464回目 異世界勇者の解呪魔法(ディスペルマジック) 264:ミキノ
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東京都某所、夕闇の街を歩く、一人の青年の姿がある。
彼はとある工房の前で足を止め、その扉に手をかけた。
扉を開くと、ドアベルがチリンチリンとなる。
青年はこの瞬間がいつも好きだった。
工房の中のアロマの香りは、彼女が好きなタイムの香りだ。
「先輩」
青年が声をかけると、彼女は作業の手を止め微笑みながら振り返る。
「お、来た来た。それじゃはじめよっか」
彼女の名は伊織、そして青年の名は三木之助。
これはプレイヤーネームミキノ、彼もとい彼女がVRゲーム【ティタノマキア】の世界に転移する前の話だ。
三木之助は幼い頃天才少年タレントとして一世風靡していた。
そんな彼を自分のものにしたいと考えたある財閥令嬢は、莫大な財力を使って極めて合法的に彼の両親を殺し、彼の親権を買収した。
その後彼の持ち主は、サインペンで持ち物に名前を書くように、三木之助の体にナイフや焼ごてで消えない傷を刻みつけ、歪んだコミュニケーションを彼に強いた。
それは彼が高校から一人暮らしを始めても終わらず、彼がどこに逃げようと黒い高級車に乗った数人の男達が拉致のような形で彼を彼女の元に連れて行く。
彼がどれだけ嫌がっても彼女は自身が悪いとは思わず、自分の言いなりにならない彼に一人前になりたくないのかと泣き、お前のためを想っているのにと怒り狂うのみ。
彼女を中心とした利益で結託した大人達に囲い込まれて逃げ場はなく、逆らえば逆らえなくなるように肉体的精神的な虐待がエスカレートするだけだった。
三木之助にできるのは、ただ嵐が通り過ぎるのを待つように、じっとしている事だけ。
彼の体のありとあらゆる場所が、他者の欲望で 強姦 されていた。
全てが嫌になって、学校をサボって街中をあてもなく彷徨っていた時、三木之助は伊織と出会った。
彼女は三木之助が通っている大学の一年上の先輩で、大荷物を運んでいた彼女に無理やり荷物を渡され、工房まで運ぶのを手伝わされた。
お礼と言われて出されたアイスティーを飲みながら、楽しげに黙々と作業している彼女を見ていると、なんだか自分も自由になれたような気がした。
その感覚が忘れられず、その日以降三木之助は工房に通うようになった。
「見てるだけじゃなく作ってみたら?」
彼女にそう言われて、自身も作品を作る。
意外と楽しいと言うと、伊織は「やっぱり、趣味が合いそうな気がしたのよね」そう言って笑った。
彼女とのやりとりは特別なことのない普通の内容だった。
しかしその普通さが、三木之助にはなにより嬉しいことだった。
伊織と一緒にいる間、彼はどこにでもいる普通の人でいられるのだ。
「刀、ですよねそれ」
三木之助は作業エプロンを身につけながら、伊織の仕上げている作品を見た。
伊織は刀を研ぎ、その刃紋の出来栄えを確認してうなづく。
「そうだよ、なかなかの出来でしょ」
「暫く留守にするって、刀鍛冶のとこに修行にでも行ってたんですか?」
「まぁね」
そう言いながら彼女は刀に銘を掘り始める。
「先輩の作品ってなんていうか、殺意高いですよね……」
工房の中を三木之助が見渡すと、武器屋かのように古今東西のあらゆる刃物、それに奇抜な形の武器があった。
全て伊織の作品だ。
「機能美の追求だよ、先端が作りたいの。割れたガラスの断面とか、この刃の部分で身体が斬れちゃうんだって危うさって不思議と綺麗に見えるじゃない?」
「ダイヤモンドにカットを入れるみたいな?」
「そうそう、理解早い。やるわねミキノ」
伊織は変わり者ではあったが、そんな彼女だからこそ三木之助を普通に扱ってくれる。
彼にとって伊織と過ごす時間はかけがえの無いひと時だった。
「先輩ってお人好しですよね」
「何よ急に」
三木之助と関わりを持っている以上、伊織も彼の"持ち主"からなんらかの干渉を受けているはず。
しかし彼女はそれを態度に出した事はなかった。
三木之助にはありがたい事ではあったが、そんな彼女の好意に甘えることに後ろめたさがあった。
「心配になるんですよ、時々」
「考えすぎじゃない?眉間に皺付いちゃうわよ」
「昔何かあったんですか?」
「うーん、そうねぇ……」
食い下がる三木之助に対して少し困った笑顔をしながら伊織は答える。
「ミキノなら話しても良いかな、心配かけるのも可哀想だし」
そう言って伊織は話し始めた。
彼女が小学校の頃、家が火事になって、伊織は一人取り残されてしまった。
火に囲まれ、煙に包まれ、恐怖の中で途方に暮れていた彼女を、知らないおじさんが助けに来てくれた。
しかしそのおじさんは彼女を助けるために亡くなってしまったのだという。
彼女の家族はおじさんの事を聞いても答えてくれなかったが、伊織は自分で調べ彼の娘が同級生にいると知った。
直接話に行く勇気はなかったが、伊織は彼女の動向をいつも気にしていた。
おじさんの家はだんだん生活が貧しくなり、クラスでも浮き始め、いじめにまで発展した。
流石に見過ごせなくなった伊織は彼女を助けに入るが、そんな伊織をおじさんの娘は荒んだ目をして睨みつけた。
それから間もなく彼女は他の学校に転校してしまい、それ以降伊織は自分のせいで誰かが傷つくのが嫌な性分になった。
「不幸になった人ってなにをどうしたってその不幸自体からは逃げられないんだ。過去にずっと囚われ続けてしまう。そんなことの原因が自分だって思うと、耐えられなくって」
「先輩のせいじゃないですよ」
「ミキノは優しいね、理屈の上ではそうかもしれない。だけどあの子が不幸になる理由はなかったし、そうなった出来事の原因は私なんだ」
「それってその子と先輩の間だけの話ですよ、全く関係ない他人のために、先輩が自分で犠牲になるのは違うんじゃないですか?」
「私は自分が少しでも楽になりたくてそうしてるだけだから、犠牲とかとは違うんだよ」
伊織は困ったように笑う、この人は過去の罪の意識が自我に強く結びついてしまっているんだと三木之助は感じた。
彼女の償いはもう終わっているはずだ。
自分の心を救ってくれた彼女を幸せにしたいと三木之助は強く思った。
伊織は三木之助をそっと抱きしめる。
「先輩?」
「昔ある人がね、私にこうしてくれたの。それから、静かな優しい声で、もっと自分の幸せのことを考えてもいいんだよって。そう言ってくれたんだ、今のミキノみたいに」
そう言うと彼女は工房を眺め、遠い目をした。
「昔から私のこと自分の子供みたいに可愛がってくれてたおじさんでね、私が落ち込んでるのが見ていられなかったみたい。だからなるべく楽しんで生きることにしたんだ」
「それで作品作りを?」
「うん、ここおじさんの工房なんだ。もう使わないからって借りてるの。ここでこうして形のあるものを作っていると、なんだか救われた気持ちになるのよね」
刃物であってもどこか温かみのある、伊織に似た雰囲気のある作品たち。
彼女はきっと汚れてしまった自分の代わりに、自分の中の心を汲み上げ形にして、他者に理解してもらおうとしている。
だからこんなに温かい気持ちになる作品ばかりを作るのだろう。
「それに目標がないわけでもないよ、納得いく子が揃ったら個展開こうと思ってるし」
「なるほど……それで、なんでまだ俺を抱きしめてるんですか?」
「あんた、なんか辛いこと隠してるでしょ?わかっちゃうんだよね、そういうの」
その時三木之助は伊織のことを可哀想な人だと思った。
他人をいつも気にかけて、自分で逃げ道を塞いで、見て見ぬ振りができない不器用な人なのだと。
だけど一度もそうして抱きしめてもらえたことのない三木之助には、彼女のその不器用さが暖かくて嬉しくて、そんな彼女を愛おしく思った。
「そういうとこですよ先輩、お人好しもほどほどにしてくださいね」
「ちぇっ可愛げのない後輩だな」
三木之助と伊織は互いの顔を見て笑う。
三木之助は少しだけ、明日が来るのが楽しみになり始めていた。
明日になればまた伊織と一緒の時間を過ごせる、それが彼の生き甲斐になっていた。
しかし、別れは唐突だった。
伊織のおじさんからの電話で、彼女が電車にはねられて死んでしまったと聞かされた。
線路に落ちてしまった子供を助けて、自身は線路から出るのが間に合わなかったらしい。
最悪なことに、その日三木之助を伊織から遠ざけようとした"持ち主"から伊織の秘密を聞かされてしまう。
伊織はずっとある特定の界隈から嫌がらせをされていたのだという。
人殺しとか、精神異常者とか、言いがかりをつけられ悪口を吹聴され、学校に出席していなかった事もそれが原因だったらしい。
その主犯が彼女を救って亡くなったおじさんの娘であるという事も。
三木之助は目の前が真っ暗になるような気持ちになった。
「なんで黙ってたんですか」
三木之助は工房の中で一人慟哭する。
知ってさえいれば力になれたかもしれない。
「可愛い後輩に迷惑かけたくなかったんだよ」
伊織の声がして顔を上げ、一瞬暗闇の中の閃光のように、彼女が寂しそうに微笑みながら彼を見る姿が見えた気がした。
だがもうここに伊織はもういない。
三木之助は伊織の面影を探してあちこち歩き回り、思い出の場所を通り掛かるたびに彼女との日々の幻を見た。
デザイン画で悩んでいると、片手間に伊織が助言をくれた時のこと。
坂道でぶちまけてしまった材料を二人で必死に追いかけたこと。
出来上がった作品を前に自慢げな顔をする二人。
「俺先輩と出会えてよかったです」
「そう思ってくれるなら嬉しいな」
「それじゃまた明日」
「おやすみミキノ、また明日ね」
幻が消えて、三木之助は一人ぼっちになった。
ここから先の世界には伊織はいない。
彼女がいない世界はあまりにも暗くて、生きていく意味なんて何もないように思えた。
三木之助は歩道橋の上で、伊織を轢いた電車が来るのを待ち、祈りながら飛び降りる。
どうか来世で先輩に会えますように。
気がつくと目の前に、VRゲーム【ティタノマキア】の世界が広がっていた。
状況が飲み込めないでいるミキノの前に、ティタノマキアで一緒に遊んでいた時の伊織のアバターが現れる。
自分の姿を確認すると、自身の体もプレイ時に使用していたアバターの姿になっていた。
ゲーム中は現実の自分を忘れるため、三木之助は女性型アバターを選択、伊織からミキノと呼ばれ出したのはアバター名をミキノと登録し、それを彼女が面白がったからだ。
「せん、ぱい?もしかして、先輩なんですか?」
「大丈夫?ミキノ、まさかあんたもこっちに来ちゃうなんて」
三木之助は思わず伊織を抱きしめた。
今度は伊織を幸せにする。
その為ならなんだってしよう。
手段は問わない、人の道から外れようが、悪魔に魂を売ったって構わない。
伊織を幸せにしてみせる。
ミキノはそう強く心に誓ったのだった。




