185回目 24:聖櫃の少女(1)
「コーディ我々は幸福だ、そうは思わないかね」
レスターは豪奢な部屋で酒をグラスに注ぎながらコーディにそういった。レスターは上流階級向けのザッツファスト劇場の支配人、コーディが台本を任されている舞台の興行主だ。彼はコーディにグラスを差し出す。
「この世界は相応しい者だけが幸福を得られる」
コーディは緊張した面持ちでグラスを受け取り、注がれた酒の色を見て香りを嗅いだ。まだ未成年の彼には嬉しいという感情を抱くものではなかったが、彼は微笑んで見せ、それにレスターは満足そうな顔をしてグラスの酒に口をつける。
「君の書く物語は素晴らしい、それに君は柔軟だ」
コーディは目を伏せ、握りしめた拳を背中に隠した。レスターはそんな彼の様子を見抜いているかのように愉快そうな表情をすると空にしたグラスをテーブルに置く。
「お父様の汚名を晴らす、それは確かに立派な目標だが、君が書きなおしてくれたこの台本の素晴らしさはどうだ」
レスターはコーディの顔にその顔を接近させ、彼の感情をのぞき込むようにその目を凝視する。
「まさに天才と名だたる君に相応しい傑作じゃないか!」
そういってコーディが引きつった笑顔を浮かべるのを待つと満足げに頷いた。
「これからもこの調子で頼むよ、そうすれば我々はこちら側で幸福が約束されるのだから」
部屋を後にしたコーディはトイレで顔を洗い、鏡を見た。そこにはやつれた自身の顔がある、なにもかもがうまくいっているはずなのに、憂いしかない顔が。
「幸福……幸福ね」
そう独り言ちるとコーディは自分の首元のネクタイに指を引っ掛ける。
「まるで犬だ、鎖に繋がれた犬みたいじゃないか?ふふ……ふふふ」
その頃マークは病院の前の公園のベンチで、病院に老紳士を連れて行ったウィルとレミアの帰りを待っていた。彼は自分の書いた物語の原稿を読み直しはじめる。そんな彼の前に帽子と色眼鏡をした女性が駆け寄ってきた。
「ちょっと君私の事匿って!」
「え、なに?」
「いいからっ私の事は見てないって言うのよ、いいわね?」
彼女は慣れた様子で物陰に隠れ、間髪入れずにスーツ姿の男たちが数人走ってきた。
「君、今女性がここにこなかったか?」
「これを読んでたので……」
マークが言い終わるより先に男たちは走り去っていった。彼らが遠ざかるのを見届けるとマークは彼女が隠れた場所を見る。
「行ったみたいだ」
「そうみたいね、ありがとう」
隠れていた女性は姿を現すとマークの隣に座った。
「お姉さん何してる人?犯罪者とかじゃないよな」
「仕事をさぼって逃げてきたのは事実だけどね。一緒に仕事やることになった人達と馬が合わなくて、仕事断ろうにも周りが許してくれないからささやかな抵抗をして。それで結局このざまってわけ」
「大人はいろいろ大変そうだ、俺マークって言うんだ」
「その制服私も通ってた学校だから懐かしいな、私はニコル。君はここで何を?」
「友達が病院で怪我の治療をしてる間、暇つぶしに自分の書いた話の粗探しをね」
皮肉めかしてマークが言うとニコルは彼に手を差し出す。
「なに?」
「良かったら読ませて」
彼女の軽快な雰囲気に乗せられて、マークはつい手にしていた原稿を彼女に渡す。
「クレームはいらないよ、落ち込んじゃうからさ」
「えー君そんな繊細そうな顔に見えないけど」
「人は見た目によらないんだよ」
「いいよ、元々人の大切な作品にケチつけるなんて趣味じゃないもの」
そういうと彼女はマークの書いた原稿を読み始めた。マークは自分の原稿が読まれることが少し毛恥ずかしくてあちらこちらへと目を泳がせていたが、最終的にはニコルの反応が気になり彼女の様子をうかがってしまう。ニコルは指を唇にあてて真剣な目をして読んでいた、その雰囲気はどことなく凄みがあり、吸い込まれるような魅力があった。
「まだ書きかけなのね、このお話凄く素敵だと思うわ」
「え?」
マークはニコルに見惚れていて、自分にかけられた言葉の意味を瞬時に理解できなかった。
「この作品にテーマ曲をつけてみない?」
そういってニコルは胸元から小さなオルゴールを取り出しマークに手渡した。
「私のお気に入りなのそれ、いつくらいだったら書きあがりそう?」
彼女の思わぬ反応にたじろぎながらも、マークはオルゴールを見つめながら少し考え口を開いた。
「今度の土曜日までにはなんとか」
「それじゃ決まりね」
そういうとニコルはベンチから弾むように立ち上がるとマークを見た。
「今度の土曜日のお昼頃にここでまた会いましょう、それじゃあね!」
歩き去っていくニコルを見つめながら、マークは彼女が素敵だと言ってくれた自分のボロボロの原稿を見てにやけ笑いを浮かべ、空に向かって大きなため息をつくのだった。




