29回目 転生回路
近未来人類は自我を構成する情報をクラウド処理により保管することで、
実質上永遠に死ぬことがなくなり、それによって先進国は人口減少問題を解決することができた。
しかしその環境によって新たに生まれるものも存在した、
それが転生回路である。
生体としての肉体が使用不可能な状態になり、物理的な死を迎えた個人の自我は、
その後政府による審査を経てその個人に相応しい器に収められることになった。
生きている間に価値を証明し一定ラインを越えなければ人間として転生される事すらなく、
永遠に死のない世界で蠅や植物や畜生として生き続ける事すらありえるようになったのである。
氷雨穂乃花その社会において偶然発生したイレギュラーであった。
彼女の中身となるはずだった人物はある犯罪者集団の手によって隔離され、
いま彼女の中にある人格は投獄されたのち獄死を迎えた首魁藤堂伊武の物であった。
しかし穂乃花はそのことを知りもせず、ただ普通に平凡な女子高生として生活していた。
人間が自己を規定するための情報がその原因としてあった。
目が覚めた時、その時の記憶、自分の容姿、日常的な優先事項や欲求、
人格はそれらの情報に大きく左右されていく。
あるものはこの世界が5秒前に作られた物だという事を否定する事は誰にもできないといった。
それと同じような事が人間の自我の彼岸にも起こり得るのだ。
今の自分が5秒前には本当の自分でなかったと否定する事は誰にもできない。
まして赤ん坊のころからの環境への順応によって、
自己肯定の希薄さから伊武の人格はいつしか記憶や思考も薄れて、
氷雨穂乃花という新しい人格で上書きされていた。
穂乃花はある日であった自分の兄を名乗る男からマインドトレーサーという、
無線型イヤホンのような機械を受け取り奇妙な事件に巻き込まれ始める。
マインドトレーサーを使う事で穂乃花は伊武の人格にあった技術や記憶を使用できるようになり、
暗殺者集団の首魁藤堂伊武が都市に隠した道具や場所を駆使して暗殺者集団や、
彼女を狙う謎の刺客達に立ち向かう。
マインドトレーサーを使うほどよみがえっていく伊武の記憶や自我は、
夜ごとに彼女に夢の形をとって現われていく。
少しずつ他人として歪んでいく自分に怯えながら、
穂乃花はその巨大な都市に隠された闇の迷宮の出口を求めて走り続ける。




