247回目 異世界勇者の解呪魔法(ディスペルマジック) 58:冒されざる秘枢(5)
ディアナ公国に入ってからずっと聞こえる音楽があった。はじめはどこかで誰かが演奏しているのだろうと思ったが、その竪琴の音色は都市の何処へ行ってもずっと聞こえ続けていた。
マックスの案内で僕らは神殿を抜け、丘の上の祭壇へと向かった。かすかに聞こえるだけだった竪琴の音色が次第に大きくなっていく。祭壇には大きな竪琴を奏でる一人の少女の姿があった。彼女は僕らが近づくとそれがわかっていたかのようにこちらを見つめた。
透き通るような白い肌と、風にたなびく輝く金色の髪、芸術家の理想を体現したかのような顔。彼女は僕に向かって言った。
「貴方、とても大切な人がいるのね」
空に響くような澄んだ声。なのにそれはどこか冷たい。
「私ね、ずっと本当に誰かのことを強く想っている人に、聞いてみたかったの」
彼女の目を見て僕は息をのんだ。
「人が人を想うのは相手の事を手に入れたいからかしら。自分だけを見ていて欲しい、自分だけの物にしたい。そういった欲望を形容するのに人は愛って言葉を使うのかしらね」
淀んだ沼の奥底のような、深く暗く濁った闇色の瞳。果てのない虚無のような目に僕は恐怖すら覚えていた。
黒い肉塊の気配はあるのに、なぜか彼女にはそれが見えない。
「どうして、なぜ貴女はそんなに人を想う気持ちを否定したいんですか?」
巫女は服を脱ぎ、半裸となった身体を僕らに見せた。乳を切り落とされ、腹部についた古傷が生々しい。
「私には性別が無いの、誰にも壊されないように、完璧な肉体に作り替えられたの」
違う、僕にはわかる。彼女は壊れてしまっている、誰にもその機能を果たす存在としての彼女を揺るがすことができないよう、予め、人間としての全てを、心にいたるまで、彼女は壊され尽くされているのだと。その痛ましさに悲しくなり、そんな僕の様子を見て彼女は微笑む。
「心配してくれるの?」
どうしてか僕はその言葉が機械音声のように聞こえた。
「私なら大丈夫」
私は人間ではないから。その言葉はそういう意味を含んでいるように思えた。
僕は黒い肉塊が見えない理由がわかった気がした。おそらくそれは彼女の中にいるのだ。彼女の心とあの黒い肉塊が結びついて一つになっている。底知れない闇が彼女の根元にたしかに存在していた。




