がんばるがんばる。じゃあこいつはどうかな」
吉岡が右手首を握りながらなにかを放とうとした時、彼は唐突に動きを止めると
「おや、お目覚めのようだ」
と空を見上げて目を細めた。
雲の隙間にのぞく星空に、ぽっかりあいた穴のような黒球が浮かぶ、
その中で透明な体の天使が首をよじり口元に引きつったような笑みを浮かべながら、
内壁を掻きむしる。
一掻き
そしてもう一掻き
その度に歪んでいく姿は、発狂した芸術家の描くような、理解の出来ない造形へと変化していく。
粘液を引きながら見開かれたまぶたの奥には、無数の結晶体を持つ黒い瞳。
ひび割れた断面から赤い風を吹き出し続ける狂気の具現。
それの目覚めと共にコウゾーの腕の中で、真名水は少しずつ、呼吸も弱く肌の熱もしだいに奪われ冷たくなっていた。
「……おい、貴様」
声をかけられたコウゾーが見上げると、黒衣の男がコウゾーの側に立っていた。
「助けたいか」
「え?」
「このままではその女は間違いなく死ぬ、少なくともその存在が消える。
だから……助けたいかと聞いている」
コウゾーは男がなにを言ってるのか、今のこの状況がなんなのか、なにがなんだかよくわからず戸惑う。
でも彼の腕のなかで、小さな喘ぎ声と共に弱々しい白い吐息吐きながら弱っていく真名水を助けられる手段がそれしかないのなら……。「助けたい」と彼は力強く答えた。
吉岡はそんな二人の様子に気付いて一瞬ニヤッと笑うと、あたりを破壊して彼らの近くにコンクリートの固まりをぶちまける。
破片が一つ、コウゾーの顔に傷をつけ彼のメガネにヒビを入れた。
「内緒話はよくないな、俺も仲間にいれてよ」
コウゾーは答えない。ただ愛用の丸メガネの奥の優しい彼の瞳には、火がともったように熱い意志の力が満ちていた。
「へぇ、やる気なんだ。やる気剥き出しな顔しちゃってさ……」
何か見えない力が働くように、少年の姿が大きく見える。
回りのビル一面のガラスが軋み声を上げ、砕け散った。
その全てが細かい刃となって空中で擦れあい、ガラスの甲高い摩擦音が無数に響き渡る。
「抗う力もないのに、俺の前に立つな……!」
顔をひどく歪めた吉岡が手を高く掲げると、無数の透明な刃は空中に制止したままヒュンッと回転し一斉にその矛先をコウゾーに向けた。
「……貴方の出番ですよ」
「任せておけ」
そう言うと黒衣の男はコウゾーのぬっと前に出ると見えない剣を目の前にかざし、静かに佇む。
少年の腕が断頭台のように振り下ろされ、ガラスが銀の閃光となって一斉にコウゾーたちに襲いかかった。
黒衣の男はその光の集点を見極め、剣から舞い踊る赤い旋風と共に猛烈な速度でそれらを次々となぎ払っていく。
「……ッ――」
剣から引き起こされる嵐は剣に砕け散ったガラスを吹き飛ばすだけではなく、コウゾー達すら吹き飛ばしそうな勢いで吹き荒れる。
コウゾーは必死に真名水を庇いながら、目の前の強大な力のぶつかり合いに息をのんだ。
しかし彼は同時に妙な既視感を覚えていた。
身に迫る危険と引き替えに、コウゾーは心の奥に眠っていた何かが少しずつ目覚めて行くのを感じていた。
「……なんだろう……この感覚……」
「染みついたモノは忘れられまいよ、全てはその魂に聴け」
黒衣の男はコウゾーに背を向けたままそう言い放つと、最後の一振りで巨大なガラスのギロチンを粉々に砕くと、剣を黒球に向けて獣の雄叫びをあげた。
黒球には無数のガラスの破片が、そのうっすらとした膜にいくつも食い込んでいる。
同じく無数の光の弾丸に打ち抜かれボロボロになった彼のコートが、突風に煽られ隠されていた男の素顔が暴かれる。
獣の猛る肉体に異形の白骨面、その姿はまるでおとぎ話の戦士のようだ。
そして彼の咆吼に答えるように黒球から異形が暗黒の羊膜を突き破り、その姿を現す。
赤ん坊のように産声を上げながら、歓喜にひしゃげた口にはいびつな牙が生えそろい、その全身にびっしりと生えそろった鋼鉄の鱗で、ギチギチと気味の悪い音を立てながら
ボトリ と地面に落ちる。
瞬間、あたりがどろりとしたコールタールのような殺気に飲み込まれた。
どす黒い、ただ悪意しかないその破壊衝動が、その場にいる全てに向けて放たれている。
キューブと言う名の鳥かごに捕らえられた街中の誰もが振り返る先に、暗黒都市のバベルがそびえる。
空の慟哭のなかにその街の全てを飲み込むほどの巨大な威圧感が拡大していく。
その中心で、言葉もなくただ一つの感情をむき出しに、純白の翼が高く広げられた。
「ハッピーバースディ、神話の救い手……アクトゼルス」
椅子から立ち上がると吉岡はゆっくりとそれに向かって歩いていく、途中何かを言おうとするメイドを鋭い目つきで黙らせ、一歩、また一歩と……。
ジャキンと差し出された刃が赤い風に仄かに姿を写しながら、吉岡に向けられる。
吉岡はふと立ち止まり男とコウゾーを見ると、一瞬ふと笑ってそれに手をかけた。
瞬間激しい閃光とともに稲妻があたりにほとばしり、雪を溶かしコンクリートを黒く塗りつぶしていく。
「全部……ッ終わりにしてやる」
街中の明かりという明かりがコウゾー達のいる巨大なビルを中心に波紋状に消え去っていく。
吉岡の行動を見て男は平静に口を開く。
「この街の電力を集めて叩きつけてるのか……」
吉岡の体がどんどん疲弊していくのが目に見えて明らかなのに対し、白い赤ん坊は楽しそうに笑いながら彼の放つ電撃を押しのけ立ち上がった。
「……馬鹿なことを」
というと男は身につけた鎧を鳴らしながら前に歩み出る。
コウゾーは真名水を降ろすと、自分のコートをそっと掛けた。
「さっき話した通りだ、いけるな?」
「……ええ、いつでも!」
そう言うと壊れたメガネを捨て、パァンッと自分を頬を叩くと、コウゾーは空高く右手をかかげる。
そっとまぶたを降ろすと彼の回りから吸い込まれるように音が消えた、あるのは自らの体を流れる血液のこうこうと流れる音、そしてその音に紛れ何か途方もなく大きな流動が体を包み込む感触。
――なにかが、流れてる――
コウゾーは妙に心が落ち着いている自分になんだか笑みがこぼれた、やはりふしぎと懐かしい感覚だ。ここに来てどうかしてしまったのかも知れないが、こうするのは初めてじゃないとそんな気がしていた。
「僕に……力を!」
吉岡の電撃が弾かれ赤ん坊は凶暴な笑みを浮かべて彼に飛びかかった、それをすかさずメイドの剣が捕らえる。
ガギィンッ!という鋭い音と共に金属のすえた臭いがあたりに流れた。
赤ん坊はかじりついた剣を物珍しそうにしげしげと眺めると、メイドの顔を見据えて甲高い声をあげながらグチャリと、まるで離乳食でも噛むように溶かす。そしてその小さな両腕で高く跳躍すると、舌を引き延ばしながら武器を失ったメイドに襲いかかった。
ビチャッ……と鮮血が地面にぶちまけられる。
「……!」
「手を出すなって……言ったろ……」
吉岡の肩を貫いた赤ん坊の舌が、ズルッと引き抜かれ吉岡はメイドの膝の上に崩れるように倒れ落ちた。赤ん坊は舌にこびりついた血を手で拭って弄ぶと、ピチャピチャと舐めながら楽しそうに笑い声をあげる。
そして生々しい肉体の破壊音と共に急速に巨大化し、3mほどの巨体に成長した。
メイドはギュッと唇を噛むとそれを睨み付ける、しかしそれを吉岡の手が制止しする。
血の気のない真っ青な顔で力無くメイドの頬に触れた、その手にこびりついた彼の血がメイドの頭を冷ますように冷たくなっていく。
吉岡の肩をぎゅっと抱いてメイドは俯いた。
赤ん坊とはもはや呼べない異形の怪物「アクトゼルス」の巨大な腕が彼らに振り下ろされようとしたその時、何かに気が付いたようにアクトゼルスはその鎌首をゆらりともたげ、振り返る。
その先には騎士のような格好で構えた男と、佇むコウゾーの姿があった。
空を貫く月光がコウゾーの右の薬指に柔らかに触れ、まるで月のリングをはめたように見える。しかしそれはやがて実体を持ち、それ自身月の光を取り込み光を増していった。
コウゾーは生まれ出た月のリングを目の前に差し出す。
薬指の光輪がゆっくりと離れながら、男の背中とコウゾーの顔を淡く照らし出した。
コウゾーは目を開くと指をそのままパチンッと一つならす、するとリングは回転しながらまるでパズルのようにばらけ、それと同じように剣を空に向かって伸ばした男の体が、真っ赤な光の欠片に砕け散りリングの円の中に取り込まれた。
真名水をちらっと見つめると
「行ってきます、真名水さん」
と一言残し、コウゾーはそれに向かって駆け出した。
アクトゼルスはそんな彼に向かって、ニチャァッと粘液を引きながら真っ二つに引き裂きながら口を広げ、劈くような雄叫びを光の槍を放った。
ジリジリと肌をこがす熱線がコウゾーの体を芯まで焼き焦がすように迫ってくる。
後数歩、あと一歩前に踏み込めれば届く距離でその破壊の光が彼に食らいつき。
「うおぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
轟音と共にその大熱量が弾け、爆炎がコウゾーを飲み込んだ。
遠く残響の音が夜の虚空に響く、石とガラスの建造物にまるで象の檻の中のようなその場所にもうもうと熱を帯びた粉塵が広がっていく。
吉岡とメイドはただコウゾーの居た場所を見つめたまま動かない。
アクトゼルスが黒い煙が揺れる様に満足げに口元を引き裂き、体から吹き出す赤い粘液で地面を溶かしながら真名水の元に歩む。
そして彼女の体を愛おしげに睨め回すと、荒い息を吹きかけながらぬっと近づいていく。
真名水は息も絶え絶えに喘ぎながらコウゾーのコートを握りしめた。
そのとき彼女の耳に優しい声が聞こえ、彼女はその声の主に答えようと口を開く。
「コウゾー……くん」
そのとき息が止まるような重苦しい静寂を突き破り、
グォガガガガン!!
と幾枚もの赤く輝く羽が粉塵を貫き、鉄の板を打ち抜くような音をあげてアクトゼルスの背中に突き刺さった。
散らばった赤く輝く羽があたりの粉塵を切り裂いて霧散させ、その中心の一人の男の影を映し出す。
まるで聖騎士のような白い鎧と、悪魔的な黒衣を纏い、翼のような無数の光の羽を背に受けたその姿が、ゆらりと流れる風に流れていく煙の中から浮かび上がる。
その男はゆっくりと顔を上げ敵の姿を見据えた、コウゾーのその姿はまるで元々そうあるべきだったかのように、確固としてそこにあった。
彼の顔に刻まれた傷が粒子となって広がり、リバレーターの印を刻みつける。
それを見たアクトゼルスは目を見開き、いびつな翼を広げて空に舞い上がった。
コウゾーはそれを目で追いながらスゥッ……と一つ深呼吸すると、彼に刻まれた印が光を放ちその姿がノイズを走らせるような残像を残し消える。
次の瞬間にはらりと舞い散る羽と共にアクトゼルスの左肩が ゾンッ と切り落とされた。
ギィイイアアアアアァァァ!!!!!
つんざくような叫び声と共にゲル状の血液が噴き出し、虚空に蒸発して消えていく。
肉がずり落ち生まれた視界の中に、羽を支点に宙を浮くコウゾーの姿があった。
「……ちっ外したか、鈍ってやがる」
『ずいぶんと遅いお目覚めだ、当然だろう』
「へへっ……悪いな、おかげで良い夢が見られたぜ」
そう言うとコウゾーは悪魔的な笑みを浮かべゆっくりと動く。
『私の仕事をこれ以上増やさないでもらいたいな』
「ははっ、そうクサクサなさんなっ……と」
襲いかかってきた豪腕に、コウゾーは羽を一枚つまんだ右手をあてパァンッと軽々と受け止めると、横目でその巨大な悪意の化身を見上げる。
「無粋なヤツだな、お仕置きしてやろうか」
コウゾーはそのまま右手を大きく後ろに下げアクトゼルスの姿勢を崩すと、左足でその腕を固め右の踵に羽を集めながらその巨体の頭頂部に叩き込む。
しかしアクトゼルスはその足を掴むと、吉岡を貫いた舌をコウゾーの心臓に伸ばした。
「おっと」
とっさにコウゾーは掴まれた部分を重心に体を逆に回すと、赤い翼を展開しギャルルッと回転し無理矢理引きはがし距離を離す。
「やれやれ……、気合いの入り方はやっこさんも相変わらずか」
彼の動きに連動するように羽は閃光の軌跡を引きながら、一つのベクトルに向かって群れを成し、コウゾーが人差し指と中指が揃えて立て手首を伸ばすと、羽が一斉に彼を取り囲む。
「予定通り……とはいえ、複雑な心境だなコイツは」
そう呟きながら肉を蠢かせ修復し、こちらに憎しみの目を向ける黒い化け物を眼下に見下ろしながら呟くコウゾーは、いままでとはどこか他人じみた風貌を漂わせている。
『愚痴ってる場合ではなかろう』
石の地面をぶち抜き轟音と共に迫り来るアクトゼルスに向かって、背中の翼が彼の体を押した。
ぃいいいいいいイイイイイイイイイァアアアアアアアア!!!!
その生き物とはかけ離れた不気味な叫び声とともに、灼熱のマグマの熱量を孕んだ真紅の爪がコウゾーに襲いかかる。
コウゾーは右手を伸ばし左手をひねる形で羽に命令を下し、加速を止めることなくそれをかわすと、宙返りして翼を乱暴に化け物の剥き出しの背中に叩きつけた。
地面にぶつかる寸前に羽がいくつもアクトゼルスの下に回り込み、幾枚も突き刺さって動きを止め、そこに向かってコウゾーの腕の一振りと共に無数の羽の弾丸が撃ち込まれる。
ギィァアアアアアアアアアアアア 響き渡るその獣の悲鳴に、あたりにいくつものヒビが入り、破片となったコンクリートが地面に転げ落ちた。噴水のように吹き出した血から生まれた赤い風があたりの色彩を黄昏色に染める。
大半の羽を失った翼は揚力を失い、コウゾーはそのままゆっくりと地面に降り立つ。
そしてアクトゼルスののたうつ姿を見てニヤリと笑うと、首をコキコキッとならした。
アクトゼルスは振り向きながら血走った目でコウゾーを睨んだ、そして全身の鱗を擦りあわせ呪文のようなノイズを起こし雄叫びをあげる。
『……モナドの増大を確認、来るぞ』
「……了解」
羽一枚一枚の軸から放出される結界の光の粒子が、直線的な流れから歪んだ流れに変化し、コウゾーがアクトゼルスに向かって差し出した左手にまとわりつく蛇のように渦を成してゆっくりと展開していく。
アクトゼルスの咆吼が終わると共にぐにゃりとひしゃげた空間が巨大な圧力の壁となってコウゾーに襲いかかる。
それが衝突する瞬間、コウゾーの手の先に展開された羽が赤い風をはらみながらそれを巻き込んでその力を受け流していく。
「っく……、けっこう重いな……」
次第に強さを増していくプレッシャーにコウゾーの腕は悲鳴を上げた、体から嫌な汗が噴き出すのを感じながらコウゾーは目の前の巨体を凝視していた。
不完全な部分がたしかにそこにあった。
一筋のゆがみのないフィールド、それを見いだすとその入り口が目の前にさしかかった瞬間寸分の迷いもなく結界を解除して左腕を捨てた。
グシャッ
と嫌な音を立ててへし折れる腕に、コウゾーの顔は苦痛の色を浮かべながら体を隙間にねじ込んだ。そして左肩の後ろに右手を回し、見えない剣を背後から呼び寄せつかみ取ると、左右に揺れるそのフィールドの中をただ前に駆ける。
剣で赤い風を引きながら、右中指を目の前にかざすとリングが消滅魔法の陣を描き出した。
それを見てアクトゼルスはほくそ笑んだ。
リバレーターの能力では自分を完全に消滅させることが出来ない、それはあらかじめ決められていた台本だった。
しかしコウゾーは怯まず、むしろ余裕すら浮かべて襟元から口で一枚のカードを取り出した。カードに描かれた絵柄は「塔」破滅の象徴だ。
それを剣で擦り火を灯し魔法陣に投げつける。
純白の光に包まれていた魔法陣がウィルスに犯されたように書き換えられ、濁った色に変色していく。その色は白を汚すために生み出された、完全な汚れの色だ。
異形の妖精達が姿を現して彼を導くように飛ぶ。コウゾーの剣が陣を切り裂くと、魔法陣は完成しバァンッという炸裂音と共に広がった。
その中を通り抜ける瞬間、剣は実体を持ちその刀身に「execution」という文字を刻む。
コウゾーの背後に巨大な黒褐色の翼が広げられ、彼の体を突き出すように前にと飛ばす。
そしてその翼の中から現れた漆黒の死に神のヴィジョンがコウゾーに続き、アクトゼルスの狂気の白にその剣の一閃とともに地獄の鎌が振り下ろされた。
グオォオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!
まるで世界が悲鳴を上げるかのような音を立てて、アクトゼルスの肉体があたりの空間ごと巻き込みながら崩壊していく。
コウゾーはボロボロの体を引きずったまま、真名水を抱き上げ穏やかな寝息を立てる彼女の横顔を見つめた。
その瞳はどこか遠く、儚いものを見るように優しい。
「ほんとに……よく似てる」
『……だがな』
「わかってる……、いくぞ」
コウゾーはそのまま夜の闇に溶け込むように消えていった。
崩壊が一通り収まり、吉岡とメイドがガレキの山の中で空を見上げると、
一枚の光を宿した白い羽が、誰かの涙のように夜闇をただ静かに流れていくのが見えた。




